第19話:花恋姉は仕込みをする

***


 家を出て道を歩いていると──


「ふむ。歩き方も背筋が伸びてるし、歩幅も広げてゆったり歩いてるね」

「ああ。ウォーキングのメニューもしっかりやったからな」

「うん。よきよき。これで陰気さやセカセカした感じはほとんどなくなった」

「ホント?」

「うん。意識しなくてもそういう歩き方になるまで、気を抜かずに続けてよ」


 花恋姉は満足そうに目を細める。

 そして今から電車に乗って、ターミナル駅前にあるショッピングモールに行くのだと言った。


 え? ショッピングモール?

 なんのために?


 駅まで歩く道中、花恋姉は今から服を買うと説明してくれた。


「なんで? 今は夏休みだから友達に会うこともないのに?」

「服装は人の意識を変えるからね。パリッとした服を着たら、気分も引き締まるでしょ?」


 それは確かに。


「だから普段から着れる、ちょっとお洒落で爽やかな服を買おうね。トップスもボトムスも両方ね」


 トップスとボトムスって、上も下もってことだよな。


「え? お金はどうすんの?」

「心配しなくていいから。別に高級な服じゃなくてもいいんだからさ。私が出すよ」


 それは花恋姉に申し訳ない。

 俺はイラストを描いて、少しは稼いでる。

 だから自分で出すと主張した。


 花恋姉は「いいから、いいから」と言うけど、俺も「自分で出す」と譲らない。

 何から何まで頼りっきりってのは嫌だ。


 ただでさえ花恋姉には子供扱いされてるのに、少しは甲斐性ってものも見せたい。


「うん、わかった。じゃあトーイが出して」

「ああ、もちろん」

「それにしても……」

「ん?」

「あ、いや。なんでもない」


 横を歩きながら俺を見上げた花恋姉は、途中で言葉を切ってクスっと小さく笑った。


「なんだよ」

「いや……トーイもちょっとは大人になったなぁ……なんてね」

「は? もう高二だし。大人だし」


 子供扱いはいつものことだけど、相変わらずの子供扱いになぜかちょっとムカついた。だから無意識のうちに、ちょっと拗ねたような声になってしまった。


「ははは。拗ねるな拗ねるな。そういうとこがまだまだ子供だっての」


 花恋姉は歩きながら人差し指を俺の方に伸ばして、ほっぺたを指先でぷにぷにと押した。

 意地悪そうにニヤと笑ってる。

 ああっ、くそっ。また子ども扱いされてる。


「くっ……殺してやる」

「殺さないでほしい」

「まあ殺さないけど」

「ははは。ところでさトーイ」

「ん? なに?」

「今日の目的は服買うだけじゃないのよ」

「え?」

「さっき、練習試合みたいなもんって言ったでしょ?」

「ああ、そうだな」


 なんなんだよ練習試合って。

 いまだに謎だ。


「トーイはデジタル紙芝居で喋る基礎練をしたよね」

「ああ。嫌っていうほどやったよ」

「でもあれは漫画のセリフどおりやり取りしただけよね?」

「そうだよ」

「だから今日は、リアルで喋る練習をしよう」

「え? どうやって?」

「ふふふ」


 ──あ、悪い顔。


 花恋姉は楽しそうに、またニヤリと笑った。完全にイタズラっ子の顔だ。

 美人顔なのに、すっごくムカつく笑顔。


「今日買い物して、まあお茶くらいするとして二時間くらいかな。その間にトーイは私以外の人と、100回会話をすること。いいね」

「えっ? 100回会話? 二時間で?」


 いや、いいねって言われても。

 いいはずがない。

 できるはずがないだろ。

 なに言ってんだこの人は?


 ──あ、いや。俺はネガティブなことは言わないって決心したんだった。


「買い物行ってたった二時間で?」

「大丈夫。ちゃんと仕込みはしてあるから」

「は? 仕込み? なにそれ?」

「ふふふ。それは着いてからのお楽しみ。まあとにかく100回の会話がノルマね。がんばれトーイ」

「いや、そんなの無理でしょ」

「ん? またやる前から無理だって?」

「あ、いや……」


 しまった。ネガティブなことを言っちゃったな。

 なかなか簡単には抜けないようだ。

 だけどがんばるしかない。


「泣きながら『俺がんばるよ』って言ったのは、どこのどいつだぁー?」

「泣いてないし」

「泣いてたし!」


 うん、確かに涙が潤んでたよな、俺。

 だけどそんなのを認めるのは恥ずかしいから認めるもんか。


「とにかくトーイ。100回会話すること。これはノルマ!」


 うわ。今日一番の意地悪顔をしてる。

 こりゃ、小悪魔……なんてもんじゃない。おお悪魔だ。


 でもまあ、俺がんばるって決めたのは確かだし。

 花恋姉は意地悪で言ってるんじゃなくて、きっと俺のためなんだなんてことは充分わかってる。


「わかった。がんばるよ……」

「よしよし。それでこそ我が弟よ」

「む?」


 またいつもの弟扱いなんだけども。

 いつまで経っても弟扱いが、なぜだかやっぱり癪に思った。


 さっきもそうだったけど、いい加減子供扱いはやめてほしい。

 だから俺は、思わずムッとした顔を花恋姉に向けた。


 もしかしてその気持ちが通じたんだろうか。

 花恋姉ちょっとびくっとしたように肩をすくめた。

 花恋姉もちょっと悪いと思ったんだろう。俺をフォローするように言ってくれた。


「あ、いや。それでこそ、責任ある大人の男よ」

「あ、うん。がんばるよ」


 俺は花恋姉の心遣いに、最大の笑顔で返した。

 そう。この十日間、必死になって鍛えた笑顔で。


 そしたら花恋姉はなぜかちょっと驚いた感じで、照れた顔になった──ような気がした。




***


 俺たちは電車に乗って、ターミナル駅で降りた。

 ショッピングモールは駅前にある。

 モールの入り口まで二人で歩いて行く。


 モールの手前まで来ると、エントランスの前に少し派手な若い男女が立って、楽しそうに話してるのが目に入った。


 二人ともいかにもリア充って感じ。


 男性の方はちょっとカールのかかったロン毛。日焼けした顔に太い眉毛の男らしいイケメン。身体つきも良くてスポーツマンタイプ。


 一方女性の方はゆるふわヘアだけど金髪っぽい髪の色。メイクもしっかりして、美人だけどクールで気が強そうなお姉さん。


 どちらも話し方も力強くて押しが強そう。俺が苦手なタイプだ。


 ──うん、関わらないでおこう。


 いや、俺って変な意識をしすぎだな。

 わざわざそんなふうに思わなくても、ああいう人達は、何もなければなんの接点も無いんだから。


 そもそも人種が違う。

 だから気にせず横を通り過ぎたらいいだけのことだ。


 そう。

 何もなければなんの接点もない。


「やっほー お待たせ」


 なぜか花恋姉がその二人に手を振った。満面の笑みだ。

 すると二人はこっちを見て笑顔で返事をする。


「おっ、花恋来たか」

「花恋ちゃん、遅いよ」

「ああ、ごめんごめん」


 あれ?

 なんと接点が……あった。

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