第36話 六月二週(⑤)

 南は母親との電話を切った後、「あ、母親に一緒に乗ってくって言っちゃったけど大丈夫だった?」と俺に尋ねた。


「あ、俺は大丈夫だけど」問題はこちら側の話ではない。


「南は大丈夫? その、お母さんが俺を見て驚いたりしないか?」

「ああ、うん。家も近いし、知らない訳じゃないしね」


 娘が男と一緒に帰ってくる、という部分への回答としては少々不安な答えだったが、俺はその言葉に甘えることにした。


――


 地元の駅に到着すると、既に南の母親が駅の出口付近に車を停めて待っていた。

 南の家の車であろうその白いミニバン以外、他に車の姿はない。

 

「あ、あの車だよ。遼太郎は後ろに乗って」

「あ、うん」


 雨に濡れないよう早足で近付き、南は助手席に乗り込んだ。

 俺も覚悟を決めて、助手席越しに挨拶しつつ、後部座席のドアを開けた。


「あ、どうもすみません、お邪魔します」

「どうぞ。急に雨、大変だったね」


 小学生の時の授業参観や、最近だと高校の入学式で見かけたかもしれない。

 助手席の後ろに座ると、何となく見覚えのある顔を向けて、南の母親は気さくに言った。


「いえ、急にこちらこそ乗せてもらってしまって」

「全然気にしないで」


 どことなく南に似た雰囲気はあるが、そっくりと言うほどではない。

 ただ、その声は南に良く似ているような気がした。


「最近、せいらのところを送ってくれてるんでしょ? わざわざありがとう」

「あ、いえ……。最近は変な人達もいますし、女の子一人じゃ危ないですから」


 駅から紙袋被ったやつも出てくるからな。

 なんて街だ。


 それよりも、南は母親に俺のことを話していたようだ。

 俺は家族に交友関係を語ることがないので、『へぇ~』といった感じだ。

 俺には良く分からないが、男子と一緒に帰るといっても、別段隠すような話でもないのかもしれない。


「それにしても、遼太郎君も大きくなったわね」


 南の母親は俺のことを認識していた。

 考えてみれば当然の話だ。

 クラスもずっと同じで、親同士の付き合いもある。

 お互いで訪問することはないが、家だって徒歩で行ける距離だ。


「私達、もう高校生なんだから」


 南が母親の言葉に返す。


「そうよね。最近時間が流れるのはあっという間で」


 しみじみと南の母親が言う。

 俺は曖昧な笑いを浮かべながら、「はぁ」と答えた。


「それで、二人はいつから付き合ってるの?」

「はい?」

「お母さん!!」


 母親からのまさかの発言に、南が大声を出す。

 俺は驚いて、素で返すことしかできなかった。


 なぜ俺は、南の母親に交際の有無を確認されたのだろうか。


「お母さん、何訳の分からないこと言ってるの! 私と遼太郎はそんなんじゃないって!」

「は、はい。南さんの言う通り、そういった関係では……」

「あらあら」


 俺達の返事を予想していたかのように、南の母親は言った。


「せいらも家ではそう言ってるの。でも、今まで彼氏のかの字もなかったこの子が、男の子と一緒に帰ってるって言ったら。ねぇ?」


『ねぇ?』と言われても、違うものは違う。

 事実は事実として伝えねばならない。


 それにしても、南はしっかりと親に報告していたのか。

 確かに以前、『親に嘘をつきたくない』とか言っていたような気がする。


「いや……」

「お母さん、もういいから! ホントそんなんじゃないから!」


 ここまで取り乱す南も珍しい。

 力いっぱい否定してくれ。

 ……少々切ないが。


 しかし、そんな南の制止も意味を成さず、南の母親は続けた。


「この子も嫌いな人とわざわざ帰らないと思うの」

「は、はぁ」

「遼太郎君もそうよね?」

「は、はぁ」

「……男ならハッキリと返事しなさい。うちの娘に何か文句でも」

「いえ! まったくありません!!」

「せいらのことは嫌い?」

「……いえ!」


 一瞬間を置いてしまった。


 最近忘れがちだった、昔のことが頭をよぎったのだ。

 あの頃の俺だったら、口だけで『嫌いではありません』なんて返事をしたのかもしれない。

 すっかり考えも変わってきたのだな、と思いながら、俺は短いながらも力強く返事をした。 



「じゃあ、せいらのことは好き?」

「はい! ……あ」


 考え事をしていたせいか、条件反射で答えてしまった。

 俺の心に寄り添った回答だったが、答えた後で急激に焦り始める。

『友達として』ってことだよな。

 この流れで告白もクソもない。

 次の問答を考えて、俺は胃の辺りがモヤモヤとするのを感じた。


「そう……」


 しかし、その答えに対しての南の母親のリアクションは、今までと様子の違うものだった。

 そんな違和感を感じた時、南は母親に説教を始めた。


「お母さん、いい加減にして!」

「あはは……。ゴメンね、せいらが男の子を連れてきたから、お母さん舞い上がっちゃって」

「もう、怒るよ!」


 母親を責める南、平謝りする母親、たまに相槌を打つ俺。

 そんな様子が、俺の自宅の前に到着するまで続いた。

 一瞬見せた、南の母親の陰りの様なものは、その後の会話で出てくることはなかった。


 最後、お礼を言って車から降りる際、南の母親は言った。


「最後に……本当に二人は付き合っていないのね?」

「はい!」

「お母さん!」


 そんな感じで南の母親との遭遇は終了した。


 一日の中で色々なことがありすぎて、俺はとにかく風呂にでも入って落ち着きたかった。


 そんなことを考えている時。


 俺と南が知らないところで、とても落ち着いてはいられない話が動き出していたらしい。


 俺がその話を知るとともに、高校生である自分の無力さを痛感するのは、もう少し先のことになる。

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