生殺与奪

 †††††† 準備区画外某所 ††††††


「召喚士1名、召喚士の護衛兵2名、一般警備兵2名、召還した人間30名。 以上が今回の事件の被害者となりました……。」


 女性の声が石造りの壁に囲まれた部屋――――執務室と呼ばれる場所に響く。

 その部屋は、この世界の基準ではかなり豪勢と言える作りの家具や調度品で整えられていた。

 部屋の奥には、四十代前半の男性が赤基調で黒い細かい細工の施された椅子に腰掛けており、そこから足を伸ばして、艶やかに黒光る漆黒の机の上に白いブーツを履いた足を組んで乗せている。

 男は、彼の職位であれば常時被る事を義務付けられている、前側につばの付いた白い帽子を深く被っており、壁に灯る青い光に照らされたその帽子の裏に隠れた男の相貌を見る事は下から覗き込まない限りは不可能と言えるだろう。

 一見、淡々と女性の報告を聞いて居る様な印象を受けるのだが、彼の口は横一文字に閉じられ、少しの笑みも浮かべて居ない事から、彼の机の前に直立不動で立つ20代前半と見られる女性が報告した内容は、彼にとって好ましい物では無かったのであろう。

 少なくとも女性は彼の様子をそう察し、緊張した面持ちで、彼の返事を待ち、唾を一つ飲み込んだ。

 やがて、その音に反応したかの様に、男は帽子のつばを右手の親指で少し上に上げると、鋭い眼差しを見せながら女の顔を見上げ、組んでいる自分の足を見下ろす様に目線を移すと、ようやく口を開き始めた。


「……随分と酷い犠牲者の数だな。 あちらの世界から召喚する際、武器の類は除外して転送する様に徹底してある筈であろう。」

「はっ……。 返す言葉も御座いません。」

「貴様から返す言葉は無い、か。 ……ならば彼女には感知が出来なかった事情があるとでも言うのかね。」


 男が口にした言葉にはため息が混じっており、自分を叱責する様な口調では無く、言わば愚痴に近いものだと認識した彼女は、取り敢えずの男の反応に安堵の溜息を一つ付くと、


「今回の件は異常だったとしか言いようがありません。 召喚した対象の一人の身体の中に武器を隠して居たなど誰が考えましょうか。」


 苦笑いを浮かべながらそう報告するのだった。


「なんだと? 身体の中とはどういう意味だ。」


 男はその異常だったと女が報告した内容に眉を顰める。


「今回の召喚は対象が命を落とす時間までの設定を通常より長くしておりました故、乗船・・した際に既に死体となっていた者の体内に武器が隠されて居た事を、彼女は見過ごしてしまったのでしょう。」

「では……その死体がまだ生きていた時間から、彼等の最後の時までの時間と空間が召喚対象となった訳か。」

「ご指摘の通りであります。 彼等の事象の始まりから終わりまでは一週間以上あったと、召還の前に彼女が書いた報告書には記載されておりました。」

「体内にそのまま武器が取り残されていたという事は、その武器を埋め込んだ者がそれを実際の目的に使う事は無く、だが結局全員が死んだという事か。 確かにそれでは武器があったかどうかを判断するのはほぼ不可能であっただろうな。」

「はっ。 今回の事象は私が調べて居た訳では無いので、実際に何が起こったのか詳しくは知りませぬが、最後は多分乗っていた船が沈みでもしたのでしょう。 彼女は以前私が召喚した者の数に対抗しようとして、態々死人が多い事象を特定し、召喚に臨んだのだと思いますが……。」

「その数に意固地になって、その『船』という空間を固定し、尚且つ時間を拡張した訳か。 では、最後の時に死んだ者に数を絞れば結果は違ったと?」

「いえ。 逆であります。 『船』という空間に最後の時に死体となっていた全の者を召喚する為に、一週間以上の時間に拡張せねばならなかったのであります。」

「ん? そう……か。 彼女の召喚方法は……。」

「はい。 私と同じく空間固定でありますので、召喚対象の者達がどの様に命を落としたのか、もう少し観察すべきだと意見は出したのですが……観察者を通して調べて、どこにも武器は見えないのに問題はあるのか、手柄を横取りするつもりかとまで言ったという彼女に、結局押し切られてしまいました……。」

