第160話 置き土産
甲高い悲鳴を最後に、シエルの背中から飛び出ていたフルーナの姿は消滅し、辺り一帯は奇妙な静寂に包まれていた。
「倒した…のか?いや、そんなことよりもアーネ!シエルの治療を!早く!」
フルーナが消滅してすぐ、俺は力なく倒れ込んできたシエルを抱きとめ、後方で待機しているアーネへと指示を出す。シエルへ突き刺した剣はその心臓から僅かに外してある。すぐに処置をすれば一命を取り留めるはずだ。
「え、あ、は、はい!」
その呼びかけに呆然としていたアーネはハッとしたような素振りを見せた後、すぐにシエルの治療に取り掛かった。
「どうだ、容態は!?」
「と、取り敢えず応急処置として傷は完全に塞ぎました。ですが、油断できない状態です。一刻も早く医者に——」
最上級の回復魔法を複数回行使し、大きく一息をついたアーネへその容態を尋ねたときだった。
「アーネ!!」
「へ?」
ガキィィィン!!!
次の瞬間、金属と金属とが激しく擦れ合うような音が響いた。
「本当に、間一髪だったな...」
「イ、イヴェル...さん」
目の前で互いにぶつかり合った2本の剣のうち、振り下ろされた剣を受け止めた方。
つまり、俺とアーネを守った真紅の剣——聖剣を握るイヴェルが一筋の汗を垂らして言う。
「武器も何も持たず剣の前に出るとは...無茶をするにもほどがある。心配させないでくれ」
「す、すみません。つい咄嗟に...」
まあまあなガチトーンで忠告をされた俺は、一度イヴェルへ頭を下げてから軽く辺りを見渡す。すると、少し遠くに気絶しているのか倒れているルミリエルの姿を見つけた。ルミリエルをもう制圧したのか。流石だな。
いや、今はそんなことを思っている場合ではないか。
「それで、一体何のつもりだ。ルーカス」
イヴェルは真剣な顔つきで、自身と対峙している男——アーネへ向けてその剣を振り下ろした張本人、ルーカスへとその目を向ける。
「———には、死を…」
イヴェルに鋭い視線を向けられたルーカスはそれに怯むことなく、静かに何かを呟くだけだった。
「は?お前、一体何を言って——」
「背信者には、死をォォォ!!」
「ッ!!」
意味の分からないことを言い出したルーカスへその真意を問おうとした瞬間、彼の様子は豹変しイヴェルとルーカスの剣がギリギリと音を立て始めた。
更には——
「「「「背信者には死を。背信者には死を」」」」
俺たち3人の周りには、ルミリエルと共に巨大な魔法陣を囲っていた神父たちが迫ってきていた。その目は若干虚ながらも、明らかな敵意が宿っている。
フルーナと戦っている最中、彼等は傍観を貫いていたはずなのだが。
「アルト!これは一体どういう…」
「多分これは——邪神の洗脳です」
明らかにおかしいルーカスらの様子に戸惑うイヴェルへ、俺は確信を持ってその原因を伝える。
「洗脳だと?」
「はい。邪神の消える直前、その魔力が広範囲に飛んでいくのが見えました。きっと、この辺りにいる人間へ無差別に洗脳魔法をかけたんでしょう」
つまりフルーナはルミリエルへ行った洗脳を、一定範囲内にいるすべての人間へ無差別に行ったのだ。
そんなことが可能なのかという疑問も残るが、結論から言えば出来ないこともない。
女神の力と言ってしまえば元も子もないのだが、それ以外にも要因はある。それはフルーナが消える直前に放った魔法である、ということだ。
女神に限らず、生物はその生命を終える直前、その体内の魔力量は爆発的に増加する。そのため理論的には、死ぬ直前には非常に強力な魔法を放つことが出来る。
だが、これはあくまでも理論的な話。現実的にこれを実行するとなると、いくつかの問題が生じる。
