98、忘却




「忘れていた、って……」


 意味がわからなくて、私は首を捻った。


「そのままの意味だ。親父は自分が何をしに伯爵家へ行ったのか忘れていた」

「どういう……?」

「サーラが身投げしたことは覚えていた。だけど、その原因がなんだったのかを忘れてしまっていた」


 不条理なことを言うガウェインに、私はガウェイン以外の四人の顔を見る。私以外は誰も驚いていない。

 ということは、皆はガウェインからこの話を聞いたことがあるのか。


「信じられないだろうが、俺にもまったく同じことが起きた。親父に何をしたんだと怒鳴り込んだのに、リリーナに会った途端に……何を言おうとしていたのかわからなくなった」


 ガウェインは一度言葉を切って溜め息を吐いた。


「……レオナルドに怒鳴られるまで、本当に忘れていた。そのレオナルドも、リリーナと顔を合わせた途端、言葉を失って怒りを忘れてしまった」

「どうして……」

「わからない。ただ、それからも何度も似たようなことがあった。リリーナが何かをやらかして、それを咎めようとすると、何を言うつもりだったのか忘れてしまう」


 ガウェインはずっと俯いていた顔を上げてナディアスを見た。


「学園に入学してから、リリーナは公爵家の嫡男の周りをうろつくようになりました」


 ガウェインから後を引き取って、ナディアスが説明を始めた。


「私やアルベルト様も何かと付きまとわれましたが、一番執着されたのはヒョードル様ですね」


 ナディアスの言葉に思わずお兄様を見ると、お兄様は肩をすくめて首を振った。


「彼女は私達に近づく女生徒に攻撃するようになりました。それを咎めようとすると、ガウェインが言うように、何を言おうとしていたのかわからなくなる。そんなことが何度もありました」

「捕まえようとして探しても全くみつからないなんてこともあったな」


 アルベルトも同意した。


「リリーナと顔を合わせなければ、忘れたことを少しずつ思い出してくるんだ。だから、サーラのことは思い出せた。でも、そのことでリリーナに詰問しようとすれば、また忘れちまうだろう」


 ガウェインは頭を抱えて唸った。

 私は混乱しそうな頭で何とか聞いた話をまとめようとした。


「つまり……リリーナ様を糾弾したり捕まえようとすると、リリーナ様にとって都合の悪い記憶を消されてしまう、ということですか?」


 レオナルドがリリーナのことを「薄気味悪い」と言っていたのはそれが原因なのか。

 そして、つい先ほどのレベッカとの会話を思い出す。

 噂自体は覚えているのに、噂を吹聴した人間が誰かを忘れていた。


「そうだ。人を使って捕まえようとしても無駄だった。俺はアルベルト達にも全てを打ち明けて協力を仰いだ。なのに……四大公爵家が力を合わせているのに、いまだに伯爵にもリリーナにも手を出せずにのさばらせてしまっている」


 ナディアスが俯いたガウェインの肩に手を置いて口を開いた。


「彼女に手を出せない以上、せめて被害者を減らすようにしか出来ません。我々は、リリーナ嬢を刺激しないように、学園にいる間は特定の女性と親しくならないようにすると誓いました。守る手段がない以上、大切な女性を傷つける危険は冒せないですから」

「アルベルトとヒョードルには申し訳ないな。もうじき卒業だっていうのに……家族も心配しているだろう?」


 ガウェインが申し訳なさそうに言うと、アルベルトは苦笑いを浮かべ、お兄様は天井を仰いだ。

 彼らに婚約者がいないのはそのためだったのか。

 判明した事実に、私は混乱してくらくらする頭を押さえた。


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