禁則処理

 ピピナ商店への扉を開け、部屋の中に入った私は、幾人かの人影を目に止めた。

 が、幸いその人達は自身の買い物に夢中なようで、後から入って来た私の事など目に止めては居ない様である。

 一先ず胸を撫で下ろし、赤いとんがり帽子を深く被り直して一番近くにあった買い物ブースに向かう私。

 狐の耳はこの様に帽子を深く被る事でなんとかなるが、目立つこの尻尾を何とかする装備を探さなくては。

 私はクリスタルを端末に差して、防具のクローク、外套のカテゴリのあたりを探す。 これから先を考えるとあまりお金ポイントは掛けられないが、良い物は無いだろうか……。

 マジックケープ、サファイヤタイド、エレメンタルファー……うん。 ケープ以外は装備出来ないな。 でも、ケープだと尻尾を隠すのに長さは足りないだろうし……溜息を付きながら次の画面に移動する。

 ラプソディウェイブ。 ゲイルスラスター。 リザードマントル。 これも全部名前の後にXが付いていて、私が装備出来る様な物は無い。

 結局このページにも都合が良さそうなのは無いようだ。

 次の画面からは8000Pを超えてしまうのだが……。


「ん?」


 そして遂に私の目に止まる、9999Pのプロミネンスロングマントという私が装備出来る防具の名前が。

 まずは、ロングでマントだというのは良い。 名前からしてまず直感的な形状としてはこれで良いというのは分かるが、プロミネンスって何だっけ? それにしてもなんて中途半端に高い値段なんだろう。

 が、選択肢が無いのならやむを得ない。 と、それを選んで購入する私。

 ……しまった。 先に説明読めば良かった。

 後悔しても既に時遅く、ぼふん、と、商品の取り出し口に商品マントが落ちてきた。

 

 それを取り出して広げてみる私。

 ――――プロミネンス。 ああ。 太陽の周りで蛇みたいにうねうねしてる、あれですか。

 紅のマントに、何か激しく火花が赤く散っているそのマント、それを見て後悔しか出て来ない。

 だってめっちゃ目立つんだけどこれ。

 ……でも、逆に尻尾が目立たないなら良いのかなぁ。

 ……それよりもどんな効果があるんだこれ。

 再び商品の取り出し口にプロミネンスロングマントを入れて、詳細を調べる私。


『ムゲンノホノオノシシツヲモッテイルモノノミソウビカノウ。 コウカハミカクニン。』


 ……何これ。 名前の、その響きだけで買った私がバカだったって事?

 それに効果が未確認って何よ。 こんなの誰も買わないじゃない。 いや、私は買ったけどさ。

 ちなみに買取値段は4999P。

 ……どうしよう。 買値の半額で買い取って貰って他のマントを買うか?

 いやいや。 通常品以外の魔法の効果がある様な装備で、他に私に装備出来るのは無かったのだし、こんなに高いのだからきっと何らかの効果はある筈だ。

 もう良い。 覚悟を決めて装備しよう。


 高級感漂う胸元にある金色のバックルを止め、そのマントを装備する私。

 すると、座っている状態で私の肩から扇状に床に広がっていたそのマントは、私の身体をすっぽりと包み込み、かつ私の身長に合わせて伸縮した。

 肩から二の腕のあたりに、優しく何かが包み込む様な感覚。 それがとてつもない安心感を私に与える。

 まるで自分の炎に身を包まれているようだ。

 そして、そのマント自身が、これで炎と水と氷は怖くないよと、耳元で囁いた様な気がした。 いや、そんな情報が脳に焼き付けられた様な感覚。

 その安心感と共に、紅に染まっていたその外套は、薄いピンク、桜色に色を変えて今度はしっとりと私の身に纏わり付いた。

 通常体勢と戦闘態勢では形状や色が変わるのか?

