第28話 ふわふわ浮かれる

 恋人になった。それだけでなんだかフワフワしているような気持ちだ。那由他ちゃんの家から帰ってからも、不思議なくらい地に足がついていないと自覚はしていた。

 その上で、どうすれば元の感覚になるのかわからないくらい、まるで酔っ払っているかのように落ち着かない、自分が自分じゃないかのような夢の中のように力の入らない感覚。これをどう表現すればいいのか。

 ただわかるのは、凄く幸せだと感じる。こんなにも、恋とはいいものだったのか。そんな風にも感じる。どうして恋に落ちるって言うんだろう。こんな風に、天にも昇るような気持ちなんだから、恋に浮き上がるでもいい気がする。


「千鶴? あんたどうしたの? 頭でもうった?」

「え、なに?」


 帰宅して少しでも落ち着こうと台所でお茶を入れて飲んでいると、ちょうど顔をだした姉が怪訝な顔で声をかけてきた。普通に心配している雰囲気さえあるので首をかしげと、姉は冷蔵庫をあけながらあきれ顔を向けてくる。


「いや、変な顔してるから。ニヤニヤして。変な顔してるから」

「二回も言わないでよ。そんな顔してた?」

「今もしてるけど。いいことでもあったわけ? それかマジでうったの?」

「いや……まあ、いいことはあったよ」


 どうやら浮かれたままに、相当なにやけっぷりだったらしい。別に恋人ができたことは隠すことではないけど、恥ずかしいし、年下の那由他ちゃんをたぶらかしたとか言われたくないので隠しておこう。女同士も数年前から法的に認められてるとは言ってもまだ偏見もないでもないし、姉がどういう主義者か知らないしね。


「へぇ、なに?」

「んー、なーいしょ」

「は? きもいな」

「きもくないし。はー。これだからお姉ちゃんはモテないんだよ」

「あんたに言わ、ああん? さてはお前、恋人できたな!?」

「ノーコメ、んじゃま」


 ぐわっと食いついてきた姉の魔の手からのがれ、カップは流し台に放置して部屋に自室に入った。追いかけてはこなかったけど、めっちゃスマホに送ってくる。手を抜いてくる。そういうところなんだぞ、と私は心の中でどや顔して通知をOFFにした。


 さて、夕食時にみんなのまで問いただすほど姉は性格終わってないはずなのでこのまま無視していいとして、那由他ちゃんについて考えるか。


 那由他ちゃんと恋人になれた。とってもハッピー、ではない。いやハッピーだけど、それで終わりではなくて、こう、これからのことだ。


 那由他ちゃんには幸せになってほしい。すぐにはあれだけど、いずれはご家庭の問題も詳しく知ったうえで慰めたい。さすがに解決したい、と言うのは言っても無理だろうけど、知ってるか知ってないかで、言葉の重みは変わるだろうし。

 那由他ちゃんにお勉強を教えるのはもちろん継続していくけど、料理を教えるとかもしたほうがいいのかも。那由他ちゃんが望むならいくらでも食べさせてあげたいけど、やっぱり家でぱっと作れるほうが楽だしね。


 あとは那由他ちゃん育成計画的な意味じゃなくて、普通にどんな感じに付き合っていこうかってことも考えないとね。

 清く正しいお付き合いで今度那由他ちゃんと交換日記を買いに行く。手を繋ぐとか腕を組むとか、そのくらいはセーフだけど、この間みたいに同じ布団で寝るのはよくないよね。純粋に一緒に寝るだけとはいえ、私もやっぱり関係が変われば意識も変わるしね。

 今日の話し合いで、あれをやろう、こんなこともしたいね、みたいなことはたくさん話したけど、それもどこかふわっとした感じだ。ちょっと文章化してまとめておこう。


 折角色々話したのに、これでは今のところ一番強い印象が、恋人になったばかりの那由他ちゃんと一緒にいた。幸せ。になってしまう。私は席について本日の振り返りをメモした。今度から交換日記をつけるなら、その練習にもいいだろうしね。

 考えたら私、日記なんてつけたことないや。大昔に夏休みの日記が宿題であったけど、何を書いたのか全く記憶にない。絵日記だった気がしないでもないけど、絵を描いた記憶すらない。自分の記憶力が恐ろしい。


「ん? ……!」


 なんてことをしていると那由他ちゃんからの連絡がきたので飛びつくようにスマホを手に取る。

 那由他ちゃんから、今何してますか? お話しできますか? の可愛らしい問いかけに、私はメモはほったらかして即答するのだった。


 そんな感じで翌々日、那由他ちゃんとのデートの日まで私の浮かれっぷりは続くのであった。









「よし! 満点だよ、那由他ちゃん!」

「わ、ありがとうございます!」


 諸手をあげて祝福する私に、那由他ちゃんは小さくぱちぱちと指先だけで拍手をしながらお礼を言った。約束の交換日記帳を買いに行くのだけど、予定通り勉学も行うため、本日は朝から目標達成を第一に勉強していたのだ。

 さすがに勉強モードになれば私の浮かれ具合も鳴りを潜め、二人していつもより静かに固い空気で粛々とお勉強していたが、ついに本日の予定を達成したのだ。一気にテンションも戻ると言うもの。


 私は答え合わせを終えたノートを勢いよく閉じて参考書と一緒にまとめ、那由他ちゃんに向ける。那由他ちゃんも笑顔で鞄を構えてくれたのでそこにシュ―トだ! わー! やんややんや!


