第123話 アーネの独白

「アー、ネ...?」


「はい、アルトさんのアーネです」


「アーネ...!!」


どうして俺だと分かった、どうしてここに、一体いつから、そんな疑問が浮かんでくるが俺はそれらをすべて無視して彼女を抱きしめた。


「どう、して...」


「えへへ...元はと言えばアルトさんが言ったんじゃないですか。探さないで待っててくれって。だから、私は待ってたんですよ?ちゃんと約束を守れて、私は偉いですねぇ」


「あの手紙は、そういう意味じゃないだろ...」


「ふへへ...こうしてアルトさんに抱きしめてもらえるなら、待ってた甲斐があったってものですねぇ」


「この、馬鹿...」 


紅い夕陽に照らされながら、俺はしばらくの間アーネを抱きしめ続けた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「わぁ!とても広い部屋ですね!値が張るだけあります!」


「ああ、そうだな」


「アルトさん!お風呂もとても広いですよ!後で一緒に入りましょう!」


「絶対に入らん」


「ちぇ〜。あ、こっちは寝室ですね!このベット大きい上にフカフカですよ!」


「あー、アーネ」


「あぁ、ここまま寝ちゃいそ——はい?アルトさん、どうかしましたか?」


「...どうしてこうなったんだ?」


王都内の宿屋の一室。

少々豪華な部屋の中をノリノリで探検していたアーネを呼び止めて尋ねる。


「え?どうしてベッドが2つもあるのかって話ですか?それはアルトさんが日和ったからじゃないですか」


「聞きたいのはそれじゃないし、俺は日和ったのではなく、大人として当たり前のことをしただけだ」


あまりにも自然にとんでもない発言をするアーネへ、俺はすかさず突っ込んだ。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



半年ぶりの再開を果たした俺とアーネはお互いに落ち着いた後、せっかくだし夕食でも食べようという話になった。


するとアーネがおすすめの店があると言ったので、俺たちはその店へ向かうことにした。

そこは少し洒落た店で、俺はアーネの勧める料理やら飲み物やらを堪能し———


「——トさん。—ルトさん。大丈夫ですか?起きてください」


「へ?」


アーネに肩を揺らされて、気がついたのは時刻は22時を少し過ぎた頃だった。


俺は途中から寝てしまったことは察したのだが、どんな経緯でそうなったのかが全く分からなかった。


「あー、寮の門限を過ぎちゃいました。私はどうすればいいんですかね、アルトさん?」


戸惑う俺を尻目に、アーネはわざとらしく時計を確認しながらそう言った。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



アーネをそのまま放置するわけにもいかず、俺は渋々彼女と共に宿へ宿泊することになったのだが、


「何部屋をご希望ですか?」


「あ、ふたへ———」


「一部屋で大丈夫です!」


「は?」


「承知しました。少々お待ちください」


「え、ちょ、ま、」


急いで受付の女性を呼び止めようとするが、その女性は俺の声に気がつくことなく奥の方へと消えてしまった。


「アルトさん、受付の方を困らせてはダメですよ?」


その様子を見ていたアーネはニヤニヤと笑いながら言った。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



そんな訳で、俺はアーネと共に宿泊する部屋へとやってきて現在に至る。ベッドの数を2つで死守したのは褒めて欲しい。


「ある程度部屋も見終わったので私はお風呂に行ってきますね。あ、覗いても良いですよ?でも、それなら一緒に入っちゃった方が——」


「馬鹿なこと言ってないでさっさと入ってこい」


こちらを揶揄うように言うアーネを適当にあしらい、俺は部屋に置かれている木製の椅子に座る。


どうせアーネのことだ。自身の裸を見られることなど気にしていないようなふりをしているが、ガチで覗きに行ったら顔を真っ赤にして水などを全力でかけてくるに違いない。うーん、そう考えると覗くのも悪くないかもな。


そんなアホみたいな思考が一瞬頭を過ぎるが、俺は頭を振って煩悩を消し去る。



シャァァァァァァァァ



するとまもなく風呂場の方からシャワー音が聞こえてきた。



あー、ダメだ。何か考え事をしよう。

そういえば、俺はどうしてアーネとの食事中に寝てしまったのだろうか。少し疲れていたとは思うが、寝落ちするほどではなかったはずだ。


それにアーネの様子も少しおかしかった。

自分との二人きりの食事中に寝られたんだぞ?いつもの彼女なら超絶不機嫌になってもおかしくない——いや、そうならないとおかしい状況だ。


だが彼女は不機嫌どころか、むしろ上機嫌で俺の介助をしてくれた。歩くときに肩を貸してくれたり、水を持ってきてくれたり———水?そういえば、彼女は俺が起きてからすぐに水を持ってきてくれた。実際、その水を飲んだら少し調子が良くなった。どうして彼女は水を飲むべきだと思ったんだ?