まず、魔力が劇的に増加するのはその命が尽きる本当に直前だ。それこそ魔力の急激な増加は、命の尽きる零コンマ数秒前から始まる。そのタイミングに合わせて魔法を放つことはかなりシビアだ。
さらに、死の直前に急激に増加する魔力。
その量は本来自身の保有できる魔力量を大きく超過することだろう。今まで体験したことのないくらい膨大な魔力を操ることは、集中していたとしてもそう簡単なことではない。膨大な魔力を手に入れたとて、それを扱えるかは別問題なのだ。
つまり理論上最も威力のある魔法の行使するためには、自身の命の尽きる直前に、今までに扱ったことないような膨大な魔力を、的確に操作する必要があるのだ。そしてその時間的猶予は一秒未満。そんなことが常人に出来るはずもない。
理論的には誰にでも可能だが、現実的に行える者は圧倒的に少ない。それが可能なのはそれこそ女神、もしくは圧倒的な才能を持ち合わせた者のみだろう。
「なるほど。だが、なぜ我々はその洗脳にかかっていないんだ?」
「それは仮説にはなるんですが——この洗脳魔法は、あの邪神が女神エリーナであると少しでも信じている人にしか効果がないんだと思います。つまりあの邪神を完全な贋物だと見做していれば、洗脳にはかからないのかと」
次いで出たイヴェルの問いに、仮説という前提をおいて説明をする。
フルーナはルミリエルを洗脳した際、信仰心を高めたと言っていた。つまりフルーナの洗脳の対象となるのは、多少なりともフルーナの言ったことを信じている者なのだろう。
「なるほどな。そしてその洗脳によって我々は窮地に立たされている訳だが、これから一体どうする?」
「…それなんですが——」
「アルト!大丈夫!?」
「!!、セイン!」
その剣を納める気配のないルーカスと、ゆっくりとだが徐々にこちらへ迫ってくる神父達。
どうしたものかと辺りを見渡したとき、勢いよく屋上へ飛び込んでくるセインの姿を捉えた。
その隣には少し息を切らしたアイラとシャーロット、そしてセインの脇に抱えられたオスカーの姿もある。見たところ、セイン達はフルーナの洗脳の影響をうけていないようだ。というか、そもそもフルーナの存在を知らないのだろう。丁度良いところに来てくれた。
「イヴェルさん、一旦セイン達と合流しましょう。そこでお願いなのですが、シエルさんの運搬をお任せしても良いですか?今のシエルさんの状態は楽観できません。俺ではあまり丁寧に運べないと思うので…」
「分かった。任せてくれ」
その頼みを受けたイヴェルはルーカスの剣を上手く弾いた後、シエルを丁寧に抱え上げてセイン達の方へと駆けて行った。
その姿を見送った後、俺は真下に向けて話しかける。
「アーネ、立てるか?」
その視線の先には、屋上の床に弱々しくへたり込むアーネの姿がある。
「え、ええっと…」
アーネは床につけた手に力を入れて立ち上がろうとするが、その腰は全く上がらず足の方も動かないようだった。
「…ちょっと厳しい、みたいです…ははは、少しビックリして腰が抜けちゃったみたいですね…で、でも、もう少し休めば回復すると思うので先に行ってて貰って——!?」
「そんなこと出来るわけないだろ。…少しだけ我慢してくれ」
立ち上がることの出来ないアーネを、俺は無理矢理に自身の腕に抱える。俗に言うお姫様抱っこという奴だ。
彼女には申し訳ないが命には変えられない。少しだけ我慢して欲しい。
「しっかり掴まっててくれよ」
アーネにそうとだけ伝えた後、空中歩行を駆使して一直線にセイン達の元へと向かう。
「本当に…ずるいですよ、アルトさんは…」
腕に抱えるアーネの静かに呟いたその言葉は、俺の耳には届かなかった。
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