想話/1

 その日、そのときに取った行動は、月夜にとっては本当にただの気まぐれだった。何か思うところがあったわけではなく、ただなんとなく、としか表現しようがない。

 同じクラスになったのは二年に進級してから初めてだったと記憶しているが、事務的なもの以外で、彼と会話をしたことは一切なく、当然、接点なんてものは皆無。

 珍しく具合悪そうにしていた彼を目ざとく見つけた授業担当教諭が、保健室に行ってきたらどうだと提案した。そのとき月夜は、じゃあ自分が付き添いますと立候補したのだ。

 クラス内から、件の彼以外の視線が自分に集中するのを感じる。が、それもいつものことだったので、月夜は特に気にせず、その接点皆無なクラスメイトの男子……榊宗一郎を促して、授業が始まったばかりだというのに連れ立って廊下へ出たのだ。


「榊くん、本当に大丈夫? 無理してない?」

「う、うん。大丈夫無理してない。というかその、別に体調不良ってわけでもなくてさ」

「でも、顔色悪いよ?」


 ただのクラスメイト……言ってしまえばただの顔見知り程度の間柄だが、それでも体調が悪そうなところを見るとそれなりの心配はしてしまう。

 しかし本人は体調不良であることを否定して、直後になぜか申し訳なさそうな表情になった。

 本当に大丈夫なのかな。

 そんな風に、心配と疑念を半々ずつにまで募らせたところで、当の本人から謝罪される。


「……単純に、ゲームに夢中になり過ぎて寝不足になっただけでさ。だから心配されるようなことじゃないというか。つまり……その、巻き込んでごめん」


 頭を掻きながら申し訳なさそうに謝る彼に、月夜は少し驚いてしまった。

 酷く失礼になることを承知で、月夜は、宗一郎のような人物はまず、慌てて言い訳から始まると思い込んでいたことが大きい。変に自分を良く見せようとするというか、そういう行動がよく目立つ男性が多いのだ。偏見で、宗一郎もそういう種類の男子なのだと思っていた。

 そんな宗一郎の様子を見て、月夜は、彼は真面目な人、の上に誠実という言葉を乗せる。


「……ううん、大事じゃなかったのならいいんだ。でも、寝不足になるほどだったの? 榊くんって、その辺は真面目にやってるって印象があったんだけど。そんなに面白いことがあったの?」


 だがそれはそれとして、気になることは質問する。寝不足というが、そうなるほどの何に夢中になったのか、少しだけ気になったからだ。

 朧月夜という少女が、榊宗一郎という少年に対して初めて興味を持ったのは、この瞬間だった。

 理由を尋ねれば、どうやら宗一郎はゲームに夢中になり過ぎて結果的に寝不足に陥っていたらしい。

 月夜は、あまりゲームはやらない。いわゆるソシャゲの類は何種類か手を出してみたことはあったものの、ゲームへの不慣れと、最初の手順の煩雑さに頭が追いつけず、すぐに終わってしまうのだ。

 自分でも珍しく思うほどに続いているゲームなど一作品しかない。

 なんとなく、同じゲームをやってたらいいなーと思って、月夜は宗一郎がプレイしているゲームのタイトルを尋ねる。


「へえー。なんてゲーム?」

「ゾディアック・ライナー・オンラインっての。よくZLOとかゼロって呼ばれてるよそのゲーム」

「ZLO!? ほんと? わたしもやってるよそれ!」

「え、マジで? ……え、マジで?」


 本当に同じタイトルのゲームをプレイしていたという偶然に、月夜が思わず嬉しくなって自分もプレイしていると告げたことは、ある意味で無理からぬことだろう。


「あはは、やっぱりそんなイメージじゃないよね」

「あーいや……まあ、うん」


 宗一郎もやはり、月夜に対してはゲームをやらないイメージを持っていたらしい。それについては自分自身がそうだと認識しているため、正直に頷く宗一郎の反応はむしろ、月夜にしてみれば好ましくさえある。


