第18話 それぞれの心





「ねね、ヒルグリフは始めてでしょ? 一緒に行こ!」

「……ん」

「なあ、レオン。俺の水筒見てない?」

「……」

「ちょっ、無視ィ!?」

「オウルうるさい!」


 パチャリパチャリ、と。

 桶の中に入っていた水が飛沫を上げる。

 幾度いくたびもゆすぎ、大きな汚れを落としてから隣の桶にお皿を入れる。

 後ろからは食事を終えて、出掛けようと支度をするミリア達の声。

 そんな中、一人残って後片付けをするミーシャの顔は、どんよりとした影に覆われていた。


(私……最低だ)


 ほんの小さな好奇心で尋ねた疑問。

 それに対して返ってきたのは、どんなに悔いても悔やみきれないような答えだった。




 ――……死んだ




「……っ」


 いつまでも。

 耳から離れようとしないその言葉に、思わずミーシャは歯噛みする。

 新しく友達になれそうな子がやってきて、気分が高揚していたのは間違いなかった。

 けれども、それでも。

 超えてはいけない一線を越えてしまったような罪悪感。

 それを、ミーシャはどうしても拭うことができなかった。

 だからだろう。




「あっ」




 ツルリ、と不意に走ったのは嫌に滑らかな感触。

 それを覚えたミーシャは、手元が狂ったのだとすぐに気付いた。

 しかし、目の前で起きた光景に理解が追い付かない。

 皿が、ゆっくりと、下に落ちて――


「おっと」

「っ!?」


 不意に伸びた手がその皿を掴んだ。

 驚いたミーシャは目を開いて体を大きく跳ねさせる。

 しかし、その驚きはすぐに落ち着いた。


「やっぱり、やらかすと思った」

「あ、オウルさん……?」


 いつの間にか背後に立っていたオウルに目を白黒させるミーシャ。

 そんな少女を前に、皿を指先で器用に一回りさせたオウルは、それを押し付けるように差し出した。


「ほいよ」

「あ、ありがとうございます……」


 手渡された皿を、恐る恐るに受け取る。

 それから皿洗いを再開しようとしたミーシャだったが、


「え?」

「ん?」


 出掛ける、と思っていたはずのオウルが隣に並んでいた。

 そのことに戸惑ったミーシャは、躊躇ためらいがちに口を開いた。


「あの、先に行ってても大丈夫ですよ? いつもやってますし……」

「いやいや、今のを見て大人しく行けるわけないだろうて」

「うっ……」


 痛いところを突かれ、ミーシャの口から苦虫を噛み潰したような声が上がる。

 それを見たオウルは呆れたような溜め息を吐きながら、自分の袖をまくった。


「まあ、いつも任せてばっかで悪いなー、とは思ってたからさ。パパッと終わらせて皆で遊ぼうや」

「す、すいません」

「いいってことよ」


 そう、言うが早いか。

 桶の中に手を突っ込んだオウルは、慣れた手付きでパシャパシャと皿を洗い始めた。


(うわ、早い!)


 流れるように洗われた皿が、小さな音を立てて重ねられる。

 横でそれを見ていたミーシャは驚くのも束の間、すぐさま頬を叩いて濡らした。


(私ももっとしっかりしないと!)


 まだ暗い心はくすぶっている。

 しかし、隣に立つ青年の姿に少しの明るさを取り戻したミーシャは、負けじと汚れた皿に手を伸ばした。




 ☆☆☆




 ミリアたちが出掛け、静まり返った部屋。

 元から多くなかった皿はその数を減らし、終わりが目に見えてきた。


(あともう少しで終わりだ!)


 あれから隣で手伝ってくれているオウルは、意外にも無口だった。

 無論、水を替えたりする際に尋ねてきたりはしたがそれだけだ。

 普段とは違い、冗談を飛ばすことなく真剣な表情で家事をこなす姿は思いのほか格好いい。

 と、ミーシャが逸れた考えをした――その時だった。


「エリエと何かあったのか?」

「……ふぇ?」


 桶から取り出された皿が小さな水を滴らせる。

 唐突な質問に虚を突かれ、目を丸くしたミーシャへオウルの蒼い瞳が向けられた。


「食事が終わった辺りから様子が変だった」

「そ、そうですか?」

「明らかに心ここにあらず、って感じだったからな。多分、ミリアも気付いてたぞ」

「え、ミリアちゃんも?」

「あぁ、チラチラとミーシャのことを見てたからな」

「そ、そっか……」


 きっと、オウルの言う通りだろう。

 ミリアは勉強こそ苦手だが、こういった機微には鋭いことをミーシャは知っている。


「気になっただけだから別に言いたくないならそれでいい。けど、話せるなら話して欲しい。……エリエと何があったんだ?」

「……」


 いつものような穏やかな語り口ではなく、少し厳しめな口調。

 思わずオウルから目を逸らしたミーシャは、手前にあった桶の汚れた水に自身の顔を映した。




 ――……死んだ




(エリエちゃん……)


 やはり、彼女の放った言葉は耳から離れていない。

 水面に映った自分の顔が暗いのは部屋が薄暗いから、というだけではないのだろう。


(オウルさんなら……話しても大丈夫かな)


 みにくく見える自分の顔をしばらく見つめて。

 深く呼吸をしたミーシャは、意を決したように重くなった口を開いた。


「実は……」




 ☆☆☆




 ミーシャたちが皿洗いを終えた頃。

 一足先に外へ繰り出したミリアとレオンとエリエの三人は、この街の入り口とも言える場所――ヒルグリフの大通りへと来ていた。


「……ぉお」

「どーよ! すごいでしょ?」

「……ん」

「いや、無理に答えなくてもいいんだぞ?」

「レオン、うっさい!」


 呆れたように口を開くレオン。

 対して、無い胸を張っていたミリアは一転してレオンのことを睨みつける。

 その傍らで。

 瞳を輝かせたエリエは、小さな世界に映るモノを詰め込むように目線を走らせていた。


「……おぉ」


 土じゃない地面には、見たことのない四角い物がたくさんあって。

 木じゃない物で建てられた家は、見たことのないような色をしていて。

 馬が引っ張る変なモノには、人や物がたくさん載っている。


(これが……街……!)


 家と家の間にある細くて暗い道は、動物が通る獣道か何かだろうか。

 道に並んだ壁のない小さな台所は雨が降っても大丈夫なのだろうか。

 そんなことを思いつつ、始めて見る景色に魅せられていたエリエを引き戻したのは、訝し気な目をしたミリアだった。


「んっ!?」

「ちょっとちょっと、ボケ―ってしてたけど大丈夫?」

「………………大丈夫」

「そう? ならいいんだけど」

「…………」


 つつかれた脇腹を撫でながらミリアをジッと見詰めるエリエ。

 だが、ミリアは相変わらずの何食わぬ顔。

 そんな二人の元へ、両手に串を握ったレオンがやってきた。


「おーい、何とか値切って安くしてもらったぜ」

「ホントっ!? やったー!」

「あ、おい! 勝手に取ってくなよ!?」

「……ん」

「え、あ、えっ、おい!?」


 両手の串を全部取られ、戸惑うレオン。

 しかし、


「んー! おいひいね!」

「……ん!」


 油滴る熱い肉と、焼けて甘味を増した野菜。

 それを口いっぱいに頬張ったミリアとエリエは、互いに顔を見合わせると、嬉しそうに笑う。




 こうして、エリエの初めての街探索が幕を開いたのだった――



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