123 信念と正義
「くぉらっ!もっとシャッキリせんか!」
「いたっ!」
怒声と共に鞘で強か体を打たれた。
鈍い痛みに怯んでいたら、さらに脳天にまで鞘が落ちてくる。
頭を押さえてうずくまった俺の前で鞘を杖代わりに老師が地面に突き立てた。
「そんな生っちょろい動きじゃ、盗賊共にすぐ息の根を止められるぞ!」
「それは…わかってますけど」
うつむいて答えた俺の頭を老師が手に持つ鞘でバシバシとリズミカルに叩きながら説教した。
「お前なんぞが、同情したところで、無駄なんじゃっ。
まだわからんのかっ!」
「いたたたっ!痛いですって!」
俺が頭を押さえて逃げ回っても、狙いすましたように同じ場所を同じように鞘をぶつけてくる。おかげで頭を抑える左手の甲がじんじん痛み始めた。
「誰よりも弱いくせおって、なんちゅう傲慢さじゃ。
その悪癖は治さんと長生きできんぞ」
そんなの言われなくたって、分かってるけど…っ!
老師の言葉には一切反論できないが、どうにも上手く飲み込めない。いつまでも口の中に残る干し肉みたいに千切れない頑丈な繊維がずっと口の中に居座っているのだ。
「だって彼らはもともと聖王国で酷使されていた市民か農民なんでしょう?
長く虐げられてたんだって思うと…」
「だったらなんだと言うんじゃ。旅人や逃亡民を殺して荷物を奪っていても、奴らを助けてやるべきだとでも言うつもりなのか?ん?」
ぐりぐりと鞘の先端を頬に押し込まれた。
そうでなくても反論する言葉を俺は持たないので黙り込むしかないんだけど。
「元が被害者だろうがなんだろうが、悪事をしでかせば悪人なんじゃ。
弱き者を殺して生き永らえているなら、より強者に殺される
バスン、と大きな一撃を俺の脳天にお見舞いしてようやく老師は鞘を足元に戻した。
「こんなんじゃ訓練するだけ時間の無駄じゃの。
歩、お前は弱者として奴らに殺されて命と荷物を恵んでやるつもりなのか?」
「それは嫌、ですけど…」
「“ですけど”、なんじゃ?お前に出来ることなんぞ何にもありゃせんじゃろうが」
「……」
ここ数日はずっとこの会話がループしている。
自分でも子供じみた我儘だなという気はしているが、どうにも飲み込めないのだ。それを傲慢だと断じる老師の言葉が正しいと分かっていても。
「せめて俺に何かできることはないんでしょうか。
俺一人がジタバタしたって何も変わらないのは分かってます。
でも自己満足でもいいので、何か…」
「フン。それがこの辺一帯の“地域清掃”じゃと言っとろうが」
老師の言葉を素直に聞くのがもっとも正しく、賢い選択なんだろう。
結局俺にできることなんてそのくらいしかないんだ。
弱いくせに無駄に正義感を振りかざしたって鼻で笑われて殺される…この世界はそういう世界だ。嫌と言うほど体に刻み込まれてきた、揺るぎないこの世界のルール。
「根を絶てないことは承知しています。
けどせめて彼らを弱体化できないでしょうか。
盗賊の親玉を王国側に犯罪者として突き出すんです。
これ以上、被害者を増やさないためにも」
盗賊に襲われ身ぐるみ剥がされる人を減らせば、巡り巡って盗賊に身を堕とす人も減るかもしれない。その為に、彼らの親玉を叩く。
捕らえてリジンかロットの警察署に引き渡せば、引き渡した国の法で裁かれるだろう。
強い眼差しを向けて訴えると老師は少しだけ眉を動かした。
「ほう?盗賊共と敵対する覚悟があるのか?
たとえ盗賊共のボスを捕えても、盗賊の生き残り共は恨みを忘れんぞ。
オレガノまで追いかけてきて歩の命を奪うかもしれん。
ボスを捕えても盗賊共を根絶やしにしなければ、結局はボスの頭がすげ代わるだけじゃ。
それでもやるというのか?」
命を狙われるほど恨まれるのにそんな無駄なことをするのか。
老師は無言でそう尋ねていた。
俺は自分の中に答えを探す。
そこまでして彼らと戦う意味はあるのか。そこまでする理由があるのかどうかを。
「…嫌なんですよ。
俺の知っている誰かがディゴ王国に向かって、盗賊の誰かに殺されるかもしれないって思うと。生き延びて今度は別の人を殺すかもしれないって考えるのも」
全身に青あざをつけていた農民女性やレッサーラプターの襲撃被害を受けた村の人達の顔を一人ずつ思い浮かべる。泣きながら感謝し、握られた手の温かさを思い出す。
彼らがいつか我慢の限界にきて聖王国から逃げ出すかもしれない。国境を越え、ディゴに向かうかもしれない。そこで盗賊に襲われて命を落とすのも、生き延びて盗賊として命を奪う側になるのも嫌だ。
「こんなのただの我儘だって分かってます。
けど、せめて俺が知っている人達のために俺ができることはしておきたいんです」
自己満足でもいい。一時だけでもいい。彼らの勢力の勢いを削げれば、それで。
「フン。やっと腑抜けた顔でなくなったの」
老師はそう言って杖代わりにしていた鞘の先を持ちあげ、俺の首にピタリとあてた。
「しかし一つだけ条件がある。
もし盗賊共の親玉を潰すというのであれば、殺せ」
いつもより1オクターブは低い声で老師はそう命じた。
喉仏に鞘の先端を当てられた俺は動けず、沈黙する。
「歩が己の信念を貫きたいのはただの我儘じゃ。
お前を追ってきた盗賊にギルドやオレガノを襲わせるわけにはいかん。
お前がそうしたいというのであれば止めはせん。
が、やる以上は周囲に迷惑をかけんよう、最低限の責任を果たせ。
お前に歯向かえばボスのように殺されると、奴らの目に焼き付けて復讐の芽を摘み取るんじゃ」
老師の静かで鋭い眼差しを見ればわかる。
生易しい善意でも甘っちょろい正義感でも太刀打ちなんて出来ない。
たとえ成し遂げても俺は誰からも感謝されず、この手には洗っても消せない血の跡が一生残る。
その覚悟はあるのか、と俺に問うていた。
そんな老師を見て、本当に俺の中にあった覚悟は薄っぺらかったんだなと理解した。
本当に苦しむ誰かを救いたいと思った時、敵対する者を傷つけ排除することを厭わない覚悟が必要なのだ。
綺麗なままの善人でいたいのであれば、誰も何も救えはしない。何も出来ないまま、時間に流されていくしかない。
それを嫌と言うほどこの世界は俺に突きつけてくる。
物語に登場する清く正しいヒーローなんて、この世界には存在することすら許されないのだ。
事後に残るのは命を刈り取られた弱者と血に濡れた強者のみ。
「やります。盗賊たちがこれ以上誰かの命を奪う前に」
正義なんて幻想だ。何が正しいかなんてそれぞれの心の中で違うもの。
弱者が死んで口をつぐみ、生き残った強者が結果として肯定されるだけなんだ。
だからそんなものに甘えるな。
自分を正当化しなければ動けないなら、いつか罪悪感に殺されることになる。
「良い目じゃ。
その覚悟が本物じゃというのであれば、ワシも力を貸そうではないか」
俺の喉元から鞘を離した老師は笑みを滲ませながら鞘を地面に戻した。
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