嫉妬──②

   ◆



 場所は変わって保健室。時間はまだ8時過ぎ。

 ベッドに寝ていた柳谷が、ゆっくりと目を覚ました。



「……ぅ……あれ、ここ……」

「き、気付いたか?」

「……丹波君……」



 よかった、顔色は悪くないな。

 起きようとしている柳谷の肩を掴み、そっと横にした。



「大丈夫か? 気分は悪くないか?」

「はい。なんとも……私、どうして保健室で眠ってるんですか?」



 ……あのことは覚えてないか。

 ほっとしたような、残念なような……。



「しゃ、写真撮ってもらってるときに寝ちゃったんだ。ほら、寝不足って言ってただろ? あれでだ」

「あー、なるほど。……何だかとっても幸せな夢を見たような気がします。心がぴょんぴょんしてます」

「そ、そうか。よかったな」



 何となく目逸らし。別にやましいことをしたわけじゃないし、結婚するわけだから大丈夫なような気もするけど。



「今何時ですか?」

「8時過ぎだ。まだ時間はあるから、寝てていいよ」

「なら、ちょっとだけそうさせてもらいます」



 柳谷は再び目を閉じると、規則正しい呼吸をする。


 僅かに開いた窓から入って来る、暖かな春風。

 柳谷を包み込むように降り注ぐ陽光。


 静かな環境も相まってか、保健室のベッドなのに、まるで天蓋付きベッドに横たわる姫様のようだ。


 そんな柳谷の横に座り、寝顔を眺める俺。

 それだけなのに……何だろう、この背徳感。悪いことをしてる気分だ。


 …………。



(誰もいない保健室。目の前には無防備に横たわる極上の雌の体。たわわな胸が呼吸と共に揺れ、俺の欲情を逆撫でする。今なら周りに誰もいない。俺は欲望に逆らわず、女の体を貪ろうと手を伸ばし──)

「9割方間違ってる俺の心を代弁するのやめろ」

「えっ、1割は?」

「…………」

「……むふっ。ムッツリだなぁ丹波君。本当にしてくれてもいいんですよ♡」

「寝なさい」



 デコピンくらえ。



「あいたっ」



 不満げに、でも嬉しそうにデコを擦る柳谷。

 全く、この子ときたら……。

 素早く誰もいないことを確認。


 …………………………なで。



「はわっ……?」

「手は出さないけど、まあこれくらいならな」

「……えへへ……むにゅ……」



 滑らかな髪を撫でると、気持ちよさそうに目を細めて寝息を立てた。

 余程疲れてたのか、相当眠かったのか……何にせよ昨日の俺何したのん?


 グラウンドから聞こえる活気な声をBGMに、柳谷の頭を撫で続ける。

 ……幸せそうな寝顔だ。いつもこんな顔で寝てるんだろうか。


 ……よくよく考えると、こんな美少女と一緒のベッドで寝てるんだよなぁ。俺の理性、よくもってると思うよ。

 これはもう鋼の理性を名乗ってもいいんじゃなかろうか。そろそろ決壊寸前ですけど。


 自分の現状の幸せ具合を改めて認識してると、突如保健室の扉が開いた。



「失礼しまーす。……んん〜? 誰かいるんですか〜?」



 あっ、この声。



「間宮先生」

「あら〜、丹波くん。どうかしたんですか〜?」

「ああ、はい。ちょっと柳谷が寝不足で倒れまして」

「なるほど〜、付き添いってことですね〜」

「ええ」



 相変わらずの陽光のような笑顔で、コソッと柳谷の顔色を確認する。

 まだ若干疲れの色は見えるが、さっきより幾分かマシになったな。



「ふふふ。幸せそうですね〜」

「ですね」

「でも、寝不足になるまで【ピーーー】しちゃダメですよ〜。学生の本分は勉学ですからね〜」

「しとらんわ」

「えっ、まさか【ピーー】ですか? 確かにそっちなら妊娠はしませんが〜」

「やめてくださいマジで」

「冗談で〜す」



 何ほんわか笑顔で何えげつない下ネタぶっ込んでんだこの人。



「それ、相手によってはセクハラになりますよ」

「大丈夫です。相手は選んでますから〜」

「俺なら安心だと?」

「柳谷さんの認めた殿方ですからね〜」



 ……まあ、認められるのは悪い気はしない、かな。



「あ、ところで先生はどうしてここに?」

「あ〜、先程ダンボールで指先を切ってしまいまして〜」

「え」



 うおっ! 血出てる! めっちゃ出てる!



「今保険の先生も保健委員もいないんですが……」

「みたいですね〜。職員室にも見当たらなかったから、どうしたものかと〜」



 全く動揺してない。と言うかのんびりしすぎじゃないですか?



「……先生こっち来てください。俺がやりますよ」

「いいんですか?」

「まあ、昔から妹の怪我を手当してましたから」



 今でこそ傷は少ないが、昔はお転婆でよく転んでいた。

 それがまあ、あんなに大きく成長して……お兄ちゃん嬉しい。


 棚から消毒液と消毒綿、ガーゼ、テープを取り出し、先生を椅子に座らせる。


 消毒綿に消毒液をかけ、ゆっくりと傷口に触れた。



「染みますか?」

「いえ。……手馴れていますね〜。いい旦那様になりそうです」

「そう言って貰えて光栄です」

「私も結婚したいなぁ〜」

「え?」

「え?」



 ……んん?



「先生、結婚してるんじゃないの?」

「してませんよ〜」

「でもその指……」

「ああ、これですか」



 左手を陽の光にかざすと、薬指に光るキラリとしたシルバーリング。

 どう見ても結婚している証だ。



「ふふふ〜。これをしてると、面倒な同僚が寄ってこないんですよ〜。男避けのお守りです」



 ああ、なるほど……。

 この人、ほんわかおっとりしてるようで……実はしたたかな人なんだな。



「それ、俺に言っていいんですか?」

「あなたは誰にも言わないでしょう?」

「……ですね。言いません」



 このことを誰かに話して、俺が得られるメリットもないし。

 消毒が終わり、ガーゼを当ててテープで固定する。



「はい、出来ました。あまり無理に動かさない方がいいですからね」

「助かりました〜」



 血が出ても、消毒液を掛けても笑顔を絶やさない間宮先生。

 この人が怒ったらどういう風になるんだろう。……ダメだ、想像できん。子供を叱るみたいに怒るんだろうか。



『めっ、ですよ〜』



 ……似合うな。



「それでは、行きましょうか〜。ホームルームが始まってしまいます」

「柳谷はどうしましょう」

「このまま寝かせてあげましょう。1時間目の先生には、私から言っておきます〜」

「ありがとうございます」



 俺と間宮先生は最後にチラッとだけ柳谷の寝顔を見てから、1組の教室へと戻っていった。

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