第一話-④



 星空の彼方が、地平の向こうから迫りくる暁の光に払われている。朱から橙へ鮮やかに姿を変える朝の色は、早朝独特の爽やかさと引き換えに、夜の名残である紺と藍を空の向こうに連れ去っていく。

 夜明け直前の独特な世界の中、宗一郎は光り輝く山の稜線を目を細めて眺めた。


「あっちが東だとしたら、あの柱は北にある……で、いいんかね」


 凄まじい存在感を放ち続ける極太の柱は、遠距離にあるがゆえに青に霞んでいる。太陽が昇ってくる方向を正面に捉えて左手側にあるため、宗一郎が知る東西南北の方位と同じと考えるならば、柱は北方向にあるということになる。

 なんとなく方向を定めたところで、よくよく考えたら、方位が気になるならあとで月夜に【方位測定コンパス】使ってもらえばいんじゃね? という答えに到達する。

 気分がすっきりしたところで川辺に到着。持ってきた土器を横に置いて、やたら冷えた川の水で顔を洗う。


「……布作んねえとな」


 顔をさっぱりさせると、逆に身体の汚れが気になりだす。仕方がないとはいえ、昨夜は清拭さえもできていないのだ。デリカシーの問題に絡むため口には出せないが、男である宗一郎以上に月夜にとっては大問題だろう。


「てか、水浴びできる環境作ればよかったんだよ。あー、悪いことしたなあ」


 善は急げということで、宗一郎はさっそく水浴び用の空間を作ることにした。

 幸いなことに、薬や屋根を作るときに引っぺがした樹皮が大量に残っている。とりあえずこれらと、太めの流木を利用して簡易シャワールームのようなものをでっち上げ始める。


「持ち運びはどうすっかなあ」


 四方の地面に長めの枝を刺し立てながら呟く。さすがに簡易とはいえシャワールーム自体は結構な荷物になってしまう。

 飲料水や生活用水の確保のために、それなりの量の土器はすでに焼いてある。だが目的地とした柱までどの程度の日数がかかるのかも不明だし、ずっと川沿いに歩いていくわけにもいかない。毎晩道端にコレを立てるのも手間だし、レザーザックの許容量もまだ不明である以上、変に荷物は増やしたくない。入るかもしれないが、入らなかった場合のことを想定しておきたい、というのが宗一郎の本音だった。


「地衣類でも見つけてその場で屋根でも作ればいいか」


 あっさり方針を決める。

 独り言をぶつぶつ呟いている間にも、簡易シャワールームは順調に形になっていく。三方を樹皮で壁とし、一面を扉のように開閉できるように加工。少し広めに空間を取り、川辺であるので水の補充も容易である、と割と高機能なシャワールームを、材料の選定から完成まで一時間とかからず作り上げてしまう。

 設置場所もキャンプとした焚き火からやや距離を取っており、周辺も大きな岩が多めで二重のブラインドとなっているという完璧具合。こういった配慮は、男側が覗くつもりは一切ないという意思表示であると同時に、女性側にとっての精神的な安心材料なのだ。


「……こんな配慮ができる自分にビビるわ」


 そしてクラスカーストの底辺を自覚する宗一郎が、普段からこんな気遣いをできるわけもなく、それ以前に配慮や気遣いをする環境になかった。異世界にて花開いた小さな奇蹟と言えよう。


「よし、戻るか」


 やるべきことを終えたと判断し、焚火の場所へと戻る。

 道中、頭の中で集めたいものをリストアップ。タオルかそれに準ずる布を作るとしたら、できることなら綿が欲しい。しかし収穫の時期ではない、はずだ。亜麻なら可能性はなくもないが、少なくともこの河原までの道中では見ていない。

 となると動物繊維も候補に挙がってくるが、野生の羊も山羊もいない。高山地帯や山岳でもないので、リャマやアルパカの類も見つからない。ウサギの毛はハサミがないので駄目。抜き取りは論外。


「やっぱ限界があるよなあ」


 不満が口から流れ出す。

 月夜は宗一郎の河原での作業を感心して見ていたが、それでもやはり出来ないこと、実現不可能なことはとても多い。具体的には文明が足りない。

 魔導込みで誤魔化し研磨したナイフで、まずはちょうど木札にできそうな木片を取り出し、ごりごりと陣を削り込む。合わせるように線に対して魔力を微量ずつ流し込む作業。この辺りの感覚はゲームのときと同じだ。その辺りの差がないのは助かる。

 次に今朝採った魚の頭を落とし腹を開きワタを取り出しエラも引きちぎり、まっすぐな枝に刺し、最後に火を熾した焚き火に当てる。

 また一つ町を探す理由を増やしつつ、朝ご飯の準備を進めていると。


「うー……さかきくん、おぁよう……」

「お、おはよう」


 朧月夜は、寝起きは油断しまくる。

 それを保健室で学んでいた宗一郎は、月夜が起床する気配を感じ取った時点で背中を向けている。

 背後から「ひぎぃ……!」という掠れた悲鳴が聞こえてきたので、予想通り油断が過ぎていたらしい。異世界に来てからというもの、宗一郎の空気読解能力は向上するばかりである。


