第18話 聖女、ソフィア
……その時、俺は馬車を見て迷った。
俺にとって一番大事なことは、テトラを守ることだ。
だからこそ、今、こうして魔物に追われるように走ってきている馬車なんて関係なく、距離を取るべきだと思った。
テトラに少しでも危害が加わる可能性があるのなら、馬車は放っておけばいい。そしたら、あの馬車はあのまま魔物の餌食になるだろう。その隙に俺とテトラは逃げて助かるはずだ。
それでなくとも、俺たちはあの馬車とは無関係なのだ。
……それなのに、どうしてもあの夜に触れたテトラの血の感触を思い出してしまい、ためらってしまう。
思い出すのは、人が死ぬ時の感触だ。
それを思い出したところで、なおも強くテトラを失わないようにしたいと思うのに……それなのに、あの時のことが頭に強く浮かんで、馬車を見ていると立ち止まってしまう。
「テオっ。私は宝石に宿って姿を隠すから大丈夫だよっ」
テトラが俺の手を握りながら、穏やかな笑みを浮かべている。
「テオは優しいもんね。そんなテオだから、私ももっと好きになれるの。だからテオが正解だよ? あの馬車をどうにかしよ。今のテオは誰にも負けないぐらい強いから、きっと大丈夫だよっ」
背中を押すようにそう言うと、テトラは俺の頬に口付けを落としてくれた。
そして俺の腕輪の宝石に触れて、宝石に宿った。
そんな俺たちの元に、土煙を上げながら馬車が走ってきていた。
* * * * * *
馬車が走っていた。
遮るものなど何もない草原の中を、ものすごい勢いで駆けていく。
御者台には一人の男の姿がある。
60代程のその男の表情は苦々しげで、彼は背後を気にしていた。そこにはおびただしい数の魔物の群れがおり、現在、その馬車は魔物に襲われている最中だった。
通常、この辺りには魔物の姿はあまり見られない。
だから街を目指すためにそこを通ったのだが、そのような時に限ってトラブルというのは起きてしまう。
ゲーダーリザード。
硬い皮を持ち、獲物と見るやその命を食いちぎるまで襲ってくる魔物だ。
それが一体ならまだしも、現在、数十匹単位の群れで追いかけてくる。
魔物達の狙いは、まず、馬車を引いている馬だろう。
その次が御者を務めている男を食い殺そうとするだろう。
彼一人ならこの場を切り抜けることは可能だ。しかしこの馬車には、彼にとって守らなければならない存在が乗っている。
「おじい様、私がこの力を使えば……」
彼を心配したその彼女は、荷台の中で不安そうな声で告げた。
「なんのこれしき。お嬢様はしっかり掴まっていてください」
「で、ですが……」
彼は少しでも彼女の不安を和らげようと、振り向いてシワの刻まれているその顔に笑みを見せた。
しかし、内心では余裕のない状況だというのも分かっていた。
このままでは馬に負担がかかりすぎる。
さらに馬車の車輪が外れでもしたら、一貫の終わりだ。
頭の中に、自らが戦うという選択肢もあった。そうできるだけの実力を彼は持ち合わせていた。
しかしお嬢様の安全を考えると、それは得策とも言えないのも分かっている。
「おじい様……」
……と、その時だった。
「おじい様……!」
「ええ……これはいけません。この先に誰かおります……」
進行方向にあったのは人影だ。
旅人か、冒険者か、誰かは分からない。
しかしこのままだと、自分たちを追っている魔物をぶつけてしまうことになる。
つまり巻き込んでしまうのだ。
それだけは避けなければいけなかった。
しかし……その時に限って運も悪かった。
「「ぐ……っ」」
ガツンと馬車が大きく揺れた。
地面から別のゲーダーリザードが這い出てきて、それにぶつかった馬車の車輪が損傷したのだ。
「お嬢様……!」
「おじい様……」
馬車が倒れゆく直前、おじい様と呼ばれた男が彼女を抱えて、地に降り立った。
その後、転倒する馬車。おじい様が馬車から離れる際に馬を引いていた紐を切り離していたおかげで、馬も逃げることができていた。
馬車だけが転倒し、地面を削っていた。そして地を揺らす足音が近づいてきて、二人の背後に魔物が迫っていた。
『『『ガッガアアアアアアアア!』』』
ようやく追い詰めたとばかりに、吠える敵。
「お嬢様は離れずに、後ろにいてください」
「おじい様……」
数はどれぐらいいるだろうか……。
ざっと見ても、50はいるだろう。
彼の実力を知っている彼女なのだが、それでもこの状況には苦しい顔をせざるをおえない。
「そのような顔はされないでくださいませ。この命に変えましても、ソフィア様をお守りするのが私の使命です」
「おじい様……」
そのおじい様の横顔には、覚悟が浮かんでいた。
ソフィアは聖女だ。その命は、自分の命がいくつあっても足りないぐらい重いものだ。
しかし、彼女は気が気ではなかった。
(……本来ならこのような時にこそ、私が守護するべきなのに……)
彼女の顔には後悔が浮かんだ。
それでも、制約を破れない自分を恨んだ。
……その時だった。
「スパーク・ブレイク」
「「……っ!?」」
バチィと音がした。
少し遅れて、バチバチバチィ……ッッッ、という音がした。
それを肌で感じた瞬間、プツンと何かが切れた音がして、次に感じたのは轟音だった。
「「……ッ!」」
場に満ちたのは魔力で。
遅れて翡翠色の雷撃が目の前を通過する。
周囲に降り注いだそれが、周りにいた魔物達を数十体まとめて貫いていた。
『『『ガッガアアアアアアアア!』』』
鼻をかすめるのは、焦げ臭い匂い。
それが爆発的な威力を伴い、空気すらも焦がし尽くす。
衝撃で土煙が巻き起こる。その土煙の中に、魔力を手に宿している人物の姿がうっすらと映し出されていた。
揺れるそのシルエットを見た残りの魔物達が、一斉にそちらを向き、飛びかかる。
『『『ガッガアアアアアアアア!』』』
しかし、それは無駄に終わる。
なぜなら、彼の魔法の方が早かったからだ。
「スパーク・ブレイク」
一瞬、目の前が光り、その時にはすでに魔物達は、硬い革をも貫かれていた。
「これはお見事……」
「す、すごいですわ……」
翡翠色の雷撃で、地面にある砂鉄さえも反応し、隆起している。
一瞬で起きた出来事に、二人はただただ感心するばかりで、息をするのも忘れるほどだった。
なにより、土煙の中にいるその人物の姿がほんのわずかに見えた瞬間、彼女の顔が驚きに見開かれる。
(……!! あの方は……!!!)
彼女は彼のことを知っていた。
実際に会ったことはないのだが、あの夜のことをこの目で見ていた。
それはまるで雷に打たれたかのような衝撃で、聖女ソフィアは、まさかこのような形で彼と出会うことになるとは露ほどにも思ってはいなかった。
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