第111話 ヴィレッツァ王国北部の動き

 コウ達が魔の森に向かっていた頃、リューミナ王国との国境を接するエーヌガルゼ辺境伯の所にヴィレッツァ国王より命令書が届いていた。内容は軍を直ちに編成し、物資を用意し、メルロス将軍の配下に入れという内容である。

 リューミナ王国の軍が迫っている今、当たり前の内容だった。だが、辺境伯は顔を怒りで真っ赤にし、手紙を床に叩き付ける。


「ミュロス陛下は現状を分かっておられない。このヴィレッツァ王国北部の貴族で、誰がそんな余裕のある者がいるものか!」


 去年の大水害、そして、堤防の修復が終わらなかったため、今年も水害が起きている。2年連続の水害は、民も、そして貴族さえも疲弊させていた。

 実際ヴィレッツァ王国北部の最大勢力であるエーヌガルゼ辺境伯でさえも、食事を制限せざるを得ない状況である。なにせ、敵国であるリューミナ王国から、密輸している食料で飢えをしのいでいる状況だ。飢え死にしている民も多い。話によると国境付近では冒険者として村ごとリューミナ王国に移ったものもいると聞く。実際幾つかの村が無くなっているようだ。

 軍はすでに各地の復旧作業に充てている。もしここで復旧工事を止めるとなれば、来年もまた水害が起きるだろう。それに加えて物資の用意である。食料が足りず、援助を散々願い出たのにもかかわらずである。

 ミュロスは最も忠誠心の高い者をリューミナ王国との国境をまかせる辺境伯に据えていた。だがそれは前エーヌガルゼ辺境伯である。辺境伯の地位は息子であるテリアンが5年前に継いでいた。

 勿論テリアンとてミュロス国王に忠誠を誓っていた。だがその忠誠心は父親ほど高くはなかった。なにより2年連続の災害と、それに対する王国の対応により忠誠心は削られていた。


「やむをえんか……」


 そう言ってテリアンは1人部屋の中で天を仰いだ。


 メルロス将軍が騎馬隊100騎を伴ってエーヌガルゼ辺境伯領に入ったのはその2週間後だった。将軍の連れてくる軍としては寂しい限りだが、北部の食料事情が良くないことは伝わっている。万の軍を連れてきたところで、物資が用意できないと報告が来ていた。それに王都の守りは城壁が無くなった以上減らせない。


 メルロス将軍はエーヌガルゼ辺境伯の城に入っていく。城の中には兵士がひしめいているように見える。やせ細った兵士や、農民と変わらないような恰好のものもいるが、現状では仕方が無い事だろう。寧ろよくこの数を集めたと感心する。

 玄関からテリアンが出てきて、メルロスを迎える。


「遠路遥々、大変でしたでしょう。大したもてなしはできませんが、暫くはゆっくりされるとよいでしょう」


 その言葉と共に、城の中の兵士が一斉にメルロス将軍たちを囲み、槍や剣を向けてくる。


「何の真似だ、テリアン」


 メルロス将軍は辺境伯の称号も付けず名前で呼び、テリアンを睨みつける。メルロス将軍と前エーヌガルゼ辺境伯は旧知の仲であり、当然その息子のテリアンとも親交があった。


「メルロス将軍の想像通りだと思いますよ。エーヌガルゼ辺境伯領はリューミナ王国に降ります。ちなみに私だけではありませんよ。北部一帯が同じ考えです。少なくとも男爵以上の地位にあるものは全員ですね」


 ここにいるものは北部で動かせる全兵力と言っても良かった。それでも辺境伯の城とは言え城内の広場の一部に収まるほどの兵しか集まらない。メルロスを囲んだ兵士で全部だ。人数として1万人いるかどうかである。それにこの中にまともに戦えるものが何割いるだろうか。とりあえず食料が手に入れられるからと餓死寸前で集まっているものも少なからずいる。

 それに対して迫ってきているリューミナ王国軍は報告によると30万を超えているという。多少誇張があったとしてもどうにもならない戦力差だ。

 それでもまだ籠城できるだけの食糧があるなら考える余地はあったかもしれない。この城はヴィレッツァ王国北方の守りの要として作られた堅牢な城なのだから。だが籠城などすれば囲まれて1週間も持つまい。要するに殆ど水だけしかないのだ。


「貴様が北部一帯の貴族をそそのかしたのか」


 メルロス将軍は低い怒りに満ちた声でテリアンを問い詰める。


「いいえ、どちらかと言うと自分は最後まで抵抗したほうですよ。メルロス将軍に信じていただけるかどうかは分かりませんが……。ですが、もう限界なのです。国王陛下は領民だけでなく兵士にも餓死者が出てる事をご存じなのですか?」


「そんなにか……」


 冷静になって周りを見ると、テリアンもそして、その近くにいる貴族たちも皆、痩せこけていた。ミュロス王は少なくとも人を見る目は確かだった。この状況において、見る限り自分だけまともに食べているという貴族がいないのだから。実際家財を売って、食料を密輸し領民に分けた貴族も中にはいる。テリアンもその一人だ。もはや城の中には財宝と呼べるものはない。

 もっとも北部の貴族全員がそうしたわけではないが、テリアンの指示の下、そうした貴族は領民の反乱や命令違反という形で潰され、ため込んでいた食料や財宝を奪われていた。そこまでやってもこの有様である。

 これ以上どうしろと言うのか。それが、テリアンの偽らざる気持ちだった。


「私としても好きで裏切るわけではありません。確かに報酬は提示されました。しかし何よりもう現実問題として、リューミナ王国から食料を援助してもらうしか生き残るすべがないのです。それとも、メルロス将軍は解放したら北部の民400万人の食料を送っていただけますか?私が何度国王陛下に懇願しても無理でしたが……」


 テリアンは疲れた声でメルロスに言う。メルロスにとってもこの現実は衝撃的であった。正直ここまで酷いとは思っていなかったのだ。北部に自分で足を運ばなかったのが悔やまれる。


「いや、私でも無理だろう。余剰の食料はもはや南部の分を集めても払底している。これ以上北部に送れば、王都や南部で餓死者が出るだろう」


 メルロスは先ほどまでと違って、力なく答える。


「そうでしょうね。メルロス将軍は王都や南部で餓死者が出ると言いましたが、北部ではもう出ています。王国に切り捨てられたと言っても良いでしょう。さて、この場合我々が裏切ったのが先になるのか、王国が切り捨てたのが先になるのか、どちらなのでしょうね」


 テリアンは疲れ果てた声でメルロスに問う。メルロスはそれに答える事が出来なかった。

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