刻印付与
「食べたい物ある? って日本語で言っても分かる訳ないよね。」
そこで私は、パーシャに両手で何かを食べる様な仕草をして見せると、彼女は頷いた後に、ロシア語で何かを私に言って返してきたが、その返して来たロシア語が私には分からない。
「……パンとかミルクとかで良いか。」
その二つならば、どこの国でも食べられているだろうし。
そう考えた私は自分のクリスタルをキャンプの部屋の端末に差して、その端末を操作した。
私が今度は何をしているのだろうかと興味津々に端末の画面を覗き込むパーシャ。
……私に対しての警戒心は綺麗さっぱり消えたようだが、本当に切り替えが早いわねこの子。
端末の操作を続け、食べ物の項目に入り、まずはパンでも選ぼうとすると、
「****!!」
「え? 何?」
画面を見て、いきなり何かを叫んだパーシャに聞き返す私。
そのパーシャは端末の画面、『メインディッシュ』とカタカナで書いて居る項目を指差して居た。
「……えっ? 日本語なのに分かるの?」
「ルスキー! ルスキー!」
留守……キー? 同じ言葉の繰り返し? ――いや、ちがうっ!!
「ロシアン!?」
「ダーッ!」
なんという事だ……この端末、見る側の方で文字を変換していたらしい。
私達が見る端末の文字が何故全てカタカナなのかが不思議だったが、変換の元となる言語がアルファベット表記の様な方式で、漢字を元にした象形文字である日本語表記には対応していないので、端末には表示出来ないと、と、そういう事なのか?
すると、その事実に私が気付いた時、視界の端末の文字がぼやける。
メインディッシュが
「……なんだか気持ち悪いわね……。」
まるで赤い色で書いた文字の上に、同じ赤い色のフィルムを被せたり取ったりする事によってその文字が見え隠れする感覚。
しかしこれでまた謎が一つ解けたわね。
固有の武器や道具を指定しても、それを読む側が勝手に変換するという事になり、端末越しならば、基礎言語が違っても情報の共有は出来るという事か。
◇
良くあんな粉々にされた死体を見た後に、肉料理なんて食べられるものよね……。
肉を美味しそうに咀嚼するパーシャを見て、呆れたような溜息を付く私だが、かくいう私も美味しくボルシチというロシア料理と、フランスパンを食べて居た。
……まあ、彼女には夢中にご飯を食べて貰うとして、私はこれからどうするかを考えておかねばなるまい。 口に運んだスプーンを、ぶらぶらと揺らしながら、同時に口の中にある物を咀嚼して考える私。
まず、このまま準備区画に戻り、神殿と商店に向かうのは一つの手だとは思う。
私のアカウントに現在入っているのは156900ポイント。
恐ろしい事に、今まで何人も殺して稼いで来た分以上の稼ぎを、あの男を一人殺した事で得られたという事である。 多分……経験値もしかり、だろう。
男がこの世界の人間、召還士と兵士を殺した分が、ポイントをかなり押し上げたのかもしれない。 あくまでも推測でしかないが。
そして、私と同じ分パーシャーにも入ったと考えられるが……それらを使って私は更に強くなり、パーシャの能力を確かめて、それが自分に害をなす物として判断されるならば……改めてこの子を迷宮に引っ張り込んで殺す。
今嬉しそうに目の前でご飯を食べて居るこの子を、私が本当に殺せるかどうかは別の話だが。
……いや。
やはり準備区画にそのまま帰るのは若干考えが浅過ぎるかもしれない。
準備区画全体に男の事がアナウンスされた後に、男の存在が準備区画から居なくなっていると狩人の側が知れば、その狩人は何者かが意図的に迷宮の中に男を引き摺り込んで、かつその男を殺したのだと考えるに違いない。
もし私とパーシャがこの後、迷宮の転送区画に帰れば、待ち構えて居るかもしれない誰かに『のこのこと帰って来たが、これならばやれそうだ』と判断され、二人は何らかの方法で迷宮に連れ戻された後、そこで殺される可能性がある。
……うん。 これは確信に近い予感だ。
何故なら、今、私自身にそれをこなせる戦力があるというのなら、そのように相手を待ち構えて、せめてどういう相手だったのかは窺い、もし殺せそうならばそのチャンスを逃すまい。
そう考えるとこのまま帰るという選択はやっぱり無い事となる。
元々この一階には、証拠の隠滅という用事もあった事だ。
……それを終えて、尚且つ今日一日、いやせめて二日程潜伏する方が得策なのでは無いか?
