第19章/最終章 映写室

 朝まで目覚めなかった。やはり安静が必要だったのだろう。起きると、今度こそ体調がよくなっていた。何といっても昨日感じていた、だるさがない。

 楢崎から依頼を受けて14日目。2週間が経った。残り1週間あるが、今回は、成果なしで終わる。仕方ないか。

 時計を見ると、午前7時。森玲子が起きているかどうかわからなかったが、トイレに行きたくて床を出た。客間を出てなるべく音を立てないように手洗いに向かった。トイレを済ませ再び客間に戻った。すると、森玲子がドアをノックして客間に入ってきた。

「よく眠れましたか」

「はい、ぐっすり眠れました」

「お体はいかがですか」

「今度は、本当によくなったようです。ありがとうございます」

「そう、それはよかったわ。今、朝ご飯の用意をしますからね」

「いえ、森さん。もう治ったのでこれで失礼します」

「あら、だめですわ。ご飯の用意もしていますのに」

 孝太郎は、森玲子は一度言うと後には引かないことがわかってきていたので、素直に従うことにした。

「わかりました。ではまたお言葉に甘えさせていただきます」

「ではこちらにお持ちいたしますね」

「いえ、食堂に行けます」

「あら、そう。では食堂にいらっしゃい」

「はい、では顔を洗ったらすぐに行きます」

 森玲子は客間から食堂の方に行った。孝太郎は洗面所に行き、髭を剃り、顔を洗ってから食堂に入った。

 食堂には鎌田もいた。

「やあ、おはよう」

「おはようございます。まだ、お邪魔しています」

「ああ、玲子ちゃんから聞いているよ」

 森玲子と姉夫婦は、この敷地内の二つの家で別々に住んでいる頃から、食事は一緒にとっていたのだろうか。

 今日の朝食は、レタスにベビーリーフも入っているサラダに、フランスパンとスクランブルエッグだ。ようやく味が濃いものを食べることができると嬉しかった。

 森玲子も席につき鎌田と、奇妙なことだが孝太郎も入って三人で朝食を食べることになった。気まずかった。それを察したのか森玲子が話を切り出した。

「お義兄さん。昨晩、西村さんが何を探していたのか、私、推測できましたのよ」

「ああ、それで」

「それは、お義兄さんが兵庫まで捜しに行った『睡蓮の花』らしいのです」

 孝太郎は、ここは、沈黙は金だなと、口を閉ざしていた。

「うん、私も聞いたよ」

「お義兄さんが探して見つからなかったものをお探しになるなんて、西村さんも変な方ですね」

 せっかくおいしく食べていた朝食が急に喉を通らなくなった。つい、謝りの言葉が出た。

「いや、すみませんでした。写真の次は、映画フィルム探しでお騒がせしてしまいました」

 鎌田がゆっくりと喋り始めた。

「玲子ちゃん、実はね、西村君が探していたフィルムなんだがね・・・」

「はい、何ですの」

「いや、今まで黙っていて悪かった。実は兵庫の旧家から見つかっていたのだよ」

 孝太郎は驚いた。昨晩、あんなに森玲子には秘密だと言っていたのに、一晩で鎌田の気持ちが変わっていた。

「え、お義兄さん、本当ですの」

「実は、私も半信半疑だったのだが、兵庫の家を訪ねると、その人は元映画館の経営者でね。戦前に『睡蓮の花』のリバイバル上映をしていたらしいのだが、その途中に国から娯楽映画上映の中止命令が出て、映画フィルムを返却するのを忘れていたということだ。ま、そこは本当かどうかわからないがね。その後、その映画館は戦災で焼けてしまったのだが、何分なにぶん、急だったので、『睡蓮の花』のフィルムは会社の倉庫にしまってあって、消失は免れたらしいんだ」

「お義兄さんはそのフィルムを引き取られたのですか」

「そう、そのフィルムを買い取った。これまで何度も公にしようかと考えたのだけど、あの映画は・・・」 

 鎌田はその後、言葉が続かなかった。

「お義兄さん。なぜ、今まで教えて下さらなかったの」

「玲子ちゃんにはあの映画だけは見せない方がいいと思っていたんだ。だから、戦争で失われたことも、それでよかったんだと考えていた。2年前、急にその映画フィルムが現れたが、私の胸の内に納めておこうとしてきたんだ」

