同棲──⑤

   ◆



 日は傾き夕方。

 西日が射し込むリビングは赤く染め上げている。

 備えられていたインスタントコーヒー(俺の好きなメーカー。もはやツッコむまい)を入れたカップを傾け大画面テレビを見ていると、どこかに行っていた柳谷が戻ってきた。



「丹波くーん。お風呂入れましたよー」

「えっ、入れてくれたの?」

「はい! やり方はメイドに事前に教えてもらっていたので、できました!」



 リアルメイドって現代日本に実在するんだ……。



「丹波君のお家って、お夕飯食べる前にお風呂に入るじゃないですか。なので今からゆっくり浸かってきてください!」

「ウチの風呂事情についての言及は置いといて……先に入って来ていいよ。せっかく入れたんだし、一番風呂入ってきなよ」

「あ、いえ。私は後で大丈夫です。やはり旦那様に一番風呂に入っていただきたいので」



 今のご時世、夫優先とか妻ファーストとか、結構古い考えだと思うんだけど。



「……まあ、そこまで言ってくれるなら入ってこようかな」

「はいっ! ごゆっくり、肩まで浸かって来てください!」

「うん、ありがとう」



 確か、ウォークインクローゼットに俺が普段使ってる寝間着があったはず。何故あるかは以下略。



「あっ。ところで気になってたんだけど」

「はい?」

「何で後ろ手にスポイトと保存瓶を持ってるの?」

「ギクッ」



 ギクッて言葉にする人初めて見た。

 おいあからさまに目を逸らすな。口笛吹くな。こっち見ろ。



「じーーーーー」

「…………」

「じーーーーーーーーーー」

「……丹波君の後の残り湯をほんのちょっとだけ……」

有罪ギルティ

「しょんな!」



 そんな絶望的な顔されても!

 イヤだよっ、俺の残り湯を保存されるなんてイヤすぎるよ!



「ということで、柳谷が先。俺が後」

「うぅ……わかりましたよぅ……」



 肩を落とし、とぼとぼと歩く柳谷。

 全くこの子は……。



「……ん? ……ははん、そういうことですか」

「え、何そのしたり顔」

「つまり丹波君はこう言いたいんですね。……私の入ったお風呂の残り湯を飲みたいと!」

「俺を特殊性癖扱いすんのやめてもらえます?」

「まあまあ、わかってますわかってます」

「いいやわかってない! わかってないぞ柳谷!」

「じゃ、入ってきますね〜」

「待った!」



 俺が先に入れば柳谷変態に残り湯を持っていかれる。

 柳谷が先に入れば俺は柳谷の残り湯を欲している変態(冤罪)。


 前門の変態、後門の変態。


 変態しかいねーじゃねーか。



「さあさあ、どうします〜?」

「くそっ……こんな時だけ悪知恵を働かせおって……!」

「これでも学年トップの成績ですからねぇ」



 その知恵と発想をもっと有意義なことに使って欲しい、切実に。



「ぐ、ぬ……うぅぅ……! ……や、柳谷が先に入ってくれ……!」

「はーい♡」



 負けた……負けしかない選択肢だったけど……。



「あっ、丹波君」

「なんだ?」

「第3の選択肢として、私と一緒に入ることも」

「いいから入ってきなさい!」



 婚約して同棲してるとは言え、初日から一緒に風呂はハードルが高すぎる!