ただ、二ノ宮君を探すのがまた後回しになってしまうが……。
「仕方ない、か。 私が生きている限りは、助けられる可能性が全く無い訳じゃないんだから。」
二ノ宮君。 生きていると良いのだ……けれど。
同じ亜種の資質を持つ者として、切実に彼には生きていて欲しい。
「……そういえば……。」
私はボルシチを夢中で貪るパーシャに、自分のクリスタルを見せる。
それを首を傾げて見るパーシャだが、慌てて自分のスカートのポケットからクリスタルを取り出した。
良かった。 彼女も持っているようだ。
もしかしたら彼女のクリスタルが破損しているか、もしくはクリスタル自体を持っていないかもと考えたのだが、その心配は杞憂だったようだ。
「プレイエ。」
私は彼女の前でそう唱え、自分の手の甲を見せる。
と、やはりステータスの説明などは受けて居たのか、私の数値には驚いた様だ。 特に敏捷の28という数字の部分を見て、ああ、だからあんなに速いのか、と、納得もしているようである。
「パーシャ。 あなたもやって。」
「……? ダー。 プレイエ。」
少し考え、そのあと軽く頷き呪文を唱えると、彼女の手の甲にうっすらとステータスが浮かび上がった。
キンリョク 3
タイリョク 2
シンリキ 1
チリョク 4
ビンショウ 5
ウン 1
「……えっ?」
そのあまりのステータスの低さについ声を上げてしまう私。
運は……失礼だが確かに悪そうだけれど、神力も1って……しかも後は……私の初期状態よりも酷い。
私の表情で自分がどれだけ低いステータスなのかを理解したパーシャは、慌ててその手の甲をもう片方の手で恥ずかしそうに隠す。
残念ながら彼女の資質は分からなかったが、次のレベルに上がる必要経験値が……58800という恐ろしい程の絶望感。
しかし、この絶望感には既視感も覚えて居た私。
パーシャは、私と同じく……人間側では無い可能性がある。
つまり、私と同じ、亜種なのではないか、と。
私の本能がそれを見極めて、彼女を殺すのを躊躇ったのかもしれない?
全ては後付けの理由になってしまうが、とにかく今は彼女を殺さなくて良かったとだけは思う私だった。
◇
腹ごなしの後は、血や肉片で汚れた身体を洗い流す為、二人でシャワーを浴びる事にした。
女同士なので別に恥ずかしがる事は無いし、西洋人はもう少しオープンなものだと勝手に思っていたのだが、下着も全て脱いで素っ裸になってお湯を浴びて居る私に対して、背中を向けて服を脱いだパーシャは、胸と局部を一生懸命私から隠しながらシャワーカーテンの中に入って来た。
……そんなに隠したいのならば、と、私は自分の尻尾を動かして彼女の乳房と局部を、自分の側から見えない位置に動かしてやると、申し訳無さそうにそれを毛皮の様に身体に巻き付けてシャワーを頭から浴びるパーシャ。
そうやってお湯を浴びるうちに、私に気を許したのか、それとも馴染んで来たのか、私の尻尾に石鹸を付けて両手でわしゃわしゃと泡立てる彼女。
私が尻尾を差し出したのを、洗えと命令されたとでも思ったのかもしれない。
……どちらにせよ、意外では無く……他人に尻尾を洗われるというのは……結構気持ちが良いものだわ。
しかし、調子に乗ったパーシャはその泡立った私の尻尾で自分の身体をも洗おうとした。
流石にそれには毛を逆立ててパーシャを一睨みした私は、シャワーのお湯で尻尾の泡を流した後に、わざと彼女の前で震わせてお湯の飛沫を掛けてやった。
顔の前で飛び散る水しぶきに、何故か楽しそうな表情を浮かべ……両手を顔に上げてその飛沫を防ごうとしたのだろう。 ――その時、彼女の胸部と局部が見えた。
……見えて、しまった。
私よりも少し膨らんだ胸、だが私のよりも小さい乳首には金属の……ピアス、で、良いのだろうか。 直径5cm程の、金属の棒に、両側が球体の……金色、の、ピアス。
更に局部の薄い恥毛から垣間見える、とある部分にも……金属の輪っかが付けられて居た。
少なくとも、それらは彼女が普通のロシア人少女の生活をしていたとは言い難い印であり……彼女はそれを私に見せる事を恥じて居たのである、と、今分かった。
彼女はあちらの世界でどういう死に方をしたのかは分からないが、その生前に、彼女は性的に弄ばれて居た事は確かな様で……何だろう。 物凄く苛立ちを覚える私。
愛玩動物の様に連れ回されて、挙句の果てに殺されて、更に死んだと思ったら、違う世界に飛ばされて、またおもちゃにされる直前だったという事、か?
