第9章 女神祭
第135話 離別
イヴェルとその親族達との間に起きたあの事件から約一ヶ月。
俺は現在、昼食の際によく利用している学園の屋上で——
「本当に申し訳ありませんでした」
「...」
「あのー、」
「私はまだ、顔を上げて良いとは言ってませんよ?」
「あ、はい...」
その腕を組んでこちらを見下ろす茶髪の少女——アーネに土下座をしていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
バルイスト達5人を無力化し、ギアル大森林を出た後。
「...おい、何故我々の師匠が縛られている。剣聖である貴方の救出に行ったはずなのだが、それではあんまりでは無いか?」
案の定、森の外で待機していたバルイストの門下生達は森の中から出てきた俺たちをすぐに取り囲んだ。
「...我が伯父バルイスト=ラーシルド及び以下の4名は私の殺害を狙っており、然るべき機関へ突き出す予定だ。このことに文句がある奴は幾らでもかかってこい。私が直々に相手をしてやる」
それらの門下生達を黙らせることは難しいことではなく、俺が何をせずとも10分後には文句を言う者は一人もいなくなっていた。
正直ここまでは順調だった。学園を出てから数日しか経っていなかったし、イヴェルと俺にも目立った怪我はなかった。
だがやはり———
「帰り方が、ない……」
そう、初めから懸念していた通り学園への帰り方が本当に無かった。
普段は閑静な街であるニーエッジに瞬間移動を利用したサービスなどあるはずもなく、なんなら馬車を使ったものですら十分に普及していなかった。
仮にニーエッジから王都へ馬車で帰るとしても最低3ヶ月はかかる。馬車すらも使えないとなると、それ以上かかることは明白だ。
長い間学校を空けていると変に注目を浴びてしまうかもしれないし、逆にクラスメイトから忘れ去られてしまうかもしれない。
そして何よりも、アーネに怒られる。間違いなく。
そんな訳で、俺はすげー頑張った。めちゃくちゃ頑張って更に頑張り抜いた結果、ニーエッジを出てから1ヶ月弱、俺が学園を休み始めてから1ヶ月程度で王都へと帰ってくることができたのだ。
本来3ヶ月以上かかるであろう距離を3分の1以下に縮めたのだ。これは努力の結果であり、褒めてほしいことではあるのだが———
「誠に申し訳ございませんでした…」
「…」
俺はこうしてアーネに向けて土下座をしている。
頑張って帰って来たのにこれはあんまりではないか、とも思ったのだが元々は適当に1週間くらいで帰るなどと伝えたことが原因だ。
彼女が俺のことを土下座させる権利は十分にあると考えて良いだろう。
「はぁ、もういいです。顔を上げてください」
「…ありが——」
「喋ることまでは許可してませんよ?」
「…」
喋ることにまで許可が必要だったのか。
「さて。本当にお久しぶりですね、アルトさん。そのアルトさんが居なかった間、私なりに色々と考えてみたんです。本当に色々なことを。そこで私は1つの結論に辿り着きました。———別にアルトさんにこだわる必要は無いんじゃないかって」
「は?」
突然、あっさりとアーネから告げられた言葉につい声を漏らす。
俺である必要はない?それってどういう…
「ですから私は、今日以降ここへ来る予定はありません。今日はそれだけを伝えに来ました」
アーネは何の抑揚もつけず、ただ淡々とそう話を続けた。
彼女はこれ以降ここに来ない。つまり、俺と共に昼食を食べることはないということか?
いやそれどころか、その言動から察するに彼女は俺とこれ以降関わらないと言っているのか。なぜこんなに突然?思い当たる節が——あまりにもあり過ぎる。
「…何か言いたいこととか、無いんですか?」
しばらくの間無言を貫いていた俺に、彼女は静かに尋ねた。
正直に言えば、アーネには離れて行って欲しくない。いつも通りに近くにいて欲しい。
だが今回の件を含め、俺は色々と彼女をおざなりにし過ぎた。その自覚があまりにもあり過ぎる。彼女なら許してくれると甘え過ぎた。それがこの結果だ。見限られても仕方ないだろう。そして、それに対して俺が何かを言う権利などあるはずもない。
「…アーネ自身が決めたことなら、俺に口を出す権利はない」
「…そう、ですか」
このときの俺は気がつかなかった。
アーネの手首につけられたブレスレット。
最後の質問の際、アーネがそれをもう片方の手で緊張するように握りしめていた事を。そして俺の回答を聞いた後には、諦めたようにその手を離したことを。
「では、さようなら。アルトさん。お元気で」
「…そっちもな。今まで楽しかった、ありがとう」
最後にそれだけの言葉を交わした後、アーネは屋上の扉をくぐりその扉は静かに閉じた。
「…今更、言っても遅いんですよッ…アルトさんの、ばか…」
アーネと別れた後、力なく屋上へと仰向けに寝転ぶ。
俺は所詮モブだ。ヒロインである彼女といつまでも一緒にいるべきでは無い。彼女にはもっと良い人と結ばれて貰った方が———
「…最初は望んでいたことだったはず、なんだけどな。あー、うざいな。俺」
目を開けると、そこには憎いくらいに綺麗な青空が広がっていた。
その透き通るような青色は、まるで彼女の瞳の色のようで———
それから昼休みの終了を告げる鐘が鳴るまで、俺はその場から動くことが出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お、アーネちゃんじゃ〜ん。ねぇねぇ、今度2人で食事にでも行かない?俺、オススメの店があるんだけど〜」
「え、先輩連れてってくれるんですか?良いですよ。いつにしますか?」
「最近、アーネちゃん付き合い良くて助かるわ〜。じゃあ今度の土曜日なんかは———」
アーネから離別を伝えられてから早数ヶ月。
その日以降、学園内で彼女の姿を見かけることは何度かあったが、俺達がお互いに喋ることは無かった。またその全ての場合において、彼女の手首にはブレスレットがつけられていなかった。
あの日、屋上での質問が俺に与えられた最後のチャンスであったことを悟ったときには、時はすでに遅過ぎた。
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