剛毅果断に

 

 その日から姉さんは、

 雪さんを女中のように

 こき使い始めた。

 僕らの日常は壊れた。



 毎食食事にケチをつけるのは

 もちろんのこと、あれをしろ、

 これをしろと使いっ走りをさせ、

 少し程度が過ぎるのでは

 と注意すれば

「あたしは雪生の姉なのよ!」

 と訳の分からぬ理由で

 押し通そうとする。

 それがあまりにも五月蝿くて、

「こんなに騒がれるくらいなら

 少しくらい……」と

 甘やかしたのが運の尽きだった。


 初日より二日目、

 二日目よりも三日目……と

 ますます要求は

 エスカレートしてきて、 

 始めは

「カリカリくん買ってきて~

 あ、ついでにポテチもねー」

 だったのが、


 四日目の昨日は

「バーゲンダッツと

 雪肌清のマスクと

 UK-Ⅲテトラのセット

 買ってきなさいよ。

 夕飯は黒毛和牛の

 ビーフシチューね」

 になっている有様だ。



 雪さんと暮らし始めて

 一ヶ月弱とそう日は長くないが、

 それにしたって四日目で

 その一ヶ月分の支出を超えるのは

 どう考えたっておかしい。

 あまりに散財しすぎだ。

 食費もひどい。


 昨日も、あまりに

 女王様っぷりが過ぎる姉さんに、


「いくらなんでも

 我が儘が過ぎるよ姉さん。

 別に一緒に暮らすのは

 構わないけど、

 もう少し家計のことを

 気にして生活してよ」


 と注意したら、


「何よ、昔はあんたの

 面倒見てやってたじゃない。

 その恩を忘れたの?

 たかだか十万や二十万程度で

 ぐだぐだ言わないでよ、

 あんたかなり儲けてるじゃない」


 一方的にそう言うばかりで、

 それ以降は

 シャットアウトだった。


 初日から勝手に使い出した

 ばぁちゃんの部屋に引き籠もって、

 スナック菓子ばかり

 食べているらしい。


 どうして僕が

 株や投資で儲けたのを

 知っていたのかは知らないけれど、

 云百万稼いだって、

 一週間で十万以上も

 支出されたら堪ったものじゃない。

 すぐに底をついてしまう。


 僕の知る姉さんは

 こうじゃなかったのに……

 今や我が家に巣くう寄生虫だ。

 その寄生虫に家を

 食い潰されるのもそう遠くない。



 それなのに僕は未だに、

 姉さん(家族の皮を被った寄生虫)

 を追い出せずにいた。


 


