同病相憐れむ


「…………ぁ。

 もう、昼過ぎか」



 あのコンビニ遭遇事件から

 七日目の朝もとい、

 午後二時三十分。



 今日も、

 お姉さんはいない。



 あの鼻先をくすぐってくれる

 味噌汁の香りも、

 卵の焼ける匂いも、

 炊き上がりの米の水蒸気も

 この家のどこにもなくて、

 起きる気力が湧かなかった。


 何のために身体を起こして、

 生きるのか分からない。



 けれど微かに聞こえる

 腹の虫の音に、

 なんとか立ち上がり、

 台所へと向かった。



 お姉さんが

 元婚約者に連れて行かれて

 一週間の間に、

 僕はまた出不精になって

 カップ麺や出前など

 ジャンクな食生活に

 逆戻りしてしまっていた。



 雑然とした台所のシンクには、

 カップ麺や

 宅配ピザの油汚れが

 付着したまま

 放置されたゴミが

 山積みになっている。


 足下には45Lの

 ゴミ袋に詰められた

 ゴミが散乱しており、

 台所周りは

 足の踏み場をなくしていた。



「どーでもいいや」



 そんなことさえ

 些末事だと無視して、

 棚からゆず塩味の

 カップラーメンを取り出した。


 近頃では生麺さが売りの

 美味いカップ麺が

 豊富になったが、

 七日間毎食そういったものを

 口にしていると、

 舌が麻痺してきたのか

 どれもこれも

 同じような味に思えた。



「雪さんが作ってくれた

 すいとん汁の方が、

 何倍も美味しかったなぁ……」



 スーパーの特売品で作った

 というとんかつは

 サクサクな上に

 肉そのものは柔らかくて、

 おかわりしたっけ。


 いももちとか、

 豚の生姜焼きとか、

 どれもこれも

 白ご飯が進んで止まらなくて

 …………お姉さんの

 ご飯が食べたい。



「ぐずっ……うっ、ぅぅ

 ……美味しく、ない

 ――なんか、気持ち悪い」



 知らぬうちに、

 彼女の手料理に

 舌が慣れきって

 しまっていたのだ。



 これだけ味の濃い

 インスタント食品も

 彼女のそれに比べれば

 無味乾燥で、

 生のわかめを

 囓っているようだ。



 食欲はなかったが、

 ばぁちゃんから

 食べ物を粗末にするなと

 強く言いつけられてきたので

 昼食は残さず食べきった。



 けれど、無気力に 

 寝そべっているだけでは

 カロリーをほぼ消費せず、

 夕時には空腹すら

 あまり感じなくなって、

 食べずに床に伏し続けた。



 

 ――それから何時間経って、

 何時になった頃か。


 とかく自室のベッドで

 だれるように寝ていると

 ……コンコンコン、

 と玄関の

 戸を叩く音が聞こえた。



 僕は慌ててスマホで

 時刻を確認すると、

 午前一時ちょうどだった。



 もしかしたら

 お姉さんかもしれないと

 期待を胸に

 玄関まで駆けていき、

 扉越しに声を掛けた。



「行き倒れお姉さん、

 ですか?」



「……はい。そそ、ぐ、です。

 ただいま、帰りました。

 家に、

 入れてくださいますか――」



「雪さんっ!!!!」



 僕は彼女が言い終えるのを

 待たずして玄関の鍵を開け、

 戸を開くと、

 衝動的に彼女に

 飛びついていた。



「ゆ、雪生くん……////


 そのようになさらずとも、

 わたしはここから

 逃げたりしませんよ」



 抱き着いて、

 お姉さんの匂いや

 温もりを味わえた僕は、

 そっと身体を離し、

 彼女のある異変に気が付いた。



「雪さん、どうしたんですか。

 服はぼろぼろだし、

 顔色も悪いですよ」



 見れば彼女の衣類は、

 童話に登場するシンデレラの

 ぼろのように薄汚れ、

 ところどころがすり切れていた。


 おまけに彼女の顔色と言ったら、

 数日の監禁の後、

 誘拐犯から脱兎してきた

 被害者さながらに蒼白だった。



「…………あは、は。

 ちょ、っと、肌、寒くて……」



 そう呟くように答えた彼女は

 僕に寄りかかるようにして

 脱力した。


 触れた彼女の頬も二の腕も、

 汗をびっしょりと

 掻いたらしく、

 ひんやりねっとりとしている。


 それどころか、

 頭皮から噴き出した汗の雫が

 僕の肩に垂れ落ちてきた。



 僕は考えるより先に

 お姉さんを抱き抱えて、

 脱衣所へ駆けていた――。



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