リーガル・アンド・トクシック

「あれ、また来てくださったんですか。有難いですなぁ」

 切れ目で、けれど優しい顔をした人が嬉しそうな笑顔でそう言うものだから、私もつられて笑顔になってしまった。強めの訛りが抑えきれていない喋り方も、右目近くのその黒子も、笑うと目元に寄る皺も、全てが愛おしい。その声が大気を、そして鼓膜を揺らす度に、幸福が溢れ出してゆく。乾杯して飲んだその甘いカクテルに蕩け落ちてしまえるだろう、そう思うほどに私は彼に酔いしれていた。



 金を払って外に出る。



 繁華街を抜け、独りふらりとコンクリートを叩いてゆく。帰りのコンビニでいつもの酒と煙草を買い、アパートへと歩みを進める。

 扉を開いて荷物を投げる。乱雑に置かれたままの布団の上に腰掛け、発泡酒に手を付ける。炭酸の音が、やけに空虚に部屋を満たす。後は小さく時を刻む時計。無機質な音がやがて空気を呑み込んでいく。程々に冷えた麦酒は程々に美味かったが、感銘を受ける程では無かった。やがて煙草に火を付け、部屋の中で吹かしてやる。

 煙が充満するよりも前に窓を開けると、午前零時の冷気が私へと牙を向いた。身震いして、ほんの少しだけ開けたままにする。灰皿に白い灰が積もっていく。

 酒も煙草も金がかかるし、身体にただ負担をかけるだけの嗜好品であると知っている。知っているのだが、それを理解しているイコール止められるという話にもならない。それができるのならば、この世はとっくのとうにもっとまともな形をしている、はずだろう。分かっている。そう、分かっているのだ。あの男に幾ら金を積もうと私には靡かない事も。彼は仕事だから私に笑いかけるのだ。仕事だから話しかけてくれるし話を聞いてくれるのだ。私もそれが分かっているから、連絡先なんて交換していないし、ただの一度もその場所以外で会おうとしたことはない。そう、分かっているはずなのだ。その金があれば私はもっとマシに生きられたと。もっとずっと良い暮らしを出来ているのだろうと。けれど止められない。そういうものである。世間一般で見れば、私は馬鹿な女である。私もそう思う。思うだけだが。

 この愛情は有害で、有毒で、己の首を締めるものだと分かっているのだが、あいにく合法であるが故に倫理観は仕事をしないらしい。彼はせせら笑っているのだろうか。きっとそうだろう。そう考えると馬鹿らしくなって、もう二度と行くものかと思って、けれど気付けば足はそちらに向かっているのがいつものオチである。

 ……愛も恋も酒も煙草も、全部法に触れないのが悪い。いっそ何かで縛ってくれたなら、私はそれ以上こんなものに手を出さないのに。

 そんな馬鹿なことを考える自分が馬鹿らしくなって、おまけに好きな酒が美味いとどうしても思えなくなって、洗面台に残りのビールを流した。灰皿の上の吸い殻は、とっくのとうに赤みを失っている。

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