本能擬態

 床に残った血や肉片は、迷宮に巣食う所謂一つのモンスター達が美味しく召し上がってくれると推測されるので、私は男の体が引き摺られる事によって作られる血の跡を気にせず迷宮を進んでいた。

 だが、私に付いてきた女の子は私と息も絶え絶えなその男を交互に見て、私が実際にこれから彼をどうしようとしているのかを必死に考えて居るらしい。

 私は目立たない所にまで彼を引き摺って行って、そこで殺そうかと考えて居るのだが、どちらかと言うと、彼を生かす事よりも、そうやって私がこの男を殺す事の方をこの子は望んで居ると見られる。

 水色のワンピースを着た、12、3歳くらいのウェーブの掛かったセミロングの金髪の少女。

 男と既に何かがあったのかどうかは知らないが、彼を一息に殺さないのかと私を睨んだり、私が男を一時的に助けた事も、恨みがましい目を私に向け、不満げな口調で何かを言っていたであろう事から、彼女は男にかなりの殺意を抱いて居たと考えられる。

 だが、彼女くらいの歳の女の子が、そうやって執拗に人を殺そうとまで考えるものなのだろうか。

 金髪碧眼のフランス人形の様な容姿の彼女を見て、改めて彼女の出自を考える私。

 男が持っていたピストルは、私達の世界にあったものに形が似ていたし、彼女が着ている服も私の世界の洋服に似ている。 

 違う世界でも同じ形状の物が作られ無いとは限らないが……まあ、本人に直接聞いてみるのが早いか。


「えっと……フレンチ?」


 直球だが、右手に持った炎の剣を彼女に向けて聞いてみた。

 すると、身体をびくりと震わせて、切っ先から後ずさって距離を空ける女の子。

 ……私に焼き斬られるとでも思ったのか。

 私は背中のプロミネンスマントに炎の剣を仕舞い、そんなつもりじゃない、と、素手で彼女の目の前で横に手を振った後、改めて、


「ジャーマン? イタリアン? えっと……アメリカン?」


 思い付く限りの国名を言ってみる私。 首を傾げる女の子。

 伝わらなかったかな? それともやっぱり私とは全然違う世界から来たのだろうか。


「ロッシャ。」


 『ロ』が滅茶苦茶巻き舌で、響きから言って……ロシア。 そうか、ロシア人なのか。 この子は。


「ジャパニーズ。」


 彼女に聞いてばかりなのは不公平だと思った私は、自分を人差し指で差して言った。

 女の子は、その私の言葉に一瞬困惑した顔を見せるが、ああ、あの国の事かと理解して軽く頷き、でもその動きも一瞬止まり、首が横に少し傾げられた。

 噂では温厚だとか言われているその日本人。 だが今自分の前に居る自分より少し上くらいの歳の自称日本人の女の子は、大の男を半殺しにした後、その男の身体を床に引き摺って歩いていた。

 女の子は、自分が抱いていた日本人のイメージが、私に当て嵌まらなかった事に困惑しているのだろうか、怪訝な顔をする。

 いや、むしろ、日本人というイメージから、私がちゃんと男を殺せるのだろうかと疑って居るのか?


 ……結局彼女の表情だけでは何を言いたいのか分からないし、口で色々と説明するにも、言葉の壁があるのでぶっちゃけ面倒だ。

 なので、まあ私の行動を見ていれば分かるでしょ、と、私は無言で歩みを続けた。

 

 目的地に辿り着いた私は、確か先が20畳くらいの広さの小部屋があった筈だな、と、思い出しながら扉を蹴り開け、引き摺っていた男の腕を振り回して、その腕に繋がった扉の中に左手の力を思い切り使って投げ入れた。

 と、彼の腕を私の手が離す瞬間に、ごくん、と、男の肩の骨が抜ける音がする。

 男一人の体重を無理矢理一本の腕に乗せると、結構簡単に抜けるものなのね。

 さて、滑り込む様にしてその小部屋の真ん中に放り出される男の身体だが―――― 


「**!?」


 驚きの声を上げる女の子。 だが、それは私が部屋に男を放り投げた事に驚いた声なのだろうか。 まあ、多分違う。

 ちなみに、私も不覚にも驚いてしまった。 蹴り開けた扉の中に、先客が居るなんて思わないじゃない?

