第13話 呼んで

 里田ちゃんは可愛らしくはにかんで、ほんの少しためらうようにわずかに唇を開く。


「は、はい。ち……ち、千鶴、さん。え、えへへ。なんだか、照れくさい、ですね」


 名前で呼んで、とお願いすると里田ちゃんは素直に呼んでくれた。さっき母に先を越されて悔しかった分、その微かな声音がじんわり胸にしみいるように嬉しくなってしまう。そしてはにかむ里田ちゃんに、何だか私まで気恥ずかしくなってしまう。


「改めるとね。でもすぐになれるよ」

「は、はい。千鶴さん。……あの、ありがとう、ございます。私、普通じゃないから、そんな風に言ってもらえて、すごく嬉しい、です」

「普通じゃないなんて、そんなことないよ。那由他って響きが好きじゃないなら、なゆちゃん、って呼ぶのはどうかな?」


 自分の名前が気に入らない、と言うのは珍しい話じゃない。ごく普通の名前でも、逆にもうちょっとしゃれた名前がいいなと思ったり、画数が少ないのがよかったと思ったり、そのくらいよく聞く話だ。

 だから気に入らないなら、いくらだっていいようにアレンジすればいい。つけてもらった大事な思いを無下にするわけじゃなく、単に愛称をつけるだけなんだから。

 だけど私の提案に、里田ちゃんは少しだけ目を閉じて考えてから、ぱっと目を開けてまっすぐ私を見つめ返して応えた。


「……いえ。千鶴さんが、おかしくないって思ってくれてるなら、そのまま那由他って、あ、よ、よかったらですけど、呼んでください」

「うん、わかった。改めてよろしくね、那由他ちゃん」


 里田ちゃんは今までのいろんな思いを踏まえて、全部飲み込んでそう言う選択を選んだんだ。偉いな。と思う。だって自分の名前をおかしいと考えるには、きっとそう誰かに言われたんだろう。名乗れなくなるくらい、泣きたくなるくらい何度も言われたんだろう。だけどそれでも、自分の名前だって受け入れているんだ。

 そっと尊敬の気持ちすらこめて手をだす。よろしくの握手だ。何となくノリでだしたその手に、一瞬里田ちゃん、もとい那由他ちゃんは目を瞬かせたけど、すぐにほころぶように微笑んで私の手を取った。


「は、はい! ……えへへ。嬉しいです」

「うん。私も。名前で呼んでくれて、呼べて嬉しいよ。じゃあこれからは、もう普通じゃないとか、あんまり言わないようにしてね。あ、普通じゃないくらい美少女、とか自虐じゃなくて自慢ならいいけど」

「い、言いませんよぉ。……あの、あのですね、でも、私、普通じゃないの、名前だけじゃないんです」

「ん? 美貌が、と言うことじゃなくて?」

「ち、違います」


 ちゃかすと那由他ちゃんはむぅと唇をつきだして怒った顔になる。それに私はついついにやけてしまう。出会った頃なら、怒った顔なんて絶対見せなかっただろう。感情を見せてくれるのはそれだけ心を許してくれている証拠だ。

 だけど当然、怒って見せているのに笑う私に、那由他ちゃんはますますぷんぷんになってしまう。


「わ、笑わないでください。もぅ。……私、その、背が普通じゃないくらい、高いじゃないですか。お姉さんの千鶴さんより大きいのって、変じゃないですか」

「かーわいいなぁ。那由他ちゃんは背が高い分、すらっとしてカッコいいし、きっと大人になった那由他ちゃんは美人になるよ。背の順なんて大学ではしないし、だーれも気にしなくなるよ」


 高校まではクラスごとで全校集会や合唱で並ぶとか、いちいち背の順でってなるので大体のクラスメイトの背の順を把握したりする。でも大学になればそもそもクラスだってないし、背の順で並ぶことなんてないので友達とどっちがどのくらい背が高いかなんてわざわざ意識することすらない。

 もちろん那由他ちゃんは背が高い方だし、みんなそう思うだろうけど、どのくらい高いんだ、なんてわざわざ考えない。もちろん二メートル超えとかなら、えー、みたいになるだろうけど、普通にモデルレベルなんだから全然あり。むしろ人数増える大学では何人かいるくらいの身長だ。おかしい、と言う範囲では全くない。そもそも高校でだって、クラス一背が高いかもしれないけど、そんな抜きんでてってほどじゃないでしょ。一つ前の子とどんぐりでしょ。気にしすぎだ。


 なのでかるーい調子で笑い飛ばす勢いでそう答えた。そんな私に、那由他ちゃんは口の端をあげてにこにこしだす。


「……えへ、えへへ。はい、千鶴さんなら、そう言う風に言ってくれるって、思って、えへへ。言いました」


 あー! 可愛い! さっきは泣き出しちゃうくらいだったのに、私だったら大丈夫と思って今度は褒められようとわざとコンプレックス言い出すとか、何それ可愛すぎる。


「ふふ。褒められたかったんだ? ならもっと褒めちゃう。那由他ちゃんほんと美少女。お姉ちゃん世界中に自慢したくなっちゃうくらい可愛い。きゃー、好き好き。世界一可愛い妹だよっ」

