第43話 那由他視点 もう、限界

「最近帰るの早すぎだろ! いっつもなにしてんだよ。折角一緒に遊んでやろうってのに! 今日はチャンバラごっこするから来いよ!」


 クラスメイトの田中君がそう言って私の手を強引に掴んだ。全然仲良くないのに、私がお母さんと血がつながってないって噂になって、学校にいる間はおしゃべりしてた女の子たちに無視されるようになってから、田中君がやたら私を誘うようになったのだ。

 はっきり言って、迷惑だし遊びって言っても嫌なことばっかりする。女の子みたいに血がつながってないおかしな家の子とか、そう言うひそひそ悪口を言ったりはしないけど、普通に痛かったりする。


 千鶴さんと初めて会った時だって、中庭の掃除の時間にふざけて水やりホースで水をかけあってて、関わらないよう端っこにいたのに私にまでわざわざかけてきた。寒かったし、しかも先生に私まで一緒に遊んでたと思われてすごい怒られたし、本当に最悪だった。私は大きいからそのままだと変な目で見られるから帰れないし、乾くのを待つ間神社で時間をつぶしてたら雨が降って、千鶴さんに出会えたのだけはよかったけど。


 嫌だし断りたい。と言うか普通に、友達と約束してるから嫌だって言ったのに、むりやり剣を渡してくるし、逃げようとしたら回り込んで叩いてくる。小学校側の裏から神社に入って素通りし、大学の方に行って逃げようとしたのについてくるし、下手に広さもあって誰もいないから逃げられなくて泣きそうだった。


「こらー! 何してんじゃクソガキども!」


 そんな中、千鶴さんが現れた。千鶴さんは田中君を散々ビビらして追っ払った。格好良くて、嬉しくて、でも、ばれてしまった。ずっと隠していたのに。田中君たちと同じ制服を目の前で着ているのだ。さすがに隠しきれるものではない。


「う……うわぁぁん! ご、ごめ、ごめんなさいぃ」


 ちゃんと説明して謝らなきゃいけないのに、怒られたり失望する言葉が怖くて、私は泣きじゃくってしまった。そんな私を千鶴さんは優しく慰めてくれて、少しずつ気持ちが落ち着いていった。 

 大丈夫。もう、初めの頃とは違うんだ。私たちは恋人になっているんだ。小学生だと知られても、こうして優しくしてくれているし、もしかしていったん恋人はやめようってなったとしても、ちゃんと一緒にはいてくれるはずだ。


「う、ご、ごめんなさい、千鶴さん」


 そう自分を奮い立たせて、涙をぬぐいながら謝る私に、千鶴さんは頭を撫でてくれながら笑顔を向けてくれる。


「うんうん。大丈夫だからね。さっきの子たち、那由他ちゃんの近所の子とか? いつもあんな風にいじられてるの? 言ってくれたらいつでも追い払うって言うか、親御さんに文句言った方がいいよ。一緒に行ってあげる」

「き、近所と言いますか…………」


 あ、あれ? もしかして、まだ気づいてない? え、だって、男女で制服がズボンとスカートって言っても、基本デザイン同じだし、私はベスト着てるとはいっても、えっと、校章とか同じだし、え? まだ、気づいてないんだ……。


「えっと、あの……く、クラスメイトです」


 一瞬、誤魔化してしまおうかと思った。だけど千鶴さんの顔をみて、その目をみて、これ以上は限界だと思った。いつかはこんな日が来るとは思っていたのだ。それがたまたま今日だったんだ。来年、中学生になったら制服が変わることの言い訳だってなんにもない。ほんの少し、早まるだけだ。


