悪魔乃刃

『このまま隠れてやり過ごそうか……。』


 消極的だが、パーシャの装備が整って無い今は、それがベストな選択だと思えた私。


『え? 敵なのに殺さないですか?』


 それは意外です、と、私を見るパーシャ。 冗談を言って居る様な顔では無い。


『なんでいきなり殺す事に結び付くのよ。 それに殺す事を今考えたらダメだって言ったでしょ。』

『殺意を殺して、スヴァトポルク――パーシャを抱えてた男の様に、半殺しにするのかと思ったです。』

『あの時は、銃で撃たれたから、つい反射的に動いてしまったのよ。 それに、あのままだと、あの男はこの準備区画で死んでしまいそうだったから、迷宮に引き摺り込んだの。』

『なるほど。 ここじゃない場所で殺す分には問題が無いのですか。』

『まあ、無いって言えば無いけど……。』


 むしろ利益の方が大きいけど……。


『なら、今回は見逃すですか?』

『見逃す? ……そう言われると、逆に勿体ない気がして来るわね。』

『えっ。 カナはやっぱり、蹴り殺すのが楽しいですか?』

『そういう意味じゃないわよ。』

『でもカナ……パーシャにもあの男の金玉を潰せと、カナは指示したですよ……。』

『まあ、あの時は……仕方なかったの。 かなり怒ってたから。』


 急所を外して拳銃を撃って来て、瀕死の私を犯す気満々だった様な相手に、怒りを覚るなという方がおかしい。 パーシャにもそれをやらせたのは自分でも何でなのか分からないが。


『凄く楽しそうに蹴り殺してたですよ、カナ。』

『ん……それは多分……そう、あれよ、あれ。 パラメーターに神力ってあるでしょ? あれが低いせいで人間にを殺す事に対する抵抗が無くなって行くのよ。』

『でも、パーシャはその神力が高いですが、人間を殺す事への抵抗は何も感じないですよ。』

『えっ。』


 何という事を言うのだろうか、この子は。

 悪気なんて微塵も無い顔をして、本当にさらりと言い切ったわ。

 

『それにパーシャ、前の世界でもナイフを持たされて姉と殺し合いをさせられて、その姉を殺した事もあるです。 それに比べたら……知らない人を殺すくらいなんとも思わないです。』

『……なんでそんな事に……。』

『前の世界で、パーシャはロシアンマフィアに……飼われて居たですよ。』

『ああ……成程。』


 姉と二人、そのマフィアに拉致でもされたのだろう。 拉致された後、猟奇的スナフ映像でも撮る為に殺し合いをさせられたのだろうか。

 ……想像していたよりも遥かに重いパーシャの過去。 唾を飲み込むのと同時に、その過去を心の中で理解しようとする私。


『やっぱりカナは凄いです。 それを聞いてパーシャの事を可哀想だとは思わないですか?』

『だって、私がパーシャなら、憐憫は逆に心に痛いと思うから。 それをされたくないからしないだけ。』

『もしかしたら、ですが、カナにもそういう過去があるからですか?』

『そういう過去がどういう過去を指しているいるのか分からないけど……前の世界に帰っても、家族のところに帰りたいとは思わないわね。 その程度には……まあ、嫌な思い出があるわ。』

『前の世界? 帰る手段があるですか?』

『迷宮を攻略したら、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 召喚した人にそう言われなかったの?』

『あの念話をしてきた女の人ですか。 彼女が説明している途中でスヴァトポルク達、パーシャを飼っていたゴランファミリーと敵対していたヘルマンファミリーが女の人の死体の胎内から拳銃を取り出して、撃ち始めたですよ。』

『あの男はパーシャを飼っていたマフィアとは敵対していたのね。 ……名前を知っているという事は、面識があったの?』

『そうです。 敵対はしてましたけど、お互いマフィアとして交流はありましたので、何度かパーティをした時もあって、パーシャもあの人の相手をさせられた事があるですよ。』


 相手というのは……あれの事だろうな。 いきなりあの男の相手をしろと言うのなら、私なら泣き叫んでしまいそうだが、パーシャは何事でも無かったという様な顔をして、相手をしたと言い切った。

