第153話。闘技場の違い
「・・・そうか。解った。では行こうか」
メルさんは私に手を伸ばし、また腕に抱えてから団長さんへと近づいていく。
リズさんはその後ろを静かについて来て、彼女も一緒に来るつもりの様だ。
何時もなら少し緊張するけれど、今日はそれがとても心強く感じる。
「団長、では、失礼します」
「ああ」
短く言葉を交わすと、メルさんはくるっと回って鍛練場を後にする。
ただ後ろからリズさんが追って来てるからだろうか。彼の歩幅は小さい。
彼女が疲れないであろう速度で、かつ私を揺らさない様にゆったり歩いて行く。
「闘技場まで徒歩で行けなくもないが、流石に少し時間がかかる。車を使う」
「はい。じゃあ犬達に、お願いしないと、ですね」
「犬? ああ、そうか。魔獣領は魔獣犬が主流か」
「こっちは、違うん、ですか?」
「居ない訳ではないし、魔獣犬の方が扱いやすいだろうが、貴族や騎士は大体地竜を使っているな。魔獣犬も遅くは無いが、地竜と違って能力にばらつきがある。足並みを揃え難い」
『成程。集団戦を考慮して、同等能力の獣を使っているという事か』
地竜ってたしか、王女様の車を引いてたトカゲの事だよね。とても速かった子。
トカゲ達ってそんなに差が無いって事は、皆あれぐらい速いんだね。
「それにどうも魔獣犬は、魔獣の多い地域でないと成長が悪い傾向がある。勿論それもばらつきがあるが、王都で育った魔獣犬は大体が小さく、騎兵に使うには心もと無い事が多い。だが地竜はその影響がなく、逆に弱い個体が生まれる方が稀だ、というのが大きいだろうな」
『・・・変異の影響を受けやすい地域の方が、強く育つという事か。魔獣領に犬が多い訳だ』
魔獣領には森に入れば魔獣が沢山居る。けど他の所ではそんな事は無いらしい。
つまり魔獣領以外の地域では、犬達はあんまり元気に育つ事が出来ないのだろうか。
「元気、無いん、ですか? この辺りの、犬は」
「いや、体力的な問題は無い。体躯が小さくなる傾向があるだけだ。元気に育つし、病気になる訳でもない。故にペットとして買っている家も多いな。後は軽めの荷運びの為か。大きな魔獣犬をよそから買い取って使っている所もあるな」
そうなんだ。別に元気が無い訳じゃないのか。それなら、心配ないかな。
「じゃあ、ここまで運んできてくれた子達は、大丈夫、ですね」
「ああ、それを心配していたのか。大丈夫だ。何も問題は無い」
思わずホッと息を吐く。だって頑張ってくれたのに病気になるとか嫌だもん。
それなら犬達には留守番して貰って、自分で走った方が気が楽だ。
「ああそうだ、後は貴婦人が服に毛がつくのを嫌がるのも、魔獣犬を使わない理由か」
「そういえば、そうらしい、ですね」
「君は気にしなさそうだな」
「はい。ふわふわで、気持ち良い、ですよ?」
「ふふっ、そうだな」
そこでメルさんが笑顔を見せ、私も少し安心して笑顔で返す。
すると彼は優しく頭を撫でてくれて「良かった」と小さく呟いた。
何の事だろうと首を傾げている内に足は進み、暫くして犬達が居る場所に出た。
「ならば今日は魔獣犬を借りるとしよう・・・良いか?」
「構いません。グロリア様がお望みならばと、リーディッド様は申されるでしょう」
「そうか、助かる」
メルさんは後ろをちらりと見て訊ね、リズさんがそれに肯定を返した。
つまり闘技場まで犬達に連れて行って貰うという事だろうか。
多分そうだと思っている内に、メルさんは繋がれている犬に近付く。
犬は私達の接近に最初から気が付いていて、お座りをして大人しく待っていた。
その頭をメルさんがポンと優しく叩き、それから私を地面に降ろす。
私は私で犬に抱き付き、わしゃわしゃと撫でてあげた。犬はうれしそうだ。
「車の用意を頼む。闘技場までコイツを使う」
「はい、畏まりました」
メルさんが近くにいた男性に告げると、チラッとリズさんを見てから動いた。
彼はここまで御者をやってくれた人で、犬の世話もしている人だ。
だから本当に良いのかと、そういう意味を込めて彼女に視線を向けたんだと思う。
車の場所に犬を連れて行き、バサバサと尻尾を振る犬を車に繋げていく。
今日は二体の犬が繋げられ、二体とも嬉しそうに御者さんにすり寄っていた。
走るのが好きらしい。でも車を引くのはもっと好きらしい。
子供の頃は全力で走る事しか出来ず、訓練で車を引き倒してそのまま走ったそうだ。
満足した頃にはボロボロな車が出来上がり、叱られて一日小屋の端っこで拗ねていたとか。
そんな話を色々聞かせて貰った事もある。今ではお利巧さんな可愛い子だとも。
「宜しくね」
「わふっ」
「わん!」
声をかけて抱き付くと二体とも応えてくれて、私の顔をぺろぺろ舐める。
そしてその後すぐにリズさんが私の顔を拭いて、車に乗る様に促して来た。
もうちょっと撫でたかったな、と思いつつも言われた通り車に乗り込む。
メルさんは最後に乗り込んできて、私を見つめてクスッと笑う。
「毛だらけだな」
「あ・・・えっと、メルさんは、毛がつくの、嫌ですか?」
「魔獣の血肉を被る様な職に就いているんだ。魔獣犬の毛程度を気にする事は無い」
「そう、ですか。よかった」
「・・・ああ、そうだな」
私が安堵の言葉を漏らすと、何故かメルさんも嬉しそうに目を細めた。
何だかさっきから彼の機嫌がいい。もしかして彼も犬達が好きなのかな。
可愛いもんね、あの子達。もふもふで気持ち良いし。
その後は無言が続き、けれど特に緊張感などは無い穏やかな時間だ。
そ暫くすると何だか外がとても騒がしくなり、その後少し静かになった。
けれど遠くに歓声は聞こえる。それは、とても、聞き覚えの有る、声が。
「・・・闘技場に、ついたん、ですね」
「ああ・・・」
この歓声は、熱の在る声は、戦いの気配は、間違い無く私の知っている世界だ。
そう思うとさっきまでの穏やかな気持ちが消えていく。心が、戦う前に、戻る。
けれど違う。今日は戦いに来たんじゃない。だから今日は、今日だけは、落ち着け。
「・・・いけるか?」
「はい。いき、ます・・・!」
思っていた以上に力の入った声音で応えて、メルさんに手を引かれながら車を降りる。
説明を聞くとここは貴族用の駐車場らしく、ここから貴族用の観覧席に向かえるらしい。
御者さんに此処に通れるようにと、メルさんが何かを渡していたそうだ。
「ここを登れば観客席に行ける。行こうか」
「はい」
自分で登るつもりだったけど、メルさんはまた私をすっと抱えた。
もしかして抱えるの好きなのかな。そんな気がして来た。
子供には泣かれるって言ってたし、その分を私で楽しんでいるのかも。
ならされるがままになっておこうかな。別に嫌な訳じゃないし。
そう思い彼の足に任せ、闘技場の階段を上り、段々と歓声が強くなっていく。
「ここが、この国の闘技場だ」
「・・・ここ、が」
そうして足を踏み入れた闘技場。眼下に広がる戦いの場。
けれどその戦いは、私の思っていた物と、まるで違うものだった。
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