学舎と寄宿舎生活:ドラゴンの歯が刺さった跡と紋章の刻印がそこにありました

「髪の毛を剃るぅ?」


 監督の部屋に行って聞いてみた。


「はい。でもお金がなくて、床屋さんにも行けなくて……」


 寄宿舎監督のシュース先生とラミー先生はそれぞれの机で何やら書類を書いてたけど、その手を止めて互いに顔を見合わせた。

 先生、と呼んだのは、監督も先生と呼ぶように、という通知もあったから。


「ルスター・ロージー、だったな。ちょっと待ってろ。ルスター、ルスター……と、あった。これか。ふむ……」


 シュース先生が、机の上に並んでいるいろんな本とかが並んでいる中から、分厚いファイルの一冊を取り出して、おもむろに開いた。

 新入生一人につき両面にびっしりと詳しく書かれてる資料のような物を一枚一枚めくっている。

 細かい字で、難しそうなことを書いているから、もちろん僕が見ようとしても分からないことばかり。


「ふむ……」


 頭を剃りたいけど、床屋に行くお金がない。

 その相談をしてるだけなのに、なんで資料とかに目を通してるんだろ?

 すると、ラミー先生から話しかけられた。


「どうして頭を剃りたいと思ったの?」


 机の上に肘をつけて、その先の手の上に顔を乗せて、まるで僕を観察するような目を向けている。

 そのラミー先生を正面から見て、初めて気が付いた。

 前髪を右側だけ垂らしてて、右目を覆ってる感じ。

 何となくおしゃれな感じがする。


「えっと……」


 同じ部屋の子から言われたから。

 というのも理由の一つだけど。


「頭に紋章が刻印されたって知ってから、この紋章がいつも見えるようにしないと、初めて仲間になる人から分かってもらえないって思ったので」

「ふむ……頭部に何かがあるってのは確からしいな」

「シュース先生、何か分かったんですか?」


 シュース先生は、拡げたファイルをしばらく見つめて、そのままラミー先生の机の上に持って行った。

 僕にはそこに何が書かれているか見えなかったけど、それを見たラミー先生は、少し眉をひそめる。

 深刻な話をしているように見えるけど、僕の相談は、頭を剃るための支払いを何とかしてもらえないか、というだけの話なんだけど……。

 どうしてそんなに時間がかかるんだろう?


「……結局、そういう問題が出ますか」

「生徒でいる間は守ることはできるが……」


 何でそんなに考え込んでいるのか、こっちは全然分かんない。


「……じゃあ私が付き添いで行ってきます。ルスター君。先生が一緒に行くから、費用のことは学舎の方で工面してくれるはずだから、気にかけなくていいわ」


 ようやくお出かけできる。

 でも、出かけるまでこんなに時間がかかるとは思わなかった。


「ラミー先生、よろしくお願いします。……ルスター君。ラミー先生が町の理髪店に付き添ってくれるそうだ。今日はこちらの予定はないから自由にして構わないが、この件だけは、用件が済んだら寄り道などせずここに戻ってくること。何か用事があるなら、戻ってから外出すること。あぁ、その時は門限も守るように。以上だ」

「あ、はい。行ってきます」


 ※※※※※ ※※※※※


 寄宿舎と学舎の中にもお店はある。

 けど、そこでの生活に必要な物を扱う店のみ。

 しかも、お店と言ってもお金を払う必要がない。

 そういった費用も、先に納めた学費の中に含まれてるから。

 部外者が入ってくることはないし、物を手に入れる時には学生証を見せなきゃならない。

 社会に出たら、ここでの生活習慣が通用しないこともある。

 社会から白い目で見られないように、そういうことは度々先生達から何度も注意されるらしい。


「そういう意味では、ルスター君の報告はいい心がけよ」


 褒められた。

 でもこれも、前世の記憶のおかげかもしれない。


 目当ての理髪店は、門を出てすぐにあった。

 寄宿舎と学舎の中にない店は、学舎のすぐそばに並んでるんだそうだ。

 生徒の生活に不便がないように、とのこと。

 身だしなみを整える、というのも清潔を保つために必要な事の一つだけど、それが見た目にも影響されるから、よりよく見せるために手間暇、お金をかける生徒も出てきたんだって。