 それは、いつもその様に扱われて居た事と、彼女自身が既に慣れて居た事も示すが、彼女は私に念話でそう言った後、一瞬眉を顰めた。

 今ならば、付けられて居たピアスを取り外した様に、嫌な事を嫌だと自分の口で言えるのだ。

 自分であの男の相手をしたと言った後、彼女も自分が今それを言う自由があると理解したのだろう。

 私は彼女の肩に自分の手を軽く乗せ、彼女が今までされて来たその嫌な事は、もう忘れても良い、考えなくても良い、と、首を小さく横に振った。

 念話で言って伝えた方が分かりやすかったのかもしれないが、何故かそれを言葉にするのは彼女を傷付けてしまう様な気がして嫌だったのだ。

 ぽかん、と、口を開けて私の行動を見たパーシャは、私のその行動の意味を考えたのだろう。 そして、理解したようで、一度軽く目を瞑ると、ゆっくり見開いて、私を見つめなおした後、溜息の様な長い吐息を一度吐くと、当時の出来事を続けて話し始めた。


『……船に乗るちょっと前の事です。 ファミリーの構成員がお互い抗争めいた事を始めてしまいました。 互いに無駄弾を撃つ事になる泥仕合になる事は分かっていたので、一度、武器を持たずに、船の上で話し合いで解決してみようと言う話になったです。』

『……そう。 でもここに召喚されたという事は……。』

『はい。 交渉は決裂したです。 それで、あちらのファミリーに飼われて居た女をこちらのファミリーの連中が殺したり、こっちのファミリーが用意した、船を操る人が殺されて……それから船の中でお互いの殺し合いが始まったです。』

『パーシャも、その時に…‥その……殺されたの?』

『……いえ。 パーシャの最後は冷たい水の中だったですよ。 船を操る人が居ないまま戦っていたので、船体が多分流氷か、どこか岩場にでもぶつかったのだと思うですが、一度船体が大きく揺れた後、パーシャ達が隠れて居た部屋に一気に冷たい水が流れ込んで来て――――冷たい、と、思った時からもう意識は無かったです。 だから、あまり痛くは無かったです。』

『パーシャには、死んだ時の記憶があるの?』

『あるです。 カナには無いですか?』

『無い、かな。 私達の場合は、バスが山の上から落ちて行ったすぐ後に、ここに召喚されたから。』

『じゃあ、カナも痛く無かったですね。』

『うーん……そうね。 痛くは無かったわね。 ……死んだ事には多分代わりは無いのだけれど、痛いのはやっぱり嫌よね。』

『ですです。 それでカナ、話は戻りますが、ここは何処なのですか?』

『ああ、そうそう。 まずはそれを話しておいた方が良いよね。 私が知っている事しか伝えられないけれど。』


 そう前置きして、準備区画や迷宮の事。 そして、迷宮を攻略すれば、何か一つ願いは叶えられると言われて居る事。 資質や色の事、それから自分が知っている迷宮の仕組みをざっと説明する私。


『では、カナの当面の目的は、二人の仲間を助ける事で、その後、他の挑戦者を殺しながら迷宮を攻略するつもりだったと言う事ですか。』

『そうなるわ。 ……だからパーシャ、実は最初は貴女も殺そうと思ってたのよ。』

『知ってたです。 あの男を殺した後、カナにパーシャが見られた瞬間……あれから殺されると分かったです。 でも、やっぱり痛いのは嫌なので、悔しくて泣いてしまったですよ。』

『……そうね。 そのつもりだったわ。』

『どうしてやめたですか?』


 そう言われると、微妙に困る。 神力が低いせいで、他の人を殺すのに抵抗が無いと考えて居たが、神力が私の精神に対して何の関係も無いのだとすると、私は本気で人殺しを愉しんでいる事になる。

 その嗜虐的な思考と、理性との間で葛藤していたなどとは、言ってはいけない様な気がして、


『それは……まだ私にも人の心があったから、かな。 正直分からない。 ただ、パーシャ。 貴女が差し伸べた手をただ振り払って、貴女を殺すことは、私には出来なかった。 それは事実よ。 でも、パーシャこそ、なんで私に手を差し伸べたの?』


 そうやって言葉を濁して、逆に彼女に聞いてみた私。


『何故か、カナの瞳の奥に自分と同じ何かを感じたです。 だから、この人になら殺されても良いかなって思った、です。』

『パーシャ……。』

『カナが何かを日本語で言った時、これからパーシャを殺すぞって言ってるんだと思ったです。 でも、それでも良いって思ったです。』


 そうか……やっぱり、あの時、殺される覚悟では居たんだ。


『パーシャ、痛いのは苦手で。 だから、熱いのとか、痛いのはやっぱり嫌だったです……それを想像したら、あの男みたいに痛くして殺されるのはやっぱり嫌だなって思って、また泣いてしまったです。』


 瞳を潤ませながら私に向かって言うパーシャに、私の胸も締め付けられる。


『それでも、もう最後だ、結局全部この人に委ねようって、思って……。 ただ手を伸ばしたです。』

『そう……。 そうだったのね。』

『その手を取ってくれて、本当にありがとうです、カナ。』 

 