 いや、もうマントが自分の一部の様な感覚がするのだが、もしかしてこれ……。

 マント自体に、ぐっ、と、力を込める様にしてみると、まるで金属の様にガチリと漆黒の色に変色して固まるそのマント。

 やはり。 私の意志によって形状が変えられるのか。 何という掘り出し物だ……。

 物理防御の固い金属の鎧代わりにもなり、プロミネンス状態だと炎と水と氷の魔法を防御する障壁になるのか。

 更にそのプロミネンス状態であれば……私のLV1魔法である炎の剣を、背中で保持してくれるらしい。 これも脳に勝手に装備の効果と関連付けられて教えられた。

 それにしても、私の剣を保持してくれる鞘があるなんて……。

 色んな意味で規格外だった私と同じ様に、きっとこのマントも規格外で放置されていたのだろうなと思うと、まるで往年の親友に再び出会えた気分だった。

 実際に現実世界でそんな人物は居なかったので、まあ、気分的にはという意味だが。


 よし。 これで更に勇気が湧いて来たぞ。

 後は破れたタイトローブと下着を何とかしないとな。


 ◇


 端末の横の衝立の隅に、こっそりキャンプを展開してキャンプ部屋に戻り、タイトローブを脱いで、部屋着のワンピースに着替えて、商店に戻った私。

 商品の受け取り口に脱いだタイトローブを入れると、買い取り値段の500Pの他に、『シュウリ』という項目と、『カイゾウ』という項目があった。

 修理は200Pで改造は2500Pか……。

 まあ、どちらも悪い方向には行くまい、と、まずは修理してその後に改造を選択する。

 まるでエレベーターが到着した時の様な、ポン、という音と共に、出来上がって来た私のローブ。 改造の時だけは音が鳴る様になっているようだ。 何の為かは分からないが。

 タイトローブの名前の続きを改めて見たら+K2になっていた。

 実際にそれを受け取り口から取り出してみると、前よりも少し輝きが増して居る様な感じがする。

 一応私も服を畳んで入れたのだが、誰かが畳み直した様な感じだな……私はこんな畳み方はしないのだが。

 

 2っていう数字は分かるが、Kってのは何だ?

 取り出したローブを広げて見る私。 と、前のデザインとは違って背中がぱっくりと尻まで空いて居るでは無いか。

 尻尾の関係性で言えばこの背中の開いた部分から尻尾が出せるので好都合と言えば好都合なのだが、少し露出が酷い気がする。

 ローライズの下着じゃないと、下着そのものが見えるくらい下に裂けて居る。

 ……もしかして、私用に改造しますかって意味も兼ねていたのだろうか。

 だとしたら、もしかして……。


 やっぱり。 予備の下着を入れたら『カイゾウ』の項目があった。

 こちらはローブに比べて50Pと安いが、普通の下着が10Pなので、もし改造なんてしたら最高級下着の部類に入ってしまう。

 が……背に腹は変えられない。 私は下着を新たに二つ購入して、元々持っていた二つと合わせて全部で四つ改造した。

 +K1の下着を四枚手に入れた私。 尻尾の所にちゃんと穴は空いて居た。

 それは穴は尻尾の付け根に丁度良く、キャンプに戻って着替えてその履き心地も最高なのだが、元の下着は白かったのに……色が赤に変わっていた。

 マントを脱いで、ローブの背中のスリットや、スカートの横の隙間から、もしちらりとでもその下着が見えてしまえばかなり目立つ様な気がする私だが、ローブと同じ色なので逆に目立たないかもしれない。

 尻尾を出すために、下着の尾骶骨あたりには穴が空いて居て、キツネ色の尻尾の上に赤いその下着の腰回りが結局見えてしまうのだが……これは仕様だと諦めるしかあるまい。

 あと、下着で+1なのは意味が分からないが、何か防御的に効果があったりするのだろうか。

 その部分に攻撃を食らう時点で既に色々と終わっている様な気もするが。


 さて、必要なものを買っていたらどんどんとポイントが減っていく。

 17000以上あったポイントが3900にまで減ってしまっていた。

 しかしながら、早急に何か武器も必要だ。 最悪初期に購入したロッドでも良いから買おうかと思ったが、片手に燃える木の棒を持ってもう片方に炎の剣を振り回すのは良策では無いと思う。

