第12話 早朝は甘い響きに満ちて

 総督府を出たところでサンドウィッチカートを見つけ、野菜がぎっしり詰まったものを購入。見た感じは良さそうだ。味もきっと悪くないだろう。「レストラン以外の食べ歩き、屋台やカートもなかなかグルメ!」というのもスロランスフォードの謳い文句だったりする。

 

 中央の森までは歩いて行けない距離ではないけれど、ランチタイムを利用して出てきたので時間短縮は必要だ。トラムに乗ることにする。この街ではトラムを始め、公共の乗り物はすべて無料になっている。

 軽い振動を感じて顔を上げれば、やってくる姿が目に入った。ノスタルジックな形と色。それが近代的なビル群をバックに走る様子は印象的で、旅の写真にもよく上がる。けれどこのトラム、古いわけではない。古さを演出している最新式のもの。常に整備され、機能も頻繁にアップグレードされているのだ。新旧の織り交ぜ、自然回帰を掲げるスロランスフォードのコンセプトをよく反映していると言えるだろう。

 さらに利便性も高い。広範囲にわたって路線が引かれているため、ちょっと郊外まで足を伸ばしたいと思った時にはうってつけだ。無料で本数も多いとなれば、安心して移動手段に使える。おかげで観光客の行動範囲が広がって人気のスポットも増え、総督府としてもますますトラムを充実させる張り合いができるというものだ。


「本当、可愛いわね。ノスタルジックで、エキゾチックで、バカンス感満載。さすがはスロランスフォード。旅先で見たいと思うものがみんな揃ってるなんてすごすぎ」


 季節柄、後ろ半分がオープンデッキになった車両に観光客と共に乗り込む。爽やかな淡いグリーン。木製の壁は季節によって実は微妙に塗り替えられている。それが案外気分を盛り上げる要素だったりする。なんとも心憎い演出だ。

 天井にはレトロなガラスシェードの電灯も取り付けられており、嬉しそうにそれを見上げる小さな女の子が記念写真を撮っていた。なんとも微笑ましい光景。何があってもこの日々を守らなくては! 私は心の中で拳を握った。


 総督府から五つ向こう、トレッキングコース前でトラムを降りる。湖に向かってゆるゆると散策を楽しむコース1、サイクリングコースも併設されているコース3、そしてお目当のコース2は一番奥だ。

 湖に向かって作られた小川が流れる、ちょっとした起伏に富むその場所は、街の中にあるとは信じられない程の景観だ。提案したデザイナー渾身の作に違いない。

 メインは大小の岩を組み合わせた渓谷の中のような道。急流が脇を駆け抜ける様子はスリルもあって、足腰に自信がある者たちにはワクワクしたものになるだろう。

 脇にはもっと緩やかな道もあり、初夏の鳥たちのさえずりやせせらぎの音を楽しみながら歩くのもまた一興だ。

 人もまばらな昼の時間、私はキョロキョロと辺りを見回した。青はまだ見えない。


(これといった違和感もないし、大丈夫そうな気もするけど……、一応、花の状態と場所の確認はしておいたほうがいいわね)


 ちょっと大きめの岩によじ登ってコース全体を見渡せば、少し離れた雑木林の中に、薄青が見え隠れしていることに気がついた。

 急いで岩を降り奥へ進んでいくと、思った以上に広い場所へ出た。かなりの樹齢を思わせる大木が枝を広げる下、一面に薄い青が俯いている。まだみんな蕾のようだ。私は意識を集中させて様子を伺う。……力は感じられない。

 風に揺れる樹々の音。水の音。遠くかすかに聞こえるのは郊外へと走り抜ける蒸気機関車の汽笛だろうか。ああ、素晴らしい森の癒し。けれどここからが勝負なのだ。花開いた時がその時だ。ウィルと一緒に来るのは数日後。早い花は咲き始めるかもしれない。


「あの人、運動神経良さそうだし勘も鋭そうだから、どうにかなるかなあ……」


 思わずため息がこぼれる。理由もなく約束を反故にすることはできない。といって、ウィルだけが出かけて何かがあっては本末転倒。これは何が何でも一緒に出かけ、いざという時は身を呈して彼を守るしかない。

 マローネ3の懸念さえなければ心から楽しめる週末になっただろう。ウィルの声とせせらぎや森の音に癒されて、私の充電もばっちりだったはず。だけどそんな夢は淡く消えてしまったわけだから、今だけでもこの自然に浸っておこう。私はコース脇に設置されたベンチに座り、サンドウィッチの包みを開いた。