 貴女こそ、暴走しそうになった私を止めてくれてありがとうと言いたいが、人殺しを愉しんで居る事をまだ彼女には知られたくなかった私は、微笑みだけを返した。


『でも、カナに助けられたパーシャの資質が、まさか悪魔だっただなんて、姉殺しはそれだけ重い罪だということですかね。』

『……ちょっと待って。 罪と資質に何の関係があるって言うの?』


 さらりと言ったパーシャの言葉に、顔を青ざめながら聞き直す私。


『あれ? カナは聞いて無かったです? 召喚士の女の人が言って居ましたが、資質が人間以外の場合は前の世界で罪を犯した人に多いとか。 だから、今回召喚した輩……まあ、パーシャ達の事ですけど、その人達は咎人ばかりではないかって、彼女はぼやいていたです。』


 背筋から何かが走る様な感覚の後、身体がぶるりと震える。

 咎……つまり、前の世界での、男を刺した時の罪が、今の私の資質と結び付いたっていう事?

私達が殺したあの不良どもは、私より素行が悪かったのに人間で、私は……罪があったからキツネ?

悔しいというよりも、やるせない気持ちからか、脱力感に襲われる私。


『全員が全員、そうやって罪と資質が結び付く訳では無いのかもしれませんが、マフィアの皆さんの資質は、実際殆どの人が人間ではなかったです……。 悪魔なのは私だけだったみたいですが、クマとか、ヘビとか、サルって言う資質の人も居たです。』


 人である資質……では、無い人は、前の世界での罪を背負って居る? そんな……バカな……。

 ただ召喚しただけなのに、前の世界の罪を看破して、罪人にはそれなりの資質を与えるですって?

 ――――まるで悪人を地獄に送る様なシステムでは無いか。

でも、パーシャの言いようだと、逆に悪人でも人間としての資質を与えられる者も居ると言う事だ。 その線引きがどういったものなのかは定かでは無いが、結果論として私とパーシャは人としての資質を与えられては居ない。

 ……ふと、自分の胸に手を当てる。 前の世界で、殺しはしなかったが、私は確かに一人の男を包丁で刺して半殺しにして居る。 そして、パーシャは実際に姉を殺したと言って居た。

 それが罪だと言うのならば、私達は確かに、その罪を背負って居ると言えるだろう。

 だが、一つ腑に落ちないのは、例えば私の場合のキツネという資質は、他の人達の資質を説明する場合とは違い、前の世界の行動と何も結びついて居ないという事だ。

 三島さんの様に、以前アーチェリーをやっていたからという理由で、弓の資質を与えられた者が居る。

 他にも、前の世界で得意だった分野に特化した資質を与えられた人達が多かった。

 ならば、私や二ノ宮君の、キツネやタヌキにという資質は、どこから来たのか。

 パーシャなど、悪魔という現実には存在する筈の無い生物の資質だ。

 という事は……私達亜種は、全体的に人とは違う条件で、それぞれが資質を与えられて居るという事になる。 それに規則性が感じられないのが一番腑に落ちないのだが、その特定の亜種の資質になる理由が、何かあるというのだろうか……。


『召喚士の人が、どうせそんな資質ではあなたたちは長く生き残れないだろうが、と、前置きして何かを言おうとした時だったです。 群青の蛇の資質と指摘されたスヴァトポルクは、まずはその召喚士を撃ち殺し、仲間に拳銃を放り投げ、戦いが始まったです。 それからは、また敵味方入り乱れての戦闘になり、こちらの世界の兵士が全員死んだ時には、スヴァトポルクと私だけが立って居たです。』

『何であの男はパーシャだけは殺さなかったの?』

『そういう趣味の人でしたので。 一度相手をした時、私のがとても具合が良かったので、これからも弄ぼうと考えて居たのでは無いのでしょうか。』


 具合が良い……って……。 まあ、そういう事なのだろうな……。


『小さいのが好きな人、結構多いのです。 あ……そういえば、パーシャとカナは多分同い年くらいか、パーシャの方が上だと思うですよ。 パーシャは今年で14歳です。』

『え? その割には小さい……わね……。 あ、気にしてるならごめん!』

『いえ、薬で成長を止められてるのです……。』


 どこかの国の体操選手が、そんな薬で成長を止められているという話は聞いた事があるが、パーシャは実際にそんな物を投与されて居たのか……。


『パーシャの背丈は、拉致された11歳の頃から、あまり変わってないです。 胸だけは少し膨らみましたが、今だと、もう薬を止めても背は伸びないかもしれませんが、せめて生理は来て欲しいですね。』