 結局大規模放出マッシブエミッションスタッフも、実際の戦闘では遠距離魔法攻撃の無い私にとっては使い勝手が悪かったので、出来れば刃物、長く無く、かと言って短くも無い、二ノ宮君が使って居た様なショートソードが欲しいのだが……やはりどれも装備出来なかった。

 私の資質では刃物一般は全て装備出来ないらしい。

 ちなみに包丁はカテゴリー的には武器では無いので装備出来るが、それを抜き身で持ち歩いて居たら怪しい人だ。 まあ……前科はあるけどさ。

 んんっ。 と、咳払いを一つ私。 過去の事はもう良いのよ。

 と、端末の画面がショートソードの部門の最後まで来て、もう元の画面に戻ろうとしたその本当に最後の所、よーく見覚えのある、いや、聞き覚えって言うのか? の、短剣の名前があった。

 バゼラルド。 儀式用の短剣とか、魔法使いが装備出来る短剣とか、そういうイメージがあるな。

 でも何でか分からないけど、カッコカリと書いてある。 (仮)って事か?

 それはなんと装備出来る。 が、46000Pとか無理過ぎるし、魔法使いにしか装備出来ない上に効果は不明だそうで、怪しすぎて誰も買わないんだろうなこんなもの。

 …………まあ、将来本当にポイントが余ったら買ってあげるかもしれないけど。

 

 仕方無いから武器は諦めた。 防具もこれ以上のは手が出そうにない。

 手袋は高速詠唱ファストキャスティンググローブがあるし、靴は……そう言えば靴はなにか良いのが無いだろうか。

 と、何気なく見てみたら、ありました。

 プロミネンスブーツ。 効果は不明。

 999Pとか、セール品かあんたは。

 何でマントは9999Pだったのかは分からないが、まさか適当に値段を付けて売ってみている訳じゃないだろうな…………。 

 本当にマントと同じプロミネンスシリーズだとしたら、蹴る時に靴を硬化させる事も、炎を纏いながら蹴る事も可能という事だが。

 迷っても仕方無い。 と、それを買う私。

 やがて商品の取り出し口に落ちて来る商品。 その扉を開くと――――間違いない。 マントと同じく火花を纏ったブーツ。 プロミネンスシリーズだ。 

 手に取って見ると、履かずともこれもしっくり来る事が分かった。

 まるで自分の為に高級一点物オートクチュールとして作られた靴の様な感じ。

 だが、見た感じサイズが少し自分には大きい様な気がするが、大丈夫だろうか?

 私は履いているブーツを脱ぎ、プロミネンスブーツに右足を入れて見る――――と、形状が一瞬で変化して、私の22.5cmより少し小さいのサイズの足にぴったりと密着した。


「ほぁ……。」


 自分の足にぴったりと密着する靴というのが、これ程気持ち良いとは。

 それにヒールの部分も5cmより少し高いくらいでこれも丁度良い。

 左も同じ様に履いて、その心地よさに身体を震わせる私。

 そして――――マントでした時の様に、色を変化させて見る。

 桜色のブーツに、そして漆黒のブーツに、質も色も変化するそのブーツ。

 これは……お値段以上だな。

 むしろマントと逆の値段でも良いのでは無いかと一瞬考えてしまう私だが、もし素材として考えるなら、ロングマントを作るにはブーツの10倍の量の素材が必要じゃないかと思い当たる。

 それならマントも値段相応という事になるが、誰かが作ったのだろか。

 それともSPとかのガチャで出てきた物が流れて来たのか。

 出自は不明だが、商店に流してくれた人、本当に有難う。


 ◇


 レベルは上がった。 装備は予想以上の物を整えられた。 では次に何をするか、だが……。


「迷宮に行くしか無いわよね……。」


 私がレベルアップした時に自分で考え付いた様に、二ノ宮君達はそのレベルアップの重要性を私に伝える前に居なくなったと考えられる。 ならば、池谷さんを殺した証拠はまだ隠滅出来て居ないのでは無いか。

