第10話:花恋姉はなぜかラブコメをご所望する

「じゃあ今日はもう帰るね」

「あ、おう」


 ひと通りのレクチャーを終えて、花恋姉は立ち上がった。俺もつられて立ち上がる。

 しかし花恋姉はふと思いついたように、俺の顔を見上げた。


「あっ、そうだトーイ。さっきアンタが言ってたラブコメってやつ。コミックなんかもあるの?」

「え? ああ、あるよ」

「持ってる?」

「ああ。より取り見取りな」

「じゃあ一冊貸して」

「へ?」


 なんだ急に?

 さっきの話で俺がラブコメって言ったから興味が出たとか?


「できれば明るくて爽やかな男の子が主人公のヤツがいいなぁ。それとぶっ飛んだ設定じゃなくて、できるだけリアル寄りなやつ」

「あ。花恋姉。もしかして! イケメン主人公の漫画で、萌え萌えしたいとかぁ? いやぁ花恋姉も案外恋する乙女なのかなぁ? くくく」

「は? なにが萌え萌えよ。バッカじゃない」

「あ、いや……照れなくてもいいぞ」

「照れてなんかないし。萌え萌えって言葉、なんかバカみたいだし」

「えっと……それ酷くね?」


 いや、花恋姉。今のそのセリフは全国500万人のオタク男子を敵に回したぞ。これから夜道を歩くときは、背後に気をつけた方がいい。


「そんな悔しそうな顔で睨むな。アンタのためなんだから」


 俺のため?

 ラブコメコミックを貸すことが?

 ワケわからんなこの人は。


「それにしてもアンタ、漫画の話とかしだすと急に生き生きするね」

「余計なお世話だ」


 そりゃまあ俺も、イラストレーターの端くれだからね。

 漫画やアニメは大好きだ。

 趣味の話の時だけはやたらと生き生きするのはオタクの生態だからね。


「別に顔はイケメンじゃなくていいから、言動が明るく爽やかな主人公のヤツってないの?」

「えっと……まあ、なくもないかな」


 俺はラノベやコミック、それにイラスト集なんかがずらりと並んだ本棚から、花恋姉のリクエストに合うお勧め漫画を取り出して渡す。

 花恋姉はパラパラと何ページか見て、「ふむ」と言って顔を上げた。


「ありがと。じゃあね」


 いつものムカつくニヤリ顔じゃなくて。

 なぜか花恋姉は目を細めて優しく微笑んだ。


 それで俺もつい素直な言葉が口をついて出た。


「ああ。色々教えてくれて……ありがと」

「どういたしまして。可愛い弟のためだからね」


 花恋姉はウインクをして、ドアを開けて部屋から出て行った。俺も廊下に出て、階段をトントンと降りて行く花恋姉の背中を見送る。


 花恋姉ってお節介焼きだし、俺を子供だってバカにするし、ウザイしムカつくことも多いけど。

 時々こうやって、優しいお姉さんの顔を見せる。


 だから、嫌いにはならないんだよなぁ。


 なんてしみじみしていたら。

 階下から母親の声が聞こえた。


「あらぁ、花恋ちゃん来てたの?」

「はい」

「すごく美味しいケーキを買ったのよ。食べていきなさいよ」

「えーっ、マジですか? 食べたーい!」

「どうぞどうぞ。リビングに入ってよ」

「はーい」


 ケーキに釣られて寄り道か。

 食いしん坊な花恋姉らしいな。


 微笑ましくて、クスっと笑い声が漏れてしまう。

 俺はドアを閉めて、ベッドに仰向けにごろりと寝転がった。


「彼女かぁ。ホントにできたらいいなぁ」


 天井を見つめながら、俺はさっきまでの花恋姉の話をぼんやりと思い返していた。



***


 夢を見ていた。

 天使の一ノ瀬さんが俺の目の前にいる。


 なぜそれが夢だとわかったか。

 それは目の前の一ノ瀬さんが俺と二人きりで、優しく微笑んで「キミならきっと彼女ができる。キミは素敵だよ」なんて言ってるからだ。


 俺が一ノ瀬さんと二人きりで話すなんてことはない。ましてやそんな素敵な言葉をかけてもらうなんて、現実であるはずがない。


 俺も妄想が半端ないな。


 案の定俺は夢うつつの中で目を覚ました。目の前にはベッド際の壁がある。

 ベッドに寝転んで考えごとをしているうちに、壁の方を向いて寝ていたようだ。


「キミは素敵だよ。男らしい。女の子はキュンときちゃうよ」


 ──ドキリとした。


 俺の耳元で囁く声が確かに聞こえたからだ。空耳じゃない。

 それは明らかに花恋姉のハスキーがかった声だった。


 寝転んでる俺の背後で、花恋姉は前屈みになって俺の頭に顔を近づけている。それが気配でわかる。


 耳元での吐息混じりの声。大人っぽい囁き声は、この上なくセクシーで淫靡いんびな響きがする。


 花恋姉はいったいなにをしてるんだ?


 ──ドキドキがさらに高まる。


 花恋姉はきっと俺が眠っていると思って、こんなことをしてるに違いない。

 だから俺は目を覚ましたことを花恋姉に伝えるべきかどうか迷って、じっとしていた。


 俺が迷ってるうちに、花恋姉は身体を起こして、静かにドアを開けて出て行ってしまった。


 ホントにいったいなんなんだ?


 もしかしたら花恋姉って、実は元々俺のことを素敵な男だって思ってるとか……?


 いや、それはないか。

 でももしかして……


 俺は花恋姉の真意がわからずに、ただ呆然と固まっていた。

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