 男が滑り込んだ小部屋の中には20匹以上の大きなムカデ達がわさわさと石畳の上を蠢いて居て、それを私のマントと炎の剣が照らし出す。


「……おうぅ。」


 私も何とも気持ちが悪い。 生物学的に見て気持ちの悪い物というのは居る物で、女の子も顔を顰めてその無数に足の生えた節足動物達を見ていた。

 

 ううむ……手っ取り早いし、男はそのままムカデに食わせてしまおうかな。

 喚く女の子の脇で、腕組みをしながらそんな事を考える私。

 やがて、獲物みーつけた、と、わさわさと足音を立てながら、ムカデ達は男に近寄って行った。

 そうか。 食べちゃうのか。 うん……。

 ……うん? ……でも待てよ。

 何十人と殺して来た男……そんな男が、ポイントも経験値も美味しくない訳が無いわよね。

 このままムカデに食べさせてしまって、折角のそれらが無くなってしまったら、随分と勿体無い事をしてしまうのではないか?


 私は大きく前に跳躍して男が倒れた場所の隣に軽々と降り立つと、まず男の全身を見降ろした。

 横たわっている男にはまだしぶとく意識があるらしく、迷宮に入ってからいきなり床に落とされたのも、腕を引き摺られて身体のあちこちに擦り傷を作られたのも、最後にムカデが蠢くこの小部屋のど真ん中に放り投げられて肩が抜けてどこかしらを石畳にぶつけたのも、何もかも気に食わないらしく、憤怒の眼差しで私を見上げて居た。

 確かに私も同じことをされたら怒るかもしれないが、私を撃ったのも犯そうとしたのもあんたじゃないの。 そんな目で見られても困るわ。

 ……そう考えると、私がそうやって睨まれるのはやっぱりなんか理不尽よね。


「一思いに殺してあげるの……やめようかな。」


 私の心の中の黒い泉に、ぽこり、と何かが湧き上がる様な感覚――――これは嗜虐心かな。

 まあいいわ。 今は息があるなら、私には先にする事があるから待ってなさい、と、優しい目をして微笑んであげる私。

 意図的では無かったが、その私の眼差しと微笑みに騙されたのか、目を半開きにして今度は有難そうに私を見る男。

 そんな男の希望を今から踏み躙ってしまうのかと思うと、多少心が痛むのかと思ったが、こんなに体格の良い男の人を力や表情だけで翻弄出来るなんて……逆に背筋にぞくりと何かが走って、それはとてもいけない物だと分かっていても、本気で口に微笑を浮かべてしまう私だった。


「***! ****!」


 と、私が女の子の傍からいきなり男の元に跳んで行ったせいか、部屋の入り口付近で涙声で何かを叫ぶ女の子。 ムカデの群れの前に、一人にされた事を嘆いているのだろうか。


「うるさいよっ! 今片付けるから黙ってて!」


 私がそう叫ぶと、怒られて居るのだと分かったのか、半泣きになりながらも口を紡ぐ女の子。

 さて、と、改めてムカデを見ると、憎々しいったらありゃしない。

 かつて私の太腿を噛んだムカデと同じ種類の奴等なのだろう。

 でもね。 今回は……私が楽しませて貰うわよ。

 私はブーツだけを漆黒に硬化させ、まず一番近くに居たムカデをサッカーボールを蹴る様に壁に向かって蹴り出した。

 と、ムカデの身体を壁にぶち当てて潰そうと考えていた私だが、また力の加減を間違えてしまったらしい。 今度はムカデの身体を真っ二つに引き裂いてしまった。

 ムカデの緑色の体液だけが引き裂かれた胴体から飛び散り、何本あるか分からない足が一瞬で活動を止める。

 ざわり、と、一匹が一瞬で殺された光景を見て、他のムカデの様子が一気に変わった。

 男を捕食するような態勢から、私を取り囲むような臨戦態勢に。


「へぇ。 戦うんだ?」


 私は背中に携えられた炎の剣に手を伸ばし、言葉など解る筈もない虫に声を掛ける。

 ――――そして右手で右から左へ横から一閃。

 床近くを私の炎の剣の切っ先が薙ぎ、残り火を揺らして振り抜かれると、剣の軌道に居た四匹のムカデを一気に、ぼぅ! と、燃え上がらせた。

 腕を振った勢いと同時に、仕舞い込んで居た尻尾を振り回す様にして使って身体を一回転させた私は、右足を一旦地面に付けて身体の位置を少し左に移した後、左足を軸にして、次は先ほど焼き殺したムカデの左に居た二匹のムカデのうち、手前のムカデのに私の右足を蹴り出した。