「貴様の浮かない顔はそれが理由か。 しかも……一日二日ならまだしも、一週間以上であれば彼女程の魔力が無ければ空間固定召喚が出来なかったのも事実、か。」

「はっ。 それもまた私が彼女を止める事が出来なかった理由の一つであります……。」

「あのリディアが、な……惜しい人材を無くしたな、貴様も俺も。」

「で、ありますが……隊長。 個別名称はここでは厳禁かと存じますが。」

「……そうでだったな。 召喚士殿。 指摘に感謝する。」

「いえ……それで、如何致しましょうか。 まず……あの召喚士と護衛兵、警備兵の遺族に対する保証は。」

「召喚士にはまだ家族が居たのだったか。」

「はい。 娘が一人……。」

「いくつになる?」

「9つか10か……確かそれくらいだったかと。」

「そうか。 彼女の様に有能な召喚士になれば良いな。 特例だが今回殉職した召喚士の家族には28万。 いや……30万の遺族保証を与える事とする。 護衛兵と警備兵には遺族は居るのか?」

「一人の警護兵には妻と娘が。 一人の護衛兵には15で成人した息子が一人おります。」

「ならばそれぞれ10万くらいで良いであろうかな。」

「結構……お渡しになるのですね。 通常ならばその半分以下でありましょうに。」

「結果的に三十人級の召喚を成功させはしたのだ。 彼女らの仕事には報いねばなるまい。」

「そして、兵士達は身体を張ってその召喚の護衛と警備の仕事をした……ですか。」

「そうなるな。」


 男の言葉に、僅かばかり目を細める女。

 先日殉職した兵士は、自身の失態により命を失ったが故、今回の様に手厚い保障を与える事はしなかった。 普段部下に厳しい反面、こういった場面では正当に評価する姿に女は素直に感心したのだった。


「だが、貴様の方はどうだ。 あれだけの人を殺したという人物を念話で特定すれば、あいつらの誰かしらが彼の者を迷宮に連れ込んで殺してくれる事だろうと貴様は踏んでの判断だろうが……本当は延々と続くかもしれぬ拷問を自分で行うのも、その役目を誰かに押し付けるのも面倒なだけだったのではないか。」

「お言葉ですが隊長。 時間も役目も無駄にならずに済んだ事は確かではありませぬか。」


 男が本気で怒って居る訳では無いと既に女は感じ取って居た。

 殉職した召喚士と自分を対照的に比喩する事により、彼女の死の意味を更に昇華させようとしているのだろう。 それも読み取った女は、反論する事により、彼女の死の意味に女なりの色を付けてみたつもりだった。

 

「……ふむ。 貴様らしいと言えばらしい返答だな。」


 一瞬男は笑った様な気がした女だが、気付かぬフリをし、


「それは褒められて居るのでしょうか?」


 自分は多少微笑みを交えつつ、そう質問するのだった。


「……さてな。 貴様はいつもそうやって召喚した者らに甘いようで居て、実はしっかりと我々に利益を齎す良い按配の所で落とし前を付けて来るからな。 その点では褒める以外あるまい。」

「はっ。 そう評価して頂けるのは光栄であります。」

「……だが、咎人の刻印も押さずに念話を先に出すとは、今回はあの者らに甘すぎたと言われても過言ではないな。 その釈明はあるのか?」

「それは……彼の者が準備区画に留まっておればすぐにでも行うつもりでありました故。」

「……何? 留まって居ない、だと? ならば既に自らの意思で迷宮に入り込んでいるというのか。」

「はっ。 彼自身の意思かどうかは分かりかねますが、神殿に寄って能力を上げなかった事も確認済みであります。」

「馬鹿な。 能力も上げずに素の状態のまま迷宮に入るとは……。 迷宮の解説やレベルや素質の説明は既に済ませてあったのだろう? まさか、あれが持ち込んだ武器とは、余程頼りになる物であったのか……?」

「召喚士が説明を終えた後の隙を付いて、彼女だけで無く護衛兵二人をも殺せる威力はあったのだと思われます。 報告によれば、召還士と護衛兵を殺した犯人は三人組で、そのうち二人は護衛兵に返り討ちにされた様でありますので、我々にとってそれほど圧倒的な武器とは言えないでしょう。」

