学舎と寄宿舎生活:ルスターの異変

 午後五時になると、寄宿舎の集会場が食堂として開く。

 今日の入学式の後で行われた説明会の会場だった大きな部屋だ。


 ここも、学舎に通う生徒全員の生活の場なので、新入生に限らずどころが、全生徒が利用する。

 寄宿舎は四階建てで、説明会の時には気が付かなかったけど、この部屋の奥に階段があって、学舎と同じように上の階の集会場に続いてる。

 学舎の食堂と同じように、満席になっても他の階で食事ができるような作りになってる。


 夕方だから外はだんだん暗くなる。

 外の景色が見れる窓もすべてカーテンが閉められ、部屋の中に照明が灯される。


 説明会の時はこの部屋に特に何も感じることはなかったけど、いろんな色と形の照明が天井から下がってて、暗すぎず眩しすぎず、いつまでもここにいたくなる楽しさまで感じられる。

 でも今は晩ご飯。

 おやすみの時間は絶対に守らなきゃいけないから、いつまでもここにいたらお風呂の時間も減っちゃうし、明日の準備もしなきゃいけないし……。


 ここでゆっくりできるのは、次の日が学舎の休日の晩ご飯時しかないかも。


「あの三人は別のところで晩ご飯食べるのかな」

「一階ごとは広いし、それが四階まであるし、席は決められてないし、そこまで気にしなくてもいいと思うよ? それにあの三人を探してたりしたら、晩ご飯の時間も減っちゃうじゃない」


 確かにサクラさんの言う通り。

 ご飯やお風呂や寝る時間は決められてるけど、その決まりに従えるなら何をしても自由って言うから、無理に同室の人同士で一緒に行動する必要もない……と思う。


 説明会の時には、僕に詰め寄ろうとした子が何人もいた。

 でも今はみんな、逆に僕から遠ざかろうとする。

 ツルツルの頭に奇妙な模様が入ってるおかげで、ゆったりとした気持ちのまま三人で晩ご飯を食べることができた。


 こんな気持ちで食事ができるようになったのは、二日前から。

 本当は泣きたくなるくらいうれしいんだけど、流石に変に思われちゃうから、我慢我慢。

 二人とも普通に美味しく食べてたけど、受験が終わって以来、ご飯を食べるたびに、あまりの美味しさに泣きながら食べてた。


 勇者の人達は「大げさだなぁ」と言ってたけど、それまでは何を食べてたのか全然分からなかったし、美味しいどころか食べること自体苦痛だった。


「……ねぇ、ルスター君。ちょっと食べ過ぎじゃない?」

「サクラさんの言う通りだよ。そんな細い体で……四杯目? いくらなんでも……」


 前世の記憶にある。

 カレーライスってやつだ。

 でも、味の記憶がまったくない。

 だから、こんなおいしいものは初めて食べた気がする。

 受験が終わった後にこれを食べたのも初めてだから、ということもあるし。

 でも、確かに食べ過ぎて気持ち悪くなったら、みんなに迷惑がかかる。

 無理するとあと二杯くらい食べられるけど、これで終わりにしよう。


「んぐっ……。ぷはぁ。んと、お腹が苦しくて動けない、ってことはないから大丈夫。食べ終わったらお風呂に行くんだよね?」

「うん。説明会では一階の大浴場、だね。……男女別だから、サクラさんは……」


 うん。

 サクラさんは一人で風呂場に入ることになる。

 大丈夫かな?


「何心配してるのよ。平気よ」


 でもサクラさんはニコニコしたまま。

 心配なさそうだ。


「でもルスター君は、食休みしないとだめよ? 急に熱い風呂に入って、具合がおかしくなったら大変だもの」


 流石にそれは注意しないとね。


「うん。無理しないよ」

「それにしても、よく入るなぁ。昔からそんなにたくさん食べてたのかい?」


 そう言えば、衝動のことは話してなかった。

 あの苦しみがあったから、多少苦しい思いしても耐えられそうなのかも。

 けど、あの衝動のことを説明してもなぁ。

 過去のことだし、もうなくなったことだから、説明する意味もないよねぇ……。


「えっと、こんなおいしいものを食べたのは久しぶりだから……ね」


 僕の言うことは間違ってはいない。

 見たり触れたり味わったりできることすべてが心地よいって感じがするし。

 ……生きててよかった、っていうのかな、これ。


「それにしても……お腹がぷっくり膨れるのが、服からでも分かりそうな気がするんだけど……ほとんど変わらないわねぇ」


 サクラさん……羨ましいのかな……?