『……パーシャは、子供は欲しいって……思うの?』

『子供を作る事をしていたのに、自分には出来なかったっていう生理的ジレンマが、結構あるですよ。 何人相手をしても、痕跡を作る事が出来ない訳で。 実際にあの世界で子供が出来てしまっていたら、逆に何をされて居たかは考えたくも無いですが、パーシャの希望は、せめて自由になったこの世界でなら、気に入った人の子供を産んでみたいですよ。』

『私には……そんな風に考えられない。 男達は、私達女をただ弄びたいだけなのだと思ってしまうから。』

『それは確かに本質的に間違いでは無いです。 私達女性はどうやっても受け身になるですから。 でも、それでも、本能に正直になれば、いつかカナも……まあ、その話は後にしないですか? 三人に動きがあるみたいです。』


 ふとブースの陰から三人の男女の様子を見る私。 女の一人が何か騒いでいるようだ。

 男に向かって何かを問い詰める様に距離を詰めて……胸倉を掴んだ。


『痴話喧嘩かしらね?』

『そう見えるですね。 この隙に後ろからやるですか。』

『やるって……そうね。 やらない手は無いわね。』


 いきなり言い出したパーシャに多少気圧されながらも、ブースの影から殺意を持たないように相手を視認して頷く私。


『では、パーシャが先に行くです!!』


 そう言って悪魔の翼をはためかせ、同時に床を蹴って飛び出していくパーシャ。

 まるで弾丸のように飛び出した彼女。 彼女が考えも無しにそれをやっているとは思えないが、何故か同時に私も飛び出してしまった。

 もの凄い速度で動く彼女を、横から目で追うと、額から伸びる彼女の鋭い角の根元に、彼女の両手が伸びているところだった。

 彼女の手ががこめかみの上に触れると、彼女の中指を中心にした三本の指に、角の根元が吸い付く様に移り、まるで両手に抜き身の漆黒の日本刀が付いて居る様な状態になった。

 ――そのすぐ後、パーシャは身を低くすると、男女に唾を吐きながら声を荒げて居る女の、両足の踝を、その鋭い角の刃で左右から挟み込む様に斬りつけた。


「――――!?」


 踝からは僅かな血が噴き出すが、瞬時にその傷を黒薔薇の蔦が縫い付けた。

 なので、一瞬何が起こったのか分からない、ただ両足から酷い痛みだけを感じる。

 そんな顔を見せる女だが、その痛みに対して声を上げられると拙いと思った私は、パーシャの脇から飛び出して女の口を押さえる様に左手を当てると、左の膝を女の鳩尾に突きこんで、身体をくの字に曲げさせる。

 私の左手には女が吐き出した胃の内容物らしきものが付着し、多少嫌悪感を覚えた私は、怒りからか、つい追撃する様に女の左肩を自分の右肩に背負う様にして女を床に転がすと、更に転がした方向に力を加えて、女の肩の関節をごきりと外してしまった。


「っ!!」


 せめて悲鳴でも上げようとしたのか、女は何かを喋ろうと息を大きく吸い込んだ。

 それを止めようと、吐しゃ物で汚れた左手の手首の上、掌底の部分を女の鼻先に叩き込んだ私。

 付着した吐しゃ物を女の顔に押し付けながら、私の掌底はその女の鼻の骨を粉々に砕く。

 その感触が左手に伝わると、生暖かい感触の液体がまた手袋越しに伝わって来た。

 慌てて手を避けてその手を見ると、吐しゃ物と血が手袋に付着しており、その全てを女の横顔とセミロングの黒髪に擦り付ける私。

 私の手の圧迫から解き放たれた場所、女の鼻の穴からは、ぷっ、と、鮮血が噴き出して来る。

 ラテン系という感じの女の、アジア人に比べればとても高かったであろう鼻は、今はまっ平らに潰されていて、現在、その女の造形は、かなり無残な事になっているが、私の知った事では無い。

 その血が唇の上を濡らして下顎まで行くと、血を押さえようとしたのか、唯一自由になる右手で口と鼻を押さえ、目を見開いて私を見て――――やがて震えながら押し黙る女。

 ……これでこの女は無力化出来た筈だ。 けど、人を黙らせるのって案外難しいのね。


 女がそうやってパーシャと私にボロ雑巾の様にぐしゃぐしゃにされてしまったのを、呆けて見ている二人の男女が――次の標的。 と、そう私が思って二人を見たその時、既にパーシャは動いていた。