「魔法の使用回数が残って居れば対処も可能だったかもしれぬが、結局全ては油断から、か。」


 顔を顰める男に、黙って静かに頷く召喚士の女。


「……どのようにして身体の内部にあった武器を取り出したのかは判明しているのか?」


 男は、再度女に目線を合わせると、彼女の説明ではそれ程の脅威はその武器には感じられなかったが、一応責任者として脅威の度合いを判定し、必要ならば特別な処置をせねばなるまいと考えたのだろう。

 状況を知っているならばまだ詳しく話せと顎で女に促しながら言う男。


「……はっ。 召喚された一人の女性の……腹部に武器は隠してあったようで……。 錯乱した犯人達は武器を埋め込んだ女の腹を携帯していた刃物で裂いてその武器を取り出し、それを召喚士達の殺害に使ったようであります。」


 心底嫌そうな顔を見せる女。 腹部とは、普段は冷静な彼女でさえも、女としては想像しただけで嫌気がする部分だったと推測する男。


「成程。 女ならば猶更好んで見たくは無い光景だったと言う事か。 それに気圧されたか……。」

「どちらにせよ、結果的に彼女は命を落としました。 あの時私が彼女を止めていれば……。 これは、私の……召喚士筆頭としての責任でもあります。」

「彼女等の死の責任を貴様に押し付けるつもりは無い。 既にそれは終わった事だ、召喚士筆頭。」

「はっ……。」

「……結果論で言えば迷宮に対象が逃げ込んだだけの事だからな。 結局その武器もあちらの世界の武器であれば魔法攻撃という事はあり得んのだから、最悪物理防御を徹底して対処すれば問題あるまい。」

「ですが今回は……。」

「なんだ。 まだ何か懸念があるのか?」


 顎に右手を添え、一考する男。 僅かながら男とは反対方向に身体を後ろに逸らせる女。


「……まさか貴様、あれに追跡者を付ける事も、追跡魔法や位置特定魔法を掛ける事も出来なかったのか。」

「……仰る通りであります。 ですが、迷宮に入った事だけは明確でしたので……。」

「それが今回、貴様が貴様らしくない顔をしている理由か……。」  


 と、男は、呆れた様に息を吐く。 少しバツが悪そうに後手で持った召喚用の杖をしゃらんと揺らす女。

 その時だった。 二人が居た部屋の扉の外に付いた金具ノッカーが数度叩かれる。


「……入れ。」


 男が事務的に扉に向かってそう言うと、


「はっ! お話し中失礼致します!」


 緊張した面持ちで部屋の中に入って来たのは召喚士の護衛兵の一人だった。


「迷宮の一階から、召喚対象30人級及び、召喚士と兵士のエウパ・・・を確認。 件の殺人鬼が死んだ際に放出された物と思われます。」


 慌てた様子で護衛兵がその部屋に入って来たが、召喚士の立場を守る情報を持ち込めた事に安堵した表情を携えて居た。 護衛兵は召喚士の女に目配せし、これで大丈夫ですよ、と、軽く頷く。

 と、女も張っていた肩の筋肉を緩め、『助かったわ。』と、護衛兵に目で礼を言うのだった。


「ふむ……随分早いな。 召喚士の彼女から報告があったのは今の今だというのに。」

「しかし、事実でありますれば……。」

「疑って居る訳では無い。 ただ驚愕しておるのだよ。 召喚士をも殺せる武器を持った男を、準備区画で殺さずに無力化した後に、迷宮に引きずり込んで殺した、と。 この短時間で?」


 言いながら両足を机の上から降ろし、机の右側に置いて居た水差しに手を伸ばす男。

 その水差しの中には真っ白な液体が入っており、果実酒の一種であるそれを金色の杯に注ぎ、こくりと喉を鳴らして一口それを飲むと、一息付いて兵士に再び視線を向け、顎で報告を続けろと男は命じた。


「はっ。 ……しかも殺害した相手は二人組の様であります。 こちら側で収穫・・できたエウパは通常の四倍の量であったと、観測者の報告が上がって来ておりますので。」

「……一体何者なのだその二人組は。」

「こちらでは把握出来ておりません……。 ただ、咎人と共に召喚された人数と死体の数が若干合って居ない報告から推測しますと、仲間割れか、それともその咎人に敵対した者が甘言を交えて殺したのでは無いでかと考えられます。」

