118 ラム酒を片手に
3時間かけてようやくオレガノに帰り着いた俺と風刃はパブのマスターに金属片がぎっしり詰まった木製バックパックごと預けて査定をお願いした。マスターは唐突に持ち込まれた大量の買取依頼に驚いていたが、金の受け渡しが明日でいいならと請け負ってくれた。
それはともかく両手足の筋肉が悲鳴をあげている。老師は本当に容赦がない。年齢をサバ読みしすぎているせいで若者の肉体がそれほど頑丈でなく、また回復が早くもないことを忘れてしまっているに違いなかった。
「今日はもう寝たい。鍋にお湯だけ焚いて体を拭くだけにしておくか…」
本当は湯船に全身を浸けたかったが、繰り返しの水汲みと湯焚き作業に耐えられそうにない。
今日はもうこのままベッドに飛び込んでしまいたいくらいだ。
「まだ誰かが入ってたらお湯は残ってるはず」
「そんな楽観的な」
帰りが遅くなり過ぎた。昼に働いていたギルド員も夜勤に出ていったギルド員ももう使い終わっている頃だろう。
無料で貸し出す代わりに最低限のマナーと使用上のルールを守ってもらっているので、最後に風呂に入った人間がお湯を抜いて浴槽掃除をしてくれているはずだ。
しかしそんな俺が玄関のドアを開くとほんのり温かい空気が出迎えてくれた。
「えっ?まだ誰か入ってるのか?」
もしも風呂掃除をサボって帰ってしまった人間がいるなら明日注意しなければならない。
風刃と顔を見合わせ、玄関のドアを閉めてパーテーションの向こうを覗き込んだ。
木製フレームに布を垂らしただけの簡単なものではあるが、タオル替わりの布や着替えが入れておける大きなポケットつきの自信作だ。場所をとらない収納家具としても使い勝手がいいので気に入っている。
「よぉ、お帰り。
風呂って初めて入ったけど、案外気持ちいいな」
「ペドぉ!?」
湯船に浸かっていた人物が予想外過ぎて思わず大きな声が出てしまった。
頭の上に畳んだ布をのせているあたり、風呂の事を聞いた誰かに入り方までバッチリ教わったのだとは思う。
が、まさか家に帰ってきたらペドが風呂に入ってるなんて誰が予想しただろうか?
「いや~、ナッツさんが旅に出る前に一回は入っとけって言うからさ~」
ペドはそう言って頭にのせている布で顔についた水分を拭いている。
あの人か。
確かにギルド員の中じゃ風呂好きな方だけども、まさか布教活動までしているとは。
「お前らもう飯食った?もしまだなら風呂あがったらパブに食べに行こうぜ。
いろいろ積もる話もあるしさ」
「あぁ、そうだな。本当に色んなことがあったよ。
まだ2カ月しか経ってないなんて嘘なんじゃないかと思うくらい色んなことが目白押しだった」
離れていたのはわずか2カ月ほどだったが、その短い間に目まぐるしく色んなことが起こった。その話を聞いてほしいし、俺自身もペドの旅の話が聞きたかった。
「だろうな。この家を見てれば何となくわかるよ。
でも俺だってそれに負けないくらいすごい地域を旅してきたんだからな。
あとでたっぷり聞かせてやるよ」
「楽しみにしてる。じゃあ全員風呂に入ったらパブに向かおう」
「いや~、人っていうのは変わるもんだねぇ。
まさか2カ月前にギルドの2階でトレーニングダミーを相手にへっぴり腰で剣を振ってた奴が家を買って聖王国の役人どもを上手く言いくるめて追い返しちゃうなんてさ」
「へっぴり腰は余計だ。まぁ、かくいう俺が一番驚いてるんだけどな」
夕食代わりに約束のミートラップをご馳走するとペドは目を輝かせてそれを平らげた。
今はブラッディラムを舌の上で転がしながら離れていた2カ月間の話に花を咲かせている。喉を焼くような強い酒精とそれに負けない果実のような芳醇な香りがたまらない。1瓶ずつの販売なので確かに単価は高いが、ゆっくり昔話をするにはぴったりな酒だった。
風刃は“今日は疲れた。眠い”と言ってもう家に帰った。今頃ベッドに入って夢の中だろう。
「でも改めて感心した。ペドが仕入れてくる武具って本当に品質が良かったんだな」
「あったり前だろ。
脳筋のディゴ族はおろか聖王国やCUでもなかなかお目にかかれない一級品ばっかりだぜ。
