第10話 今でもあの日を夢に見る

 目の前には見覚えのある砂場がある。


 砂の上には、子ども用のプラスチック製のシャベルとバケツが置かれていた。よく見ると、それらには平仮名で「ほんとゆうた」と俺の名前が書かれている。


 周囲を見回す。ジャングルジム、ブランコ、うんてい……どれも遊んだことのある遊具がそこにはあった。


 ここは俺が小さい頃によく遊んでいた公園に間違いない。


 再び砂場に視線を戻す。


 男の子と女の子が遊んでいる。歳は5歳くらいだろうか。あるいは、もう少し下かもしれない。

 男の子のほうは俺だった。女の子に言い寄られて困っているように見える。


 そこでようやく気付いた。ああ、これは『夢』を見ているのだと。俺は過去の自分を俯瞰しているのだ。


 この日のことは、今でもよく覚えている。俺のトラウマになった事件が起きた日だ。


 高校生になった今でも、俺はこの悪夢をよく見る。俺にとって、この日の出来事は逃れられない呪縛のようなものだ。


 女の子は眼鏡をかけている。おかっぱ頭でどこか真面目そうな印象を受ける。外見だけで判断すれば、優等生ということになるのだろう。


 しかし、その見た目に騙されてはいけない。この子は俺をよくからかってきた。ちょうど今のクラスでいう英梨のような女の子だった。


 女の子は小さい俺に言った。


「ゆーたくん。好きな子いないの?」

「い、いないよ、そんなの……」

「ふぅん。あたしね、ゆーたくんのこと好き」


 好きと言われた俺は顔を赤くしている。小さい頃から俺は女子に免疫がなかったのだとつくづく思う。


「な、なんでボクなんかのことが……」

「だって、おもしろいから」


 女の子はニヤニヤしながら、幼い俺に顔を近づけてきた。


「ねぇ。ゆーたくんは、あたしのこと好き?」

「そ、それは……」

「きらいなの?」

「ち、違うよ! でも、そういう好きじゃない……」

「おともだちとして好きって意味?」

「そう、です……」

「じゃあ、あたしと結婚してくれないの?」

「けっ、結婚? そ、そんなの知らないよ……」

「ふぅん」


 女の子は幼い俺をからかうのが楽しくなってきたのか、すごくイキイキしている。


「じゃあ、どうすればあたしのこと好きになってくれる?」

「さ、さあ……」

「……ちゅーすれば、好きになる?」


 幼い俺は顔を赤くして言葉を失ってしまった。緊張で全身が硬直しているのだろう。


 女の子は小さい唇をゆっくり動かした。


「……ちゅー、してみよっか?」


 その一言が事件を引き起こした。

 おどおどしていた幼い俺が、急に大声を出したのだ。


「そ、そんなの言われても困るよ! ちゅーは好きな人同士じゃないとできないんだから!」


 俺が本音無双を発動すると、女の子は目を丸くした。


「ど、どうしたの、ゆーたくん。急にどなったりして……」

「キミのせいだよ! 好きな人に『ちゅーしよう?』って誘われたら、ドキドキしちゃうでしょ!」

「えっ? そ、それって……ゆーたくんがあたしを好きってこと!?」


 一気に攻守が逆転する。女の子は顔を真っ赤にして、あわあわし始めた。


「好きに決まってるよ! 毎日あそぶの、たのしいもん! もっと一緒にいたいって思うもん! ちゅーとかしてみたいよ!」

「ななっ、何言って……!」

「でも、ちゅーは好きな人同士でするものだからできないじゃんか! キミはボクをからかってるだけで『本当は好きじゃない』んだからさ!」

「……えっ?」


 俺が彼女の好意を否定すると、女の子は悲しそうな顔をした。


「好きじゃない人とは、ちゅーできない! これ以上、ボクのことをからかわないでよ! キミのこと好きだから、つらいよ! おむねがいたいよ! こんなの……ボク、知らないよ……!」