「……そうか。 その可能性もある、か。」

「はい。 隊長が思い付いた、あの殺人集団――――ラゼットグループの一味の仕業で無い事は確かな様です。」

「何故分かる。」

「エウパが観測された時、彼等全員はそれこそあれを狩ろうと酒場で準備をしていた様ですので。 今頃準備区画を探して何処にも目標が居ない事に気付き、先を越されたと地団駄でも踏んでおるのではないでしょうか。」

「ふむ……今回召喚した者の中にも、骨のある者が出て来たという事か。」

「少なからずとも、咎人を殺した二人組は、この一回だけで能力増強による人間の限界値に達する事が出来るかもしれませぬな。 何せ召喚した者の三十人に加えて、召喚士一人に兵士四人分のエウパでありますので。」

「一回の戦闘で、一人前に、か。 その二人の素質は分からんのか?」

「素質どころか、性別さえ分かりませぬ。 召喚士と同行した護衛兵がその情報を死と共に持って行ってしまわれましたので。」

「成程な。 ……仕方あるまい。」

「特定を斥候部隊の第一目標に致しましょうか?」

「ふむ……いや。 下手に刺激してこちらの兵士を危険に晒す意味が見出せぬ。 逆にそれだけ強ければその二人だけでも迷宮の攻略に挑むやもしれんしな。」

「確かに……。」

「――――ここ数日低階層でエウパの収穫が目立って居る様に、最近の動向は予想以上に良いと言えるな。」

「やはり数でしょうか。 前々回に彼女が召喚した者らの動きが特に良いようであります。」


 と、召喚士の女は兵士と男の会話に割り込む様にして言う。 彼女の功績を伝える事で、隊長と呼ばれた男と、もう一度彼女の居た意味を共有したかったのだろう。

 その意図が分かったのか、目を伏せて静かに笑う男。


「惜しい者を無くしたと、再び後悔でもすれば良いのかね。」

「そう言う意味では……。」

「……少し意地悪な言い方をしたかな。 すまぬ。」

「いえ……私も少し固執し過ぎたかと存じます……そう言えば、あの殺人集団、ラゼットグループの事ですが、そろそろ対処した方がよろしいのではないでしょうか?」


 と、機転を利かせて話題を変える女。


「あれはあれでエウパを産出してくれる良い道具だと言っていたのは貴様では無いか。」

「そう思ってはいたのですが、今では他の者に比べて多少強くなりすぎて居るのかと思いまして。」

「我々の手に余る程にか?」

「それはどうでしょう。 神技セークリッドアートが効きますので、最悪はそれで拘束は可能です。」

「懸念は迷宮の攻略者を足止めする事になっている事だな。」

「仰る通りです。 噂では我等の部隊の前線基地の様子が芳しく無いようでして……。」

「強制的に前線に送る転送器の研究は未だ中途であり、一向に進む気配が無いらしいからな。 英雄王が遺した研究を完成させるには、やはり同じくらいの天才の手によるもので無くては完成しないのかもしれぬな。」


 言って苦笑いを浮かべる男。 器の中に満たされた液体は彼の表情を映し出し、その表情には故人を慈しむ感情が見え隠れしていた。


「隊長……。」

「詮なき事を言ったな。 すまん。」

「いえ。 我等の誰もが英雄王エリクス様の死を惜しんでおります……。 ですが、生物として寿命には敵いませぬよ。」

「英雄王は先に寿命を克服する研究をするべきだったのかもしれんな。」

「それこそ詮なき事ではありませぬか……存亡の危機と自己の存命、前者を取るからこそ英雄王足り得たのではないですか。」

「それを貴様の口から言われるとはな……。 まあ良い。 話は戻るがラゼットグループに関しては貴様に一任する。」

「それは……度が過ぎれば……私めが排除しても構わないと言う事でしょうか?」

「誰が殺したところでエウパの発生量は変わるまい。 ただ、召喚した人間達には我々が手を下した事を知られてはならんぞ。 まあ、そういうのが得意な貴様の事だ。 適当になんとかするが良い。」

「……はっ! お任せ下さい!」


 予想以上の権限を男から与えられた女は驚喜し、知らずに口の端が上がってしまうのを押さえる事が出来なかった。

 男はその笑みに、結局こいつは人殺しを楽しむあの集団の事を良くは思っては居ないだけなのでは無いか、と、一瞬冷たい視線を浴びせるが、女はそれに気付かずに、頷いたまま笑い続けるのだった。