こちとら黒い砂漠だろうと峡谷に挟まれた大河の中だろうと、命懸けで武具の買い付けに行ってんだ。
それを半額以下で買えるってだけでも盗賊ギルドに登録する価値はあると思うね」
頬を赤らめたペドがドヤ顔で胸を叩く。わざとやっているし一種の照れ隠しだと思うが、命懸けだというのは文字通りなんだろう。
ペドから聞く旅の話には俺が知らないモンスターや風習が沢山出てくる。直接刃を向けていなくても命の駆け引きを要求するような危険な話もある。
そんな地域を旅しながら武具を仕入れ、そして行く先々で売って回っているんだ。商人という仕事に誇りを持っていなければとても続けていけないだろう。
「感謝してるとも。だから今夜は奢ってるだろ?」
実際、ペドに刀を売ってもらっていなければ俺は確実にどこかの段階で死んでいたと思う。いやペドだけじゃなく俺は周囲にいる人達にずっと助けてもらって生き永らえてきた。このクソみたいな世界で。
「ははっ。気前がいい客は大好きだぜ!」
アルコールで悪ノリしたらしいペドに肩を抱き寄せられた。
少々強引に引き寄せられたので手の中のグラスの中身を零しそうになってしまった。
俺よりだいぶ若いだろうに、危険な旅を続けているペドの筋力もなかなか侮れないらしい。
危ないからとその体を押しのけようとしたが、そんな俺の耳に酒臭い息を吹きかけながら囁かれた。
「で?噂の女とは結局どうなったんだよ?」
「ペドまでそのネタでからかうなよ。
どうせカリウムあたりから聞いたんだろ?
面白がって話を盛り過ぎなんだよ、あの人は」
言いたくないとグイグイ体を押すとようやく解放してくれたが、その顔に浮かぶ笑みはムカつくどこかの誰かさんの笑顔にそっくりだった。
「今の同居人だってもうちょっとしたら出ていくんだろ?
ベッドが一つ空くじゃないか?」
「あれはソファにするつもりで作ったんだ。
風刃が出ていったその日に即改造するつもりだし」
「なんだよ~あけといてやれよ~。
いつまでも宿暮らしなんて可哀想じゃないか」
「うるさいっての。そんなに宿暮らしが嫌ならギルドのベッドもあるし」
言いかけて口ごもった。
“触る人は誰が見てたって触るもん”という驚くべきニュクスィーの発言を思い出してしまったからだ。
それにあの外見では聖王国の役人を無事にやり過ごすのは難しいだろう。新しく家を買えばいいというのも、無い。つまり…。
「さっさと金を貯めて俺からあの家を丸ごと買い取れば問題ない。
俺は俺でもう一軒買うつもりだったし」
同じ街に自宅という名目でもう一軒持てるのかどうかは分からないが、土地や建物はそう高いものではないので買うこと自体の金銭的な心配はしていない。
まぁ聖王国の役人とあのやり取りをもう一回やらなきゃならないってのが憂鬱と言えば憂鬱だけど。
「知らない仲じゃなし、ケチケチせずベッドくらいタダで貸してやればいいのに。
商隊で旅してりゃ背中くっつけて暖をとりながら寝る時だってあるんだぜ?
風呂は無料開放してるくせに、変なところで意固地だよな」
「それとこれとは別。
1階はヤギもいるしその世話もあるから、自宅っていうより共有スペースみたいなイメージなんだ。よってたかって風呂に入りに来る連中もいるしな。
それに無料なのが気に食わないなら明日から金をとってもいいぞ?」
「あー待った、今のナシ。取り消すから!」
両手を合わせて拝む仕草をするペドの姿に思わずため息をつきながら笑ってしまった。
金なんてとったらそれこそ首が飛ぶかもしれない。酒の上でだから言える冗談だ。
「わかればよろしい。
俺からあの家を買い取った後にアイツが風呂をどうするかは知らんけどな」
さすがに金をとって儲けようとするなら容認できないが、若い女の一人暮らししてる家の一階を裸の男たちが大手を振って行き来するのもおかしな話だろう。俺から買い取った以上は犯罪にならない範囲でなら自由に使わせるつもりでいるが、さてどうなることやら。
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