 けれど、きっかけは

 向こうからやって来た。


 翌、七月五日金曜日。

 姉さんが居候しだしてから、

 五日目の夕暮れ時だった。


 僕はもう姉さんの浪費を

 やめさせることを諦め始めて、

 これからも生活を続けるための

 生活費を捻出するべく、

 自室で

 再投資について検討していた。



「でも、預貯金が少ない中で

 やるのは危険だよなぁ~

 はぁ、どうしよ……」


 なかなか考えが纏まらず

 机に伏せっていると、

 玄関の方から扉の開閉音がして、

 雪さんの帰宅を知らせた。


 一週間前までは

 週に二、三度の買い物で

 済んでいたのに、

 姉さんがやって来てからは

 尋常でない食事量と

 暴飲暴食に加え、

 パシリのせいで、

 雪さんは毎日

 買い物へ行くようになった。


 さすがに我が姉のせいで、

 普段の倍以上の家事をさせるのは

 申し訳ないと姉の使いっ走りは

 僕がすると言ったのだが……、



「いえいえ、わたしは雪生くんに

 お世話になっている身ですし、

 家事をこなすのは

 当たり前の対価ですよ。

 買い出しも立派な家事ですから、

 雪生くんはお気になさらず」


 と答えるばかりだった。 



「雪さんは優しすぎるんだよ……

 このままじゃ姉さんに

 飼い殺しにされちゃいそうだし、

 でも姉さんは姉さんだしなぁ

 …………あーもう考えんの、

 やーめたっ」



「ドフンッ」「バタンッ」



 これ以上思考しても

 エネルギーを浪費するだけだと、

 僕はベッドにダイヴした。

 ボフンッと跳ね返る弾力性と

 すーっと鼻をくすぐる

 ミントの香りが心地好い。


 さすがはニャヴリーズ様だ。


 外は西日で茹だるような暑さの中、

 遮光カーテンで熱も光も遮られ、

 クーラーのよーっく効いた部屋で

 微睡むのは最高に気持ちがいい。


 このまま夕飯まで眠ってしまえ、

 と枕に頭を預け、

 目蓋を下ろした。



 視界を遮ると、

 他の感覚器官が鋭敏になる。

 ミントの香りも、

 クーラーの音も室外機の音も、


「ゴ、ドンッ」


 ……隣の部屋の音も。



「い、今のは、

 何か落ちた音だよな……?」



 虫の知らせで何かあったと勘付き、

 抜き足で自室を後にして

 隣の部屋の前まで忍び寄る。

 そして、半開きになっていた

 扉から中を垣間見ると、

 床には箪笥の引き出しが

 一段分落ちており、

 中身が豪快にぶち蒔かれている。


 落下音の正体はあれで間違いない。


 ふと目線を上に上げると、

 雪さんが姉さんに

 詰め寄っているのに気が付いた。



「ここは雪生くんのお婆さまが

 使われていたお部屋です。

 いくら雪生くんの

 お姉様とは言え、

 勝手に部屋を漁るような

 真似をされては困ります!」



 見たこともないような

 力みっぷりで声を荒げ、

 怒りを成す雪さんだったが、

 姉さんにそれは

 通用しないらしく、

 袖でも振るように笑っていた。



「別にいいじゃない~。

 あたしは雪生の姉なんだから、

 雪生のばあちゃんってことは、

 実質的にあたしの

 ばあちゃんってことにもなるでしょ。

 別にばあちゃんの部屋で何しようと

 あたしの勝手じゃない」



 そんなことを宣う姉さんに

 寒気すら覚えた。

 弟の親代わりが、

 行方不明になったばかりに

 空き部屋になってしまったものを

 自由に使おうだなんて、

 彼女には良心すらないのか。



「……そういうことでは

 ありませんでしょう。

 雪生くんとお婆さまは

 血の繋がりがないと聞きましたし、

 それなら姉である閏さんにも

 同じことが言えるはずです。


 確かに家族でないわたしには

 関係のないことかもしれませんが、

 人のものを……

 それも金銭を無許可で漁り、

 くすねるような真似を

 看過することは致しかねます」


「は、あんた何言って、」


「しらばっくれても無駄ですよ。

 さきほどあなたが

 その箪笥から物を漁って、

 ポケットに何かくすねていたのを

 見ていましたから」


「そ、れは…………っ」



 姉さんは雪さんの指摘に

 心底動揺したようで、

 箪笥へよろめいた拍子にポケットから

 薄い長方形状の冊子を

 零してしまう。



「……っそれは、あなたの

 預金通帳ではありませんよね!?

 どうしてそんなものを――」


「~~~うっさいっわね!!

 あんたには関係ないでしょ!!?」


「いいえ、

 そういうわけにはいきません。

 あれだけ散財しても飽き足らず、

 泥棒までするなんて……

 少しは雪生くんの

 気持ちも考えてください。


 家族である閏さんに

 そんなことをされたら、

 どれほど雪生くんが傷付くか――」


「~~~っわね!!

 ただ飯食らいが口答え

 するんじゃないわよっ!!!!」



 癇癪を起こした姉さんは

 鬼の形相で怒り立つと、

 真っ直ぐに雪さん目がけて、

 両腕を力一杯に突きだした。


「ドォンッ」


「いっっ……」


 壁に激突寸前のところで

 雪さんを抱き留めるも、

 上手く庇いきれずに

 壁に肩を激突させてしまい、

 付け根の辺りがズキンズキンと

 呼吸するように痛み出す。



 僕の登場で姉さんの表情は

 みるみる青ざめていき、



「こいつ、こいつが、こいつがっっ

 ……金目の物を盗ろうと

 してたからあたしはっ!!」



 どうにかして

 罪を擦りつけようとする姿に、

 デジャヴを覚えて、

 僕は家族の縁というものを

 忘れてしまった。



「ねえ姉さん、

 いつからそんなになったの?」



 姉さんは、狭霧閏は、

 刑罰を宣告される

 原告人のように息を呑んだ。



「手紙での姉さんは

 昔のままだったから、

 少し疲れちゃってる

 だけなんだって

 そう思いたかったけど、

 そうじゃなかったんだ。


 本当の家族、血の繋がりに

 甘んじただけの家族なんて、

 碌でもないね。


 ――今すぐ

 この家から出て行ってよ、姉さん。

 二度目にあなたを呼ぶときは、

 もう他人だから。

 他人のあなたには容赦しないよ」



 人生で生まれて初めて

 発しただろう冷酷無比なそれは、

 慢心の閏にも響いたらしく、

 彼女は空き巣犯のように

 そそくさと家を去って行った。



「雪生くん、

 よろしかったのですか?

 閏さん、お姉さんなのでしょう?」


「ごめんね雪さん……

 僕が不甲斐ないばっかりに、

 色々迷惑かけて。

 でも僕ちゃんと分かったよ。

 本当に大事なものに気付けたから、

 もう迷わない」


「ゆ、雪生くん。

 実はわたし、雪生くんに

 お話ししたかったことが――」



 空に浮かぶ烈火の如く燃ゆる

 太陽と同じように

 顔を赤らめる彼女の言葉が、

 僕には届いていなかった。


 熱弁する彼女の言葉から

 だんだん霞んでいく。



 目の前にいる太陽よりも

 今は見えないところにいる

 月を恋しく思うように、

 果ての無い空を眺める僕と、

 彼女の視線は絡まない。


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