 召喚士筆頭。 彼女には召喚した者に対する罪悪感があるのは否めなかった。

 次々と違う世界から人間を召喚しては迷宮に送り込むという役目の筆頭。

 その彼女が召喚した人間の一部が、殺人集団の一部と化し、今はその彼等に自ら手を下そうとしている。 そういう言い方をすれば業の深き事よ、と、男は溜息を一つ漏らし、更に話題を一つ遡らせる。


「さて、結果として召喚士と兵士が死んだ分のエウパの一部を収穫する事が出来た訳だが……自分の娘や子供にその自分の命をポイントに変えて残す、か。 ……皮肉な話だな。」

「何も残せぬ者よりは良いではありませぬか。 私などもう子が産めぬ身体になっております故、家族と言えば兄の息子、一人の甥しかおりませぬよ。」

「そうか……貴様は先の戦闘で負傷したと聞いて居たが、腹をやられたのか。」

「まあ、やられたというか何というか……。 味方に救出されるまで……。」

「すまん。 その先は言わなくて良い。」


 男は器をもう一つ用意すると、その器に自分が飲んでいる物と同じ物を注ぎ、女の前に突き出す。


「生きる事は希望であり、希望とは生きる事だ。 過去を振り返ってはならぬ。」

「エリクス様の言葉ですね。 続きは確か……。」

「「過去は良い酒と共に洗い流せ。」」


 女と同時にその言葉を言った男は、女が手に持った盃に自分の盃を当てる。

 硬い金属音と共に波打つ盃の中の液体。


「貴様等も付き合え。 同じ護衛兵の弔いだ。」


 女が盃に口を付けたのを確かめると、彼女の両脇に立っていた兵士にも盃をそれぞれ突き出す男。


「宜しいのですか……我々までもがそんな良い酒を頂いてしまって……。」


 顔を合わせて不安気な表情を見せる護衛兵達。


「酒は幾らでも作れる。 それこそ、死んだ護衛兵のエウパでこれ何杯分の酒が作れるだろうな。 だが、時間はそうはいかん。 50年の時がただの酒を極上の酒にするのだ。 エリクス様達が守ってきたこの時代を味わう機会は滅多に無いぞ。 黙って飲んでおけ。」

「「はっ!!」」


 盃を片手に敬礼をした二人の兵士の目には、仲間の死と、そして自分達が歩んできた軌跡を辿った証として涙が滲んでいた。 しかし、口元には震える笑みを浮かべ、同時に極上の酒が味わえる機会に歓喜していたのだった。

 やがて男の右手に持った水差しから注がれる50年という歴史の酒。


 その味は……。 その兵士達が持つ悲しい過去を洗い流すには十分だったようだ。

 彼等の口元の笑みはもう震えておらず、彼等の目元は乾き始めていた。


 ◇


 †††††† 迷宮一階小部屋 ††††††


 目の前で怯えて居た少女は、いつの間にか泣き止んで、ただ私を見詰めて居た。

 それは多分、私が彼女に自分の涙を見せてしまったからなのだろう。

 今の彼女の瞳には、憐憫の感情が混じっているのが見て取れ、私はまだ三島さんが裏切ったと決まった訳では無いのにも関わらず、勝手に想像して勝手に泣いてしまっていたのだと気付き、焦って涙を拭い取る私。

 だが、その涙を拭く動作も女の子に見られた事を自覚すると、私は、居心地の悪さ、言わば羞恥心を感じ始めてしまった。


「何……やってんだろ。 私。」


 ぼそり、とそんな事を口にした私は、先ほどまで自分が女の子に抱いて居た、彼女を死ぬまで弄びたいという嗜虐心が、羞恥心とは反比例して無くなっていっている事に気付く。


「でも……どうしよう。」


 改めて女の子を見て、独りごちる私。

 そうは言っても、彼女を殺すか殺さないかは私の嗜虐心とは話が別なのだ。

 私がここで彼女を殺さなければ、将来自分の敵になるかもしれない相手を、みすみす逃がしてしまう事になるのだから。

 しかし、そんな事を考えて居る合間に、女の子の方から足を摺り寄せる様にして私の方に距離を縮めて来る。

 と、私の意識とは関係無く、私のキツネの本能が勝手にそうさせたのだろう――――威嚇の為にか、それとも自分がここに居るという存在を誇示する為か、私の尻尾が大きく左右に二度振るわれた。