 もし二人が捕まって居るのなら、その二人を探す前に、私まで位置を補足されて捕まってしまえばもう為す術は無くなってしまう。

 ならば、補足されない為にも、まずは自分で証拠を消しに行かないとダメだ。


 まずはやる事が決まった事を良しとし、私はマントを漆黒に変化させ、それを身に纏うと、隠れるようにして迷宮の魔法陣へと歩みを進めた。

 ブーツは力を抜いた状態、つまり桜色のままにしてある。 なんとこのままだと足音が殆どしないからだ。

 真っ赤なとんがり帽子だけは目立つが、先程プロミネンスシリーズの帽子は無いかと調べたら無かった。

 誰か作るかガチャで出たら流して下さい。

 

「……ん?」


 先程の召喚部屋での騒動が収まった様だ。

 小部屋から聞こえて居た炸裂音や悲鳴などは今は全く聞こえず、その私達を召喚した小部屋の前に居る兵士が、その部屋の中の様子を窺おう扉の錠を開け、扉の取っ手に手を掛ける。

 ――――その時、なんと扉は内側から蹴り開けられた。

 

「なっ!?」


 その部屋から飛び出して来たのは、金髪碧眼の体躯の良い白人男性。

 だが、金髪碧眼の、私と同じくらいの背だが、私より少し幼い印象を受ける、水色のワンピースを身に纏った少女も目に入り、その彼女の状態にこそ――――私は驚いた。

 男の脇に、胴体を抱えられており、だらりと四肢を下に垂らし、まるで生きた人形のように見えたからだ。

 と、白人男性は蹴り開けたと同時に転ばせた兵士二人に――――銃口を向けた。

 私が一目見て男が右手に持っていたそれを拳銃だと理解した訳では無い。 だが、発砲音ですぐにそれだと理解させられたのだ。

 ――――激しい炸裂音に、私は人間の方の耳を瞬間的に塞ぐ。

 狐の耳の方は自動的にその大きな音を遮断した様だ。

 人間の耳の方は一発目の発砲音を防ぎきれず、耳鳴りの様な物を耳の奥に感じる私。

 その不快感に顔を顰めつつも、男と兵士達の様子を見ると、転んで尻餅をついているの兵士の一人の頭に向けて二発の銃弾が放たれて居た。

 すぅ、と、男は息を吸うと、反対側に転んだ兵士の頭と胸にも一発づつの銃弾を放った。


 やがて兵士達の頭に空いた穴から流れ出た血は、銃弾によって脳漿がぶちまけられた床に血溜まりを作り、彼ら二人が横たわり、指一本動かさない所を見ると既に絶命している様だ。

 拳銃は三島さんの矢と同じか、それ以下の威力なので、私にとっては激しい発射音以外は別段と『珍しい』という印象は受けなかったものの、男の脇に抱えられた蒼白な顔色の少女は、召喚部屋で目撃してきた光景と同じく、それを『惨劇』として見ているのか、兵士たちの死体を見詰めながら固まって震えて居た。

 

 ――――というか、拳銃? 冷静に状況を見ていたが、これは色々と拙いのではないかしら。


 私に向かって男の銃口が向けられるのとほぼ同時に、咄嗟にマントを頭まで被り、その場で身を屈める私。

 と、そのすぐ後に発砲音。 二発。

 衝撃が私の肩と脇腹に伝わる……が、私のマントはその二発の凶弾を斜め後ろに跳ね返し、私自身には何か軽い物が当たったという感覚しか伝えなかった。


「*****!?」


 何かを男が叫んだ様だが、私が弾を跳ね返したのが意外だったのだろうか。

 私は少しだけマントから顔を出し、男の方を見る……と、男は拳銃を忌々しそうに床に投げ捨てて居た。

 もしかしてもう弾が無いのか? と、一先ず胸を撫で下ろす私。

 が、見つめ過ぎたせいか、男と視線が合ってしまった。

 すると、私を見て、片側の眉をくい、と、上に上げた後、にたり、と、下卑た笑いを浮かべる男。

 何だ? 背格好で、私が女だと分かったか?