と、私がシャワーの中で怒りの表情を見せたせいか、身体をびくりと震わせるパーシャ。
違う、そういう意味じゃない、と、私は首を横に振り、彼女の肩に手を置くと、私の悲しそうな顔から読み取ったのか、乳首に付いて居るピアスを上から眺め……顔をくしゃりと歪めて涙を漏らした。
この時、彼女の感情がどうしてこれほどまでに豊かなのか、違う観点から思い付いた。
人形の様にしていては……男を悦ばせる事が出来ない、から。
なるべく感情を豊かに表現する事によって、彼女は男を楽しませる様に……教え込まれたのだ。
私は、自分の身に起こった事では無いのに、彼女にそんな事をしたあの男達に対して、どうしようも無い憤りを感じて居た。
シャワーのお湯を止め、歯を食いしばると、私の怒りと共に少し伸び出した犬歯が、私の下唇の裏側に触れる。
「あいつらめっ!! あい……つらめっ!!」
まるで咆哮の様に吐き捨てると、彼女の乳首に付けられたピアスに手を触れる。
そのまま引き抜こうとしたその金属の棒は、桃色の乳首をその引っ張った方向に形を歪めてしまい、
「**!」
小さい悲鳴を上げるパーシャ。 それは良く見ると、両側から球体の様なもので固定され、普通の方法では絶対に取れない様に……なって居た。
これを付けられた時……彼女は一体どんな顔をしたのだろうか。
泣いたのだろうか。 痛いに決まって居るよね。 敏感な部位なのだから。
私は、彼女の乳首を貫通する棒の両側に付いた球体にのみ、自分が今持てる力を振り絞ると――その力を左右に均等になるようにして、引き千切った。
「っ!!」
一瞬、小さい悲鳴を上げるパーシャだが、床に落ちる二つの金属音の後に、自分の左の乳首にがっしりと付けられて居た筈の物が遂に無くなっており、ぽっかりと小さな空いているのを見ると、くしゃりと顔を歪めて私を見る。
私はそのパーシャの頭を少し上向きに小突いて、彼女の右の乳首に付いて居るピアスも、左右に引き千切った。
「……スパ……シーバ……。」
「ん? うん……。」
彼女が何かを言って、それに頷いた後、指先の力だけで左右に持った金属の屑をこねくり回し、一つの塊にしてバスルームのトイレの方に放り投げた私。
こんなのを子供に付けて……何が面白いって言うのよ!! 趣味が悪い!!
がちん、と、壁にぶつかった金属は、やがて床に転がって行った。
「……カナ。」
「……うん。 わかってる。」
顔を赤くして、パーシャは自分の局部を見下ろした。
その意図は、私に下の物も、取って欲しいという意味だ。
彼女の位置からでも見えるであろう多少大きな輪っかは、乳首に付けられて居たのと同じように、一度付ければ二度と取れない様な仕組みになっていた。
まさかとは思うが……穴を空けた後に輪を通し、更にその後……その金属を接着……したのか?