 翼で宙に浮いた状態のままだった彼女は、左の手に持った角で男の口を横一文字に切り裂き、右の手に持った角で女の左頬の下から顎の下までを斜めに斬り裂いた。

 と、両方の人間のその口元の斬り口から鮮血が一瞬噴き出したすぐ後、先ほどの女の傷と同じように、その斬り口を縫い付けるように黒薔薇の蔦が伝う。

 完全に口を塞がれ、慌ててその口の痛みに手を当てる男女。

 だが、黒薔薇の蔦には棘があり、当てた手に棘が刺さると、顔を顰めて痛がる二人。

 ……見事な攻撃だ。 私よりも効率的に相手を沈黙させているのに若干の羨ましさを覚えるが、まるで捨てられた子犬の様な存在だったパーシャが、こんなに頼もしくなるとは……親心という訳ではないが、何故か自分の事の様に嬉しく感じてしまう。

 さて、後は二人の足を殺せば完璧である。 その足を殺すのは私がやろう、と、私から見て左が女、右が男となっているその二人の、女の前に軽いステップで進むと、その進んだ勢いも合わせて、左足を軸にしながら、硬化したプロミネンスブーツの右足の爪先で、女の脛の内側を、レディファーストよ、と、心の中で呟きながら蹴り砕いた。

 女の右足を内側から砕いた後、女が身を崩す前にすかさず足を入れ替えて右足を軸にした私は、今度は左足のプロミネンスブーツを蹴り出して女の左足の脛を内側から蹴り砕いた。

 両足の支えを失った女は、前側に倒れて来る。 石畳に顔や頭をぶつけて即死しないように、その女の頭の髪の毛を右手で掴むと、床に転がすように自分の後ろに放り投げる私。

 顔や上半身を床に擦らせながら、女の身体は神殿の入り口の方に向かう。

 そうして3m程放り投げられた女を眺め、ぐったりとして動かないのをしているのを確認した私は、振り返って男に目を向ける。

 女二人が一瞬で沈黙させられたのを見て、驚愕の表情を浮かべていた男だが、パーシャの薔薇の蔦によって口は閉じられ、悲鳴も上げられない。

 その場でただ震え出す、かつて女二人を手玉に取って居たであろうラテン系のプレイボーイさんの足には、再び軸足を入れ替えた私の右の蹴りが向かう。

 先ほどのパーシャとの話で、男に対して多少の嫌悪感を抱いていたであろう私は、多少力み過ぎてしまったらしく、横に薙いだ私の右足は、男の右の膝を砕き折りつつも――男の身体全体を横に向かって半回転させてしまった。


『やばっ!』


 このままでは、男の頭が床に直撃して、首の骨を折るか、頭が砕けて――――死んでしまうかもしれない。

 つい念話でパーシャに叫んでしまった私。


『任せるです!』


 それは、黒い風が自分の右側に一瞬吹いた様だった。

 男の左側に、斜め上から飛んで現れたパーシャは、咄嗟に男の左肩を左足で下から蹴り上げて、男の身体を無理矢理直立状態に戻す。 パーシャの身体は、蹴った反動で床に向かうが、そのパーシャの右足が床に付くのと同時に翼をはためかせ、同時に右足にも力を入れて、後ろに一回転宙返りして着地したパーシャ。

 なんという……妙技だ。 私とした戦闘訓練など、実は微塵も必要無かったのでは無いか、と、考えてしまう私。


『カナが色々と教えてくれた甲斐があったですよ。』


 まるで私の心を読んだかのように、念話で呟くパーシャ。

 私は、そのパーシャの念話に対して苦笑いを浮かべるのが精一杯だった。

 さて、男の身体はパーシャの蹴りによって回転力は失われ、床に頭を打って死ぬという事態は免れたが、肩が砕けたか、腕が折れたかしたらしく、左腕をだらんと下にもたげ、右足の痛みと共に力無く石畳の床の上に沈んで行った。


『パーシャが男の方を迷宮に持って行くですよ。』


 いきなりそんな事を言い出すので、パーシャの方を見る私。

 と、いつの間に浴びたのだろうか、彼女の頬に、返り血が少し付いて居た。

 私は、女の吐しゃ物と血で汚れて居ない方の手袋の甲で、彼女のその返り血を拭ってやる。


『貴女、本当に悪魔みたいに容赦無いわね。』

『えっ。 それはカナには言われたくないです……。』


 ◇


 パーシャは、男の服の背中あたりを両手でつまんで、宙を飛びながら迷宮の入り口へと向かって居た。

 私はと言えば、両脇にそれぞれ女の人を抱えた状態で、石畳の上を駆けて居る。


『パーシャ、多分貴女が先に付くわ。 ロシア語で良いから、迷宮に行く魔法陣に辿り付いたら二階に転送って言って、それから男を放り投げて準備区画に一旦戻って来て。 私も女達を置いたら一旦戻って来るから。 そしたら二人だけで迷宮に入り直しましょう。』