 すると、その行動は私が心を許したのだと女の子に勘違いをさせてしまったようである。

 表情に多少の驚きを交え、軽い足取りで数歩こちらに近づいて来た女の子。

 そのまま私の傍に来るのかと一瞬私は身構えようとするが、私の目前2mで足を止め、彼女より少しだけ背の高い私を見上げる様にして――――女の子は私に手を差し伸べた。

 ……なんて無茶なことをするのだろう。


「やめて。 これ以上近づかないで。 本当に殺すよ?」

「…………ダー。」


 何……。 何で……意味も分からないのに私の言葉に頷いてるのよ、この子。

 それに、私だって、何で何も言わずに殺さないのだろう。

 すると、そんな私の戸惑いとは裏腹に、遂に私の炎の剣が届くところまで一歩足を踏み出した彼女。

 私の手が少し動かされるだけで、自分が燃やされてしまうかもしれないのに……。


 私は彼女が私のパーティメンバーだと知っており、そのせいで自分の魔法が女の子に効果が無い事も知っていた。

 だから私は自分の魔法で出したこの剣を振る事は無いが――――それを知らない筈の彼女は何故、迷い無く私の攻撃範囲に入る事が出来るのだろうか。

 私か彼女を攻撃しないと高を括っているのか? だとしたら、何が彼女にそう思わせる?

 ――――そう逡巡した私だったが、すぐにそれが杞憂だった事を知る。

 女の子は……また泣いて居たからだ。

 彼女は震える指先で尚、私に向かって手を伸ばしていた。

 口をへの字に曲げて、溢れる涙をそのままに。

 だが、それでも足を私に向かって進める。


 ……私が、彼女を生かすも殺すも自由だと知って尚、私に保護を求めて来たのか……。

 私が泣いたのを見て、もし私に泣くという感情があるのなら、自分を殺さずに守ってくれる余地はあるかもしれないとでも考えたのか。

 彼女が一体今何を考えて居るのか私には判断しかねるが、改めて女の子の手を見てみると、その手は私に握手を求めているものでは無いのではないかと思えて来る。

 まるで無償の愛を子供が母に求める様な手付きに……段々と私には見えてしまっているのだ。


 ふと、嘘か本当かは分からないが、前の世界で獣に育てられた少女の話を思い出した私。

 獣は少女と出会った時、あまりの無垢さに少女を襲う事が出来ず、あまつさえ自分の餌を分け与え、少女と共に暮らす事を決めたのだそうだ。

 もしその話が本当なら、狐と女の子だって、そう言う関係にはなれないとは言い切れない。


「裏切ったら殺すからね。」

「…………ダー。」

「人間を敵に回す事になるんだよ? 本当に良いの?」

「…………ダー。」


 絶対に私の話なんて分かって居る筈が無いのに、そうやって二度頷いて、いつしか彼女の右手は私の左腕に添えられて居た。

 彼女の体温が、じわり、と、腕に伝わる。

 その彼女の手の温もりに、遂に私は負けてしまい、私は彼女の頭を……そっと撫でてしまっていた。

 手袋越しに伝わる、私の髪質とは違う、少しふわりとした感触。

 途端、ぶわりと女の子の目から涙が更に溢れ出して来た。

 そして、私の前で崩れ落ち、顔を両手で覆い、声を上げてわんわんと泣き始めた。


「何よ。 まるで私が苛めてるみたいじゃない。」

「…………ニェット。」


 今度は首を横に振る女の子。 まるで私の言葉が分かって居る様に。

 ……駄目だ。 もうこんなんじゃ殺せない。

 そう。 例え将来裏切られるかもしれないと思っても、今の彼女を殺す事は、私にはもう出来なかった。


 ◇


 迷宮の中なので、殺した虫の体液はどこかに消えたが、男の血肉は消えずにそのまま部屋の中に残っていた。

 そこに留まる事を嫌がった私達はその部屋を後にし、更に迷宮の少し奥にある小部屋に足を進めると、私はそこでキャンプを開く事にした。

 と、ちょこちょこと私の後ろに付いてきていた女の子が、私がポーチから取り出した手に持った宝珠が『エクスパンド』と命令した後に光り出したのを覗き込む様に見る。

 やがて点滅が始まると、


「……マギヤ?」


 と、私に向かって聞いて来た。


「え? マギヤ? マギカ? マジック……魔法かって事?」


 私は点滅する玉を床に転がしながら彼女に聞く。


「…………ダー……。」

 

