HERO‐12
3人を乗せた馬車が停車し、御者が扉を開いた。目の前にはやはりアインスホテルがある。
「……えっ?」
「これって、本当にホテルに泊まる事になるの?」
「ど、どうしよう! ドレスコードがあるのに、こんな汚れた装備で来て……」
3人が場違いな装いに戸惑っていると、守衛室からスーツ姿の男が出てきた。手元のメモを見ながら何やら確認をしている。
「なんだこの馬車って思われてるのかな。ひょっとして1本道を間違ったのかも」
「旅は『道ズレ』とはよく言ったものだね」
「よく言わないよ……。多分、バルドルが思ってる意味と違うよ、それ」
シークとバルドルのヒソヒソ話の間に、スーツ姿の男は目の前までやってきた。やや気になるお腹周りを押さえながら、会釈程度に頭を下げる。
「ビアンカ・ユレイナス様、お久しぶりでございます。お2人はシーク・イグニスタ様、ゼスタ・ユノー様ですね。わたくしは当ホテル支配人、アインスでございます」
「あ、はい……」
「町長よりご予約を承っておりますのでご案内いたします」
「ええええっ!?」
「ちょ、ちょ、町長! え、え? あの町長、何考えてんの! アインスホテルにも格式ってものがあるじゃない!」
ビアンカはグングニルを抱きしめたまま慌てている。ゼスタもアインスホテルが庶民に縁のない場所だという事は分かっていた。
ギリングの夏場の安定した気候は人気がある。バスターを護衛につけ、広大な草原や小さな湖などの景色を楽しむのだ。
おまけにユレイナス商会は物流を担うため、特定の派閥に入っていない。この町の権力者が中立であるというのも、金持ちにとって過ごし易い要因になっている。
そんな金と暇を持て余した富豪が安心して訪れ、景色を楽しんだ後に泊まって満足できるホテル、それがアインスホテルだ。
国内の町の中で唯一「汽車では行けない」事も、特別感を煽るのだという。
「ビアンカ様。確かに当ホテルは格式を重んじております。しかしその格式とは身分、名声、人望、それらに起因するもの。当ホテルの重んじる礼儀は、決して着飾る事ではないのです」
「ということは……ちょっと場違いな気はするけど、泊まっていいってことですよね」
「場違いではございません。町を脅威から守り、数々の名声を得た英雄の皆様にご利用頂けるのであれば、当ホテルとしても名誉な事でございます」
アインスの穏やかな笑顔に偽りの色は見えない。汚れた装いを気にもせず、ビアンカのカバンを丁寧に預かろうとする辺り、渋々受け入れる訳ではなさそうだ。
「とりあえず……泊めて貰えるならついていこうよ。正直疲れてるし」
「僕も、今日はゆっくりと眠りたい気分だ。屋根と天鳥の羽毛クッションさえあればどこでもいい」
庭を抜けた先のエントランスでは、夜中だというのに何人もの従業員が頭を下げて出迎えてくれる。
「いらっしゃいませ。この町を守るため、力の限り戦って下さったと伺っております。お召し物はそのままで結構です。記帳を頂きましたらお部屋へご案内いたします」
「は、はあ……」
シーク達は客の立場であるにも関わらず、丁寧に何度も頭を下げながらロビーへと入っていく。ビアンカはアインスホテルのお得意様。顔を知られているため苦笑いだ。
「あードレスみたいな装備が欲しい、余所行きの」
「それ、装備じゃなくてもいいじゃん。服でいいよ」
「なんか、こう……余所行きの良い装備とか、欲しいじゃない。戦う時以外の、正装っていうか」
「言いたいことは分かるけど、持ち運び出来ねえからなあ」
「『剣は刀身』と言うけれど、余所行きの鞘なら僕も欲しいと思う気持ちは分かる」
恐らく「人は中身」と言いたいのだろうと納得しながら、3人目のシークが記帳を終える。
エレベーターに乗った3人は、5階の部屋それぞれ1室ずつへと案内された。ワイヤーと滑車で籠を吊り、係員がスイッチを押してウインチで巻き上げる仕組みだ。普通のホテルにはエレベーターなどない。
「お食事は各部屋までお持ちいたします」
カラメルのように艶やかな床、クリーム色の落ち着きのある壁紙、天井にはシャンデリア。大きな姿見はシークの背よりもはるかに高い。
午前中にチェックアウトし、夕方以降にチェックインする人が多い事もあり、ベランダが付いた両開きの窓は南東を向いている。朝はきっと快適な目覚めを迎える事が出来るだろう。
入室前から準備されていた白い薪の暖炉は大きく、ベージュの毛足の長い絨毯がソファーとテーブルの下に敷かれている。これでもスイートルームではないというから驚きだ。
「これで……1部屋なんだって。どうしよう、寝室が別にあるってのに、この部屋だけでリベラで泊まった時よりも広い」
「シークの実家なら、家ごと入っちゃうね」
バルドルのセリフに笑いながら、シークは鎧を脱ぎ、バスタブに湯を溜め始める。贅沢な造りの室内をじっくり見て回りたいが、先程まで極寒の中にいたため、なるべく早くお湯に浸かりたい。
「君さえ良ければ……お湯に少しアシッドを垂らして浸けて、洗い流した後はクロスを贅沢にお湯で濡らす。おしまいにじっくり拭き上げるコースがおすすめだね」
「悪くないね。君の背中を洗って拭く事は出来ないから、代わりに唄でも?」
「そ、それは遠慮しておく。これは俺から君への労いだからね、バルドル」
「どうもね」
バルドルは気取った声で応える。剣にとって丁寧に手入れをされる事は、モンスターを斬る事の次の、持ち主に大事にされる事……の次に幸せな事だ。
「けれどシーク、お湯に付けてしまったら明日までに乾くのかい? 暖炉の傍で乾かすのはいいけれど……一度カピカピになってしまうと、後がね」
「バルドル。俺はね、明日は報告がてらマークさんの武器屋に行こうかと思っているんだ」
「えっ? という事は、まだそんなに使っていないけれど少しシミが残っているそのクロスを、新調するってことかい!?」
「君さえ良ければね」
「ああ、僕ほどの幸せ剣がこの世の中にあるだろうか! いや、ないだろうね! 早く明日が来るといいのに! いや、もう日付は変わっているのかな、今日かな!」
「まだ洗ってあげてもいないんだけど」
バルドルは大興奮だ。しっかり温まった後は、言い知れぬ解放感と、それに温かくて贅沢な食事。
シークはそれらを心の底から嬉しそうに味わい、枕元にバルドルを置いてベッドに入った。
「このシーツ、凄く柔らかい。パリパリじゃない」
「僕が天鳥のクッションマットを気に入る意味が分かっただろう?」
「うん」
暖炉の火だけで照らされた室内は、パチパチ鳴る薪の音だけが聞こえる。ビアンカもゼスタもそろそろ眠りについた頃だろう。シークも目を開けていられないようだ。
「バルドル、起きてる?」
「君より先に寝た事があったかい」
「何度も。なんなら道中時々寝てるのも知ってる」
「おっと。それで、何か話でも?」
眠たい時でも相変わらずの会話を繰り広げる1人と1本だが、その口調はややゆっくり穏やかで優しい。
「強くならなくちゃって、いざって時に1人で戦えるくらいの力が欲しいって、思ってたんだけどさ」
「うん」
「今日やっぱり、1人で強くても駄目なんだなって思い知ったよ」
「えっと……それはつまりどういう事か尋ねても?」
シークの今にも眠りそうなゆったりとした口調に合わせ、バルドルも少し声のトーンを落とす。
「ゼスタとビアンカがいるから、俺は頑張れるんだ。信じて、任せて、頼られて……3人で強くないと駄目なんだ」
「君らしい答えだね。それが正解だと僕も思う。けれど、敢えて言うか迷うものがあるとすれば……」
「そうだね。俺の言う3人には、もちろん君達を持っているという前提条件が含まれている」
「全く君って奴は。そんなに僕を喜ばせてどうするつもりだい」
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