 それは、心からの叫びだった。


 俺は彼女が好きだった。明るくて、何事にも物怖じしない性格で、行動的で、笑顔が可愛くて。人見知りだった俺と遊んでくれて、すごく嬉しかった。


 でも、俺の好きは届かない。

 彼女は俺のことを『面白い男の子』くらいにしか思っていなかったのだ。


 女の子は俺を突き飛ばした。俺はそのまま砂場に倒れ込む。

 彼女は俺を見下ろした。

 顔を赤くして、泣いていた。


「ゆーたくんのばか! なんでそんなこと言うの!? しんじられない!」


 女の子は目元を乱暴に拭った。


「ゆーたくんのこと、嫌いになっちゃうからね!」


 そう言って、女の子は走って公園を出ていってしまった。

 謝ることもできず、俺は砂場で泣いた。


 あの日以降、その子は公園に姿を見せることは終ぞなかった。

 俺の初めての恋は、大失恋で幕を閉じたのだ。


 そのとき、思ったんだ。

 本音無双がある限り、誰かを好きになってはいけないって。恋人や友達ができても、傷つけるだけなんだって。


 これが、俺が友達を作るのをやめたきっかけだった。



 ◆



 公園の映像が徐々に薄れていき、意識が覚醒する。


 俺は重たいまぶたをゆっくりと持ち上げた。俺は砂場の上ではなく、自室のベッドの上で寝ていた。


「はぁ……最悪の目覚めだ」


 最近は悪夢を見ることもなかったのに……たぶん、英梨と姫野の影響かもしれない。


 ……そうだ。今日は二人が俺を全力でからかってくる日じゃないか。


「マジで学校行きたくないわ……」

「なら行かなくていいと思う!」


 突然、部屋の入り口のほうで声がした。


 視線を向ける。ドアの前に妹の未美みみが立っていた。


 未美は牛柄のゆったりしたルームウェアを着ていた。被ったフードの隙間から、ツインテールがひょっこり顔を出している。


「おはよう、未美」

「おはよ、おにぃ。ねぇ、学校行かないの!?」


 未美はキラキラした目で尋ねた。


「憂鬱だけど行くよ」

「えー。つまんなぁい。遊ぼうよー」


 未美は子どもみたいに頬をふくらませて抗議した。


 俺の妹はいわゆる引きこもりだ。中学校には行かず、家でゲームばっかりしている。俺が「学校行きたくない」と言って喜んだのは、一緒に家でゲームができると思ったからだろう。


 そういえば……最近は趣味の執筆や英梨のせいで、あまりかまってあげられなかったかもしれない。


「ゲームは俺が帰宅してからな」

「え!? おにい、未美と遊んでくれるの!?」

「うん。いいよ」

「やったぁ!」


 その場でぴょんぴょん飛び跳ねる未美。体全身で喜びを表す姿が可愛くて、おもわず口元が緩んでしまう。


 ……世間的にはシスコンと呼ばれてしまうのだろうか。俺は妹に甘いからなぁ。


「おにい! 何やる? 格ゲー?」

「いいよ。なんでもこい」

「えへへ、やったぁ……ところで、なんで学校行きたくないの?」


 未美は不思議そうに首を傾げた。


「最近、クラスの女子と仲良くなったんだけど、その件でちょっとね」

「えっ……おにい、クラスの女子と話せるの?」


 未美は驚き、後ずさりした。たしかに俺は陰キャだが、会話くらいできるわ。


「……未美、おにいに彼女はいらないと思うなっ!」

「いや彼女じゃないから」

「そう言いつつ、その子のことエロい目で見てるんでしょ! この豚おにい!」

「見てねぇわ!」


 なんで妹に豚扱いされないといけないんだ。意味がわからない。


「おにいのばーか! フラれちゃえー!」


 未美は俺を罵倒して部屋を出ていってしまった。


「ええー……なんであいつ怒ってるんだ?」


 まぁブラコンだからな、未美は。自分だけの兄が取られる気がして、ちょっとモヤモヤするのだろう。


「さて……起きて支度するか」


 俺はベッドを離れ、制服に着替えて部屋を出た。

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