120 真剣稽古


 片道2時間のマラソンを終えた俺達はその日も聖王国領とディゴ王国領の境で体を鍛えていた。

 特訓のメニューとしてマラソンしてきた直後に休憩がてら運んできた空のバックパックに銅の金属片を木製バックパックに詰め、真剣の武器で1000回素振りをこなした。

 素振りと言っても最上段からただ真っ直ぐに振り下ろすだけではなく、左右それぞれからの横薙ぎの振りや前方に踏み込んでの突きの動作など、実戦で使える技を1000回繰り返す。

 これは実戦になった時にとっさに動けるよう体に覚え込ませるのが重要らしい。


「敵の攻撃を読み、それを避けてから反撃に出るまでの動きを早くするんじゃ!

 いつも自分の体がバランスをとれておるとは限らんぞ!」

「はい!」


 なんせ戦の場はなんの整備もされていない野外だ。

 足元に石などが転がっているのは当たり前だし、地面だって勾配していることの方が多い。強い風が吹けば砂嵐だって簡単に起こる。

 そんな中で敵の攻撃を避けようとしてバランスを崩すことなんて日常茶飯事だ。そこから攻撃を畳みかけられないためにも、避けてから攻撃に転じる動作はとても重要だ。

 俺自身も実戦の最中にバランスを崩し危うく殺されかけたことが何度かある。その重要性は理解しているし、何より自分から突っ込んでいって攻撃するより相手の攻撃を避けてから反撃する方が精神的な負荷が軽い気がする。何となくそう思っているだけだけど。


「遅い!歩の動きは丸見えじゃ!」


 バスン!


「いっ…!」


 老師がすっかり使い慣れた俺の刀の鞘で太腿を打ち付けてくる。とても中身のない鞘で打ち付けたとは思えない痛みだったが、もしそれが真剣であれば俺は足を負傷して動けなくなっていただろう。もし目の前の相手が老師でなくこの辺りを徘徊している盗賊だったら…そう考えると背筋が凍る。


「ほれ、さっさと反撃してこんか!

 盗賊が相手じゃったらもう死んどるぞ!」

「くそっ…!」


 俺は踏み込みながら刀を横に振るが、老師にはあっさりそれを避けられた。

 柄を握っているぶん俺の方がわずかにリーチは長いはずなのに、老師の体に届く気がしない。


 野バラの周囲で訓練をしていた時は柄で打ち据えてくる老師に真剣を向けるなんて…と思っていたが、とんでもなかった。手を伸ばせば届くほど至近距離にいても、俺が振った刀がその体を捉えることはないのだ。さんざん“なっとらん!”と怒鳴っていた理由をようやく理解した。

 俺程度の腕前で老師のスピードを上回ることなどできない…それをよく分かっているから実戦でもまともに刀が触れるように真剣でかかってこいと命じていたのだ。俺と老師の間にはそれだけの力量差があるということだ。


 ここで特訓をしていると、時折徘徊している盗賊相手に実戦を訓練の一環として命じられることがある。映画でよく海賊が振り回しているような大振りのサーベルをもつ盗賊たちと多対二の戦いを強いられるようになって、真剣を使っての訓練がいかに大事かわかった。

 金属製の真剣と木刀では重さやリーチが全然違う。振り下ろされる刃を受け止めた時の刀にかかる重みはもちろん、とっさに攻撃に転じようとした時の体の重心の動きや間合いまで。

 紙一重で攻撃が届かなければ、次に窮地に陥るのはこちらのほうだ。避けたり受けたりしきれなかった攻撃で傷を受けながらの立ち回りで、その一撃の差はとても大きい。その一撃で相手のペースに持ち込まれたら一方的に斬り殺される危険もはらんでいるからだ。

 それはたくさんの刀傷を受けながら俺自身が体で学んだことだ。


「はぁっ、はぁっ…」

「限界のようじゃな。交代じゃ!」


 刀の切っ先を向けながらも息を切らして動けない俺を見た老師はくるりをこちらに背を向けて控えていた風刃に向き直った。

 立ち上がった風刃は刀を構え、間髪おかずに老師へと距離を詰め先制攻撃を仕掛ける。

 俺よりスピードも威力もある攻撃すら老師は眉一つ動かさずに躱した。初っ端から畳みかけるように幾度も刃を振るってくる攻撃の全てを見切り、風刃の隙を突いて手に持っている鞘でその体のあちこちを打っている。


「勢いだけで刀を振るうでない!おぬしの攻撃は読みやすいんじゃ!」


 そう言って怒鳴った老師が振り下ろされた刀身を鞘で軽く受け、勢いがついた刃を鞘の角にそって滑らせ、体勢を崩した風刃の脇腹を鞘で強か打った。老師が手にしていたのが真剣であれば、きっと風刃の腹は横一文字に斬られていただろう。


「おぬし程度のスピードとパワーで勝てるのは歩や追剥くらいじゃ。

 格下相手でなく、格上相手にどう戦えばよいかを考えよ!」


 鎌風の力なしの風刃より弱いのは自覚しているけど、そこで引き合いに出されると傷つくなぁ…。


 俺が複雑な心境で見つめる前で2人の激しい攻防は続く。

 しかし素人目の俺が見ても老師が一方的に風刃を手玉に取っているのがわかる。とはいえ老師が本気を出したらあっという間に勝負がついてしまうから、俺達の訓練になるようにわざと手を抜いてくれているんだろう。俺と老師の訓練はさらに酷いレベルなのかもしれないが、それはあえて深く考えないようにしている。


 俺はまだまだこれから強くなるんだし。うん。俺はこれからだから。


 それにしても老師の足運びは見事だ。特に足元に注意を払っている様子もないのに、どんな攻撃がきてもほとんど体のバランスを崩さない。攻撃を避ける時も体のバランスが崩れないように最小限の動き、攻撃を受けてもしっかりとした足腰でその重さを受け止めている。そして風刃が次の一手に入っている間に刀の軌道を読んで鞘で攻撃している。

 敵の攻撃を避けるか受けるかして、敵の隙をついて一撃を加える。この動作が流れ落ちる水のように自然な動きの流れとして数回の呼吸の内に見事に完結されているのだ。

 格が違うという言葉があるが、まさにそれをまざまざと見せつけられている気分だ。


「おぬしはしばらく休んでおれ。

 歩、交代じゃ!」

「はいっ」


 老師との訓練はわずか15分にも満たない時間なのに、1000回素振りするよりずっと体力と精神力を消耗する。

 相変わらず刃はその体に届くことはないが、だからこそこっちも全力で刀を振れる。

 プレートジャケットを買う時に老師は“軽鎧を身に着けられるのは敵の攻撃を全て避けれるようになってからじゃ”と憤慨していた。だから俺達がもっと成長し真剣を使うのが危うくなってきたら、訓練で使う武器もグレードダウンするのかもしれない。


 それまでは老師の強さに甘えさせてもらいます…!


 刀の柄を握って立ち上がった俺は連戦しても息1つ乱さない老師に胸を借りるつもりで向かっていった。




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