「あー、朧さん?」

「は、はい!」

「いやー、あー、えー……っと、ですね。あっちのほうに、あれだ。歯磨きと顔洗いコーナーみたいなの作っといたから。マントとか毛布とか一緒に持ってくといいよ! あとこれ、木片に【乾燥】の付与魔導刻んでおいたから、一応持っていくといいかも!」

「あ、う、うん! ありがと!」


 背後からドタバタした音が聞こえ、次にぱたぱたと走る音が先ほど作った簡易シャワールームのほうへと向かっていったのを背中で捉え、安堵のため息をついた。



 異世界生活二日目。物理的には平和だというのに、宗一郎と月夜の心は平穏とは程遠いものである。

 それから約二時間後。

 月夜が戻ってきて礼を言ったり朝食の魚の処理がやたら丁寧なものになったりした後、二人でその朝食の焼き魚を食べながらこれからのことを話し合っているときだった。


「榊くん、対岸に馬車だ」

「お?」


 川を背にしていた宗一郎が、月夜の指摘で振り返る。確かに月夜の言う通り、対岸の河原に一台の幌馬車がやってきたところだった。

 間違いなく異世界……この世界の人類、もしくは知的生命体の登場だ。それに少なくとも、馬車を作り幌を作り、そして馬を操る技能を持つくらいの文明がある、ということでもある。

 要するに、待望の人だ。


「話しかけてみよっか」

「だな。あと川を渡る準備か」


 昨日のうちに何度か確認しているが、宗一郎と月夜が一時拠点にしたこの川は、多少の川幅はあっても水深は浅い。裸足になってズボンの裾を脛の辺りまでまくれば、それだけで渡れてしまうほどだ。

 しかし、今すぐ川を渡って話しかけるという真似はできない。相手が善人とは限らないから。

 二人して、改めて馬車の様子を窺う。

 御者台に一人、馬車の左右に二人。左右の二人は革製の装備を身に纏っていて、腰に剣を差している。護衛かな、と小声で話し合う二人。

 そして数拍の間をおいて、馬車から三人ほど追加で人間が姿を見せる。

 体格が良く顔つきは精悍で日焼けした中年男性。その隣には気立ては良さそうだが気の強そうな女性。最後に出てきたのは元気でわんぱくそうな女の子。

 馬車から現れた三人は、おそらく家族なのだろう。仲も良さそうに見える。


「おはようございまーす!」

「おっほう!?」


 突如、隣から高く軽やかな可愛らしい声が、朝の挨拶という形となって鳴り響く。

 なんとなく対岸の集団を分析し、どうやって声をかけたものかとまごまごしているうちに、月夜が実に盛大な音量で声をかけたのだ。

 確かに話しかけるという予定ではあったが、いきなり行動に出るとは思っていなかった宗一郎。心の準備が整っていなかったため、思い切り跳ね上がってしまう。


「だ、大丈夫かな?」

「変な人たちだったら、すぐ逃げちゃえばいいよ」


 あっけらかんと言い放つ月夜に、それでいいのかなあと疑問を抱く。

 しかし幸いなのか、対岸の集団のうち、子どもである女の子が笑顔で月夜に手を振り返してくれていた。なんとなく宗一郎も手を振ってみると、女の子は両手を力いっぱいぶんぶん振り回してみせる。

 大変に微笑ましかった。


「あのー! お聞きしたいことがあるのでー! そっちに行ってもー! 大丈夫でしょうかー!」


 浅いと言っても川幅はあるので、月夜の大声も間延びがちになる。それでも言っていること自体は問題なく通じているらしい。中年男性が護衛らしき男性二人に確認を取っていることが分かる。


「言葉、大丈夫そうかな?」

「通じてはいそうだよな、あれ。確かなんだっけ、言語は意志で行うとか」

「そうそう。注意事項その二、魔導および共通言語は意志で行う、だよ」


 よく覚えてんなあという感想から、そういえばそうだった、と月夜の記憶力のことを思い出す。

 河原の場所まで分かっていたのに、街道とかそういうものは見えなかったのか、という疑問はある。森林の道中で宗一郎がそれを聞いたとき、二回目に反射的に下を見たときに見えたのがそれだけだったから、という答えが返ってきた。状況的に納得するほかない。

 ともかく、宗一郎的には心配が先に立つ。

 先立つが、どうしたらいいのか分からないのもまた、事実だ。タンク役を請け負ったはいいが、武器はない。戦闘行動の経験はZLOでならあるにはあるが、あれはゲーム、お遊びだ。実際の戦闘行為とはまるで違うだろう。それでも身体を張って月夜を守らなければならない。男の矜持みたいなものは、宗一郎だって持っているのだから。

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