「わわっ、ち、千鶴さん!」


 とびかかるように抱きしめて、そのまま引き寄せて転がってしまう私に、那由他ちゃんはびっくりしたのかきゅっと身を縮こまらせてされるまま私の上にのっかった。


「よーしよしよし。可愛いねー」

「わ、わわわ」

「と、あぶな」


 そのままわしわしと那由他ちゃんの頭を撫でて愛でていると、その勢いで私の足が机にあたってしまった。そんな激しくはないし、今は飲み物も乗っていないので大丈夫だけどとっさに動きをとめる。もちろん机が倒れたりはしなくて、そっと腕の力をぬく。


「ごめんごめん、ちょっとふざけすぎたね」


 那由他ちゃんの背中にまわしてた手を離して、ぽんぽんと両サイドから那由他ちゃんの腰を叩いて起きようと促す。と言うか、腰回りもほそいけど、くびれって言うより、あばらって感じするな。胸が大きいので全体的に肉付きのいいスタイルの良さだと思っていたけど、意外とそうでもないのかな。そう言えばさっき四つん這いになった時、そんなお尻が大きい印象はなかったな。


「……」

「ん? さ、那由他ちゃん?」


 那由他ちゃんの体について思いながらぼんやりしていると、那由他ちゃんはゆっくり私の両サイドの床に肘をついて起き上がり、だけどそのまま手のひらをついて座る姿勢にはならずに、どうしてか覆いかぶさった姿勢のままじっと私を見ていた。真下から見る里田ちゃんは、相変わらずお顔は整っているのだけどなんだかいつもより熱っぽいと言うか、生の感情の圧を感じられた。

 お人形さんのような可愛さから、生々しい生きた美しさのようで、なんだかはっとさせられる。那由他ちゃんの息遣いが届く距離に、なんだか急に、心臓がうるさくなる。


「……千鶴さん、褒めてくれて、ありがとうございます。少しだけ、自信が持てる、気がします」

「そ、そっか。それはよかった。那由他ちゃんレベルなら、自分が美少女と自覚していても許されるからね。どんどん自信もってこ」


 はにかむ那由他ちゃんの可愛さに悶絶しそうなのを誤魔化すように、ついついちゃかすように言ってしまった。もちろん実際にそのくらい自信持っても許されるレベルだけど、百パーセント冗談と受け取ったようで那由他ちゃんは苦笑する。


「ふ、へへ、そ、それは、さすがに。千鶴さんが思ってくれるのは信じますけど、ないです。私にとっては、その、ち、千鶴さんのほうが、可愛いですし、美人ですよ」

「えっ」

「あ、あ、ご、ごめんなさい。お姉さんに、可愛いって言うのは、失礼でしたかね?」

「そ、そんなことはない、けど」


 か、可愛い。いやもちろん、女子同士気安く可愛いを言い合う。髪型かわっても新しい服でもなんなら小物でも、似合う可愛い、と言うし言われてきた。きたけど、他ならぬ那由他ちゃんからマジトーンで言われて照れないわけがない。

 やばい。顔が熱くなるのを抑えられない。しかもこんな至近距離なので誤魔化せない。こうなったらばれてるのはわかったうえで、直接見えないよう顔を手で覆うしかない。


 そっと、不自然さがないよう両手で自分の顔をおおった。冷たい掌でクールダウンしたかったけど、自覚以上に全身が熱くなっていたのか、全然冷たくない。むしろ火照っている。こんなに恥ずかしくなってることを自覚されられてますます恥ずかしくなってしまう。失敗したと思いつつもう手を外せない。


「ごめん、ちょっと、照れくさくて」

「……可愛い、です」

「んんぅ。こ、困っちゃうな」


 ちらっと指の隙間から片目をあけて里田ちゃんを見る。う。な、何て顔してるの。なんていうか、こう、慈しむと言うか、優し気などっちが年上かわからない顔をしているので、いつもの那由他ちゃんと違うみたいでただでさえドキドキしていたのに、妙などぎまぎが混ざってきて私のハートビートはめちゃくちゃだ。


「……」

「……」


 私が黙ると那由他ちゃんも何も言わず、でも姿勢はそのままで、じっと見つめあう。

 ……う。く、苦しくなってきた。じっと見つめあっていると、心臓がおちつくどころか、どんどんテンポがあがっていって、しんどいくらいだ。これは何の時間? なんか、これは、まずくない? なんか、変な気持ちになってしまう。


「千鶴さん」

「ふわっ、な、な、なにぃ?」

「……ふふっ。ごめんなさい、ただ、なんだか、いつもと逆だなって思って」

「う」


 急に那由他ちゃんが名前を呼ぶから思わずびっくりして変な声がでてしまって、普通に笑われてしまった。それで呆れてるとか馬鹿にされている感じではないけど、でもむしろその包み込むような微笑みに、変な感じになってしまう。


「あ、あの、那由他ちゃ」


 何を言おうとしているのか自分でもわからないまま、那由他ちゃんを呼んでしまう。その瞬間、とんとん、とノックがされた。


「ごめんねー、今いい? さっきお茶もさげてたから、お代わりの飲み物もってきたわよ。ドア開けてくれる?」

「んんん゛! ちょっと待ってー」


 めちゃくちゃ慌てて飛び起きた。なにもやましいことなんてないはずなのに、何だか冷や汗をかきながら私は母からお盆を受け取るのだった。

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