同病相憐れむ(2)
風呂が沸くのを待つうちに、
彼女には塩分と水分を
補給させて少し休ませてから、
僕は問答無用で
彼女を風呂にぶち込んだ。
このシチュエーションは
デジャヴな気が……。
けれど今回は、
前回ほど身体がまいっていなかったのか、
浴槽に投入されて
すぐ彼女は朦朧としていた
意識を取り戻したようで、
ぱしゃんっと顔を濯ぐ音が聞こえる。
「――扉越しで失礼しますが、
何度もお手間をお掛けして、
心よりお詫び申し上げます」
脱衣所の半透明な扉越しに
お姉さんがこちらへ向かって
お辞儀をするのが見えた。
こういうのは
シルエットが分かるから本当に困る。
真面目な話をしているというのに、
相手が今全裸だと思うと、
胸の辺りを目で追ってしまいそうに
なって僕はやや横へ目線を逸らした。
「い、いや、こんなことくらい
大したことないですって~」
本当だよ。
お姉さんが帰ってきてくれたから、
これくらいの労力なんともない。
「いえ、本当に申し訳ありません。
どのようにして
お詫びすればよろしいかと……」
「雪さん、謝るところが違いますよ。
僕は……家族になってくれるはずの
お姉さんにも置いて行かれて、
独りぼっちですっっごく、
淋しかったんですからね?
だ・か・ら、
そのことを申し訳ないって
思ってくれるなら、
この一週間何があったか話してください」
湯を掬い上げる音が
二、三度あったかと思うと、
彼女はおもむろに
浴槽から立ち上がり、
浴室の椅子へ腰掛ける。
「……長くなりますので、
身体を洗いながら
お話させていただきますね――」
さて、どこから
話したものでしょうかと
そんな語り出しが、
シャワーの流水音と共に流れ出した。
――元婚約者の誠一さんは、
わたしが雪生くんを置いて、
ついてきたことに
満足げな様子でした。
そんな彼は、
真っ先にわたしの実家へ連れて行くなり、
私の頭を抑えつけて
無理やり土下座させ、
こんなことを言いました。
「こいつもこれだけ
反省しているので
許してやってください。
僕はもう全然構いませんから」
と、あたかも婚約者の浮気を許す
寛大な婚約者を演じきって、
「君がそう言うのなら……」
「私たちはあなたがいいのなら
一向に構わないのよ?
こんなろくでもない娘でよければどうぞ、
末永くよろしくお願いします」
そうしてまんまと両親から、
再度結婚の承諾を得てしまいました。
わたしは家を出てから、
話が違うと彼に反論しましたが……、
「ああした方が丸く収まるし、
恩も着せられるだろ?」
そう言って反省の色すら
見せませんでした。
やっぱり誠一さんは
改心なんかしてなかった。
嘘ばっかりだった。
そう気付いて
逃げ出す機会を窺いましたが、
彼はその意図を察していたのか、
わたしの腕を強く引っ掴んだまま、
彼の屋敷に着くまで
離そうとしませんでした。
屋敷に着くと、誠一さんの
「かぁさん」だという人に
会わされましたが、
どうもおかしいのです。
彼の母親のお顔は婚約前に一度だけ、
食事会とは名ばかりの
顔合わせで拝見させて
いただきましたが、
その方は女優さんのように
綺麗な容姿をしていらして、
「田舎のおばあちゃん」という
風ではありませんでした。
混乱するわたしを他所に、
彼はその田舎のおばあちゃんに見える
推定七十代前半の老婦を
「かぁさん」と慕い、
以前そうだったとは言え
勝手に、わたしを結婚相手として
紹介したのです。
一瞬呆れて物も言えなくなりましたが、
我に返ったわたしが
否定しようとすると、
「お前なんか、
俺以外誰も貰ってくれないさ、
それに俺みたいな有能な奴に
飼われていたらお前でも
勝ち組になれるだろ?」
そんなことを耳元で囁いて、
わたしの自尊心を壊してきました。
恐怖で何も言えなくなってしまった
わたしは、ただ、
彼のかぁさんが否定的な言葉を
口にするのを待ちました。
するとわたしの願いが届いたのか、
かぁさんは
「そのひとは、
あなたとは不釣り合いだわ」
と結婚を反対してくださり、
ホッとしたのも束の間です。
彼女がいなくなると誠一さんは、
「お前のせいで
母さんに反対された」
「お前が悪い、
だからかぁさんに好かれるように、
誠心誠意尽くせ」
と言ってきて、
監視付きで家事のあれこれをやらされ、
眠るとき以外一切の自由がない
生活をさせられました。
それでも結婚を認めてもらえず
焦った誠一さんがかぁさんに
理由を問うと、
「ここに来てから
一言も喋りやしない女なんて、
気味が悪いさね」
と暴言を吐かれたのです。
その後、再び
「お前のせいだ!」
と誠一さんに罵られ、
暴力を振るわれて、
わたしは身も心もずたぼろになりました。
が、しかし。
その日の深夜に、
彼のかぁさんがわたしの寝ている
部屋にやって来て、
「あのコが無理強いして、
連れてきたんだろ。
そんなろくでなしと、
命令されて自由一つない生活になっても、
文句一つ言わないお嬢さんとじゃ、
不釣り合いだ」
そんなことを言いながら、
屋敷から逃げ出す
手伝いをしてくれたのです。
そして去り際には、
「帰るべきところに、お帰り」
と温かい言葉を掛けてくれました。
きっと彼女は、
わたしを助けるために
ひどい姑を演じていたのでしょう。
そうしてわたしは着の身着のままで、
なんとかここまで
帰ってくることができました。
と、雪さんは申し訳なさそうに
作り笑いを浮かべた。
「やっぱりあいつ、
反省なんかしてなかったんだ……
雪さんはどうして、
信じようと思ったんですか?」
彼女は僕の率直で傷を抉る発言に、
眉尻を下げる。
「あのひとが、
誠一さんが変わってないって
ことはなんとなく判っていましたが、
わたしにはあの家、
実家しか帰る場所がないので……」
「今はここが雪さんの帰る家ですよ。
だから、あんな奴の言うことなんか
聞くことないです」
お姉さんを支えるために
吐いたつもりの台詞だったが、
それは彼女を慰めやしなかった。
「そう、でしたね。
どうして、気付けなかったのでしょうか
……あんなろくでもない
ひとって判ってるのに、
揺らいでしまう自分が
本当に嫌になります――」
つつぅーと一筋の涙が
お姉さんの目から溢れ出して、
僕はその涙を拭おうと手を伸ばし、
彼女がその手を掴んだ。
「不躾なお願いですが、
どうか…………
誠一さんへの未練を断つ
手助けをしてください」
それは初めての、
彼女からの要求の言葉だった。
今までは
「~していただけますか?」など、
疑問形だったのにそれが。
変化の兆しだと思った。
この手が救いを求める
先が僕ならば、
何が何でも叶えたい。
その願い。
「それが雪さんの答えなら勿論だよ」
僕はこのとき、
雪さんの元婚約者:杣山誠一
(そまやませいいち)への
ふざけた復讐計画を目論んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます