第十七話 スープをすすりながら

 翌日から、ザキナとドーズには、アルムにより専用の天幕が用意され、その中で暮らすこととなった。

 天幕の入口には、警備の兵士が配置され、物々しさを醸し出している。

 だが、ザキナはそれを気にする風でもなく、この村への旅路の途中と同じように、指で地面に花や月、星などの絵を描いては暇を潰している。


 その日も、ドーズが軍から支給された昼食を手に、天幕のなかに入ってきたのにも気づかず、ひたすらに地面と向き合っている。描いては消し、消してはまた描いて。その繰り返しによく飽きぬものだと、ドーズは彼女の集中力に舌を巻く。

 だが、あの画力の発動を目の当たりにしてからは、それは、ザキナ流の鍛錬だということに、ドーズは気が付いている。それは武人が剣を手にひたすら素振りを繰り返すような。または、剣の手入れに没頭するかのような。彼女にとっての絵を描く時間は、自らの画力を保つ訓練であったのだ。


「ザキナ、昼飯にしよう」

 ドーズのその声に、ザキナは漸く地面を弄る指を止めて、顔を上げた。栗色の髪をふわりと動かして。

 そして、ドーズが手にしている湯気を立てたスープの器を見て緑色の瞳が、きらりと輝きを増す。


「わぁ! 温かいスープ! 素敵だわ」

「温かい食べ物とは、いままでご無沙汰だったものな」

 ドーズはそう言いながら器をザキナの前に置く。

「ええ、私、ずっと、温かい食べ物が欲しかったのよ!」

 そう言って、早速スプーンを手に取るザキナの顔は、あどけない笑みに満ちていた。


 ドーズは思う。これが、あの、空に描いた絵を具体化させる唯一無二の力、画力の持ち主であるとは信じがたいな、と。ドーズは軍服の懐に仕舞い込んである銀筆を服の上から触った。これがなくては、いまや、彼女はまったくの普通の無力な少女なのだ。そう思うドーズの視線の先で、ザキナはふうふうと息を吹きかけながら、嬉しげにスープをすすっている。

 ……ドーズにはこのザキナの落差に思考がどうにも追いつかない。


「どうしたの、大尉。あなたは食べないの?」

「いや……」

 ドーズはそう言われて自分の分のスープに、漸く口を付けた。喉元を通り身体中に行き渡る熱が、身に染みて、なんとも心地よい。

「美味いな」

「ねぇ! ほんとうに、そうよね」


 ドーズとザキナは顔を見合わせて、笑みを交わした。ドーズは彼女と、こうしてたわいの無い会話をし、何気ない時間を過ごせることに、心からほっとしていた。こんな時間が続けば良い。ザキナをどこにでもいる普通の少女として見つめられる時間が、ずっと続いたなら、どんなに幸福だろう。成り行きで助けてしまったとはいえ、あの炭鉱から連れ出してしまった身としては、どうせなら、ザキナに幸せになって欲しいとドーズは、思うのだ。


 そう思うと、彼女の命を守るためとはいえ、アルムに彼女の力を軍にて利用することを進言してしまった自分に、悔恨の念が湧く。

 ……だが、あのときは、ああするしか無かったのだ。ドーズは胸中で呟く。そして、いまは考えたくないことにも思考が及んでしまう。


 この戦が終わり、ザキナが軍にとって不要となった時、ザキナは恐らく殺される。それも、多分、いや、おそらく、ドーズにその命が下る。

 ……そのとき、俺はどうするのだろう。

 ドーズのスープをすする手はいつのまにか止まっていた。

 身体はスープで暖まりつつも、心が寒かった。

 

 だが、ザキナとドーズののどかな日々はそう長くは続かなかった。それから2日の後、斥候が、敵の再来をアルムの元に伝えたのだ。

 ただ、報告された「敵」は、これまでと様相が全く異なっていた。

「……たったの、一騎だと?」

 斥候の前でアルムは唸らずには居られなかった。

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