「ではなぜ、今、教えて下さるの」

「突然、西村君がこの家に飛び込んできて、玲子ちゃんの写真を撮ろうと狙ったり、幻の映画フィルムを追い求めたりしているのを見てね、世の中では、いまだに森玲子を求めていることに改めて気がついた。私の胸の中だけに留まらせておくことはできないんだと」

「お義兄さんが気にしていたのは、小川さんのことですね」

「ああ、そうだ。玲子ちゃん、小川君のことだ」

「私なら大丈夫ですよ」

「でもあの映画は玲子ちゃんにとって特別な作品だろう」

「そうですけど、小川さんへの気持ちはもう整理できていますわ」

「そう・・・、そうだったのか」

 鎌田はしばらく沈黙した。そして、おもむろに口を開いた。

「もっと早く玲子ちゃんに打ち明けていればよかったね」

「いえ、お義兄さん、私も今回、西村さんが私なんかをまだ写真に撮ろうとされているのを知って、映画界で生きていこうと決心した時のことを思い出したのですよ」

 孝太郎は、二人から隠し撮りをしたことをとがめられることなく、別の見方をしてもらえて、なんだか気恥ずかしかった。

「突然お邪魔して申し訳ありませんでした」

「あら、西村さん、謝らなくてもよくてよ」

「そうだ、西村君。君の侵入は私らの気持ちを動かしたよ」

「いえ、元々が隠し撮りですから」

 鎌田が言った。

「写真はだめだが、『睡蓮の花』のフィルム発見のことは、書いても構わんよ」

「え、本当ですか」

「なあ、玲子ちゃんいいだろ」 

「ええ、あんなに古い映画に興味を持たれる方はいないとは思いますが、構いませんよ」

「いえ、あの映画が見つかると、森さんのファンだけでなく、一般の人の間でも話題になりますよ。それに・・・」

 鎌田が後を継いだ。

「それに、西村君も手ぶらで戻らずに済むことになるな」

 孝太郎は苦笑いした。

「はい、正直に言うとその通りです。編集の人から怒られずに済みます」

 三人は談笑しながら、朝食をとり終えた。食後のコーヒーを飲みながら、孝太郎が言った。

「鎌田さん、あの家の地下室には映写機がありましたよね」

「昨日、西村君が見た通り、あるよ」

「あれは、今でも使えるのでしょうか」

「もちろん、定期的にちゃんと点検している」

「では一つ提案ですが、皆で『睡蓮の花』を見ませんか。特にボクは、話に聞いているだけでまだ見たことがありません。幻のフィルムが見つかったと発表するにしても、やはり現物を見ておきたいし、何と言っても森さんの映画を見たいのです」

 鎌田が森玲子の方を見た。

「玲子ちゃん、どうだろう」

「ええ、いつもは自分の映画は見たくはないのですけど、あの映画でしたら私も久しぶりに見たいですわ」

 鎌田が映写機の準備をするので、30分後に離れの地下室に集まることになった。

 孝太郎は、客間に戻り布団を畳んだ。持って来たものをリュックに詰めて、帰る準備を済ませた。余った時間で森玲子の資料をあらためて見た。若い時の彼女の美貌を見ていると、時が立つのを忘れた。

 客間がノックされた。

「西村さん、では映写室に行きましょう」

 孝太郎は、客間の縁側から森玲子に先導されて鎌田の家に向かった。玄関を開け、サンダルを脱ぎ、用意されていたスリッパを履いた。今度は忍び足でなく、スリッパの音をさせながら映写室のある地下室に降りていった。

 森玲子が地下室の扉を開けると、鎌田がフィルムを映写機に巻きつけ終わり、いつでも上映できるようになっていた。

 森玲子、鎌田のほか、孝太郎の椅子も用意されていた。鎌田が映写機のスタートボタンを押す。地下室のスクリーンに、ノイズが入った画像で、3、2、1と映し出された。

 そして映画が始まった。〈了〉

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

幻探し エイリュウ @eiryu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