『分かったです。 そしたらカナの魔法がこの人達に効くという訳ですね。』

『そういう事。 蹴り殺して死体にしてから焼いても良いけど、どうせなら綺麗に焼きたいわ。』

『まるで料理みたいに言うですね。 カナ。』

『そんなつもりは無いのだけれど。 それよりパーシャ。 ……空を飛べるってどんな気分?』

『え? ……悪くないですよ。』

『そう。 良かったわね。』

『でも、なんでいきなりそんな事を?』

『……翼があって、飛べるっていうのがどんな気分なのか知りたかっただけよ。』

『カナのキツネの方が可愛いですよ。』

『飛べる方が羨ましいわ。』

『……カナは本当に……何て言えば良いんでしょうか。』

『何よ。』

『最高です。』


 剥き出しの牙を唇の隙間から覗かせながら言うパーシャ。


『今、褒められたのよね? 私。』


 私も牙を剥いて口の片方を上げる。


『……カナの仲間にも会ってみたいです。』

『そう思ってくれて有難う。 是非貴方にも私の仲間の救出を手伝って貰うわよ。』


 ◇


 黒薔薇の蔦で口を縫い付けられた男女、そして私の拳で鼻を砕かれた女。

 その三人は迷宮の二階の小部屋に集められて、彼等の正面の右側に立って、キツネの尻尾を威嚇する様に振りながら、牙を剥いて挑戦的な笑みを浮かべる私。

 そして私の左側には悪魔の角を再び頭に付け直したパーシャが、妖艶な笑みを浮かべ、悪魔の翼を呼吸と共に上下させながら、尻尾は私の真似をしているのか、威嚇する様に横に振りながら立っていた。

 そんな私達を見る三人は、怯えきっており、いつの間にか男は小便を漏らして居たようで、股間のあたりがぐっしょりと濡れて居る。

 ふと、女二人を抱えて居た自分のタイトローブの脇を見る私。

 ……女達は漏らしていない様である。 出すものも無かったのか。 何にせよ、脇腹で漏らされずに済んで良かった。 


『……さて。 どうやって殺そうかしら。』

『ただ殺すだけじゃつまらないです。 私とカナの大事なお話の邪魔をしたのですよ。 それ相応の報いを受けて貰うですよ。』


 パーシャは、殺す事を儀式めいた事でやりたいのかどうか分からないが、自分の尻尾の先端から種を打ち出して、三人の男女の肌の中に、それぞれ二つづつ埋め込み始めた。

 黒薔薇の種は、棘の様に刺さった後、一瞬で直径20cm程のらせん状の蔦となり、その蔦は棘を出しながら肌に食い込んで広がった。

 周囲に血が滲んで居るそれは、たぶん酷く痛むのだろう。 鼻は潰されたが、未だに口を塞がれて居ない女だけが、


「おぉぉぉ!! おぉぉぉ!!」


 と、声にならない声を上げて居た。


『カナの気持ち良い顔をもう一回見たいです。』


 集められた三人は、痛みから来る恐怖と、二人は何も喋れないという絶望感に満たされて居た。

 その三人を見ながら、多少頬を赤らめてそう言うパーシャ。


『私の気持ち良い顔?』

『あの……男を蹴り殺してた時の、楽しそうな顔が見たいですよパーシャは。』


 そう言われると……少し困ってしまうのだが。

 まるで前に居る三人が、私にとって快感を引き出す為の生贄の様ではないか。

 実際、そうしたいという感情があるからまた困る。


『パーシャ。 今回はあまり怒りを感じていないのよ、その三人には。 軽く殺して準備区画に戻りたい気分だわ。』

『えー……そういう感じなんです?』

『言葉が分かるのだったら、少し情報を集める気もあったけれど、それも出来そうに無いしね。』

『むー。 なら、パーシャが殺してみても良いですか?』


 ぴたり、と、私は魔法を詠唱しようとした自分の手を止める。


『本気?』

『カナは今まで人を何人殺したです?』

『言いたくないわ。』


 何故そんな返答をしたのかは分からない。 普通に答えても良かったのだが。

 ただ、パーシャは殺した数だけでも、私に追い付きたいのではないか……そんな気がして、そんな事で張り合うのは意味の無い事だからと考えて、言いたく無かったのかもしれない。

