第66話 聖女ソフィアの苦労

 * * * *

 

 活気にあふれる人混みの中を歩きながら、一人の女性が顔を青ざめさせていた。


「わ、私、何かしたかしら……」


 彼女の名前はジェシカ。

 ギルドの職員で、受付を担当している、あのジェシカである。


「また、ソフィア様に呼び出されてしまったわ……」


 そんなジェシカは、本日、聖女ソフィア様から直々にお呼び出しを受けることになっていた。



【ギルドの職員、ジェシカさんへ】


 お時間がありましたら、我が屋敷へとお越しください。


 ーー聖女、ソフィアより。



 シンプルな手紙だった。

 要件も書かれておらず、ジェシカに召集を知らせるだけの手紙。


 この街を守護している聖女ソフィア様。

 彼女から呼び出しを受けるなんて、よっぽどのことだ。

 自分以外に、呼び出しを受けている人なんて、知る限りではいない。


 街の富裕層が住んでいる地域。

 そこに、ソフィアの屋敷はある。


「……今度こそ怒られるかも」


 ジェシカが聖女ソフィアから呼び出しを受けることは、これが初めてではない。

 つい、この間も呼び出されたばかりだった。


 ジェシカは、よく聖女ソフィアの名前を行使する。


『この街は聖女ソフィア様の庇護下にある街でしょう……。よって、この街で問題を起こす者は、大変な目にあうでしょう……』と。


 ギルドで喧嘩が起きるたびに。

 何か争いがあるたびに。


 ジェシカはソフィアの名前を出して、喧嘩を仲裁している。


 それは、勝手に聖女ソフィアの権力を振りかざす蛮行だった。


 聖女ソフィアの名前を出せば、みんなが土下座して、自分に謝ってくれるのだ。


 なんとなく、気分が良かった。


 しかし……、先日、張本人のソフィア様には怒られてしまった。


『ジェシカさん。やりすぎはダメですよ?』……と。


 直々に屋敷に呼び出されて、やんわりと注意されてしまった。


 今日、ソフィアの屋敷に呼び出されている状況と全く同じ状況だ。


「もしかして、他の事でも怒られるかも……」


 石畳の上を歩きながら、ジェシカの頭には幾つか思い浮かぶことがあった。

 せめて、少しでも怒られないように、心の中で懺悔をしておくことにした。


「ソフィア様、本当にごめんなさい……。改心しますので、ごめんなさい」


 ああ……不安だ。


 でも、ソフィア様のお屋敷にまたお呼ばれするのは嬉しくて、屋敷が近づくにつれて、弾むように歩くジェシカ。

 この街に住む者にとって、聖女ソフィアに会えることは、それぐらい幸せなことなのだ。



 * * * * *



「ジェシカさん、報告ご苦労様でした」


「ははぁ……! ありがたきお言葉っ!」


 跪きながら、ジェシカは安堵の息を吐いた。


 屋敷の中、目の前にはソフィアがいる。

 黄金色の髪、青色の瞳、白い修道服を着ている彼女は眩しくて、そんな彼女と向かい合っているだけで、ジェシカは息をするのも忘れてしまいそうになるほどだった。


「今日はご足労いただき、本当に申し訳御座いませんでした」


「いえいえ! 私もまた呼んでいただき光栄です!」


「そう言っていただけると、嬉しいです」


 ソフィアが柔らかく笑みを向けてくれる。


 今日、ジェシカが呼び出しを受けたのは、先日行われたシムルグの討伐の件についてのことや、ギルド側に入ってくる情報の共有についてのことだったようだ。


「それと、シムルグ討伐の件は申し訳御座いませんでした」


「あ、いえ、ソフィア様が謝ることではないと思います」


「ふふっ。お気遣いありがとうございます。しかし……大事な冒険者様を危険な目に合わせてしまうところでした」


 ソフィアが謝る。

 件のシムルグの依頼のことについて。


 ……あのシムルグ討伐は、聖女ソフィア直々に出された依頼だということになっている。

 それは事実なのだが、内容が少しだけ変更されていた。

 そもそも、今回、ソフィアはシムルグを『討伐』する予定ではなかったのだ。


 シムルグが、瘴気に飲み込まれているのも予想できていた。

 だから、そのことを伝えた上で、複数の高ランク冒険者に協力してもらって、聖女ソフィア自身も戦闘に加わる予定だった。

 そして、瘴気に飲み込まれていたシムルグを解放するべく、動こうとしていた。


 しかし……そこで、教会の介入があった。

 一部の教会の者の権限で、依頼内容が修正されていた。


 シムルグは討伐する以外ほかはないーーと、教会はシムルグの速やかな排除を要請した。


 そして、それに選ばれたのが、Sランク冒険者『幻影の妖精姫』だった。

 複数の高ランクパーティーで自体に取り掛かるつもりの予定が、『幻影の妖精姫』のパーティーだけでシムルグ討伐を行うことになった。


 これから先のことも考えて、Sランク冒険者『幻影の妖精姫』に箔を付ける思惑もあったのだろう。

 エルフの彼女たちが教会についてくれれば、教会の力も上がる。


 シムルグが周りに被害を出しかねなかったのも、また事実だ。

 そして彼女たちなら、シムルグの対処をできるだろうというのもまた確かだった。


 ……しかしその場合……決して無事では済まなかっただろう。

 四人パーティーの彼女たちの中で、誰かが欠けていたはずだ。彼女たちは確かに実力はあるのだが、まだ若いのだ。故に、経験も足りないのだ。


 瘴気に飲まれたシムルグも死に、『幻影の妖精姫』もダメージを受ける。

 最悪の事態が起きるところだった。


 しかし……そうはならなかった。


(テオ様たちが全て解決してくださいました)


 そのおかげで、聖女ソフィアが目指そうとしていた願いが全て叶うことになった。


 瘴気に飲み込まれていたシムルグは、恐らく生きている。

 テオとテトラが保護してくれたのだ。それはソフィアが望んでいたことなのだ。


 Sランクパーティー『幻影の妖精姫』も無事だった。

 それどころか、士気も上がることになった。最速でSランクパーティーまで到達した彼女たちは、今回の出来事でめまぐるしい成長を遂げようとしている。


(全てテオ様たちのおかげでした)


 最悪の事態にならずに済んだ。

 そのことに、ソフィアがどれほど胸を撫で下ろしたか。


 この街で崇拝されているソフィアだが、全てが上手くいくわけじゃない。

 今回のように教会が介入してくることがある。


 聖女は教会に所属しているため、それは避けられざることなのだが、その度にソフィアはいつも苦労していた。

 最初にテオたちと出会った時も、その後始末をするために動いていたのだ。


(テオ様たちに、お礼が言いたい……)


 ソフィアは、テオとテトラのことを想い、心からそう思った。


 先日、教会からの者たちはこの街から離れ、別の街に行った。

 だから、今なら二人に会いに行けるかもしれない。


 いや……今しか会えるチャンスはないだろう。


 なぜなら……もうすぐ自分は聖女としての役目を全うしないといけなくなるのだから。


 そうなってしまえば、自分は、もう……。


 だから、せめて、その前に……。


(……今度のお忍びの見回りの時に、お会いできればいいのですが……)


 密かにそんなことを思うソフィア。


 ただただ会いたかった。


 テオとテトラ。

 初めてできた、あの友人たちに。


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