金属を接着と言えば、思い浮かべるのは……溶かしてくっ付ける、溶接という言葉だが、この敏感な部分で、そんな事を……しかも、大小含めて、4つ……。
私は頭を左右に振って、その考えを必死に振り払う。 溢れ出す殺意に、つい手元が狂ってしまいそうだったからだ。
「……パーシャ。 我慢して。」
「ダー……。」
構造上、どうしても彼女の敏感な部分に触れずに取る事は不可能だった。
しかも、一部は……彼女の肉と同化しているように見受けられ、多分痛みも……あるだろう。
気休めかもしれないが、私はバスルームに脱いだ服の中からポーションを取り出すと、パーシャに持たせる。
「痛くなったら、飲んで。 ……本当に気休めかもしれないけど。」
「……ダー。」
私がジェスチャーで痛んだら飲む様に指示すると、軽く頷くパーシャ。
こういうのは、きっと可哀想だとは、思っちゃダメだ。 と、私は思う。
もうされてしまった事に対して、辛かっただろうという共感は良いが、可哀想だというのは、ダメだ。
そう思った私は、やるせない怒りからか、それが意味の無い事だと分かって居ても、自分の左腕を軽く噛んだ。
すると、少し剥き出て居た犬歯が、つぷりと腕に赤い穴を二つ空け、そこから鮮血が零れて行く。
「カナ。 ニェット。」
私のした事の意味が分からなかったのか、その血が出ている私の腕の部分を手で押さえるパーシャ。
「黙ってなさい。 貴女の方が痛いんだから。」
多少きつい目をして彼女を見上げると、そうか、痛みを共有してくれるつもりなのか、と、解釈した彼女は、また鳶色の瞳から涙を零す。
「泣き虫ね。 ……行くわよ。」
「っはぁぁぁ!!!!!」
ぎちんっ。 と、4つ付いて居たもののうち、大きいのを二つ、両手で引き千切った私。
同時に悲痛な叫びを上げるパーシャ、そして、引き千切られた金属の輪に付着した、パーシャの肉の一部が削げた部分から、出血が始まった。
慌ててポーションを飲むパーシャだが……。
「***!! *****!!!」
股を押さえて痛がるパーシャ。 残念ながらポーションの効き目は無かった様だ。
私は慌ててシャワーの横に掛けてあるタオルを取ると、パーシャの股の間に挟み込んだ。
意図が分かったパーシャは、自ら少し股を開いてタオルを太腿で強く挟み込むと、じわり、と、局部の部分が真っ赤に滲んで行った。
「……痛かった? ごめんね。 でも、取れたよ、ほら。」
私は彼女の目の前に、五百円玉程の大きさの金色の金属の輪を二つ出すと、それを忌々し気に指でこねくり回して、丸い球にしてやった。
その丸い球を、股を押さえて居ない方のパーシャの手、左手に乗せる私。
一瞬、痛みを忘れたかのように呆けて私を見る彼女。
だが、怒気を交えて先ほどの私の様にバスルームの隅にその金属の玉を投げ転がした。
「っ!!」
それで身体がずれて痛みを思い出したのか、また顔を顰めるパーシャ。
……それにしても、何でポーションが効かなかったのかしら。
ここは迷宮の中な筈なのに……。
いや。 そうだ。 ここは準備区画と一緒の扱いで、魔法の効果は無いのだった。
しまった……キャンプから出て……取るべきだったかな……。
でも、迷宮の中で? パーシャに下着を脱いで貰って股を開いて? アレを取る?
そんな構図は思い浮かばないし、かつて準備区画で暴行されて出来た事による秋山さんの痣がポーションで消えなかった事を考えると、迷宮に入る前の事象による傷を癒す事は、ポーションには出来ないという事であり、もし癒す行為が肉体を迷宮に入った時点に戻す事なのだとしたら、下手をすると折角取り外した筈の金属までもが肉体の一部として認識され……元に戻ってしまうかもしれない。
「……試してみたくは……ないわね。」
二度も同じ痛みは味合わせたく無い。
それに、あとの二つの輪っかは、脇に付いて居るので、こちらはさほど痛まないと思うが……。
「カナ。」
私の名前を呼んで、悲痛にも懇願する様に頷くパーシャ。
「今……やっても良いの?」
「……ダー。」