 真っ直ぐにそう返答した後、にやり、と、パーシャはまた牙を剥いて笑った。


『カナは、敵には残酷ですが、仲間にはとても優しいですね。』


 私の心が見透かされた様で、同時に会話の主導権を握られた感覚に嫌気を感じたのかもしれないが、


『パーシャ。 ちょっと黙ってて。 痛みも苦しみも要らないから、今回こいつらは黙って殺しましょう。』


 そう言って一歩前に進む私。


「我が親愛なる紅蓮の炎よ。 熱き魂の器ここに在り、注げよ溜めよ尊き真紅の礎を。 波打つが如く満たせその杯を。 爆ぜ狂え蜜月の時に。」


 日本語で詠唱して近付いて行く私に、じわりじわりと足元から纏わり付いて行く緋色のオーラ。


「エクシマリカ、テンテエルメーズ、グレーゼ、グレーゼ、ララ、グレーゼ――――。」


 口を塞がれて、行動を不可能にされた二人は、目を見開いて、私の詠唱を見て聞いて必死に首を横に振る。 私が魔法を唱える事、つまり自分達がその魔法を受ける対象になる事が分かっているからだろう。

 ちなみに一人だけ喋れる女は、「ノー! ノー!」と、鼻が詰まった声で懇願する様に何故か母国語では無く、英語で言っていた。 英語ならば、もしかしたら伝わるかもしれないと一縷の望みを託して居るのだろうか。

 じくん、じくん、と、脳内に分泌される嗜虐心という麻薬に、段々と感情が満たされて来る私。


『大きく後ろに下がって、パーシャ。 これからこいつらを焼くわ。』


 私とパーシャは同じパーティだから問題無いだろうが、念の為そうやってパーシャを下がらせる私。

 彼女を下がらせたのは、魔法が発動する瞬間に、私の顔に恍惚とした笑みが広がって居るのが見えるのを隠したかったからかもしれない。


『は、はいです。』

業火噴出ヘルファイヤエラプション!!!!」


 知力が上がったからだろう、補助の杖ブースター無しでも、以前に詠唱した時よりも強い炎が、周囲の床から噴き上がり――――

 それとほぼ同時に、パーシャの黒薔薇の蔦が、爆発するように花を咲かせた。

 パツン! と、男の口と女の口、それから足を黒薔薇の蔦で絡められた女の踝、そして男女の腕や足にらせん状に埋め込まれた蔦から、それぞれ血の花が一気に爆発するように咲いたのだ。

 薔薇が咲いた際に噴き出した血は、私の魔法の炎によって瞬時に蒸発させられ、その花が咲いた光景自体は、炎の中に消えゆく彼等が真っ黒な影になる前に、ほんの一瞬しか見えなかったが――――はっきりと私の網膜には焼き付いた。

 じわり、と、心の中に広がる達成感。 そして……愉悦。

 ……周りの炎が落ち着いた後、振り返った私はパーシャを見る。

 彼女が故意に花を咲かせたのかどうかが気になるのだ。


『最後のあれ、貴女がやったの? パーシャ。』

『……あれは一度人に絡ませた蔦が、炎に焼かれた瞬間に死んで、吸った血と共に自動的に咲く黒薔薇だったです。 パーシャが……自分から咲かせては居ないです。』

『……そう。 なら良いわ。』

『でも、何故カナは自分がする事にこだわるですか? パーシャがしても……同じ事では無いです?』

『何でかしらね。 私にも分からないわ。 どうせ死体の痕跡を燃やさなくてはならないのだから、私が魔法を使うとするわね。』

『……はいです。』

『それなのに、パーシャも攻撃したとしたら、オーバーキルになる感じがして、そのオーバーキルは、憎たらしい相手にだけしたいから、かしら。 多分そんなところよ。』


 本当はそれをすると、とても気持ちが良いので、私はそれを隠したいだけだが。


『分からないけど……分かったです。 必要以上に力を使う必要は無いって言いたいですね、カナは。』

『まあ、そんな感じ。』

『けど、スヴァトポルクの様な男は、苦しめて殺したい、と。』

『その時の気分にならないと分からないわよ。 それにパーシャ。 ちょっと貴女は勘違いをしているわ。』

『……何です? 勘違いです?』

『私がキツネで、貴女が悪魔でも、きちんと装備を整えたバランスの良い六人の人間相手に、いつも簡単に勝てると考えてはいけないの。』

『……カナよりも強い人間が居る、ですか?』

『私が対人戦に特化しているのは確かよ。 そして貴女もね。 でも、遠距離魔法攻撃や、遠距離物理攻撃で畳みかけられたならば、現状では私達に為す術はないのよ。 人間を甘く見てると痛い目を見るわ。』