 男の目は血走っており、私と、脇に抱えた少女を見比べて、急に大声を上げて笑い出した。

 ああ。 これは……私達を犯る気満々になったのだと分かった。


 ふと、少女もこちらを見ていて、その子とも目が合う。

 顔面蒼白ながらも、その目は潤み、私に、助けて、と、言っている様だ。 いや。 私じゃなくて、誰でも良いから助けを呼んで来て、かな。 私自身がどうにか出来るとは思って居ないのかもしれない。

 うーん。 拳銃の脅威が無い今なら、男を殺して彼女を助けるのは容易いと思うが……それでは私がお尋ね者になってしまう。


『咎人が生まれました。 ニコライ・フリピンスキー。 28歳。 同郷の民30人、及びこの世界の召喚士1名、兵士4名を死に至らしめた殺人鬼です。』


 と、急に頭の中に声が響いた、管理者の女の人の声。

 へぇ。 召喚士も殺したのか、この男。 粗野で下品な顔の割には……まあ、それは関係無いが、この世界の人間を殺す事が出来たというのには素直に関心せざるを得ない。

 うちの担任の様に一刀両断されるのが関の山だと思っていたが、運良く拳銃を持ち込めたのが良かったのだろう。 その武器で、召喚士がこの世界の説明でもしている時にいきなり撃ったのかもしれない。


 それよりも、だ。 私は自分が犯される前に何とかしようと考えて居たが、男がお尋ね者になってくれたのなら、難しい事を考える必要も無くなった。

 ……さて、秋月さんの時の様な状態なのだが、彼にどんな沙汰を言い渡すのだろうか。

 男にとって一番痛いらしい部分を踏み付けながら殺せというのだったのならば二つ返事でやらせて貰うわ。 もぎ立ての果実を剥いて食べるような目で私達を見た罰よ。


『ありとあらゆる痛みを精神が壊れるまで延々と与え続ける為、殺さずに捕獲せねばなりません。 繰り返します。 安に死を与えてはなりません。』

「はぁ!?」


 なんて考えて居たら、管理者の女はとんでもない事を言い始めた。

 いやいやいやいや。 なんで秋月さんの時は延々と輪姦してから殺せ、で、この男の場合は生かす訳?

 …………まあ、こいつにとって、死ぬ事よりも嫌な事だからか。

 男の脇に抱えられた女の子が、イヤイヤ、と、何かを言いながら首を横に振る。 

 そりゃ嫌だろう。 男自身は捕まった後にどんな痛いことをされようが、今の今、差し当たって自由な彼は、まず彼女を蹂躙して、地獄の前の晩餐としてでも楽しむ事であろう。

 その生き地獄に行く筈の本人にも管理者の声は響いて居る様だが、まず慌てる素振りも無い事から、既に頭が壊れて居るか、そういった覚悟は出来ているに違いない。

  

 しかし、そんな彼女の不安は違う意味で裏切られた。

 男が標的をまず私に定め、こちらに向かってにやけた顔を携えて歩いて来たからだ。

 メインディッシュがあっちで前菜アピタイザーが私って事?


 …………ふざけんな。


 何に対して怒っているのか分からなくなった私だが、少女を抱えたまま寄って来た無防備な男の膝に向けて、プロミネンスブーツに意識を込めて漆黒に硬化させた後、そのブーツの左足の甲の部分で一発蹴りをお見舞いした。

 私が無造作に繰り出したその一撃は、まるで何も出来ない少女が怯え、ただその場でたじろいで足をもつらせた様に見えたのかもしれない。 

 男は『無駄な足掻きを』とでも言わんばかりの嘲笑を浮かべながら、血走った眼で舐める様に足元から上まで私を見、その視線が私の顔に至って、これは結構美味そうだ、と、更に口の端を吊り上げさせた時、彼の身体はすんなりと私の蹴りを受け入れた。