 勉学に励む本業に力を入れられなくなることがあったそうで、そのような類の店は学舎内部から追い出したらしい。


「ここよ。入って。……ご主人、いるかしら?」


 先生がドアを開けて先に入り、僕を中に入れてくれた。

 入り口の横に長椅子があって、そこに白い服を着た叔父さんが一人座っていた。


「はい、いらっしゃい。学舎の方から連絡が来たから分かってるよ。でも、いいのかい? 普通の子の頭を剃る、って、相当な理由がなきゃお願いするこたぁないと思うんだが」


 しわがれた太い声が返ってきた。

 先生の「ご主人」という言葉を聞いて立ち上がったそのおじさんが、この店の人らしい。

 そう言えば、こんなゆったりした気持ちで町の中を歩いたのは初めてだし、町の店の中に入ったのも初めてだ。

 中には椅子みたいなのがあるけど、椅子にしては背もたれがかなり斜めになってる。


「この子は術師志望で、頭に紋章が刻まれたようなんです。本人の希望と、より授業の内容を身に着けやすくする工夫でもあるので剃髪をお願いしたんです。……さ、その椅子に座って、あとはご主人の言う通りに従うように。先生は、終わるまでここで待ってるから」


 何が何を何にどうするのか全然分からない。

 この人の言われる通りにするしかないのは、そりゃ分かってるけど……。


「じゃあここに座ってもらおうかな。こういうところは初めてか? 刃物を使うから、なるべく動かないようにな。くすぐったく感じても我慢するように。でないとケガしちまうからな」


 我慢なら……自慢することじゃないけど……人よりは長く我慢できると思う。うん。


「その紋章とやらに傷つけねぇようにしないとなぁ。でもこんなこたぁ初めてだな」


 椅子に座ると、背もたれが更に傾いて、僕はほぼあおむけの状態になった。


 ※※※※※ ※※※※※


「先生、ちょっと見てくんねぇか?」


 僕はいつの間にか眠ってたらしい。

 髪の毛を剃るその感触が、ちょっと気持ち良かった。

 おまけにのんびりすることができたから、ついすやすやと寝てた。


 で、おじさんの、何となく深刻そうな声で目が覚めた。

 何があったのか、ちょっと気になったけど、動くなって言われたから、目をゆっくり開けるだけしかできなかった。


 ……おねしょしてなくて良かった……。


「どうかしましたか? ご主人」


 先生は立ち上がって近寄ってきた。

 来る途中で顔色が変わるのが分かった。

 椅子の上に仰向けになってる僕の頭の先にきた先生は僕の頭を間近に見て、もっと驚いた顔になった。


「これは……」

「まぁ俺は髪の毛を剃るだけだから、それ以外は何も思うところはねぇけどよ。でもちょっとこれは……」


 また何か問題でも起きたんだろうか。


「あ、あの……まだ髪の毛、残ってますよね? 所々残ってると、逆にカッコ悪いというか……恥ずかしいというか……」

「あ、うん、ごめんね、ルスター君。ご主人、続けてもらえます? これ、この子の資料によれば、この子の特徴としか言えませんから」


 特徴……何だろ?