 右足の甲がムカデの胴体にめり込み――ムカデは吹き飛ばされて奥に居たムカデに見事にぶち当たり、二匹仲良く抱き合う様にぶつかると、衝撃で互いの身体の殻が砕け、中の緑色の液体が辺り一面にまき散らされる。

 今度は思い通りの結果を得られた事で、自分の力具合を確認する私。


「……うん。 こんな感じか。」


 尻尾を左右に振り回しながらそう言う私。

 ふむ。 炎の光に照らされると、私の尻尾って金色じゃなくて赤っぽく光るのね。

 それに、何かさわさわと足に纏わりつく毛がそんなに不快じゃない。 むしろ心地良い。

 しかもこの尻尾、水気を弾くらしく、虫の体液や男の血が付着しない。 同じく自分の髪と比較するとなんかずるい様な気もするが、便利である。

 尻尾がこんなに実用的なモノだったとは知らなかったわ。


 と、左の後方に気配を感じたので、瞬時に右足と尻尾で床を蹴る私。

 そして、左足を軸にして振り向きざまに蹴り出された右足の踵の部分がムカデの頭付近に当たると、まるで水の入った木のコップを砕いた様な音で殻が砕かれ、ムカデの体液が床や私の足にぶちまけられた。

 私は蹴り出した右足を伸ばしたまま、左足を軸にしつつ尻尾を使って身体を反時計周りに動かすと、今度は斜め上から振り下ろした右足を左足の代わりに床に軸足として置き、身体を回転させながら左足で回し蹴りを繰り出した。

 尻尾にも自然に力が込めてしまっていたらしく、その力で私の身体が一瞬ふわりと宙に浮かせられる。

 やがて、左足の踵は大きく宙に半月を描きながら、私の背後に近寄って居たムカデに振り下ろされ――――まるでの石畳さえも砕いてしまうのではないかという程の勢いで叩き付けられたのだった。

 結果、ムカデの身体は、四方八方に砕かれ、体液も同じく部屋中に飛び散った。

 これが、蹴散らす・・・・という感覚なのかと、改めて自分の行為を認識する私。

 私の両の足はまるでハンマーの様にムカデを叩き潰し、花火の導火線に火をつけた後の様に私の炎の剣はムカデの身体を派手に燃え上がらせる。


「くくっ…………あはははっ!!」


 無意識のうちに、腹の底から笑いが込み上げて来た。

 太腿を噛まれて死にそうになっていた相手が、今じゃ……こんなに……簡単に死ぬなんて。

 復讐などというつもりは毛頭無かったが、一度やられた相手を完膚なきまでに叩き潰すという快感は……やはり甘美な物であった。


 ◇


 一分程掛かっただろうか、掛からなかっただろうか、正確な時間は計っていないので分からないが、金髪男の息がまだあるうちに片は付いた。

 半分のムカデは燃やしたが、もう半分は踏み潰したので、床の上や壁や、果ては天井まで緑の体液だらけである。

 入り口に居た金髪の女の子は、小部屋の入り口の横の壁にぴったりと背中を付け、今は歯をガチガチと打ち鳴らしながら、身を抱いて居た。

 ――――いや。 この子、震えながら……笑っている。

 私が男に対して向けた暴力、それからムカデ達と私の戦いを見て、この子は……悦に浸って居るのだろうか?