『そう、ですか。 私達よりも強い人間が、居る、ですか。』

『何で嬉しそうなのよ貴女。』

『いや。 そういう人達から生き延びて来たカナが、凄いって思って、です。』

『残念ながら、半分は運だったわ。 それに、二人の仲間も居たしね。』

『そうでした。 早くお仲間を助けないとですね。』


 ◇


 ポーチから洗浄剤を出して、手袋とブーツを綺麗にした私は、パーシャが自分で定位置であるこめかみの上に戻した悪魔の角を視界に入れる。


『その角、血で汚れてないのね。』

『表面に薄く……まあ、脂みたいな膜があるです。 だから血とかは付かないですよ。』

『便利な身体よねぇ……私にもせめて翼が生えないかしら。』

『キツネさんは空を飛べないと思うですが……。』

『もしもの話よ。 ……というかパーシャ。』

『な、何ですかカナ。』

『私を抱いて飛べるのよね。』

『え? あ、はい。 多分飛べるです。』


 ふむ。 ……詠唱を開始した私を、爆弾の様に抱えて……敵のど真ん中に落としたり出来るのかな。

 血液膨張ブラッドエクスパンションを唱えながら、相手のヒーラーに突っ込んで……って、いつから私はこんなに突撃志向になってるのかしら。

 すぐ調子に乗るのは私の悪い癖だわ。


『でも、これもカナのお陰ですよ。 カナの筋力と敏捷があるから、多分出来るです。 素の悪魔のパーシャだったら、無理だったと思うです。』

『ふーん。 そういうの、分かるんだ?』

『カナの能力のお陰で増えた分っていう感覚が分かるですよ。 普通の人間の眷属だったら、こうは行かないと思うです。』

『普通の……人間の……眷属。』


 眷属という言葉に、何か引っ掛かりを覚える私。


『どうしたですか?』

『……ううん。 ちょっと……眷属って言葉が、何か気になって。』

『パーシャには分からないです。』

『パーシャは、パーシャの意思で、私を眷属として選んだ。 そうよね。』

『そうです。』

『もし私が人間だったとしたなら?』

『それは、当時の私には気付かないので、普通に人間のカナの眷属になっていたと思うです。 と言うか、カナが人間なのはあり得ないですよ。』

『何であり得ないの?』

『見た目から違うです。』


 まあ、それはそうだ。 キツネの耳や尻尾が生えて居る人間は居ないだろう。


『でも、例えばカナが人間で、それであの男から助けてくれたのだとしたら……パーシャはやっぱりカナを眷属に選ぶですね。』

『……つまり、パーシャ……貴女が人間側に付く場合も、あったという事ね。』

『仮定ではありますが、そうです。』


 神力という物を勘違いして悩んで居たが、全てをゼロにして考えて見ると、今まで私が考えて居た構図というのは、おかしい様な気がしてきた。

 人間という種族がまず沢山居て、我々亜種族が、その人間達と必ずしも敵対しなければならないという根本的な理由は無いのだ。

 まず、私達三人の亜種族に共通する点は、まず全員が対人戦闘のスキルに特化しているという点だ。 それも私に誤解を招かせたのかもしれない。

 私はまだ他の亜種族を見た事は無いが、パーシャを召喚した召喚士が言って居た、《どうせそんな資質ではあなたたちは長く生き残れないだろうが。》という台詞は、私達の様にレベルが上がって、完成する前に駆逐される可能性が高いと言う意味で使って居るのだろうか。

 だが、何故駆逐される可能性が高いと言えるのだ?

 レベルが上がりにくく、初期状態のパラメーターが極端に低く、尚且つレベルが上がっても、普通の人間から見れば、私達は容姿から敵として認識される可能性が高いから、だろうか。

 容姿の点が、私が先ほど神殿の中で抱いていた懸念だったが、それすらも、何か違う気がする。

 だが、召喚士は確信を持って言って居たのだと分かる。

 私達、亜種族の命は、絶対に長くは無いのだ、と。


『ま……まさか……。』


 この考えに至って、顔を青ざめる私。

 二ノ宮君が……帰って来ない理由。 それはまさか……。


『この世界の人間達に、捕らえられて居るから? それよりもまさか……殺され、た?』


 二ノ宮君が、殺されているという最悪の場面を想像して、私は脱力してその場に膝を付いてしまう。


『どうしたです? カナ。』

『パーシャ、どうしよう……。 私の仲間、殺されちゃってるかも……。』

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る