 そうしてやってきた週末。土曜日の朝、それも六時半とか、ずいぶんと早い指定時間だ。まあ、デートではないのだ。スタッフとしてアーティストをサポートするわけだから、その必要条件を満たすことに意義がある。

 早朝のトレッキングコース、言われなくてもその意味はわかる。満喫するなら人混みは避けたいし、何よりもリラックスを求めているなら……。私としても、朝一番で「場」をチェックできるのはありがたい。保護対象がウィルだけだということも。


「平常心よ、平常心。ボスの名を汚さないためにも、この鉄壁のポーカーフェイスは週末だってフル活動なんだから!」


 出かける前、私は鏡に向かってそう声をかけ、自分を奮い立たせた。正直言うと予想以上に準備に時間がかかった。それだけでもう疲れてしまっている。まさかこんなことになるとは……。


 さあ、準備だとなった時、私はにやけてしまっている自分に気づいて慌てた。確かに声は好みだ、外見も、だけど……。


(違う違う、違うから! 好みは好みでも、恋愛対象とかじゃなくて理想。そう、二次元の癒しに近い何かよ!)


 ブツブツ心の中で言い訳しながらクローゼットを開く。常にはタイトスカートのスーツだけれど、公園管理事務所職員は現場に出ることも多い。それを考慮の上、赴任時にパンツスーツや砕け過ぎていない作業着に適した衣類を揃えてきたのは正解だった。トレッキングにももってこいだ。

 今回はシンプルなジャージー素材の濃いグレーのパンツと細いブルーストライプの七分丈チュニックを合わせることにした。


「程々が大事よ。張り切ってるって思われたら恥ずかしいもん!」


 思わず声が出る。チュニックの袖口と裾は若干フレアになっていて、ほのかに可愛らしかったりするのだ。


「大丈夫、青だから甘さは抑えられてる!」


 意味があるようなないような自問自答、ついつい独り言が大きくなる自分に苦笑せざるを得ない。

 最後に作業時用に準備した折りたたみ帽を引っ張り出す。つばが広めで形は仰々しいけれど、パンツと同じ濃いグレーが落ち着きを与えている……はず。


「……こんなものかな? あんまり仕事仕事したのもなんか変だし、今日はオーウェンチーフ補佐ではないわけだから……。そう、ロティの日。ロティ……」


 自分で言って自分で照れた。どれだけこの名前に耐性がないかを身をもって教えられる。さらにそれが推しボイスも真っ青な「神の声」だったわけで、あのレストランでの一コマを思い出した途端、私は床に突っ伏してしばし身悶えしてしまった。


 そうして約束の五分前につけば、ゲート脇のポールにもたれかかっているウィルの姿が見えた。私はいつになく大きな声で呼びかけた。


「おはようございます! お待たせしてすいません」

「ああ、ロティ。おはようございます。まだ時間前ですから大丈夫ですよ。あっ、待って! 慌てないで!」


 トラムの待合ブースは一段高くなっている。そこから飛び降りて駆けださんばかりだった私はウィルの声で踏みとどまる。目の前をサイクリングの二人連れが横切っていく。危なかった。あまりの耳福じふくに周りが見えなくなるところだった。ちょっと恥ずかしい。小さな咳払いをして気を取り直し、私は足早にウィルの元へ向かった。

 けれど今度は私服姿の眩しさにひれ伏しそうになる。アウトドア仕様のあれこれは、ウィルの一流アスリートばりの肉体のために存在するのかと思うほどだったのだ。推しフィルターがかかっているのか、いや、誰だってそう思うだろうと密かに胸を抑える。


「ロティ、朝早くからありがとう」

「いいえ、やっぱり人が少ない方がいいですものね。いつも多くの人を相手に仕事をしているんですから……、わかります」

「ああ、うん……そうですね……。でも一番の理由は、週末のロティをできる限り独り占めしたいということでしょうか」

(え? 今なんて……)


 まさか聞き返すこともできず、私は曖昧な笑みを浮かべて「じゃあ、行きましょう」と踵を返す。深く考えない、深く考えない……。できる男は社交辞令もずば抜けているのだ。

 紅潮しそうな頬を片手でさすりながら、もう一方の手でゲートのスィングドアを押す。ガイドとは名ばかりで、来たのは数日前のあの日が初めて。見所も何もあったものではないけれど、まあ、いいだろう。ウィルを振り返り、仕入れたばかりの情報を自信たっぷりに披露した。


「シェリルベルの開花にはちょっと早いんですが、蕾もまた風情がありますから」

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