 けれど、それだけで無く、私の暴力に怯えても居る、そんな感じか。

 彼女を見た感じ、正気を失っているという感じには見受けられないので、色んな感情が入れ混じっているのだろうな、と、感じる私。

 しかし、私の足元、つまり私の足が武器だと知って、それを男の身体と数度繰り返して見ているという事は、これから私がする事に、彼女は期待もしているのだろう。

 

 ならば、と、私は、男の傍に立ちながら、こっちにおいで、と、女の子に手招きをした。

 すると、私の手を見て何かを考えた後、小部屋の扉の方まで数歩横に動いて、扉を背にして私と扉を見比べる少女。

 ……どういう事だ? こちらに来たく無いという事だろうか。

 でも、それならば首を横に振るか等の行動で示すと思うが、まるで私の指示に従ったかのように……あ。 そうか。 手招きのジェスチャーは日本と欧州では真逆だったかしらね。

 私は今度は手の平を上にして、くいくい、と、四本の指を動かして欧州風に手招きをしてみた。

 すると、こちらに寄ってくる女の子。

 やはりそうか。 先程はあっちに行けという意味で取られていたのか。

 そういう意味ならどこにも行き場が無かっただろう彼女に可哀想な思いをさせてしまったな。


「えっと……これからこの人、殺すから。」

「****?」

「まあ、日本語じゃ何言ってるかわかんないよね。 じゃあ、取り敢えず見せるから。」


 歩み寄って来た女の子が、私の傍まで来ると、私は男に近寄って彼を仰向けに転がした。

 そうしただけで、びくりと身体を震わせて驚く女の子。

 さて、男の顔色は悪く、このまま黙って居ても勝手に死んでくれそうだし、一息に焼き殺す事も、踏み殺す事も可能だ。

 だけど、そんな簡単には殺してあげない。

 そんな嗜虐的な私の考えは露知らず、ムカデから助けてくれたとでも思って居るのか、有難そうに上目遣いで私を見詰めながら、口を半開きにして笑み浮かべる男。 無様ね。 ほんと無様。

 私が先ほど男に言い放った様に、一思いに殺してやるのはもうやめたのに……ばかな人。

 私を犯そうとした事。 そして、私にあんな……罪人になった時の最悪なイメージを抱かせた事。

 ここまではまだ一思いに殺す事を許してあげようという気持ちになったが、さっき生意気な目で私を見た事は許せない。 あと臭いのも許せない。 すがるような目を私に向けるのも、気に入らない。

 ……なんだ。 残念ね。 結局どうにもならないみたいよ。

 そして、私の内側の奥底から湧き上がる様な暴力的な衝動は、解き放たれた。

 

 仰向けになった男の汚い右手を優しく撫でる私は、


「ほら。 ちゃんと開きなさい。 良い子だから。」


 と、母が子に諭す様に言ってみると、言葉は分からないだろうが、抵抗無く、いや、逆に気持ち良さそうな表情を浮かべて私の手に身をゆだね、その汚い手を広げる男。

 更にその後、まるで聖母を見るような目を携えて私を見てボソボソと何かを呟くが、私にこのまま優しく介抱されるとでも思っているのかしらね。


「ふふ。 ばぁか。」


 私は右足を軽く上に上げ――――男の右手に振り下ろして、その開いた手を踏み潰した。


「****!!」


 私のブーツの踵で手首の骨が砕かれ、踵は床まで貫通し、開かれた手の平と指はブーツの底で粉々に砕かれ、その血と肉と骨はこれ以上開かない手を無理矢理広げた様に石畳に飛び散った。