 ※※※※※ ※※※※※


 自分で決めた通り、四杯目を食べ終わってごちそうさまの挨拶をした。

 それからはサクラさんの言う通り、ゆっくりと食休みの時間をとる。


「先に行ってもいいよ?」

「僕も食休みするよ。サクラさん、先にお風呂に行ってきたら? 髪の毛乾かして整えるの、時間かかりそうだし」


 レイン君はよく気が付くなぁ。

 毛先がくるんと上に向かって巻かれてる、金髪の可愛い髪形だ。


「あぁ、これ? いつも自然にこんな風になるの。真っ直ぐになってくれないのよね」

「可愛い毛先だねぇ」

「え? そんな事言われたの初めて。ありがと、ルスター君」


 ……物を見て、何かを感じる。

 そんな事ができる余裕が、今までなかった。

 誰にでもできることだったんだよな。

 それができてたら、今頃家族とは……。


 いや、もう、どこにいるか分からない人達のことを気にするのは……何の成長もないよね。


「じゃ、お言葉に甘えて、あたし、先に行くわね。じゃ、あとで部屋でね」

「うん、行ってらっしゃい」

「ゆっくりお風呂に浸かっておいで」


 けど結構長い時間お喋りしてたこともあり、お風呂の道具を取りに部屋までゆっくり移動して、十分の食休みの時間をとることができた。

 部屋に戻ってもあの三人はおらず。

 あの三人の保護者でもない、ということで、僕らも大浴場に向かった。


 脱衣場でも、やっぱりみんな僕を遠巻きに見てる。

 頭の模様が、そんなに気味が悪いんだろうか。

 ここの鏡で見れないかな……。


「ルスター君。頭の上、気になるの?」

「気になるって言うか……。どんな模様なのか、どんな紋章なのか見てみたいし」


 頭の真上から左右に並ぶ、三つの模様と紋章。

 どんなに上目遣いにしても、見れないものは見れない。


「手鏡があっても、全体は見れないしなぁ」


 レイン君を悩ませてしまった。

 でも今は、頭の模様を見に来たんじゃなく、お風呂に入りに来たんだ。

 さっさと服を脱ぐ。


「……その体中の模様、何なの?! って……痣?」


頭の子とばかりで、すっかり忘れてた。

衝動に抵抗するために、体中を殴って誤魔化してた。

その衝動からようやく解放されて、勇者のみんなの拠点に戻ってから、メディさんからこの痣の治療をしてあげるって言われた。

でも僕は断った。

僕がしたことだし、放っておいても自然に治るから、魔力の無駄遣いはさせたくなかったってこともあったから。

痛みもいつの間にか消えてた。

そこで出てきた、今日の頭を剃るって話で、そのことをすっかり忘れてた。


「あー……うん、昔、ちょっとね。痛くないし平気だから早く入ろう? 体が冷えちゃうよ」

「う……うん……」


レイン君になるべく気を遣わせないように元気に誘ったけど、両方の脇腹、お腹、両方の太ももの外側に広く青い痣が広がってたら、そりゃ気になるか。


 浴場に入ると、流石に広い。

 寄宿舎にいる生徒、半分くらいなら一度に入っても、多分まだ余裕がありそうな気がする。

 お風呂の掃除、相当時間がかかると思う……。


 風呂桶をとって、レイン君と二人並んで体を洗える場所を探す。

 もちろんあちこちにあるんだけど、浴場の入り口付近は人の出入りが激しいからきっと寒い。

 湯船から遠いのも、ちょっとやだな。


「ここでいいんじゃない? あ、シャンプーはあるんだ」


 と話しかけてくるレイン君の声が聞き取りづらい。

 音の反響が大きくて、辛うじて何を言ってるのか分かるけど……。


ちなみに、湯けむりもあったし、浴場にいるのは僕ら新入生だけじゃないから、僕の痣を気にする人はほとんどいなかった。

蛇口の前に座ると人からは背中しか見えないし、背中に痣はないから他の誰も僕を気にする人はいない。


「……風呂の入り方って、人によって違うみたいだよね」


 気を取り直してくれたのか、椅子に座って蛇口から出るお湯を桶に溜めながら、ルイス君はそんなことを言う。

 人の習慣も気にしてる余裕はなかった。

 お風呂も、付き添ってくれた勇者のみんなのなすがまま、されるがままだったから。


「あ、あは、まぁ、そうかもね」


 レイン君のやるのを、見よう見まねでやってみる。


「あ、ルスター君も先に体を洗うんだ」

「あ、うん。まぁ、うん」


 座って顔を少しだけ近づけた分、レイン君の声は聞きやすくなった。

 でもだからと言って、返事に困ることもなくなったわけじゃなかった。


「僕はついでに頭も洗うけど……ルスター君は?」

「んじゃ僕もついでに洗おうかな」

「……じゃあ先に洗いなよ」


 先に洗う?

 体よりも頭を先に?

 レイン君よりも先に?

 どういうこと?


 言ってる意味がよく分からない。

 そのままレイン君の方を見てたらば。


「模様にも手をかけることになるだろ? 異変が起きて、僕が気付かなかったら、何かの手遅れになるかもしれないじゃないか」


 そこまで気を遣ってくれるのはうれしいんだけど……逆に迷惑かけてないか?

