第181話 信頼

仄かに暖かい何か——セインの魔力に包まれた後、視界に映ったのは、美しく柔らかな微笑を湛えた女神エリーナ———


「え?セイン君にアルト君?それにイヴェルまで…一体どうしたんだ?」


ではなく、長い白髪を携えた女性——学園長アーレットだった。彼女がここまで困惑した表情をするとは珍しい。


辺りを見渡し、ここが学園の保健室であることを確認する。そして周囲には、セインと気絶したイヴェルの姿が確認できる。



「ぐ、」


それらを確認した直後、隣から呻くような声が聞こえた。それの発信源は、何かを抑えつけるように胸を押さえるセインだ。


「セ、セイン!?、大丈夫か!?」


「う、うん…大丈夫。僕のこの感情は、国王陛下の魔法のせいなんだよね…?」


胸を押さえるセインは苦しそうにしながらも、そう言って俺へと笑いかけた。


「そうだ。これを解くには時間経過しかない」


「そう…じゃあ、申し訳ないんだけど、僕は休むね…今は少し、余裕がないかも…」


国王の意思操作に抵抗するのには、流石のセインでも厳しかったのだろう。

彼は少し朧げな足取りで部屋のベッドへとその体を埋めた。


「ああ、俺も少し休む…学園長、イヴェルさんをよろしくお願いします」


そんなセインに対して碌に動くことすら出来ない俺は、保健室の床でそのまま眠ることに決める。流石に女子であるイヴェルは、アーレットにベッドに移動して貰えるよう依頼するが。


「本当にありがとうな。セイン」


「...うん、どういたしまして」


最後にそんな会話をして、セインと俺は心を休める為に一度就寝した。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



今の俺にすべきことがあるとすれば、それはなんだろうか。



セインはまだ、俺がこの世界からリタイアすることを許してくれないらしい。

物語の主人公である彼にここで命を救われるということは、俺には何かまだやらなければならないことがあるということだろう。



俺がこの世界のためにできること。

いや違う。この世界においてただ唯一、俺にしかできないこと。



剣と魔法の腕はそこそこで、頭はそれなりにキレるアルト=ヨルターン。そして前世の知識を持ち合わせ、この世界のことを最もよく分かっているであろう加藤晃。



そんなこの世界のモブであり、著者であり転生者である俺にしか出来ないこと。



それは————



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「私の兄が本当にすまなかった!!」


俺が目を覚ますや否や、先に目を覚ましていたイヴェルが勢いよくその頭を下げた。


「大丈夫ですよ、イヴェルさん。顔を上げてください。ヴァルスさんも悪い訳ではないですから」


申し訳なさそうに頭を下げるイヴェルへ、気にしないよう優しく語りかけて頭を上げさせる。


保健室内ではセインが未だ眠っており、アーレットの姿はなかった。王宮で起きたことはイヴェルが既に彼女へ説明したようだ。


「というか、どうしてイヴェルさんは俺のことを助けに来れたんですか?会場には姿が見えなかったんですが…」


「ああ。一応、私も剣聖として王宮に招待されていてな。…少し隠れるようにしてしまったのは申し訳ないが」


そんな俺の問いに、イヴェルは少し目を逸らしながら応える。


なるほど。流石のイヴェルとはいえ、王宮からの招集を断ることはできない。

王宮にいる間は、数日前の気まずさから俺のことを避けるように行動していたのか。まあ俺も少し緊張していたし、彼女には気が付けなくても仕方ないか。


そんな風に納得していると、今度はイヴェルからそもそも、と切り出す。


「どうしてヴァルス兄様やセイン君達はアルトに対してあんなに敵意剥き出しだったのだ?ヴァルス兄様もセイン君も、アルトに対してはむしろ好意的だと思っていたのだが…」


どうやら彼女は、ヴァルスやセインの身に何が起きたかを正確には分かっていないらしい。


そこで俺は彼女へ七魔仙の”意思”について、そしてその能力を国王がその力を悪用していることを伝えた。


「まさか、そんなことが…」


その内容にイヴェルは口に手を当て、ショックを隠しきれないような表情を浮かべる。


「イヴェルさんがすぐに動き出せなかったのも、それが原因でしょう」


未だベッドで体を休めるセインの様子を見るに、どうやら”意思”の力はそう簡単に抗えるものではないらしい。


そう考えると、王宮側がイヴェルに招待状を寄越したのも、剣聖である彼女を意思操作によって俺から離れるよう仕向けたかったのかもしれない。あるいは、その目の前で俺の死を見せつけることで、彼女の精神状態を破壊し、国に都合の良いような傀儡に育てたかったのかもしれない。


あの国王のことだ。考えすぎとも言い切れない。


「…それにしても、どうしてイヴェルさんは精神操作に罹らなかったんですかね」


「…」


ふと思ったことを口にすると彼女は急に不機嫌そうな顔になり、ずいっとその顔を俺へと近づけた。


「イ、イヴェルさん?」


「確かにアルトの言う通り、国王陛下の力は強力なものなのかもしれない。だが、私のアルトを想う意志は何かに干渉されるほど弱くはない。…今回も証明が必要か?」


顔の間近まで近づいたイヴェルは、不機嫌さを全く隠そうともせずに言う。そして視界には艶やかに光るその口元が映った。


「い、いや…大丈夫です。もう、よく分かってますから…」


「そうか。ならいい」


俺が顔を背けてそう伝えると、イヴェルは満足したように顔を離した。


そういえば、セインも俺を信じると言っていたか。イヴェルやセイン、そしてきっとアーネやシエルも、こんな俺のことを信じてくれているのだろう。



そんな中、俺は全てを投げ捨てて勝手に1人で死のうとしていたのか。



…つくづく、自分が嫌になる。


「それで、これからアルトはどうするつもりなんだ?国王陛下が私達、特にセイン君のことを見逃すとは思えないが」


「そうですね。彼らの目が学園に向くのも時間の問題だと思います。だからその前に手を打ちます。もう、やるべきことは分かりました」


イヴェルの最もな質問に、俺は自己嫌悪から思考を切り替えて答える。死ぬのなら、自分が今までかけた迷惑を全て返上した後にするべきだ。


「…よし。それでこそ、私の惚れた男の顔だ」


「……イヴェルさんって、そんな積極的でしたっけ?」


「大衆の面前で言ってしまった後なのだ。今更恥ずかしがったところで仕方ないだろう。勿論、私も協力を惜しまないぞ」


いつになく好意を前面に押し出すイヴェルへ尋ねると、彼女はもう吹っ切れたとでもいうように笑った。


「…ありがとうございます。では、イヴェルさんは———」


イヴェルの期待に満ちた視線を真っ直ぐに受け止め、俺はこれからの行動を整理する。



せめて最期までは、彼女達の期待を裏切らないようにしなければ。

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