第一話-⑤

 宗一郎が内心でそんな心配と不安を相手に葛藤している間に、対岸側もなんらかの決着がついたらしい。中年男性が大きく片手を振り、女の子に寄り添っていた女性がゆったりとした動作で頭を下げる。


「分かった! すまないが、そちらのほうから川を渡ってきてくれないか!」


 中年男性の張った声が河原に反響する。

 宗一郎と月夜は顔を見合わせ、すぐに返事をしてから焚き火を始末して荷物をレザーザックにしまい込んでから背負い、靴下と革靴を脱いで裸足になる。

 なるようになれ。そんな言葉を自分に投げて、宗一郎は月夜とともに川を渡った。

 川の水の冷たさに翻弄されつつ、どうにか対岸へと渡り切る。


「おはようございます。朝からすみません」

「なに、構わんさ。もうすぐ星降り祭だからな。こういうちょっとしたことが、案外と星に恵まれるってもんだ」

「星降り祭?」


 月夜のオウム返しに、中年男性は面白いものを見るような目で二人を観察し始める。


「ふむ、知らんか? ずいぶんと有名な祭りなんだがなあ」


 整えたヒゲを撫でつけながら、男性は次の瞬間、先ほどまでの機嫌の良さそうな表情を一瞬で消し去り、続いて目つきを鋭くさせる。


「一つ聞くが、おまえたち二人は貴尊国きそんこくアイテールの貴族ってわけじゃあないんだろ?」

「貴尊国?」

「アイテール?」


 宗一郎はもちろんのこと、月夜の記憶にも存在していない国名である。少なくとも地球では聞き覚えがないし、ZLOにもそんな国は存在していない。そもそも根が庶民の二人だ。貴族扱いなど鳥肌が立つ。


「うむ、アイテールの名を知らんなら大丈夫だろう。まあ、あの国の人間だったら、最下級貴族でも土をこねくり回すなんて真似はしねえだろうがな!」


 がっはっは、と豪快に大笑しながら補足する中年男性を見て、二人は揃って顔を見合わせた。なんとなく周囲を見渡せば、護衛らしき二人も御者も、そしておそらく中年男性の妻であろう女性も多少の困惑を含んだ笑みを露わにしている。


「それに、まあ衣服の上等さは別にしてだ。向こう岸にある土で出来たもの、あれはどっちが作ったんだ? オレの見立てじゃあそっちの小僧だと思うんだが」

「え、あ、まあ、はい。そうっすけど」

「やっぱりな。まあお嬢ちゃんにゃ土いじりは似合わんという理由も大きいんだけどよ」

「そりゃそうっすよ。あでも、料理の腕は半端なくすごいですよ。山菜とキノコだけでめっちゃ美味いスープ作ってくれましたし」


 横で聞いていて、宗一郎に対して貧乏舌疑惑を抱き始める月夜。彼女の中では、あのスープの出来はまったく納得できないものなのだ。

 しかし、男二人はそんな月夜の疑惑に満ちあふるる視線に一切気付かない。


「ずいぶんとまあ妙な出で立ちだが、少なくとも悪人じゃないのはオレでも分かる。この二人がおまえたちの強さもだいたいは計ってくれているしな」

「……ええと、なんで悪人じゃないと?」

「正直言って、おまえら二人は引くほど平和な頭をしているぞ。普通、見慣れない馬車がやってきたらまず警戒するべきだ」


 していた。と言いたいが、どうやらあれは警戒のケの字にも相当しないらしい。真っ先に声をかけた月夜もそれなりに分析はしていたのだが、やはり意味は成さずに終わったようだ。


「さて、とりあえず話を戻すとしようか。お嬢ちゃん、なにか聞きたいことがあったんじゃないのか?」

「あっ」


 中年男性に促されて、そういえばそういう切り出し方をしたのだと思い出す月夜。実際に聞きたいことがあったので嘘ではないのだが、なんとなく後ろめたさを感じてしまったりしている。


「ええと、ですね。わたしたち、あのでっかい柱のところに行きたいんです。けど見た目からして遠そうなので、歩いてどれくらいかかるのかとか、この近くに町があるかどうかを聞きたかったんです」

「ほお、なるほどな」


 ふと、例の巨大な柱に目をやる。

 相変わらずの太さで、スケールが違い過ぎて存在感の割には現実味に欠ける。太陽が地平線から顔を出し切ってそれなりの時間が経っており、今も青く霞んでいる。頂点は見えない。