「よし! じゃあちょっと早いけどお昼にして、お出かけしようか」

「はい! えへへ、で、デートですね」

「うん。あ、ていうか普通に今も二人きりだし部屋にいる時もデートなんじゃない?」

「あ、そう言われると……う、あ、す、すみません。でも、なんか、そうしちゃうと、ここでお勉強、しにくくなっちゃうと言いますか」

「あー、そだね。じゃあ、お勉強時間を明確にデートではなく、家庭教師の時間としよう」


 自主勉だと時間変えたり短縮してもいいやってなってしまう可能性がある。でも那由他ちゃんのお頭の都合上、恋人になったからって勉強時間を削ってデートは絶対にダメだ。それこそ、恋人になったことで悪影響があってはいけない。

 なのでここは勉強時間をより厳格にし、デートとは切り離してちゃんと集中できるようにしよう。那由他ちゃんの言う通りだ。


「私たちは恋人だけど、こうやって勉強している時は先生と生徒。それで気持ちを切り替えようね」

「はい。お願いします。その、私の都合ですみません」

「全然、那由他ちゃんの言うことは正しいよ。それはそれとして、つまり今からは恋人なんだから、もっといちゃいちゃしようね」

「! は、はい……はい。私も、したいです」


 那由他ちゃんははにかむように一度視線をそらしてから顎をひいて私を上目遣いに見ながらそう応えてくれた。その可愛さにどきっとした私は、思わず鞄の取っ手を持ったままもじもじしている那由他ちゃんの手を重ねるように握ってしまう。


「可愛いね」

「っ……ち、千鶴さんも、か、可愛い、ですよっ」

「……ありがと」


 真正面から真っ赤な顔で言われて、謙遜はしない。本気で言ってくれてるのが分かるから。でもその分、恥ずかしい。多分私も赤くなってるんだろう。

 恥ずかしいけど、でもなんだか心地よくて那由他ちゃんから目が離せない。そのまましばし見つめあうと、那由他ちゃんがゆっくりと私がつかんでいるのとは逆の手をさらに私の上に重ねてきた。


「……な、なんだか、おかしい、ですよね」

「どうかした?」

「だって……こんな風に、顔をみたり、手を重ねたり、そんなのって、別に、お父さんとかお母さんとはいくらやっても、なんともないのに。千鶴さんとだと、それだけで、こう、ぽーってしちゃうの、おかしいですね」


 じっと私と見つめあいながらそう言う那由他ちゃんは、まるで探究者のような、なんでも疑問に思う子供のような、そんな不思議な印象を受ける。だけどその気持ちは私も同じだ。


「そうだね。不思議だよね。どうして、特別な人とはいるだけで幸せなきもちになるんだろうね」


 今までと何も変わらないはずなのに。やってることも大したことはなくて、距離だっていつもの隣で、こんなのは恋を自覚する前と何も変わっていないはずなのに。

 なのにその瞳に熱を感じ、お互いに思いを信じられるというだけで、胸の奥から熱があふれて心地よいと感じるのか。安心感にも似た幸福を感じるのか。不思議だ。だけどその不思議を、躊躇なく受け止められる。これが当たり前のことなのだと私の体は違和感なく、この幸福を享受している。

 恋なんて初めてなのに、何もかも手探りなのに、私はもう当然のこととして那由他ちゃんを愛しているんだ。その全部が不思議だ。だけど同時に自然なことだとも感じる。那由他ちゃんを愛するなんて当たり前なんだって風に。


「ち、千鶴さんも、おんなじようになってくれてますか?」

「もちろん。那由他ちゃんが大好きだから、ぽーっとしちゃうよ」

「……ぬふ、えへ、ふへへ。嬉しいです」


 可愛い。目の前に可愛い那由他ちゃんがいて、大好きで、那由他ちゃんがいてくれるだけで、大好きで愛しいって感情だけが渦巻いて、それで全て満足してしまう。このまま世界が終わってもいいとすら感じる。むしろ一生このままでいたいくらいだ。


「あ……」

「……さ、さて。じゃあ、そろそろほんとにお昼にしようか」

「は……はい。えへへ」


 幸せのあまり、普通にハグしてしまった。那由他ちゃんは拒んだりはしなかったし、引き寄せたまま普通に私の腕の中に納まってくれたけど、衝動でしてしまっただけに少々気まずい。

 と言うか、清い付き合いとか言ってるのに、いきなりはハグって。いや、ハグはセーフだけど、こう、こう、ね? やっぱもうちょい距離はあるべきだよね?


 さり気なく終わらせたけど、那由他ちゃんは嬉しそうに頷いてくれた。そんな顔されたら、今すぐにでももう一回抱きしめたくなってしまう。那由他ちゃんはほんと、魔性の女の子だよ。

 私は自分を戒めながら、那由他ちゃんと手を繋いで部屋をでて台所に向かった。そして手を繋いだのは無意識だったので、冷蔵庫を開けようとして繋いだままの手に恥ずかしくなって照れながら調理した。


 午後からはお出かけして、那由他ちゃんと一緒に交換日記帳を選んだ。その間も、暇さえあれば手を繋いでしまうのだけど、三回目くらいで諦めてずっと繋いだ。デートだしいいよね!

 最初は那由他ちゃんから書いてきてくれることになり、日記帳を胸に抱えた那由他ちゃんをマンションに送り届けた私は、那由他ちゃんの可愛さにちょっと疲れたのでそのまま駐車場でしばし反芻して休憩してから帰るのだった。

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