「サービス開始直前くらいにね、友達から誘われたんだ。アンタはちょっと真面目すぎるから、息抜きの仕方くらい覚えなさいよって言われて」


 てへへ、とプレイ動機を白状する。

 月夜がオンラインゲームをプレイしていることを知っているのは、家族とごく少数の女友達だけだ。周囲の人間が知らないのは当然、イメージではないから。

 月夜は別に自分に対するイメージを重要視はしていない。ただ、それに合わせておかないと、たまに酷く面倒な事態に発展することがあるのだ。

 意外にも交友関係が狭い月夜にとって、なんの打算もなく趣味の話ができるというのは、とてつもなく貴重な機会だった。

 そして、なによりの朗報はといえば。


「じゃあ、刀とか……作れたり、する?」

「へ? 刀ってあれ? 日本刀? 侍が持つ?」

「う、うん、それ。どうかなあ?」

「まあ作れるよ、そりゃ。打刀も太刀も」


 これだった。

 月夜は日本刀が好きだ。

 てりゃー! とエア日本刀を思わず振り回してしまう程度には、日本刀が好きなのだ。

 日本刀をメインテーマに据えたブラウザゲームの存在は教えて貰っていたし少々触れもしたが、どうもしっくりこなかった。

 なので思わず。


「榊くん」

「は、はい」

「今度、ゲームで待ち合わせしよう」


 強めに圧力をかけて、そんな約束を交わさせる。

 だって日本刀!

 なんかカッコいい!

 さらに言えば、目の前の少年が一緒に日本刀を振るってくれればもう、月夜は言うことなどない。

 いや、大正浪漫的な袴にブーツで刀が一番いいのでは、などと内心で画策し始める月夜。ゲーム内でそういう装備を見たことがあるし、ひょっとしたらそんな装備も作ってもらえるかもしれない。

 もっと言えば、自分たちくらいの年齢の男女がこう、揃って刀を差して強者感あふるる動きとかしてくれるともう、月夜的には鼻血が出る。

 などという、少々特殊な趣味を月夜は持ち合わせていた。

 そして、それを叶えてくれるだろう存在が今、目の前にいる。

 せっかくのゲームだ。素材集めなんかいくらでも付き合うし、いっそ、素材の質やらも追及して二人で最高の刀を目指すのも楽しそう。

 そんな考えが漏れ出していたのか、宗一郎は微笑ましげに笑みを浮かべていた。


「朧さん、日本刀が好きなん?」

「うん!」


 過去イチ会心の笑顔を浮かべた気がする。

 本心からの嬉しさと笑顔が伝わったか、彼はすぐさま約束に応じてくれた。そのときに素材集めの手伝いを要求されたが、月夜からしてみればそれは当然の労働である。むしろ、宗一郎がなにを作れるのかが見られるので、その程度の対価は安すぎるくらいだ。

 この辺りになってくると、月夜は最初期の目的をほぼ完全に忘却していた。

 彼女にとって、宗一郎との会話はそれくらいに楽しいものだった。

 だから、ふと思う。

 このまま階段が続けばいいのに。

 その思いを、月夜はなんの違和感を覚えることもなく自然に浮かべ受け止めた。


「連絡先交換しとく?」

「あ、そうだね」


 そのやり取りさえ、月夜は極々自然に実行した。

 しかし、必要なことだ。

 なにしろ、早ければ今日の放課後にでも連絡を取り合って、ゲーム内で待ち合わせをしなくちゃいけない。

 月夜は、両親が好奇心全開で入手してきたウェアラブル・デバイスを通じて宗一郎と連絡先を交換する。宗一郎はそれを見て「おおー」とか「それ最新型?」とか聞いてきたので、そのまま頷いて返答すると、お金を貯めて似たようなものを購入すると意気込んでいた。

 拡張現実に浮かぶ、最新の連絡先をじーっと見つめる。表示されている名前は当然、榊宗一郎の四文字。……でもあり、こっそりと別表記も加えてみる。

 どうせ自分だけしか見ないのだからと、別表記には『宗一郎くん』。


「えっへへ。連絡先が増えたの、久しぶりだよ」

「俺なんて初めてだよ、この手のアプリ使うの。まあ、初めて登録した友達が朧さんでよかったってのはあるけどさ」


 絶対に、目の前の少年は、なんの他意もなく言葉の意味そのままのことしか言っていない。

 それが今現在の月夜にとって、どの程度嬉しく思うようなことなのか、当然知らない上で。


「へへへ……」

「ど、どうかした?」


 宗一郎が困惑するのも無理はない。

 事実、教室を出てからここまでの間に見せた朧月夜という少女の姿は、少なくとも、彼はもちろん昔からの親しい友人以外には、見せたことがないものなのだから。

 月夜は、自身でも相当不思議に思っていたのだが。この榊宗一郎という少年からは、打算の気配が一切感じられない。だから、彼が友達と言ったのは真実なのだと確信した。


「わたしってどうしても注目を集めがちらしいから、友達って言ってくれる人、増えにくいんだ。だから、榊くんが友達ってすぐに言ってくれたのが、結構嬉しくって、声に出ちゃった」