 それを、呆然とした表情で見ている女の子。


「なに? 貴女こそこの男に恨みがあるんでしょ? 貴女もやってみたらどうなの。」


 と、女の子に顎で指示する私。

 ――――男の股間を指差しながら。

 ひくひく、と、顔を引きつらせながら、首を静かに縦に振る女の子。

 全く。 やる気があるのやら無いのやら……。

 と、男をの股間をサッカーボール様に蹴ろうとして足を持ち上げて――そのまま軸足を男の血で滑らせてしまい、女の子は床に尻餅をついて転んでしまった。

 ……もう。 何やってるのかしら。


「情けないわね。 こう。 こう、するの。」


 私はお手本を見せる様に、再度右足を持ち上げて――――男の左の足首を踏み砕いた。

 男は何かを必死に叫び、悔しそうな眼差しを私に向ける。

 身体を仰向けにしたり、手を優しく撫でて広げさせたのは、自分を助ける為では無く、死ぬまで弄ぶつもりだったのだとようやく理解したのだろう。


「何よその目は。 人をピストルで撃っておきながら被害者面しないで。」


 今度は男の左膝を、思い切り踏み砕く私。


「――――っ!! ――――っ!!」


 言葉にならない声を上げて騒ぐ男。

 ……あ。

 膝よりも弁慶の泣き所って言われてる所を踏み潰した方が痛かったかな。

 まあ、どの道これ以上無く痛そうな顔をして、既に白目を剥きそうになっているけれど。


「あ。 そうだ。 ……貴女のぶんも残してあげなきゃ、ね。」


 私は眼鏡の位置を直しながら目を細めつつ、転んだ後に立ち上がってワンピースに付着した男の血とムカデの体液を気にしている女の子を横目で見ながら、もう片方の手で再度男の股間を指差し、顎で、やっていいわよ、と、指示を出した。


「……ダー。 ――――っ! ダー!」


 これは『はい』って事で良いのかしらね。

 青ざめた顔で最初は仕方無さそうに一回、それを見て私が眉を顰めたのを見て、今度は大きく一回首を縦に振って言ったのだから、多分そうなのだろう。

 女の子は、大の字に転がっている男の足の間に立ち、怯えながらも、私がやったように左足を軸にして右足を持ち上げて―――今度はしっかりとつま先で男の股間を踏み付けた。

 男が出す奇声と悲鳴が混じった様な声。

 そして、少女の一撃は男の意識への止めの一撃となったのか、泡を吹きながら顔を横に向けて白目を見せる男。

 これで良いの? と、私をウェーブの掛かった金髪の隙間から垣間見る女の子だが、一踏みだけでお仕舞いとか、バカじゃないの? もっと遊びなさいよ。


「続けなさい。」


 そう言いながら顎で女の子に指示する私。


「――――っ!! ******!!」

 

 それでようやく、女の子は何かを叫びながら男の股間を何度も踏み始めた。

 やがて、ぐちり、と、何かが潰れる様な音が聞こえると、一旦足を止め、ゆっくりと足をその場所から離す女の子。

 その足は震え、つま先の下には、血だかなんだか分からない液体が広がり始め、それが異臭を放ち始めた。

 女の子は数歩後ずさると、身を震わせながら私を上目使いで見る。


「……仕方ないわね。 仕上げは私がしてあげるわ。」


 そう言うと、男の頭の近くに軽いステップで寄って行って、男の様子を窺う私。

 男の意識はもう無い様で、断末魔の悲鳴とやらでも聞きたかったのだが、残念である。

 けど、最後は派手に決めようかしら。

 と、両足で跳躍すると、その伸ばす足で男の頭を思い切り踏み付けた。

 人間の頭をスイカに例える人が良く居るが、中身はスイカの果汁の様にそんなにサラサラはしていない。

 むしろ頭蓋骨や軟骨等の堅い部分や、顔の筋肉や脳漿、そういった人間の頭の大部分は、私の足にしっかりと硬い物を踏んだという厭な感触を与えてくれる。

 まあ、ほんとはそんなにいやでも無くて、なんだか心地良いのだけれど。

 と、男の頭が滅茶苦茶に砕け、原型が止めて居ない程の光景を見て、口元に手を当てて、驚愕の表情を浮かべて、その場にへなへなと座り込む女の子。

 彼女の身体には男の血や脳漿が飛び散り、水色のワンピースと白い肌に赤い物やピンク色の物が付着してしまっていた。

 まあ、仕方ないのよ。 人間なら誰にでも詰まってる物だし、飛び散るものは飛び散るのよ。

 飛び散らせた中心が私の足だからか、私には血も脳みそも飛んで来て居ないけどね。


 私は、これで一件落着。 さて、元の予定に戻ろうかと考えたが――――


 …………うん?