「え? ……く、倉田メイト君って名前なのかな?」

「……い、いえ。あの、同じ小学校の、同じクラスの人です」

「???」


 一瞬も考えたことないって顔をしている千鶴さんに、私は少しだけおかしくなってしまって、残った涙がまた目じりから落ちるのを感じながら少し笑った。

 千鶴さんは目を見開いてから、髪を撫でていた手を下して私の頬を撫で、まじまじと私に顔を寄せて、ごつっと頭をぶつけてから顔を離した。


「あの、那由他ちゃん、小学生だったの?」

「……はい。嘘をついて、すみません。私、小学生に見えないみたいで、大きすぎて、変って思われたくなくて」

「あぁ。いやいや、そんな、変なことは全然ないし、その、嘘って言うより、私が先に勘違いしちゃってたもんね。そりゃ言い出しにくかったよね。ごめんね」

「い、いえ! そんな、そんな……」


 言い出す機会なんて、いくらでもあった。まして仲良くなるにつれ、私は積極的に嘘をついたのだから。なのに、わかってるだろうに、千鶴さんは優しく微笑んで、そっと私から手を離した。座って慰めてくれている間からずっとまわしていた、私の腰の手はそのままに、左手で自分の顔を覆い、ゆっくり前屈姿勢になって膝に肘をついた。


「……」


 沈黙が、苦しい。息がつまりそうだ。いつもなら、二人で黙ってたってなにも辛くないのに。今、千鶴さんが何を考えているのか全くわからない。優しい言葉をかけてくれたけど、本当は怒ってる? それとも、恋人になったことを、後悔してる?


「那由多ちゃん、まず、場所変えよっか。予定通りうちに行こ。てか、シャワーあびるつもりだったのに汗だくで抱きついちゃったのごめんね。離れるよ」


 ふいに声をあげた千鶴さんは、落ち込むように丸まっていたのが嘘のように明るい声をあげて立ち上がった。


「あ! い、いえ……い、いい匂いです。私は、好き、です」

「そ、そっか……まあ、でも、とりあえず、帰ろっか」

「はい」


 千鶴さんと少しでも離れたら、もう二度と、近づけない気がして。私はぎゅっと千鶴さんに抱きついた。きっと歩きにくいだろうに、千鶴さんは文句のひとつも言わずに歩いてくれた。


 千鶴さんの家についたら、部屋で待つように言われてシャワーに行ってしまった。ほんとに汗くさいとは思わなかったけど、確かにおでことか汗で髪がくっついてて気持ち悪そうだったから仕方ない。

 仕方ないけど、とても心細かった。千鶴さんとこれからどうなってしまうのか。何もかもが変わってしまうのか。わからなくて膝をかかえて待った。


「お待たせ、那由多ちゃん。時間かかってごめんね」

「い、いえ。仕方ないですよ」


 戻ってきた千鶴さんは急いだのか髪も全然乾いてなくて、でも隣に座られるといい匂いがして、なんだかどきっとしてしまった。そんな場合じゃないのに。

 だけどさっきまでの驚きと戸惑いでどこか固かった千鶴さんの表情は柔らかくなっていて、ほっとする。


「あの、改めて、本当にすみませんでした。本当なら、最悪でも恋人になる前には言うべきだったと思います。でも……」


 むしろ私は、騙したまま恋人になろうとした。なってしまえば、千鶴さんは優しいから突き放せないと思って。だけど恋人になって、過ごせば過ごすほどもっと千鶴さんを大好きになっていった。知れば知るほど、千鶴さんの全部が好きになっていった。

 そうして好きになるほど、私の胸は時折ひどい罪悪感に襲われた。大好きだからこそ、千鶴さんが私にちゃんと向き合ってくれるからこそ、嘘をついているのが辛くなった。

 だからこうして、私は結局自分から明かしたのだ。何もかも中途半端だ。そう思って、はっとした。


 お母さんも、おんなじ気持ちだったのかな。全然、違う話だったかもしれない。でも、そんな風に思った。だったらやっぱり、私にできるのは、謝ることしかない。


「那由他ちゃん、顔をあげて」


 申し訳ない、と言う気持ちは自然と私の頭をさげさせていたのだけど、千鶴さんの優しい声に私は頭をあげた。千鶴さんはとても自然な、いつもと何も変わらない微笑を向けてくれていた。