「先生、僕の頭、どうにかなってますか?」


 僕を見下ろす先生は、何やら悩んでいる様子。


「ルスター君。ドラゴンの歯が刺さったって言ってたわよね。そこ、どこらへんか覚えてる? 大体でいいわよ?」


 ずいぶん昔の話になった。

 頭が痛い思いは覚えてるけど、歯が刺さった痛みなのかどうかまでは分からない。

 でも、その中で特に痛かったところは……。


「ここと、ここと、ここ」


 三か所。

 頭の一番てっぺんのところと、その左右。その感覚は、僕の手の平の横幅くらい。


「そりゃあ……」


 理髪店のおじさんの顔が、ちょっと青くなった。

 肝心なことを何も言わないのが気になる。


「あの、僕の頭、どうにかなってるんですか?」

「……今ルスター君が指をさしたところ、宝石みたいなキラキラした光の色になってるの」

「え?」


 椅子の上で仰向けになったまま、慌てて両手でその辺りを触ってみる。

 もちろん何の痛みもないし、気にするところもない。

 それに、今まで全然気にならなかった。

 気にしたこともなかった。


「その模様は三つとも違うけど、紋章はその三つの模様の、それぞれの真ん中に刻まれてるの」


 刻まれているといっても、頭に凸凹があるわけじゃない。

 模様の方も、手で触ってもそこにあるかどうか分からない。

 指先で剃られた部分を撫でてみる。

 毛が伸びる方向に撫でるとツルツルした感触があって、伸びる方向と逆に撫でるとザラザラした感触がある。


 毛以外の何かには、触っただけでは分からない。


「よく……分かんないです」

「……そう……。痛みとか気持ち悪いとかはない?」

「平気です。でも……」

「でも?」


 先生は心配そうに僕を見るんだけど、口に出しちゃったから言った方がいいよね。


「剃られた所が、寒いです」

「……そりゃ、仕方ねぇなぁ」


 結論を言えば、特に問題ないからさっさと終わらせて、頭が寒いというなら帽子なりなんなりかぶせよう、ということになった。


 ※※※※※ ※※※※※


 髪の毛を全部剃り終えて、理髪店のおじさんに礼を言って店を出た。


「先生、こんな風な頭にしてる子、他にもいるんですよね?」


 理髪店を出てから、寄宿舎に戻る道すがら、付き添ってくれたラミー先生に聞いてみた。


「そうね。上の学年にも、何人かずついるわよ」


 外を歩く分には、帽子をかぶっても何の問題もないけど、建物の中に入っても帽子をかぶったまま入るのは、どんな理由があれ行儀が悪い感じがする。

 それに説明会の時には、帽子をかぶってる子は見たことがない。


「じゃあ僕もそうします」


 僕だけ特別扱いされたら、またラーク君たちから何か言われるかもしれないし。

 でも、意外にもラミー先生は戸惑っていた。


「いいの? あなたの場合は、その模様……歯の跡、かしら。それと紋章が頭についてるのだから、他のそんな頭の子とは事情が違うのよ」


 だからこそ。


「紋章がどこにもないって言われるよりはいいです。それより、付き添っていただいてありがとうございました」

「とりあえず、シュース先生にも、戻ってきたことを報告しましょう。部屋に戻るのはその後ね」

「あ、そうですね。はい」


 門を通り、寄宿舎に入る。

 これから暖かくなる季節だというのに、初めて毛を剃った頭がこんなに寒いとは思わなかった。

 僕が気になるのはそんなことくらい。

 けど、ラミー先生と会話をしてる間に僕らとすれ違う生徒達は、みんながみんな、僕の頭を見てびくっと一瞬身構える。

 その様子を見て、二、三歩歩いて、模様のことを思い出す。

 当の本人の僕が、一番肝心なそんなことを忘れてしまうのもおかしいなぁ、とちょっと笑いそうになった。

 先生の部屋に入り、シュース先生に報告した。


「ふむ……。資料の報告通り、かな」

「私もそう思いました。頭に刺さったドラゴンの歯がルスター君の頭と融合した、と。その痕跡かと思いました」

「この模様には触った?」

「いえ。触れてはいません」

「理髪店の店主さんは?」

「剃髪以外に触ることはなかったと思います」

「ふむ」


 ラミー先生が急に深刻そうな顔になったのにはちょっと心配したけど、シュース先生も同じような顔してるから、こっちも気持ちが落ち着かない。


「ルスター君。その模様には触ったか?」

「そりゃ、ちょっと気になると言えば気になりますから……」

「それもそうだな……。触ってもいいかな?」

「あ、はい」


 温かくない空気に包まれてる頭の肌だから、冷たく感じるんじゃなかろうか、なんてことを考える。


「ふむ……む?」

「どうかしましたか? シュース先生」

「いや、……うん、何でもないですよ、ラミー先生。ルスター君……何か異常を感じたら、すぐ報告するように。君の体に異常が起きたら大変だし、その悪影響が他の子に及ぼすことがあっても困るから」

「はい、分かりました」


 先生の部屋を出て、自分の部屋に戻る間も、何人もの生徒とすれ違う。

 そのみんなが僕からなるべく離れようとしてるのが分かった。

 一度しか見てないけど、理髪店の鏡で剃られた頭を見た。

 その模様の全部は見れなかったけど、見える範囲では、絵の具で適当に落書きされたような感じだった。

 そんな頭を見たら、そりゃ誰でも驚いちゃうか。


 同部屋のみんなは、これを見たらどう反応するだろう?


 部屋に着くまで、後ろから「お……」なんて声が聞こえた。

 多分僕を呼び止めようとしたんだと思う。

 でもまず、あの五人に紋章を見てもらわなきゃ、ね。

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