 首を傾げる私。

 早く二ノ宮君達と合流しなければならないよね。

 池谷さんを殺したという証拠の隠滅もしなきゃ、だよね。

 いや……良いのよ。 それは分かっている。

 分かって居て、これからその本来の目的に戻ろうとしていたのだけれど、それが問題なのでは無く、何か自分に違和感を感じるのだ。

 何なのかしら。 この違和感は……。

 その違和感が、本当に分からない。 ただ、『何か』が明確に違うという事だけは分かる。

 ちょっと待って。 頭が混乱してきた。


 ……軽く目を瞑って、自分の記憶を辿る私。

 準備区画で男を殺してしまいそうになって、慌ててその死にかけの男を引き摺って迷宮に入ってきた。 これが本来の予定から外れた今回の行動の始まりだ。

 抵抗したのはあくまでも不可抗力だったし、その準備区画で命を奪う訳には行かなかったので、仕方ないと私は考えたのだが、それは……本当に正しい選択だったと言えるのだろうか。

 例えば同じ準備区画で、私が以前秋月さんを犯したあの運転手を殺してやろうと思った時、管理者である誰かに殺意を読み取られ、殺すなと警告を受けて、私は攻撃しなかった。

 今回、その警告が無かったのと、私が力加減を間違えたのがそもそもの原因なのだが、問題の解決策は、本当に他に何も無かったのだろうか。

 ――――いや、違う。 私が感じる違和感は、男を迷宮に引っ張り込んだ事が正しかったか、それとも間違っていたかという問題から来た物では無い。

 あの時点で、最善の方法がそれだと確信して、私は行動を起こして居るのだから。

 だが……そうか。 迷宮に入ってから――――何かが歪んでしまっているのではないか。 

 それが……今感じている違和感だろうか?

 再びゆっくりと瞼を開く私。

 目前には、少女が居た。

 両膝を床に付き、左手で止めどなく溢れる涙を拭いながら、自分の肌にこびり付いた男の血や脳漿を、右手の平でこそぎ落とし、自分のワンピースの裾に拭って居る少女が。

 私の感覚では、彼女は男を殺して、その達成感で笑っている筈なのに。

 遂に目的は達した、と、今の私と同じように征服感に満たされて、得た多大なポイントの使い道でも考えて居る筈なのに。


 彼女は……少女はむせび泣いて居た。

 汚れた肌を、少しでも綺麗にしようと、汚い手で拭って、結局ワンピースを汚し、一見すると何の意味も無い事に見える行動を繰り返しながら、泣いている。

 彼女は、人殺しに加担した事を後悔して泣いているのか。

 それとも現状を嘆いているのか。

 どちらなのか、それとも全く違う理由なのか、今の私には見当もつかない。

 ただ、彼女のしている行動が、『あの世界』の人間としての正しい感情の表現方法なのでは無いかと……これは多分記憶の中の私か。 が、言っていて、それが今の自分が抱いて居る感情と相反していると感じるのだろう。

 ……そうだ。

 かつての自分が抱くであろう感情は、今彼女が抱いて居る感情や行動原理に近いのではないかと、私はまるで懐かしさを覚えるかの様に彼女を見て居た。

 でも、そのかつての懐かしい私と、今の私は、違う。

 自分の手の平を見つめる私。

 そこには、真っ白な高速詠唱ファストキャスティンググローブに包まれた、自分の手。

 人を殺す事を……純粋に楽しんでいる、私の手だ。

 今回だけじゃない。

 つい先日、迷宮で他の挑戦者と戦った時、最後に残ったメンバーの女をこの手で焼き殺した事を思い返して……甘美な物だと感じてしまっている私が居る。

 きちんと手入れがしてある女の髪の毛を燃やし、迷宮に入るにしても化粧もしていたのだろう女の顔が一瞬膨張し、だが私の炎の剣によって収縮しながら燃え上がった。

 実際に殺した時はそうでも無かったが、今思い出すと、とても甘い蜜を舐めている様に、頭の芯がぼう、と、なる。

 私、いや、私達は、人を殺し過ぎて――――狂ってしまったのだろうか。


 二ノ宮君も三島さんも、今の私に近い感覚だったので気付く事は出来なかったが、前の世界から来たばかりのこの子の状態と自分を比べて考えてみると、私の思考回路はかなり異常な状態なのではないかと考えざるを得ない。