ん、なんか匂うな。この仄かに甘いような、だが少しだけ苦味を含んだこの香りは———


「アルコールの、香り...」


「へ?」


「え?」


目を開けると、そこには間近でこちらを凝視するアーネの顔があった。アルコールの香りがしたのはこれが原因か。


アーネが来ていることに全く気が付かなかった。考え事をしているうちに、いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。

というか、改めて見るとアーネってめちゃくちゃ顔整ってるな。流石、物語の中の人って感じだ。


「あー、少し離れてもらってもいいか?」


「は、はい」


俺の要請にアーネは大人しくその身を引く。

その顔は仄かに赤みがかっていった。俺が起きることを予想していなかったのだろう。


「アーネ」


「は、はい」


名前を呼ぶと、アーネはその肩を小さく跳ねさせた。


あー、十中八九アーネの仕業だな。

きっと夕食の際に出された飲み物...あれは酒だったのだろう。アルコールを摂取した俺が眠りにつき、寮の門限を過ぎてしまって宿に泊まりに行くところまでアーネが仕込んだものか。

因みに、この世界では飲酒に関する法はない。なんとも危険だとは思うが自己責任だというわけだ。


そこまで考えたところで、俺は目の前で少し怯えるようにこちらの様子を窺う少女に目を移す。

...ここでアーネを問い詰めることは簡単だ。だが、彼女の動機は、俺ともう少し一緒にいたいと思ってやったことだろう。まあ半年間も会ってなかったわけだし仕方ないか——ちょろいな、俺。


「...その服、似合ってるな。ここにあった服か?」


「え?ああ、そうなんですよ。可愛いですよね、これ」


そう言うとアーネは手を広げ、その場でくるりと一回転した。


俺の目の前に立つアーネの服装は風呂に入る前とは違い、白色と紺色を基調とした浴衣のようなものであった。今は冬であるので少し寒そうだが、その浴衣はアーネによく似合っていた。


「言いたいことはそれだけだ。...じゃあ、俺は風呂に入ってくる」


「え、あ、あの...」


椅子から立ち上がり、風呂へと向かう俺をアーネは小さな声で呼び止めた。


「なんだ?」


「...いいん、ですか?」


振り向いて尋ねると、アーネはそうとだけ言った。叱られることが分かってるなら最初からやらなければいいのに。


「...なんのことだか分からないが、取り敢えずは目を瞑る。一応言っておくが、覗いたらめちゃくちゃ怒るからな」


「は、は〜い」


俺の返答を聞いたアーネは、露骨にその目線を逸らしながら答えた。保険のつもりだったのだが、やはり二重の意味で言っていたか。


アーネの頭の回転の速さに感心しつつも呆れながら、俺は今度こそ風呂へと向かうのであった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「さて、俺はもう寝るぞ。」


「えー、もうですか?枕投げしましょうよー」


「誰がするか」


風呂から上がった俺は、ウキウキとした様子で枕を抱くアーネに宣言をしておく。


「一応聞くが、アーネはどっちのベッドで寝たいとかあるか?」


「えー?アルトさんと一緒か別かってことですか?だったらアルトさんと一緒で——」


「よし、俺はこっちのベッドを使うから、アーネはあっちを使ってくれ。じゃあな、おやすみ」


やはり阿呆なことを言い出したアーネを無視し、俺はさっさと布団に包まる。


「むー、分かりましたよ。私も寝ることにします。おやすみなさい、アルトさん」


素直に引き下がったアーネは部屋の電気を消し、おとなしく自らの布団に包まるのであった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「アルトさん。寝ちゃいましたか?」


「...起きてるぞ。どうしたんだ?」


部屋が暗闇に包まれてから30分ほど。

暗闇の中、アーネが静かな声で聞いてきた。


「あの......そっちに行ってもいいですか?」


アーネが静かに呟く。

とても弱々しい、消え入りそうな声だった。

いつもであれば、ふざけるなと断固拒否したところだが...


「...はぁ、勝手にすると良い。だが、俺は寝たいときに寝るぞ」


「はい、それで良いです。ありがとう、ございます」


そう許可を出すと、隣の方からモゾモゾと何かが動くような音が聞こえてきた。

そして、その十数秒後にはアーネの気配が俺の真隣へと移動してきた。


「...これから、私が喋ることは独り言なので、別に聞かなくても良いです」


「...酔ってるのか」


「そうかも、しれないですね」


そう言ったアーネは一度大きく深呼吸をして、その独り言を語り始めた。


「...私、アルトさんが退学するって聞いてとても驚きました。ですが、それ以上にとても悲しかったです。私の知らないところで、色んな話が進んでいたことが。私だって、色々と考えられます。ちゃんと我慢できます。すぐに——とはいきませんがちゃんと説明をしてくれれば、多分納得できると思います。アルトさんはやりたいことが出来て、私は覚悟を決めた上でアルトさんからご褒美を貰えます。win-winです。アルトさんは凄い人だから、色々と動き回らなきゃいけないってことは分かります。だけど、これから何をしようとしているのかを教えてくれないとこっちはとても不安です。この暗闇の中寝てしまったら、起きた時にはアルトさんはもう居なくなっているんじゃないか。そんなことを考えて眠れなくなっちゃいます。久しぶりにアルトさんに会えたことはとても嬉しいです。ですがそれ以上に、不安で不安で仕方ないんです」