 ――――べきゃり、と、激しい音を立てて横から砕き折られる男の右膝。


「ニェェェェット!!」


 何語かは分からないが、嘲笑から一転して、痛みに顔を歪めながら男は叫び、その痛みと共にガクン、と、私から見て左側に彼の身体が崩れ落ちた。

 男が右腕に抱えていた女の子は、男が痛みにより手を放した事で解放され、重力により自由落下を始め――――

 女の子の身体が手離された位置から床までは約60cm。

 ……痛い思いはするだろうが、大事に至る様な高さではあるまい。 そう瞬時に判断した私は、女の子が床に落ちる前に、左足を軸足にして、今度は右足を思い切り前に蹴り出して居た。

 男の左肩に食い込む私のブーツの踵。

 ――――が、その食い込み加減から、私は自分の力の加減を大幅に間違って居たと知る。

 ブーツの踵は、私自身が驚いてしまう程安易に男の肩の筋肉を引き千切り、かつ肉を引き裂き、骨を砕いており、更には、その肩を中心に男の身体を3m程正面に蹴り飛ばしていたからだ。

 私としては強く蹴り出して自身の身体を後退させるつもりだったのだが、体重差が倍程もある男が、何故私から吹き飛ばされてしまうのだ? と、自問自答する私。 だが、しっかりと床を踏み締めて居た左足を見て、自身が無意識に筋力を使って踏ん張って居たらしいと判った。

 まあ、そう判ったところでどうにもならないのだが。

 激しい音を立てて石畳の床に叩き付けられる男の背中。

 肩を蹴った感触から、最悪そういう事もあり得るだろうと予想はしていたが、叩き付けられた衝撃のせいで、蹴り裂かれた肉と肉の間、肌を割って、激しい量の鮮血が吹き出して来てしまった。

 背中を打ったせいか、声も出ない男は、無事な右手だけを痙攣させて仰向けに倒れたままである。


 …………拙い。 このまま準備区画でこいつに死なれては困るわ。


 一瞬ポーションを飲ませようかと考えたが、彼の傷は迷宮の中で受けた傷では無いので、多分効果は無い筈だ。 秋月さんが準備区画で男に色々とされた時の傷だけは、ポーションで癒えることが無かったのは記憶に新しい。

 っていうか、それを言うなら何で前みたいに管理者が『殺すな』と警告してくれなかったのよ。

 ……私に殺意が無かったから、か。

 確かに男を動けない様にでもして、この場に放置して行こうと考えて居たが、それが裏目に出たらしい。


「****…………。」


 その時、地面に転がっていた筈の少女が座り込み、男を指差して何かを言い出した。

 表情には、驚愕と共に、安堵……そして、憎しみ? もしかして私に止めを刺してって言いたいのかしら。

 ……それが出来るなら私も苦労しないのよ。

 ――――そうだ。 よく考えたらこれは凄く拙い。

 ここで男を殺したならば、私は自分が一番されたくないであろう事を罰として与えられるからだ。


「…………っ。」


 な……何で私、自分の手足を切り取られ、真っ裸で目隠しと口に猿轡をされて、男子便所の入り口にまるで達磨の置物の様になってる事を想像しているのよ!?

 どっかの国でそんな事をされた変態動画が撮影されたとか何とか、そんな知識、知らなければ良かった!

 やばいやばいやばいやばい。

 何か・・をされた回数をマジックで太腿に書かれたりなんてのは嫌だ。

 とにかく何とかしないと。

 幸いまだ男の息はある様だが、時間の問題だ。

 どうする? どうしよう……。


 ――――いや。 待てよ。 『ここで殺さなければ良い』のではないか?


 私は男に飛び寄ると、彼の無傷の部位である右脇に手を差し込み、自身に抱え込む様にして上半身を持ち上げた。

 未だ痛みに顔を歪めて居る男だが、私の行動に驚いたのか、涙を流しながら……お礼? のような事を言っていた。 これから私は貴方にお礼を言われるような事はしないのだけれどね。

