青天の霹靂


 これは、なんだ。



 目の前で繰り広げられる、

 感動の再会のワンシーン。



 美形の男が女性を

 抱擁して、抱き締める。

 頬擦りをして、

 喜びを噛み締める。



 そんな、

 ありきたりな光景が

 ――僕の胸を締め付けていた。



(なんでっどうして

 …………っ嘘、だよね?

 違うよね、お姉さん……)



「――やめて、

 くださいますか?

 人が見ているところで」



 僕の悲鳴が届いたかのように、

 雪さんは両手で

 元婚約者:誠一の

 胸をドンと突き放す。


 それから身を守るように

 自分の肩を抱き寄せる

 仕草を取ると、

 彼女は僕の背中へと隠れた。



 僕にしがみついて

 彼の様子を窺う彼女の手は

 小刻みに震え、

 顔色も青ざめている。



「雪さん……」



 それなのに僕は、

 あの最悪な想像が

 ただの勘違いだったこと、

 お姉さんが

 僕を頼ってくれることが

 嬉しくて、

 喜びを隠しきれずに

 口元を緩めてしまう。



 しかし、悦に浸るのを

 元婚約者が許すわけもなく、

 彼は彼女の行動に激する。



「ど、どうして、

 俺から、逃げるんだ!!


 しかも、他の男の影に

 隠れて守ってもらうだなんて

 ……君は俺の女だろ??」



 身振り手振りで力説する

 彼の手が近付いてくる度、

 彼女はビクッビクッと

 肩を竦ませた。


 それが過去に受けた

 傷の深さを

 何より物語っている。



 こいつ……

 自分が何をしたか

 分かって言っているのか?


 自分のされたこと

 でないけれど、

 自分でないからこそ

 余計に腹が立った。


 好きな人を傷付けた相手なんて、

 憎くないわけがない。



「どういう事情かは

 深く知りませんが、

 自分が追い詰めて捨てた相手を

〝俺の女〟呼ばわりとは、

 大したご身分ですね~。


 どれほど偉ければ、

 そんな恥知らずな

 口が利けるんでしょうか」



 煽り立てる口調に

 烈火の如く切れるかと思いきや、

 彼は顔面を覆って、

 懺悔するように

「うぅ……」と呻きだした。



「本当に少年の言う通りだ

 ……でも、俺には

 雪がいないとダメなんだ」



「は? あんた

 今さら何言って……

 ふざけんのも大概に――」 



「妻にするなら

 君しかいないんだ! 


 俺が、間違ってたよ雪

 …………本当に、

 申し訳ないことを

 したと思ってる。


 それでもまた、

 君の作った味噌汁が飲みたい。

 君の手料理じゃなきゃ、

 満足できない身体に

 なってしまったんだ。

 君なしじゃ生きていけない。


 だから頼む、

 家に帰ってきてくれ」



 そう熱弁を振るう

 彼だがしかし、

「君なしでじゃ生きていけない」

 という割には髪も肌もツヤツヤで

 寝癖があるわけでもない。


 それにオートクチュールっぽい

 スーツにヨレも

 シミも見当たらない。


 ワイシャツも同様に

 汚れ一つ無く、

 皺の一つも見当たらない

 パリッとしている。



 これのどこが、

「生きていけない」んだか。

 上っ面にもほどがある。



 すると、元婚約者の巧言令色に

 耐えきれなくなったらしい

 お姉さんが僕の背から出てきた。



「そんなこと言われても、

 わたしは誠一さんの元に

 戻るつもりはありません。


 それと、お味噌汁でしたら、

 元だしとマルニヤの

 味噌を溶いて

 作るだけですので、

 どうぞお好きに」



「いや、そういう

 意味じゃなくて……」



 お姉さんの痛快な返しに

 元婚約者はたじろぐ。


 僕は相手にされていない

 その様に吹き出していた。 



「あなたはあなたで

 お相手の方と

 お幸せになってください。


 それ以上は望みません、

 だからもう――」



「……ちゃんと、

 君の両親の誤解も

 解いてあげたから……ね?」



 何こいつこの状況で

 何ドヤ顔してんの? 


 と思ったが、

 お姉さんは呪いにでも

 かかったかのように

 彼の言葉に

 惹き付けられていた。



「そ、それは

 本当なのですか……?」



「あぁ、もちろん」



 甘い蜜に誘われる

 蜜蜂のように、

 お姉さんはふらふらと

 彼の方へ手を伸ばしかけ……、



「そんな言葉に

 騙されちゃダメだ!」



 僕はその手を掴み上げる。


 彼女はハッと

 我に返ったように

 こちらを向く。


 何かアイコンタクトの

 ようなものを

 してきたかと思うと、



「わたしの居場所は

 あそこだけなの……」



「そんなっ……

 雪さぁん…………!!」



 床に崩れ落ちる

 僕を支えるようにして

 彼女は耳元で、



「判ってますから、

 心配しないでください。


 でも、彼が本気で

 心を入れ替えたのかどうか、

 両親に釈明してくれたのか、

 確かめたいんです。


 ……だから、行ってきます」



 と囁き残した。


 僕はその言葉を頼りに、

 彼女を信じることにした。



「おい、何してる??」



 元婚約者は彼女の言動を

 怪しんでいるようだったが


「お世話になっていた

 お礼とお別れを

 告げていたところです」


 と彼女が説明すると、

 上機嫌になって、



「今まで雪の面倒を

 見てくれていてありがとう

 少年。

 そしてさよならだ」



 見下すような高飛車な態度と

 捨て台詞を残して、

 彼は雪さんと

 去ってしまった。



 後に残るのは、

 滲み出す涙と彼女が

 あのとき何を

 捜し求めていたのか

 という謎だけだった。



「ま、た……ひとり、だ。


 ちゃんと…………

 帰ってきて、

 くれるよ、ね?」



 その独白はきっと、

 青天の霹靂によって

 掻き消された。



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