雪解けを待ちながら

それっきり、ネネルは俺の前に姿を表すことはなかった。

いよいよザレに出立だというのに、まだあの小さく柔らかな唇の感触が残ったままだ。

「調子悪いの? ラッシュ」みんながまだ眠りについている深夜にシィレを出たはいいんだが、ジールもルースも俺の表情をうかがってはこの有様だ。

積もった雪が歩く時の痛みを和らげてくれている、まだしばらくは大丈夫だとは思う……が、相変わらず折れた胸と鼻面のおかげで息が苦しい。背負ったチビがそれほどまでに重いとは。まるで巨大な鉄の塊がのしかかっているみたいだ。


そう、本来ならザレは人間禁制の地なんだ。だからジジイもジャノも連れて行くことができなかった。

何万人もの獣人が、人間によって殺された場所……わかる。きっと今でも人間に対する怨念やら何やらが成仏できることなく留まり続けているんだろう。

で、チビなんだが…これはネネルの忠告で連れていけとのことだ。

ルース経由だから理由なんか分からないが、それなりに意味があってのこと、かな。

だけど……数日前よりか明らかに自身の身体が弱って来ているのがよく分かる。雪原で体力を削られるのもあるが、それ以上に重い、手足が……

こんな雪だから馬なんて使えるわけもなく、歩いてザレまで三日くらいとのことだが、俺の調子と雪を加味して約一週間。

向こうでどんな儀式が待ち受けてるのか分からねえが、それまで持つか、俺の身体が……


あ。


……………………

………………

…………


いつの間に俺は寝ていたんだろう、ゆらゆらと揺られ、運ばれている妙な感覚で目が覚めた。

誰かの背負子に乗せられているみたいだ、顔が見えねえ。


「気がついたか?」

慌てて振り向くと、そこにはあの厳つい女の顔が……ってオイ、マティエ!? 俺たちを追ってここまできたのか?

「安心しろ、お前くらいの重さは慣れている」

「いや、そうじゃなくて、お前エッザールの元に……」

最後まで言おうとはしたものの、隣を歩いていたジールに止められた。

そう、マティエの前を歩いているのはルース。

ある程度わかってはいるものの、口に出せない緊迫した冷えた空気が留まっていた。


「なんで追ってきたの?」

「お前のためじゃない、ラッシュの身体を思ってのことだ」

ルースとマティエ。二言三言交わせながら、また黙って……また話して。

「聞いたよ、エッザールといい関係らしいね」

「お前には関係ないことだ」

あああ……なんかもう聞いてるこっちの方の胃が痛くなってきた。

「なぜ私にこのことを知らせなかった?」

「…………」ルースも、そしてジールやエイレもうつむいたまま。

ヤバいな。つーかこの女マジでトラブルメーカーだな。


「なんでお前ら二人、そこまで険悪なんだ?」

「「……」」ほら、今度は揃って黙りやがったし。

つーかこの前までずっといい関係だったし、何がどうしてこんな口も聞かなくなったんだか。

「あんまりよく分からないんですが……もしかしてお互いに好きな人ができちゃったとか、でしょうか?」

そんなエイレの一言に、二人の身体がビクッと震えた。

なるほどな、図星ってやつか。

「ぼ、僕は……マティエ以外思った人はいなかった……さ」

「じゃあなぜ助手のタージアと日ごと寝食を共にしていたんだ?」

「ずっと一緒じゃないさ。僕はずっと彼女の手助けをしていたんだ!」

「手助けとは……なんなんだ、言ってみろ」


言われるがままにルースは話した。

一応、タージアが王子に求婚されたって事は知ってはいたが……話はまだまだ続いていたんだ。

つまりは、ルースが彼女の人間恐怖症を克服すべく努力していたことを。

「間違いないのだな……」

「ああ、聖ディナレに誓って。僕はタージアの心を開く手ほどきをしてあげただけさ。断じて君を見限るような行為はしていない」


それ以降しばらく、マティエは口を開くことはなかった。

勘違いのすれ違い。ってことなのかな……


まあいいか、早くこの雪……解けてくれねえかな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る