「私こそ、ごめんね、那由他ちゃん。黙ってたから不安にさせちゃったね。確かに驚いちゃった。動揺はした。うん、でもね、何にも変わらないよ、那由他ちゃんのことは大好きだし、私たちは恋人だよ」

「ちっ、づるさっ」


 優しく抱きしめられながら言われて、私はさっき散々泣いたのに、また泣いてしまった。どうしてそんなに優しくしてくれるのかわからない。怒ることもないなんて。嬉しくてたまらなくて、どうしようもなく苦しいほどだ。


「なっ、なんで、なんで、怒らないんですか?」


 思わず泣きじゃくりながら尋ねる私に、千鶴さんはハグをやめて肩をぽんぽん叩いて慰めてくれる。


「……だからね、怒るようなことじゃないんだよ。那由他ちゃんはどう? 私が実は30才だったら嫌いになる?」

「そ、そんなこと、ありません」

「うん、まあね。那由他ちゃんもわかってるだろうし正直に言うけど、小学生と大人が恋人になるのは悪いことなの。犯罪です。でも、関係ないくらい大好きになっちゃったから、恋人はやめたくないの。ごめんね、悪い大人で」

「千鶴さん……嬉しい、です」


 そう言ってほしかった。恋人のままでいたかった。小学生だけど、大人にはほど遠いけど、千鶴さんへの思いだけは大人にも負けないと思うから。千鶴さんのことを諦めたくなかった。だけどそれは、私の気持ちだけではどうにもならない。

 千鶴さんが私を怒らなくても、どんなに優しくても、今のままではいられないと思ったから。でも千鶴さんは、悪い大人になってでも私と恋人でいてくれることを選んでくれた。嬉しい。嬉しくてたまらない。


「うっ、うう」

「泣かないで、那由他ちゃん」


 涙がとまらない私に、千鶴さんはそっと顔を寄せて、頬にキスをしてくれた。涙が当たり前みたいに、すっととまった。千鶴さんがすること全部、魔法みたいだ。夢みたいに、何もかも私を幸せにしてくれる。

 千鶴さんと見つめあうと、ついさっきまで不安で心が寒いくらいだったのが嘘みたいに、胸が温かくなる。ううん。そんなのとっくに通り越して、熱いくらいだ。だけどまだ足りない。もっともっと、熱くなりたい。千鶴さんとなら、溶けても構わない。


「……千鶴さん、もう一回、してください」

「あー、その、ごめん、思わずしちゃったけど、これからはもう、挨拶のちゅーもしないようにしよう。今度こそ、那由他ちゃんが大きくなるまで清い関係でいよう」

「……」


 気まずげに目をそらし、千鶴さんはそう言った。清い関係って意味、今もよくかわってない。だけど、キスどころか、挨拶のちゅーもできないなんて、そんなの、ひどすぎる。もう私は、千鶴さんと触れ合って唇をあわせる喜びを知ってしまってるのに。

 あんなにドキドキして、楽しくて、幸せで、気持ちがいいことを。大人になるまでなんて。いったい何年お預けになってしまうのか。そんなの、我慢なんてできない。


「千鶴さん、私の為に、悪い大人でいてくれるんじゃないんですか?」

「うっ……そ、それは言ったけど」

「だったらもっと、私と一緒に、悪い子になってください。大好きです」


 私はそう言って、困った顔をしている千鶴さんに顔を寄せた。手で千鶴さんの頬に触れる。両手で包み込むと小さくて、なんて可愛らしいんだろうって思ってしまう。この、強くて格好良くて、でも可愛らしくて優しい人。今、私の傍にいて、手の中にいてくれる幸せ。


「……」


 そのまま顔を寄せる私に、千鶴さんは何も言わなかった。そっと、唇が触れた。

 今度こそ、何一つ嘘のない、心からの恋人としてのキス。そう思うと幸せで胸が張り裂けそうで、私はまた、泣いてしまった。

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