第9話:花恋姉にもコンプレックスはある
俺が「イケメンじゃないとモテないでしょ?」と言うと、花恋姉は「そんなことないって!」と秋空のような爽やかさで否定した。
「あまりにブサイクなら問題もあるけど、そうじゃなけりゃ大丈夫。さっき言った清潔感と覇気があればね。モテモテになるのは難しいかもしれないけど、彼女作るって目標なら楽勝クリアできるって」
「そんなの嘘だ」
「嘘じゃないって。だって世の中には美女と野獣みたいなカップルもいるし、金持ちなんかはブ男でも美人の彼女を連れてるじゃない」
え?
俺、金持ちを目指すべきなのでしょうか?
「そんなのどうせ幻想だろ」
「だからトーイは顏の作りなんかよりも、そういうネガティブなところの方が問題なのよ」
「だって信じられないもん」
「ああっ、もうっ! じゃあ科学的データを出そうか? イギリスの心理学者による調査では、女性は相手の
花恋姉はスマホを手にして、記事の検索を始めた。めっちゃマジな顔してる。
こりゃ単に俺を励ますためとかじゃなくて、本当にそうなんだという気がしてきた。
「わかったよ花恋姉。俺が悪かった。信じるよ」
「そっか、よしよし。お姉さまを信じたまえ。さすれば救われる!」
あはは。花恋姉は神様かよ。
でもちょっとイラついてた花恋姉が、ようやく笑顔を浮かべた。
「それにトーイって、別にイケメンじゃないけど、まあ普通でしょ」
「そ、そうかな?」
「うん、そうだよ。それにほら、お肌だってこんなに綺麗だし」
花恋姉はローテーブルの上に片手を着いて、上半身を乗り出した。そしていきなり俺のほっぺを手ですりすりする。
なにすんだよ!?
──と思いつつ、撫でられてる俺も気持ち良くて、しばらくじっとしてしまってた。
「ああん、つるんつるんしてて気持ちいいー トーイのほっぺって、子供の頃からつるつるぷにぷにしてて好きなんだよねー」
「こら、俺はもう高校生だ。指先でほっぺをぷにぷにするんじゃない!」
と言いつつ気持ちいい。ヤベ。
「いいじゃない、減るもんじゃなし」
「そういう問題じゃない。減らないなら触っていいのか? じゃあ俺が花恋姉の胸触ってもいいって理屈になるぞ」
「どうぞ。どうしても触りたいって言うならね」
淡々とそう言って、花恋姉は胸をぐいと突き出した。
思わず花恋姉の胸に目が行く。ティーシャツのふくらみ。
ぺたんこではないが、決して豊かではない。どちらかと言えば控えめな方。形はいいと思うけど。
さ、触ってもいいのか?
マジか?
──って一瞬固まったけど、姉と弟みたいな俺たちの関係で、なにを言ってるんだかこの人は。
まあ俺がよっぽど子供だと思われてるんだよな、きっと。そうじゃなきゃ、胸触ってもいいなんて言わないもんな。
──くそっ、やっぱ腹立つな。
「花恋姉。そういうのは豊かな胸の人が言うセリフだ」
どうだ。逆襲してやったぞ。
なんて得意になってたら、なんと花恋姉が眉根を寄せて、美人なのにくっそ恐ろしい顔で睨んでる。
歯からギリギリという音が聞こえるんですけど?
こ、怖い……
その表情だけで俺は早くも戦意喪失。
逆襲失敗。アイ・ロスト。
俺ってやっぱヘタレだ。
ありゃ。まだ、ギロリンと睨まれてる。
これは謝るべきか……
でもなにを言っても藪蛇になりそうな気がして、何も言葉が口から出ない。
今の俺は蛇に睨まれた蛙。巨人に睨まれた普通の人。なんだよ普通の人って。
「うっぐぅ、ムカつく。……コイツ、ブチコロシテヤロウカ……あ、いや。こんなお子ちゃま相手に、本気で怒ってどうすんのよ私。落ち着け……私」
花恋姉は険しい顔でぶつぶつ呟いていたけど、急に普通の表情に戻った。
ふう、助かった。
あ、でも表情を取り繕ってるだけだ。まだ鼻から息が、ふんぬふんぬと出てるからヤバい。気を抜いてはいけない。
「で、トーイの顔の話だけど」
あ、今度はホントに素の顔に戻った。
相変わらず表情がコロコロ変わる人だな。
取りあえず俺は命拾いしたようだ。今後は胸のことは言わないように気をつけよう。
勉強もスポーツも顔も、なんでもスーパーな花恋姉。そんな彼女が唯一コンプレックスを持ってるのが胸だ。
客観的に見て、別にコンプレックス持つほど小さいわけじゃないと思うんだけどなあ。気にし過ぎだよ、花恋姉は。
あ、でも……
花恋姉のコンプレックスが俺から見たら大したことじゃなく見えるように、俺の『イケメンじゃない』ってコンプレックスも、他人から見たら自分が気にするほどじゃないのかもしれない。
「さっきも言ったように、トーイは顔の作りが悪いわけじゃない。ただし今のまんまじゃ暗すぎる。陰気が服着て歩いてるのかって感じ」
顔が悪いわけじゃないって言葉は嬉しい。
でも……やっぱりそこに戻ってくるのね。
俺が暗くて辛気臭いって話に。
「恋愛なんてなにか一つのポイントだけで決まるわけじゃないのよ。だからできるだけマイナスポイントは減らして、プラスポイントは伸ばすことよね」
「あ、ああ。わかったよ」
「『見た目改善』のトレーニング方法は別に目新しいものじゃない。腹筋とか背筋とか誰でも知ってることが中心だよ。中にはオリジナルメニューもあるけどね。こんな感じかな」
花恋姉はトレーニングメニューをノートに書いてくれた。
やっぱりなんの努力もしないでモテるなんてのは、俺には難しいんだとはわかった。
でも毎日トレーニングだなんてやれるか?
「こらトーイ。なに戸惑ってんのよ」
「戸惑ってなんかないし」
「ふぅーん。どうせお子ちゃまみたいに、僕にはできなーい、なんて思ってるんでしょ? ちょっとした努力もできないなんて、ホントガキなんだから」
「は? そんなこと思ってない」
「ほぉ。じゃあアンタにやれるっての?」
ニヤニヤするなよ。クソ腹立つ。
「もちろん」
花恋姉はシャーペンの先でノートのメモをトントンと叩いた。
「ふぅん。じゃあまずは、この『見た目』を改善するトレーニングを、明日から毎日やるように! わかった?」
「あ……」
しまった。
花恋姉にしてやられた。
「お、おう。わかった。やるよ」
「よしよし。それでこそ可愛い弟ってもんだ」
花恋姉は満足そうに目を細める。俺が素直に従うと、だいたいいつもこんな顔をするんだよなぁ。
まあいつまでも子供扱いされるのも癪だし。俺もやればできるってとこを見せつけてやるとするか。
それでホントに彼女ができたら、まあ嬉しいし。
あと一日通えば学校は夏休みに入る。
俺のトレーニングは夏休み中続けて、二学期中には彼女を作るという目標設定を花恋姉と決めた。
花恋姉もテニス部の練習とか試合とかで忙しいのに、時々ウチに来てレクチャーやトレーニングをしてくれると言う。
花恋姉も本気みたいだ。
腹立つことはたくさん言うけど、俺のことを思ってくれてるんだろうな。
だから──
明日からがんばるとするか。
俺は前向きに、そう思うことにした。
──この時は。
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