 申し訳ない気持ちになってくる。


「そ、そう? じゃあ先に頭洗うね」

「うん。僕は君を見ながら体を洗ってるから、君を待たせるなんてことはないよ……あれ?」


 レイン君は何かに気付いたらしい。

 けど、こっちは頭を洗い始めたから、何がどうなってるのか分からない。


「俺と一緒に風呂に入ってんじゃねぇよ! おらあ!」

「え?」


 声の反響もものともしない大声は、カーク君のだった。

 レイン君は、彼がいつの間にか来てたことに気が付いたんだろう。

 けど、カーク君のその直後にやったことはとんでもないことだった。


「うわっ!」


 頭を泡立ててた僕は、何が起きたのか全く気付かなかった。

 ただ、その泡がすべて流れ落ち、頭が一瞬熱く感じた。

 僕が感じたことはそれだけだったんだけど……。


「うわっ!」

「熱ぃっ!」

「お前、何してんだよ!」


 周りで体を洗ってる子達が次々と怒鳴る。


「うわっ! カーク君! 何す……うわっ!」


 多分カーク君は、熱湯をどうにかしたんだろう。

 でも、僕がその温度を感じ取ったのはほんの一瞬だけだった。

 そして周りの子達は、カーク君も含めて、それとは違う悲鳴をあげた。


「わっ!」

「眩しっ!」

「何だよ! どうしたんだよ!」


 そんな声の範囲は、最初の騒ぎよりも広いのが分かる。

 僕は、目に泡が入ったので、目が痛くて開けていられなかったから周りの様子は分からない。


「お前達! どうした!」


 とひときわ大きな声で近寄ってくる人がいた。

 多分シュース先生だ。

 そう言えば、先生も寄宿舎内の施設を普通に利用してるって話してたっけ。


「カークっ! で……ルスター! 一体どうした!」


 どうした、と聞かれたから、僕は即座に答えた。


「シュース先生? 分かりませんっ!」

「それだけのことを威張って言うな!」


 叱られた。


 ※※※※※ ※※※※※


 そのまま浴場の中で先生は、事態が落ち着いてから、何があったかを先生は周りの子に聞いていた。

 素っ裸で。


「こいつが、いきなり熱湯を流したんですよ」


 周りの子が答えた。

 素っ裸のままで。


「あぁ?! 俺はこいつが一緒に風呂に入ってるのが気に食わなかっただけですよ! 先生!」


 と、カーク君は、自分勝手なことを言い始めた。

 素っ裸で。


「お前の気に入るように寄宿舎は用意されてるんじゃない! 入学式の当日に退学になりたいか!」


 そんなやりとりを、僕はただ見てるだけしかできなかった。

 素っ裸で。


「あの、先生。冷えて来そうなんですけど……」


 風呂場で風邪をひくってのも……ちょっとやだったから。


「……カーク。お前はもう風呂からあがれ。そのまま先生の部屋に行って、そのまま待ってろ!」

「いくら先生でも、僕の……」

「ここから出て、先生の部屋に行け! 大至急!」


 最後の先生の言葉はカーク君の反論を一言も許さない、ほんとに一喝って感じだった。

 カーク君は、周りからも白い目で見られて、反抗する余地がないことを感じ取ったのか、項垂れながら浴場を出て行った。


 浴場内は落ち着きを取り戻し、先生は、僕の反対側の、レイン君の隣に座って体を洗い始めた。