 そうか。 魔法か。 私が使っている魔法な訳じゃないけど、魔法な道具なのだから魔法で間違いは無いのかな。

 やがて目の前にキャンプの扉が現れると、一歩後ずさりしてそれを本当に魔法だ、と、驚きを交えて見る女の子。 そのすぐ後に、私と扉を交互に見て……どういう意図があるのか探って居るのだろうか。

 私は一歩前に出ると、当然の様に扉を開けてその扉の中に入る。 と、慌てて私の後を付いて扉の中に入って来た女の子。

 彼女はもう泣いてはおらず、玄関を過ぎてキャンプの中に入ってからも、そうやって私の一挙一動を見ながら、おずおずと私の後に纏わり付いて居た。

 ……そういう彼女の態度が、もうあまり不快では無くなってしまった自分が少し憎らしい。


 キャンプの扉を閉め、鍵を掛けた後、まずは身綺麗にしようと私は血塗られたブーツとマントに洗浄剤を使い、彼女の服にも洗浄剤を使った。

 すると、一瞬で汚れが取れた事に驚いた彼女は、ロシア語で何かを言った後、嬉しそうに私を見上げる。

 と、その後に、ここはどこかと周りを見渡し始めた彼女。

 すると、ここが個室であり、ベッドがある事と、施錠された扉を改めて見て、安堵の溜息を漏らしたのだった。


「…………名前、何?」

「?」


 日本語で言っても分かる訳無いか。


「加奈。 私、加奈。」


 私は自分を人差し指で指差して、そう言った。 同時に、頭に被っていた帽子も脱ぐ。

 ぴょん、と、私の頭の上から飛び出るキツネの耳を見て、何か可愛い物でも見つけたかの様に、ほわんとした顔をする女の子。

 失礼ね。 私の方が多分年上よ。


「で、名前。 何? えっと、ネーム。」


 私は失礼かと思ったが、女の子を指差してそう言った。 すると、


「……っ! パーシャ! ミニェアザヴートパーシャ!」


 多少驚きながらも、嬉しそうにそう言う女の子。


「パーシャ?」

「ダー。」


 成程。 彼女の名前はパーシャと言うらしい。


「カナ?」

「何よ。」

「カナ!」

「だから何よ。」


 私の名前を連呼するパーシャに返事をしながら、多少冷たい視線を向ける私。

 しかし、そんな私の視線はお構い無しに、嬉しそうな顔をして、自分の頬に両手を添えるパーシャ。

 全く。 さっきまで大泣きして居たかと思えばこれだ。

 私とは違って感情が豊かな子なのだろうか。

 人殺しの私に手を差し伸べるくらいのお人好しである事は事実だが。

 私は、この子の目の前であの男の人を殺してるのだが、それはもう気にならないのだろうか。

 それとも彼女の中で全て納得済みなのかは良く分からないが、頭が壊れて居ないという事は、少なくとも芯が強い子であるのは確かな様だ。

 私だけでなく、あの男が何十人も人を殺したのも見て来た筈なのだから。

 それから慰み者にされそうになり、挙句の果てに私の残虐な殺し方を見せられ……やはり良く心が壊れなかったものだと思う。

 自分とパーシャの立場を置き換えてみると、私なら三十人が撃ち殺されて男の脇に抱えられた時点で気を失って居たかもしれない。

 例え気を失って居なかったとして、私なら迷宮に付いて来るという選択肢は取らなかったと思うし、もし迷宮に付いて来たとしても、男を殺した時点で私に背中を向けて一目散に逃げて居た事だろう。

 その場合、私に後ろから襲い掛かられ、蹴り殺されて居ただろうな……。

 自分の残虐性はさて置き、パーシャという少女が特殊な部類に入るという事は確かな様だ。


「**……****? カナ。」


 と、パーシャはロシア語で何かを言って、自分のお腹を擦って、私を上目遣いで見上げる。

 ……まさか、お腹が空いたというの? あの惨殺死体を見た後で?

 

「っぷ……あははははっ!!」


 彼女のあまりの無邪気さに気が抜ける私は、つい笑い転げてしまうのだった。

 それをきょとんとした表情で見たパーシャは、その私の笑い顔を見て、はにかむ様に微笑むのだった。

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