「行き方は教えてやってもいい。町があるかどうかも教えてやれる。さてお嬢ちゃん、オレはあくまでも商売人でな」


 日に焼けた肌に反して真っ白な歯を見せて笑う中年男性。宗一郎は一瞬、その笑顔を見て爽やかなマフィアボスなどという珍妙な単語を創造していた。

 そして月夜はといえば、内心で冷や汗を流している。

 当たり前だが、情報を得るためにはそれにふさわしい値段の金銭、もしくは相応の価値を持つものを提供しなければならない。その不文律はこちらでも存在し絶対であったようだ。

 印象だけで言うならば、おそらく最終的には教えてくれるくらいのことはしてくれるだろう。この人物はそういう人柄をしている気がする。

 だがそれはそれ、これはこれだ。商売人であるからこそ、おまえたちは求める物の対価を支払う能力を持ち合わせているのか、そう問うてきているのだ。

 なんて上手い商人だ、と月夜は内心で思う。なんとなくではあるが、対価を支払わずに同情で情報を貰うのは、この男性に対する裏切りになってしまうような気がする。そう思わせて支払わせたくしている時点で、実にやり手の商人だろう。

 ふと、友達になったばかりの宗一郎を見る。今じゃ運命共同体だし、こんな事態だからか彼にはずいぶんと素の自分を見せてしまった。朝の油断しがちなところまで。刀が欲しいと言ったら、変な趣味だろうに宗一郎は頼もしく笑って承諾してくれた。

 料理の腕を褒めてくれた。

 そうだ、料理だ。

 この人たちの食生活がどの程度のものか、月夜は知らない。知らないが、もしかしたら価値あるものになり得るのではないか?

 この瞬間の閃きを、月夜は天啓のようにさえ感じられた。

 瞳に自信を据えて、月夜は自分の胸元に形の良い手を添えて力強く宣言する。


「わ、わたしの料理の腕なんか、どうでしょうか!」

「あ、なるほどな。ならすっかり忘れてた鹿肉もあるし、それ食ってもらおうぜ。それに道具作成とか修理とかなら、俺も色々できるしさ。肉の切り分けとか」

「……あ、そっか」


 横から聞こえた暢気な口調の宗一郎の言葉に、月夜はハッとさせられる思いだった。

 確かに、自分たちが今支払えるものといえば、腕だろう。料理の腕しかり、ものづくりの腕しかり。

 しかも期間を限定できる。町に着くまでとか、相手が買い渋るなら場所だけ教えて貰うということも可能だろう。仮に、近くの町まででも馬車での旅に同行させてもらえるのなら、願ったり叶ったりだ。

 ただしそれは、相手がそれにきちんと価値を見出すことが条件となる。


「ふむ、しかしオレたちはおまえらの腕ってやつをまだ見たことがないんだよなあ」

「向こう岸にあるあれ、榊くんが半日以下で作りました!」


 咄嗟に押し売り商売じみた行動に走る月夜。

 二人が拠点にしていた河原の一角に作った粘土炉などは、形をそのままにしてある。それに少し離れた場所には、宗一郎が今朝がた作った簡易シャワールームも存在している。明らかに人工物なので、自然に満ち溢れている河原ではかなり目立っていた。


「朧さんが山菜とキノコで作ったスープ、まだ温かいままで残ってますよ」

「え、残ってるの?」

「昨夜は半端な量残っちったから、今日の朝飯にでもしようと思って。あ、朧さんさえ良ければ試食してもらったほうがいいかも」

「ほう、どれどれ?」

「い、いやあ、あれはちょっと恥ずかしいよ榊くん!」

「大丈夫だって」


 恥ずかしがる月夜を笑顔でなだめながら、器一杯分に盛ったスープを飲んでもらう。

 数秒後、中年男性はニカッとした笑顔を見せて、二人の腕を盛大にご購入した。


「そういえばおまえら、いったいどこから来たんだ」

 無事に同行の契約が成立した直後、中年男性からそんな質問が飛ばされる。

 宗一郎と月夜は揃ってお互いの顔を見合わせた直後、なんの打ち合わせもしていないのに同時に答えた。


「ただの迷子かな」

「ただの迷子です」


 男性は、なんだそりゃとしか言いようがない表情を張り付けていた。

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