「で、熱湯をかけたのは分かった。その後何があった? なんか光のようなものが見えたが」


 レイン君にその後のことを聞いていたみたいだった。

 でも詳しいことまでは聞こえない。

 こんなときは、浴場の反響ってかなり迷惑だよね。


 僕は体をかがめて、レイン君が何を話すか聞きやすくするために頭を近づけた。


「ルスター君の頭が光ったんですよ」


 ……ツルツルだから?


「三つの模様があるじゃないですか。そのうちの一つが光って、その範囲が広がったみたいです」

「模様? ……紋章はどうにかなったりしてたか?」

「分かりません。いきなりでしたし眩しかったし……」

「そうか。……ルスター」

「へ? あ、はいっ!」


 まさか呼ばれるとは思わなかったから、驚いてちょっと飛び上がった。


「お前、頭が光ったって……ん?」


 何かを話しかけられる途中で先生の言葉が止まった。


 何かどこか変なところ見つけたのかな?

 食べ過ぎて気持ちが悪い、なんてこともまったくないんたけども。


「……頭の三つの模様、ちょっと光ってる……いや、輝いてるような……?」


 そんなことを言われても、頭のその部分と思われてるところからは、特別なんの感触もないんだけども。


「あの……特に、何も感じないんですけど……」


 そうとしか答えられない。


「あ、そう言えば……ほんとだ……おかしい」


 レイン君が何かに気付いたらしい。


「熱湯かけられて、そのしぶきが僕にもかかって……ほら、見てよ。赤くなってるでしょ?」

「あ、ほんとだ」


 赤みがかってる。

 でも痛くないなら、大丈夫なのかな。


「そう言えば、そうだな……。だがルスターには何も……。お前には赤い所、まったくないよな」

「え? ……お湯、かかってないからじゃ?」

「何言ってんだよ、お前!」


 と張り上げた声は、僕らの後ろからだった。


「お前が一番熱湯かかってたんだぜ? 俺らが気にするこっちゃねぇと思ってたけど、当の本人がそれじゃあまりにおかしくねぇか? つか、火傷しててもおかしくねぇぞ?!」

「確かに、そこに座った時とほとんど変わらねぇ。保健室に行かせなきゃ、とも思ってたけど、平気なら無理強いしなくてもいいかと思ってたけどよ。でも、ずっと熱湯かけられてたんだぞ?」


 そう言ってくれたのは、多分学年が上の先輩達だ。

 僕のことを心配してくれて、とてもうれしいんだけど……。


「あ、ありがとうございます。でも、どこも痛くもないんです」

「……ちょっとでも体の異変を感じたら、すぐにでも保健室に行くか、先生達の所に来い。分かったな?」

「あ、はい。あの……」

「どうした? どこかおかしいか?」


 そうじゃなくて……。


「特に話がないなら……湯船に浸かっていいですか?」

「あ、僕も……」


 レイン君も、ちょっと体が冷えてきたらしい。

 先生は狼狽えながら、ゆっくり温まるように、と言ってくれた。


 それにしても……。

 頭が光った、って、その光も分からなかったんたけど……。


 僕の体、どうなってるんだろう?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る