日本語が分かって居る訳では無いのだが、私が引き千切るジェスチャーをした事から、意図を読んだのだろう。
一旦は目を伏せ、だが頭を上げると、私を見詰めて頷くパーシャだった。
◇
幸い、鎮痛剤と消毒剤(多分殺菌用アルコールだろう)は消耗品として端末内で売られて居た。
傷口を消毒した後、その鎮痛剤をパーシャに飲ませてベッドに彼女を横たえて十五分程待った私は、パーシャが股で押さえて居るタオルを少し横からずらして様子を窺ってみた。
「……血はもうそんなに出て無いみたい……ね。」
痛々しい穴は四ヶ所空いて居るが、血が出て居たのはその穴の外側の肉と金属が一部同化していた部分が私の力によって金属ごと削がれた事による傷口からだったのだろう。
傷口の状態が良く無ければ再度消毒するつもりだったが、医学の知識も無いのに内部に埋め込まれた金属を取るというのは、改めて考えると少し考えが足りなかったかと思うが……。
「良く頑張ったね……。」
私の口からは自然にそんな言葉が漏れた。
キャンプに引き入れる前には殺そうともしていた相手だったが、今のパーシャが私を見る目は、以前とは全く違い、私が彼女を見る目も、全く違って居る。
こればかりは言葉に出来ないが、彼女にも私にも、何故だか分かるのだ。
魂が引き合うという感覚が。
これで私も覚悟を決めた。
もしパーシャが人間としての資質を持って居たとしても……変わらず彼女を守り抜こう、と。
その決意はまるで、刻印の様に、私の心に刻み付けられたのだった。
◇
「ゆっくり歩いて良いから。」
雑魚モンスターを蹴り殺し、焼き殺した後、炎の剣を振りかざして言う私。
視線の先には、内股になりながらも木の杖を支えにして前に進むパーシャ。 顔色は悪いが、痛み止めのせいか、キャンプで二時間程休んだだけにしてはそれほど痛みは感じて居ない様で何よりだ。
「カナ………*****。」
「何? ロシア語は分かんないってば。」
身振り手振りで何かを訴えるパーシャに対して首を傾げる私。
「……ああ。 もしかしてこれからどこに行くか聞いてるの?」
とは言うものの、日本語で説明してもパーシャは分かりそうに無い。
尻尾で彼女の二の腕を触り、自分に付いて来いと促す私。
上目使いで私を見るパーシャだが、何故か尻尾でさわりと彼女の肌を撫でた時、やわらかい笑みを浮かべて居た。
「これから犬を殺しに行くの。 狐と犬って同族だっけ? なら同族殺し、かな。」
「カナ?」
「それは私の名前の方じゃなくて、表現の方の……って、本当に言葉の壁って厄介ね。」
溜息を付いて言う私。 勿論パーシャは意味が分かっておらず、首を傾げて苦笑いを浮かべる。
◇
あの犬は、今戦ったとしたら私にとってはもう雑魚に感じるのだろうな。
でも、面倒だがあのでかい犬を倒さないと、二階に入る権利をパーシャは得られない。
私は記憶を頼りに一階のボスである犬が居る場所を探しており、その一階をぐるぐると雑魚を倒しながら回っていた。
実は、道案内を三島さんに頼りっきりにしていたせいか、私は自分で道を覚えて居ると思っていが、池谷さんを殺した場所さえも分からなくなってしまっていたのだ。
取り敢えず方向的には合っている筈なので、結局分かれ道を右回りに進み、総当たりで進んでいる私達。
「……て……よー……。」
丁度次の十字路を右に曲がった時だった。
人間の話声がキツネの耳の方から聞こえ、私はパーシャに後ろに下がるように促すと、そのキツネの耳に集中する。
『マジ楽しー! 最高だな!』
『事故って皆で異世界転送とか、漫画かよ、アニメかよってな。』
『これで女が居りゃ最高なんだけどなっ。』
『幼女! 幼女!』
…………数は三人。 日本人の様だ。 全員男。 勿論私から彼等は敵として認定しているが、最後の男の台詞でもっとやる気が出て来たわ。
パーシャを見せたら絶対にいやらしい事をしそうな人達に容赦は要らないわね。
ここはまだ一階。 彼等を泳がせて経験値やポイントを増やして貰って、二階に降りたあたりで狩りたいところだが、今回は犬への通り道になるので……。