 色々な事件があったとは言え、たった数日間で、人を嬲り殺して愉しみ、尚且つその達成感に高笑いを浮かべる様に、人は変化するのだろうか。

 そして、その変化に、自分自身は気付かないものなのだろうか。

 ……まあ、実際、私は気付けなかった。 

 男を殺している最中も後も、言いようも無い高揚感に心を委ね、下腹部にも熱い何かを感じていた。

 殺して得たポイントで何を買おうかと考え、もしかしたら次のレベルになれるかも、と、考えて居た。

 しかも……しかも、だ。

 ……私は、今、目の前に居る女の子も、ついでに殺してしまった方がおいしそう、などとまで、考えてしまって居るのだ。

 

 男を殺した事で、入った経験値とポイントは、現状パーティを組んでいる私と女の子で分けられた筈。

 三十人と、召喚士、そして兵士4人を殺した男の経験値やポイントは、さぞ美味しい事だろう。

 だから……この女の子を殺せば、さらにもう一度その美味しい経験値やポイントを得る事が出来るのは明確だ。

 召喚部屋から出たばかりの状態の彼女は、レベルが0の状態。

 何の特殊能力も無い普通の状態の彼女が、今、私に牙を剥いて来る気配など微塵も無い。

 彼女は、私が彼女を守って戦った、そして、男を殺したのだと信じていて、まさかこれから彼女さえも殺してしまおうなどという考えを心に抱いているだなんて、想像もしていない筈だ。

 だからこうして無防備に、私にとっては愚かしいと思える程無防備に、ただ泣きじゃくっているだけの彼女の首筋を、私がちょっと身体を捻って横から蹴り、首の骨を折るだけで、彼女は息絶えてしまう事だろう。

 ああ、勿体ない・・・・……。 もっと甘美な絶望の声を聞かせて欲しい。

 更に、そんな思いを抱いてしまう私は、絶対におかしい。

 歪んでいるとしか考えられない。

 私は数日前まで、人を殺そうとしたトラウマさえ抱えた中学生だったのに、そんなトラウマを数日間で乗り切って、殺人を愉しむなんて……実際あり得るの?

 

 確かに、仲間の二人と話し合いはしたし、過去の自分と決別して、私は自分の大事な物の為に戦うと決意もした。

 だから戦う理由はあると言えるが、それは人殺しを愉しむ理由とは同一にはならない筈だ。

 けれど……私がそれを疑問に思わなかったのは、二ノ宮君も、三島さんも……正直に言えば二人共……私と同じで、人を殺す事を……純粋に愉しんで居たからなのではないか?

 もしそれが生存本能から来た物だとすれば、私達は随分と本能を剥き出しにして戦っている事になるが、私たちが前の世界で学んできた道徳というのは、人間の本能に対してこれほど脆いものなのだろうか。

 いや。 ……違う。

 それこそ本能の話をするならば、今、女の子がしている様に、結局憎しみを持っても、人殺しに加担した事を後悔して嘆く彼女の方が、人としての本能に近い気がする。

 

 ならば、私の感情とは一体何だと言うのだろう。

 女々しく泣いて居る彼女を、今すぐに、蹴り殺したいという衝動は、本能で無いとするならば、一体何だと言うのだろうか。

 彼女の血を煮え滾らせ、身体を、髪を、全て燃やし尽くしてしまいたい。

 彼女がそうして痛めつけられ、苦痛に顔を歪ませて死んで行く姿が見たい。

 

 でも、普通ならこんな小さい少女を、どうにかして助けてあげようとは思わないだろうか。

 殺したいなんて感情を抱くのは、真っ当な人間の考えとは絶対言える筈も無い。

 だが、私の欲望を抑えていたたがが外れたというよりは、まるで人を殺す事を考えるのが普通だったかの様な感覚の私は――――


 ――――まさか…………私達挑戦者は…………『感情』をコントロールされている可能性がある……?


 まるでそれがあるのが当然の様に、私の頭の中にある人間に対する嗜虐的思考は、誰かの意思によって植え付けられた物……?

 この頭に生えた耳、尾骶骨から生えた毛並みの良い尻尾、細い手足からは想像できない程の筋力と、敏捷度と言う名の瞬発力。

 これはレベルアップにより私が得て来たものだ。

 ……なら、他のパラメーターって、実際に何の効果があるの?