 確信したから、嬉しくなってしまう。


「はは、すげえジャンル違いだけどな」


 なんて返す宗一郎の言葉には、月夜も心底から同意するところだ。

 だからこそ今日まで接点がなかったのだから、むしろジャンル違いは当たり前だろう。

 それが少し寂しい。

 せめてもう少し早く接点を持っていればと思いはするが、おそらく、今日この日のこのやり取りが、お互いを知る最速だったのだろうと月夜は思う。

 そんな、独りよがりな思考を知られるのはやだなと、月夜は努めて自然に笑みを作り、応える。


「かもね」


 宗一郎も、自然な笑みを作って応えとした。


「でも、今日は嬉しいことがいっぱいあったよ。たまには授業もサボってみるもんだね」

「……そういえば、俺ってば体調不良だったんだよな。すっかり忘れてたわ」

「あはは」


 ゲームの話に夢中になって、彼の体調……というよりも寝不足を忘れていた。


「こんな会話も新鮮だったから、もっと階段が続けばいいのにって思っちゃったよ」

「はは、確かに楽しいもんな」


 二人同時に踊り場に下りる。


「教室で話すのは……やっぱり難しいよね?」

「朧さんとか俺が良くても、周りがなあ。どうしたって俺のほうが異物になっちゃうからさ」


 ジャンル違いの重さを痛感する。

 クラス内にだって、クラスカーストとは別の意味で、仲良しグループというものがある。そこへ、これまで特に関わりを持たなかったクラスメイトが突然割り込んできたら、奇異なものを見るような視線を投げてしまうのは当然だ。

 彼の言う異物とは、そういうこと。

 少し、自己嫌悪。

 ちょっとだけ目を逸らす。

 また自分の問題が、新しくできた友達を遠ざける理由となってしまう。

 だから朧月夜は、学校で求められている役割を果たす。そうすれば問題が起こることは少なかったから。

 けれど。ああ、もう少し。

 もう少しくらい、この階段が続いてくれればいいのに。

 そう、思ってしまったからなのか。

 同時に踊り場に下りてから、逸らした目線の先にあるはずなのは、一階の廊下。間違いない。この上にある廊下は絶対的に二階のものだ。

 だというのに。

 月夜が見たものは、四階の廊下だった。



「……ん」


 カーテン越しに窓から差す柔らかな陽の光で、月夜は緩やかな覚醒を得る。

 懐かしい、夢を見た。

 身体を起こし、身体を外気に触れさせる。

 場所は引っ越してきたばかりの接ぎ家。冒険者協会東区支部の偉い人と交渉して、依頼を成功で達成したときの報酬として見つけてもらい手に入れた、自分たちの家。

 ベッドひとつも置けば部屋の半分が埋まる小さな部屋が二つ。

 んーっと伸びをひとつしてみてから、すぐ隣にある壁をしなやかな指で撫でる。壁の向こうには相棒がいる。ある意味で、この世界で唯一の友達。


「なんか……まだ慣れないなあ……」


 くしくしと目を擦りながら、己が身の現状を思う。

 異世界転移。

 思いがけないきっかけを経て新たな友人を得た月夜は、その日どころかその授業時間のうちに、突如、知らない世界へ飛ばされた。しかもいきなりこの世界へ飛んだのではなく、一度だけ妙な廊下と保健室を経由して。

 あまりの生活環境の変化に、正直言って、月夜は割と精神的に参りつつあった。


「でも、に迷惑かけちゃ駄目だよね」


 むん、と両手で拳を作り、気合いを入れる。

 いつか名前で呼び合えたらいいなあ、などと夢見つつ、月夜は裸足で床を踏み、立ち上がって部屋を出る。おそらくきっと、すでに活動を始めている友達に挨拶するために。



「おはよー、榊くん」



 いつかのように挨拶する。

 すると、これまたいつかの焼き直しのように、すでに起きていた宗一郎は、ぐるんとすごい勢いをつけて首の向きを反転させ、壁の向こうを睨みつけ始めた。


「お、おはよう朧さん」

「?」


 壁に向かって挨拶する、なんて趣味は彼にはなかったはずだ。はて、どうしてそんな珍妙な真似をしているんだろうと思ってから、月夜の記憶力があの保健室でのやり取りを思い出させる。

 そして……、


「―――、ひぅ」


 悲鳴を上げることだけは、辛うじて耐えることができた。

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ゾディアック・ライナー 蒲焼うなぎ @makaben

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