新婚旅行編
第1話 新婚旅行のお誘いと幸せ
「アリア、新婚旅行をするぞ!」
執務室で書類と睨めっこしていると扉を勢いよく開いた夫レオンスから意味の分からないことを言われる。
「レオ、勝手に部屋に入らないでください」
親しき仲にも礼儀ありという言葉を知らないというのだろうか。
頬杖を突いてじっと見つめるとレオンスは申し訳なさそうに扉を閉じて叩いてから「入っても良いか?」と尋ねてくる。
国で一番偉い皇帝陛下がやることじゃないでしょ。
私に弱い夫が可愛らしくて笑ってしまう。
「どうぞ」
今度はゆっくりと扉を開いたレオンスは大きい身体を縮こませて入ってくる。小さな声で「今大丈夫か?」と尋ねてくる彼に頷いた。
煮詰まっていたところだ、休憩するのも良いだろう。
睨めっこしていた書類を置いて彼のところに駆け寄る。
「邪魔じゃなかったか?」
労るように頰を撫でてくるレオンス。
首を縦に振って「今休憩しようと思っていました」と返すと大きな身体に包み込まれる。話が出来ないので背中を軽く叩いて離れてもらう。
離れて行くレオンスはご満悦の表情だ。
彼曰く私を抱き締めると元気が出るらしいのでこの表情なのだろう。
「すぐにお茶を用意しますね。座って…」
待っていて欲しいと言おうとしたのに後ろから抱き締められて頰を引き攣る。ついさっき離してもらったばかりなのにどうしてまた抱き締めるのか。
耳元にかかる息が擽ったくて「レオ、離してください」と言ってみるが逆に力を込められてしまう。
「二人きりの時は?」
「敬語なし」
二人きりの時はレオンスに敬語を外すという約束がしている。
反射的に返してしまうのは何度もこのやりとりをしているからだ。解放してくれるので振り向くと拗ねた顔で「何度も言っているだろ」と言われてしまう。
何度も言われているがここは執務室なのだ。いつ誰が来るか分からないのに敬語なしで話せない。
「ここだと誰が来るか分からないですから…」
「二人で過ごすからしばらく近寄るなと言ってある」
相変わらず用意周到な人だ。
また抱き締めて来ようとするので「分かったから大人しく座っていて」と肩を押す。満足したのか素直に言うことを聞いてくれるレオンスに溜め息を吐いた。
あのまま敬語を使っていたらここで抱かれていたに違いない。二人きりの時に敬語を使わなかったせいでもう何回もお仕置きと称して抱き潰されている。
今日中にやらなければいけない仕事があるのだ。動けなくなるのは避けないと。
それにしても彼の性欲ってどうなっているのかしら。
夜はもちろん朝も昼も抱かれる時がある。一日に何回も抱けるものなのだろうか。
他に男性経験も無ければ夜の話をする相手も居ないので知識が乏しい為、よく分からない。
「アリア、顔が赤いぞ?」
「お湯のせいよ」
真っ昼間から夜の営みを思い出すとは私こそ欲が強いのだろうか。
少なくとも淑女のやることじゃない。
私の答えを疑わないレオンスは「熱いなら俺が代わりにやろうか?」と尋ねてくる。
純粋に心配してくれる彼にちょっとした罪悪感を覚えたのは黙っておこう。
「もう淹れ終わるから」
「そうか」
紅茶の用意が終わるとレオンスに「おいで」と促されて彼の隣に腰掛ける。二人用のソファなので少し狭いが腰に腕を回されているので逃げられない。
逃げる気もないけど。
二人きりの時、レオンスは必ずと言って良いほど私を隣に座らせたがる。座らなかったら拗ねると言う面倒な性格なのだ。彼を不愉快な気分にさせるのは私の望むことじゃないので大人しく従っている。
「相変わらずアリアの淹れるお茶は美味いな」
「ありがとう」
何度も淹れているのだ。レオンス好みの紅茶の種類と淹れ方は熟知しているし、いつ彼が訪れても良いよう執務室に完備している。
そこまでする必要はないと分かっているけど自然と彼を喜ばせたいと思ってしまうのだ。
侍女ウラリーによく言われているが私はレオンスに。
「甘過ぎるわね」
「別に甘くないぞ?」
「紅茶の話じゃないわよ」
不思議そうな表情を見せるレオンスに「気にしないで」と返す。
紅茶を一口含み、苦味と微かな酸味を感じて気分を落ち着かせる。
「それでどうしてここに来たの?」
「新婚旅行をするぞと言ったはずだ」
新婚旅行の話、冗談じゃなかったのね。
適当なことを言っていると思っていたから流していた。
「忙しいけど行く暇あるの?」
「レナールに調整してもらった」
どうせ行けないだろうと決め付けて新婚旅行のことは考えていなかった。どうしても行きたかったわけじゃないが行けるというなら嬉しいに決まっている。
にこりと笑って「嬉しいわ」と答えるとレオンスも幸せそうに笑った。
「夜になったら色々と決めよう」
「分かったわ」
レオンスは新婚旅行を出来るのが嬉しいのか上機嫌で鼻歌を歌う。ちょっとだけ甘えようと彼の肩に頭を寄せると髪を撫でてくれる。
幸せな時間に頬が緩む。
ぼんやりと思い出すのは四ヶ月前のことだ。
四ヶ月前まで私はここフォルス帝国の隣国アルディ王国の公爵令嬢だった。
ある日の舞踏会で私は婚約者であった王太子オディロンに冤罪を擦り付けられて断罪されたのだ。
婚約者に裏切られ、陛下や王妃、家族にも見放された私は国外追放の刑に処されて森に中に放置されてしまった。
これからは一人で生きていこうと考えていたところ目の前に現れたのがフォルス帝国の皇帝レオンス・ルロワ・フォルスだ。驚き戸惑う私に彼は「お前を私の妃にする」と言ってきた。拒否権がないと諦めて彼の妃になることを決めた私は彼にお持ち帰りされたのだ。
お持ち帰りされてからは幸せな日々を送っている。
幼い頃から大好きだった伯母と伯父、従兄に家族として迎えてもらい、新しい婚約者レオンスからも大切にしてもらった。
そして一ヶ月前レオンスと結婚式を挙げたのだ。
結婚する前から甘々だった彼の態度は結婚後はさらに甘ったるいものとなっている。嫉妬する隙もないくらい私だけを愛してくれている彼に心が揺れ動かないわけがない。
好きなのか今も分かっていないが一つ言えることは彼以外の男性を好きになることはないということだ。
「アリア、眠いのか?」
「幸せを感じているだけよ」
ぼんやりしていたからか顔を覗き込んでくるレオンスに微笑みかけると「そうか」と頭を撫でられた。
「もう少しだけ幸せを感じる事にしよう」
「ふふ、そうね」
寄り添い合いながら二人きりの時間を過ごした。
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