 っ……それにしても微妙に臭いわね、この男。 肉系の生ごみの様な、それでいて酸っぱい匂いがする。

 男ってこんなに臭いものだったのかしら。 お父さんやお爺ちゃんの記憶は曖昧で、二ノ宮君からは全然そんな匂いを感じないので、この男が特別臭いのかもしれないが。

 まあ……我慢だ。 兎に角準備区画から離れないと。


 私の身長が足りないので、右肩を脇から担ぐようにしていても男の足は床に引き摺られてしまう。 男の靴は堅い革靴……いや、登山靴や軍の人が履いている様な特殊な物で、その爪先が石畳の隙間に引っ掛かって跳ね上がって、また落ちて引っ掛かって跳ね上がる様は、紐を引っ張っりながら音を立てて楽しむ子供のおもちゃの様で滑稽である。

 その様におもちゃを引っ張りながら、私は迷宮の入り口へと向かう。


「まだ死なないでよ。 最後は痛くしないで殺してあげるからもう少し我慢して。」


 微笑みながら言う私に、また涙を流しながら多分お礼の様なものを言っているであろう男。

 私が自分を助けてくれるとでも勘違いしているのだろうなぁ。

 それはそれで……なんだか面白くなってきたわ。

 そう。 勝手にそうやって生きる気力を保って頂戴。

 と、勘違いしている人がもう一人。 先程男の脇に抱えられて居た女の子だ。

 何かを叫びながら、今度は怒気だろうか、を、交えて、男を引き摺る私に付いてきた。


「***…………*****!」

「最後までされなかったんだから別に良いじゃない。」


 それがうざったいと思った私は、溜息を付きながら少し冷たい口調で彼女に言い放つ。

 と、なんとそれは理解したらしい。 俯いて自分の下腹部を見て、水色のワンピースのスカートの裾を下に引っ張ると、軽く頷いて、なんととぼとぼと歩いて私に付いて来るではないか。

 こっちに来るなとも言えない私は、大急ぎで迷宮の入り口へと向かって彼女との距離を離そうとした。

 すると、女の子はやがて小走りになり、更に速度を上げた私に対して遂に全速力で付いてきたのだった。


 ◇


 まだ男が息絶える前に迷宮の入り口の魔方陣に到着した私は、


「二階に転送!」


 と、叫ぶが、ここで新たな事実が発覚。 男もパーティの人数として数えられて居て、パーティ全員が条件をクリアしていないと次の階層には行けないらしい。

 更に、置いていこうと思っていた金髪の女の子までも遂に私達に追いすがって来てしまった。

 肩で息をして、滝のような汗を流しながら私の傍に寄ってくる女の子。


「仕方ないわね……。 一階に転送!」


 淡い光を放っていた場所から一転して真っ暗な世界に転送される私達。

 腕に捕まえて居た男は、まだ温かく、息がある様だ…………。

 ふう、もうここなら大丈夫、と、臭い男を放り投げる私。


「****!? ****……」

「ちょっと黙ってなさいよ。 五月蠅い。」


 暗くなった事と、男が床に落とされた音に驚いたのか、いきなり騒ぎ始めた女の子に対して、冷たく言い放つ私。

 すると、私の冷静な声に逆に安心したのか、何かをブツブツと言った後、その場で動きを止めた様だ。


「我が信愛なる紅蓮の炎よ、この手にその身を具現させ給え。 ララヒート、ナヒートヴォル、レ、ブレテニヒテ、グレーゼ。 炎の剣フレームブレード!」


 ぼう、と、具現する私の紅蓮の炎の剣。 同時に、プロミネンスマントとブーツも炎状態に解放――――うん。 解放という動詞が正しいのだろうな。

 まるで炎が花開く様に、紅炎がマントとブーツに立ち上り、それが発光して私の身体全体で周囲を照らし出しているようにも見える。

 まるで神々しい何かを見るように私を見上げる女の子だが、確かに魔法をいきなり見せられたなら困惑するに決まっているだろうな。

 そう言えば拳銃で思い出したが、私と同じ世界、地球から来た人間なのだろうか?

 ……まあいいか。 取り敢えず顎で私の後に付いて来いと女の子に指示する私。

 そして、もう生かして置く必要が無くなった男は、無造作に右腕を私の左手に引っ張られ、石畳の上を血の跡を残しながら引き摺られて行くのだった。 

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