「ぶぅ〜。……じゃ、入ってきます。鍵はかけないので、覗かないでくださいね」

「覗いて欲しくないなら鍵かけろ」



 そんな「察してね」みたいなウィンクを連発すんな。



「では、お待ちしていますね」

「覗いて欲しくないんじゃないの?」



   ◆



「どうして覗きに来てくれないんですかぁ!」

「君、矛盾って言葉を辞書で引いたことある?」



 1時間後。憤慨した様子の柳谷が出てきた。

 長風呂だったのか、頬は上気して目は潤み、髪も乾かしていないからしっとりと濡れている。



「うぅ……せっかく覗きに来た丹波君とくんずほぐれつのトランスフォームでメタモルフォーゼを期待しましたのに……」

「柳谷って、俺のことになると知能指数下がるよな」

「でへへ」

「褒めてない。ほら、髪乾かさないと風邪引くぞ」

「あっ! なら丹波君が乾かしてください!」



 えぇ……面倒だな。

 でも、めっちゃ期待した目で見てくるし……仕方ないか。



「いいよ。タオルドライまでは終わってるな?」

「え……いいんですか?」

「ん? ああ。慣れてるし」

「な、慣れて……!?」



 んん? 何を驚いてるんだ、柳谷。俺のことを調べたなら、知ってると思ってたんだけど……。



「従姉妹に中3……あぁ、明日で高1か。まあいいか。女の子がいてな。昔からたまに髪を乾かしてやってたんだ」

「初耳ですが!?」

「そういや、最近は会ってないな。でも確か、ウチの高校に入学するらしいぞ。後輩だ」

「ぐぬぅ〜……! ぬかりましたっ。まさかそんな子がいるなんて……!」



 ??? 何をそんなに悔しがってるのかわからないが……。


 洗面所にて、ドライヤーとクシを使ってテキパキと乾かしていく。

 ……こうして見ると、本当に綺麗な髪だ。全く引っかからないし、痛んでる様子もない。

 これを維持するのは並大抵の努力じゃ無理だろうな……新しい柳谷の一面を見れて、ちょっと優越。



「ほい、完成」

「むー……」

「……どうした、そんなにむくれて」

「なんか違います!」

「え? いつも通りにやっただけだけど……あ、まさか柳谷のやり方と違うとか?」

「そうじゃありません! 私はこう……私の髪の毛をおっかなびっくり触りながら、そわそわする丹波君を楽しみにしていたんですよ! それなのにこんな手馴れてるなんて……!」

「で、ご感想は?」

「めっちゃ気持ちよかったですありがとうございます!」



 素直にそう言えばいいのに。

 だけど、柳谷はまだご機嫌ななめのご様子。

 どうしたら機嫌治してくれるんだ……?



「……丹波君」

「なんだ?」

「寂しいです」

「……え? いや……自惚れてるわけじゃないけど、俺ならここにいるだろ?」

「そうじゃなくて……心が寂しがってるんだ!」

「そんなアニメ映画みたいに主張されても」

「とにかく寂しいです! だから……だから……」



 柳谷は目を泳がせると──キュッ。

 俺の服の裾をつまんだ。






「……後ろからギュッて……してください……」






 ────。


 う、後ろから……ギュッ……?



「い、いやその……俺まだ風呂入ってなくて汚いし……!」

「丹波君」



 有無を言わさない圧を含んだ声色。

 鏡を通し、真剣な目で俺をしっかりと見つめていた。



「っ……わ、わかった。……行くぞ」

「はい」



 ………………………………。


 ギュッ。



「んっ……」

「い、痛かったか……?」

「いえ……暖かくて……ポカポカします」

「そ、そうか……」

「ふふ。鏡に映ってる丹波君、照れててかわいすぎます」

「やめろ、見るな」



 くそっ、こんな状況、鏡なんか見れないぞ。

 ふと、下を見る。いや、見てしまった。


 水色の寝間着。胸元は大胆に開けられ、高校生にしてはというか高校生なのにというか、トニカクオオキイ胸がこれでもかと主張している。

 余りにも余りにな光景。ついガン見してしまった。



「あ、の……そんなに見られると、流石に恥ずかしいです……」

「ぁっ。ご、ごめん!」



 慌てて目を逸らす。それと同時に柳谷から離れた。



「あぅ。まだ足りないのに……」

「い、今は……これで勘弁してくれ」

「……しょうがないですね。今日はこれくらいで勘弁してあげます」



 語尾に『♪』が付くような、女神の笑顔。

 本当……俺には勿体なさすぎる彼女だよ。

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