「パーシャ。 ちょっと行って来るね。」
私は指先でその場に居る様にパーシャに指示すると、一気に石畳みの廊下を駆け始めた。
――全力で走った私は、100m走なら何秒くらいだろうか。
彼等の声が聞こえた辺りは、私が駆け出した場所から大体50mくらい。 その距離を3つ数える程の合間で詰めたので、単純計算すれば100m6秒か。 結構速いわね。
「せっ!」
その全ての速度と、私の体重と筋力を乗せた左回し蹴りを、戦闘を歩いて居た男の頭、丁度鉄の兜の横あたりに左足の踵が当たるようにして放つ私。 勿論プロミネンスブーツは漆黒に硬化してある。
鉄の兜は私の踵の部分を中心にひしゃげ、私の回し蹴りの威力は相当なものだったらしく、なんと蹴った場所では無く、頭の反対側の鉄の兜が、内側から張り裂けると、顔の三分の二が同時にその張り裂けた方向に砕けて噴き出した。
「っぽっ!」
その衝撃で、頭を砕かれた男から変な声が一瞬上がる。
私は足を振り抜きながら空中で尻尾を使って態勢を整えると、頭を潰した重戦士風の男の横に居た、ローブの男に向かって左足の踵を今度は上から振り下ろした。
果敢にも、その私の踵を防御しようとローブ姿の男は木の杖を前に突き出すが、それは真ん中から真っ二つに折られ、私の踵落としの威力を少し殺しはしたものの、ローブ姿の男の肩口に振り下ろされるブーツの踵。
鎖骨が折れ、更に身体の内部にまで踵が入り込む感覚。
だが、ローブにはまだ淡い光を感じた。
次に手に炎の剣を使ってその男を焼き殺す筈だった私だが、そのローブの光が魔法防御に近い物の様な感じを覚え、逆に今踵が突き刺さっている様に、男は物理的には柔らかいのだから、このまま物理攻撃で行こう。
そう判断した私は、炎の剣を振り上げた腕を止め、深く身体にめり込んだ踵を軸にして、右足を大きく上に蹴り上げた。
私の右足のつま先は男の顎の下に入り込み、その男の下顎全てを、顎の噛み合わせの部分から上に蹴り飛ばし、その飛ばされた下顎は天井に叩き付けられると、血と肉片と骨が一瞬でその天井で砕け、それは飛沫の様に周囲に広がった。
その血肉が床に降り注ぐ少し前に、私は蹴り上げた右足の動きを使って更に後ろに身体を捻りながら、男に抉り込んでいた左足を抜くと、尻尾を同じ方向に振って遠心力を作り、身体全体を三回転させながら後方に距離を取って石畳の上に着地した。
その着地したすぐ目前、30cm程のところに、つい先ほど天井で砕けた肉片と血が落ちてきて、床を汚し、濡らす。
そして、間髪入れず、生き残った最後の男に向かって、石畳みを全力で蹴って飛び掛かる私。
残る一人は、何故か軍が使う様な迷彩服を着て居て――
私は炎の剣で燃やし殺そうとした自分の手を、すんでの所で止め、同じく両足を床に滑らせて身体の動きを止めた。
ぶわり、と、私が巻き起こした風が男を撫で付ける。
「……えっ。」
その吹き付けた風に驚いたのか、それとも私の風貌を見たからか、驚愕の表情を浮かべて声を上げる男。
「武器。 ピストルとか持ってる?」
そういったものを、パーシャに持たされば、彼女は自衛出来るかもしれない。
そう考えた私は、自分の眼鏡越しに、冷たい視線を向けながら男に尋ねた。
「……え。 な、ないです。 あ、ありません。」
「じゃあ、何でそんな恰好してるの?」
「しゅ、趣味で。」
「幼女も、好きなの?」
「え? あ、は、はい。 あ、あの、獣耳とか、尻尾とか、凄く良いと思います!!」
「ふぅん。 そう。」
そう言った後、私は炎の剣を持った右手を伸ばすと、男の喉元深くに食い込んだその剣は、ごぼりと喉の血を一瞬沸騰させた後、男全体を燃え上がらせたのだった。
「弱いせいか、良く燃えるわね。」
そう燃え上がる男の死体に向かって吐き捨てた後、残った二つの死体も焼き上げる私だった。
◇
幸か不幸か、いや、この場合は運が良いという事になるだろう。
その三人の男を焼き上げた場所こそが、かつて池谷さんを爆ぜ殺した通路で、それが一階に来た本来の目的だったからだ。