そこでアーネの独り言は一旦ストップする。

俺はそんな彼女の独り言を、一字一句聞き流すことなく静かに聞いていた。


「…不安にさせてすまなかった。次からはできる限り、ちゃんと伝えるようにする。取り敢えず今は、何処かに行く予定はないから安心してくれ」


「はい。ありがとうございます。これでよく眠れそうです。———あの、このまま寝ても良いですか?」


「...勝手にしてくれ」


「ふふ。ありがとうございます」


そう言って、アーネとの会話は終わる。

それから数分後には、隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。

...彼女にも色々無理をさせてたみたいだな。これは素直に反省する必要がある。


薄目で部屋の時計を見てみると、時間はすでに丑三つ時。アーネはもう寝ているみたいだし、特に警戒する必要ないだろう。


俺もさっさと眠るとしよう...



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「スー、スー、」


隣から規則正しい寝息が聞こえてきた。


「...むー、隣に無防備な美少女がいて、本当にこの人は手を出さないんですか」


私は隣で寝息を立てる茶髪の男性———アルトさんの横顔を眺めて文句を漏らす。


アルトさんがここで寝たフリをする必要はない。これは本当に寝ているのだろう。


「私と同じ髪色っていうのは嬉しいですけど、やっぱり元のアルトさんの方が好きですね。...えい」


私はベッドの上を移動し、アルトさんの腕に抱きつく。もしかしたら起こしてしまうかもしれないが———隣からは少しだけ大きくなった寝息が聞こえてくるだけだ。大丈夫だったようだ。


「ふふ。最悪、寝相のせいにすれば良いですからね〜。...見た目は華奢なのに、筋肉はちゃんとついてますね。いい抱き心地です」


私は抱きしめたアルトさんの腕の感触を堪能する。半年間も我慢したのだ。これくらいのご褒美があっても———


「う、うぅ〜ん」


「!!?」


次の瞬間、アルトさんが寝返りを打った。

彼の身体が私と向き合う形になる。そして一方の私はというと


「!!??!?!?!!!」


抱きついた方とは反対側の腕に抱かれる形となり、身動きが取れなくなっていた。


「スー、スー、」


耳元でアルトさん息遣いが聞こえる。鼻腔をくすぐる仄かなアルトさんの匂い。私を包む少し温かいアルトさんの体温。

これはまずい。一旦離れて——


「んー、」


私が少し無理にその腕から抜け出そうとすると、彼の腕は私を逃すまいと更にその力を強めた。


「!!??!?!?!?!!」


その結果、私はアルトさんと更に密着することになる。アルトさんの心臓の音が聞こえてきそうだ。私の心臓の音も彼へ聞こえているのではないだろうか。ああ、心臓がうるさい。今にも爆発しそうだ。この音でアルトさんが起きてしまわないだろうか。


同じ部屋に泊まることが決まってからそれなりの覚悟を決めたはずなのだが、ここまで焦ってしまうなんて。こんな状況になっているのに、一方のアルトさんは何も感じていない。私だけが勝手に焦っている。そんな状況を客観的に分析するとすごく恥ずかしい。しかし心臓が休まってくれる気配はない。



少し前までは眠れそうだったが、もう眠れそうにない。目が冴えて仕方ない。とはいえ、意識のあるままでは心臓が持ちそうにない。

無理矢理にでも離れるか?いや、アルトさんを起こしてしまうかもしれない。それに今の状況を手放したく無いという本音もある。だがやはり鼓動が収まることはなく、むしろその勢いを強めて———


「——ありがとう、アーネ」


「!?」


どうしようかと焦る私の耳に、そんな声が聞こえてきた。


「ア、アルト、さん...?」


「スー、スー、」


起こしてしまったのかと思い私は彼の様子を窺うが、そこからは規則正しい寝息しか聞こえてこなかった。


「ふふ。こちらこそ、ありがとうございます。アルトさん。———大好きですよ。」


先程までの焦りは何処へやら、その声を聞いて私はどこか安心感に包まれていた。

なんだかとても疲れたが、今ならよく眠れそうだ。とても良い夢が見れる気がする。


朝目を覚ましたとき、この状況を目の当たりにした彼はどんな反応をするのだろうか。そんなことを考えながら、私は温かく幸せな眠りへと落ちていった。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 

「うわぁぁぁ!!ア、アーネ?ど、どうして?」


次の日の朝、そんな悲鳴が部屋中に響いたことは言うまでもない。

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