 知力って、何?

 運って、何?

 そして……神力って、一体――――何の事なの?


 私と二ノ宮君には、極端に低いパラメーターがある。

 それが、神力だ。

 まさかそれが私達の人間達に対する嗜虐心に作用していると言うの?

 というか、ちょっと待って。

 ……私、何で人の事を、『人間達』って、分類して考えて居るの?


 顔から血の気が引き、青ざめる私。

 私はもう……人というカテゴリーには分類されないの?


 そう気付いた時、まるで全てのパズルのピースが組み合わさった様な感覚が私を襲い、いつの間にか泣き止んで居た女の子が、私の視界に入る。

 女の子は、泣き止んでこちらを一瞬呆けて見た後――――


「はっ……はぁっ……。」


 吐息を震わせて、私から後ずさる様に距離を取る。

 私の殺意を、感じてしまったのだろうか。

 それとも純粋に私の事を化け物として見て、私の存在そのものに恐怖を覚えたのだろうか。

 どちらにせよ、彼女は自ら小部屋の奥へと逃げて行き、やがて背中を壁に当て、慌てて背中を振り向くと、自分に逃げる場所が無い事を理解すると――――全てを諦めた様に脱力し、その場にしゃがみ込むと、頭を抱えて身体を震わせ続けるのだった。

 なるほど。 ……なるほど。

 私を召還した女が、私に哀れみの目を向け、同じく哀れみの様な言葉を放ったのは、将来的に彼等人間達の敵、言わば絶対悪という存在になる資質があったからなの……か?


 でも、一緒に行動していた『人間』である三島さんは……どうして……。

 ……私と二ノ宮君は、神力が極端に低い。 対して、三島さんは極端に神力が高かった。

 人間である彼女の神力が高いのと、亜種である私達の神力が低い事が相反しながらも、人間に対する攻撃性が似ていたというのを逆に考えれば……一つだけ理由が考えられる。

 神力とは、『人間』にとっては、人を殺す時に邪魔な罪悪感や自己嫌悪、または哀れみや情けという感情に抗う精神力に結び付くのではないか、と。

 そして、私達『亜種』にとっては、神力が高ければ高い程、人間を嬲り殺したいという獣の本能に抗う抵抗力となるのではないか、と。

 

 迷宮に入ると、私達亜種の本能は準備区画に居た時以上に顕著に現れ、私の場合はそれに僅かながらにも抵抗していたレベルアップ前の神力の値の3が上がった後の1となり、つまり抵抗力が全く無くなった。

 逆に、神力の高かった三島さんが迷宮に入れば、人を殺す事を何とも思わない強靭な精神力が、更に強化される、という事になり……。

 道理で私達の様な亜種を準備区画で見ない筈だ。

 討伐対象になるのでしょう? 私達は。

 なぜなら……私達は人間の敵だから。


 私にも二ノ宮君にも……逃げ道なんて、最初から無かったのね……。

 望みを叶える……ですって?

 彼が元の世界に帰りたいと言う願いを叶える……ですって?


「そんなの無理に決まってるじゃない!!」


 小部屋に響く私の叫び声。

 その私の叫び声に、びくりと身体を大きく震わせる女の子。


「…………。」


 無言でその女の子を見つめる私。 悔しさからか、私の視界は涙で滲んで居た。

 行き場の無い両の手を壁に付け、身体を震わせる事さえ止め、ただ茫然と私を見詰めている女の子。

 憤りからか、私の本能は目の前のこの子を今すぐ殺せと私を急かせている。

 だが、本当にギリギリの所で、私は踏ん張っていた。

 ……この子は、レベル0だ。

 亜種の資質を持っている可能性もあるじゃないか。

 まだ私達の敵になって襲ってくると決まった訳じゃない。


 私……? と、考えて、はっと気付く私。

 自分の事ばかり考えて居たが、二ノ宮君が帰った来なかった理由って……。

 まさか……人間に……狩られてしまったから……なの?

 そして、考えたく無い事だけど……三島さんは……私と二ノ宮君を……。


「裏切ったのか……な。」


 ぽたりと床に落ちた涙の滴と共に、そう呟いた私だった。

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