未だに乾いた血や肉片、それから細かい骨などは壁に残っており、それを炎の剣で撫で付ける様に焼き上げる私。
パーシャはそれを見て、私が何かの儀式をしているのだと勘違いでもしているようだ。
先ほど男たちを焼き殺したのは見て居ない様だが、壁のモノが人の肉片や血であるのは何となく理解しているらしい。
彼女は感心しているような、それでいて不思議な様な表情を浮かべて居るが、なんだかそんな無垢な彼女が可愛くて、つい尻尾で頬を触ってしまう私。
撫でられた彼女も、なんだかくすぐったそうにしながらも、私の尻尾に耳を擦り付けたのだった。
◇
池谷さんを殺した場所が判明した事で、ボスである犬が居る位置も大体判明した。
その場所に真っ直ぐ向かう事にした私達。
途中、パーシャの鎮痛剤が切れたらしいので、腰のポーチに入れておいた薬剤と水を飲ませ、小休止し、それから10分程歩いて犬の部屋……犬小屋って言って良いのかしら。
そこに辿り着いた私とパーシャ。
キツネの耳を使って気配を探ると、中には……ちゃんと犬が居る様だ。
私とパーシャは同じパーティなので、私が一人で中に入って倒しても良いのかもしれないが……。
彼女の股の傷が癒え、準備区画に帰ってレベルを上げたら、私は彼女を……自分と共に戦わせるつもりだ。
なので、この一戦は彼女に見せる必要があると、思う。
私は人差し指を唇に当て、ゆっくりと犬の居る部屋の扉を開く。
「っ!!」
その犬の大きさに驚くパーシャ。 だが、事前に私に指示されて居たように、口を隠して声を上げないようにしていた。
……さて。 出し惜しみしないで一発で決めますかね。
「我が信愛なる紅蓮の炎よ。 清く熱く切に赤く、彼の者の血潮をも熱く赤く滾らせ給え。」
グルゥ。 と、その詠唱に反応して犬が目覚めた様だ。
私はゆっくりと距離を詰めながら、詠唱を続ける。
「して、沸っする鮮血よ、弾け、放て、紅蓮の光と共に。」
何故だろう。 知力が上がったせいか、湧き上がる力が以前よりも更に……強い感覚。
「ララヒート、ナヒートヴォル、クレティアニカ、フォルテ。」
詠唱が中盤を過ぎると、まるで地鳴りの様な音が、私を中心に広がって行く。
「グレーゼ、グレーゼ、ララ、グレーゼ。」
地鳴りは気のせいでは無く、私が足を踏み出す度に、プロミネンスブーツが硬化して、魔力と共に重量感を増して居るようである。
と、ここで無謀にも犬は私に向かって襲い掛かって来た。
私は地面を大きく蹴って宙に飛ぶと、左手に集中した赤い光を――犬の顔に叩き付ける様にして、魔法を発動した。
「
ツパァン!! と、私と犬が相反する様に弾け、私はその場に留まり、顔の全てを爆発で失った犬だけが後方に大きく飛ばされた。
そして強く壁に打ち付けられると、頭の無い身体、尚且つ後ろ脚が二つ曲がって居る身体で、四肢を震わせてながら獲物を探す犬。
見上げた根性だわ。
私は一瞬飛び上がった後、プロミネスマントをゆるやかにして空気抵抗を操作して、ふわりと敵の目前の地上に降り立ち、右手に構えた炎の剣を未だに動く犬の身体に向け――――
「
そう叫んだ瞬間、私の突き出した炎の剣と同じ方向に、3m程の長さの無数の鋭い尻尾の先が、私の身体の周囲に現れ、突き出された。
次々と犬の身体に突き刺さるその尻尾の先端は獣の肉を焼くと、それを、黒墨にし、そこから重力によってぼろぼろと崩れ落ちて行く黒ずんだ物。 かつて犬だった物体はまっくろに焦げ付いて、まるで壁に化石を描いているような恰好で……絶命した。
この回数限定スキルは……対人戦というよりも、こういう巨体モンスター系への攻撃に向いて居るのかしらね。
「ア……アトリシエーナ……ヴォーダ……。」
「なんか分からないけどそれ褒めてるんだよね?」
「ダー……。」
パーシャの驚きは置いておいても、着実に強くなっている自分を実感した私は……。
不謹慎だがやはり少し気持ちが良かった。
さて、次の予定は……少し時間を置いた後、準備区画に帰ろうと思う。
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