第189話「抗争と干渉 その9」

 化身がヨハンさんに剣を振り下ろす――――その瞬間、剣の動きが止まった。


「貴様」


 レイモンド教授が、化身の右腕を掴んでその動きを止めていた。しかしその表情は苦悩に満ちていた。


「どうか。どうかおやめ下さい、我が主よ。事の発端は私なのです、罰するならば私だけにして下さい」

「発端が君だとしても。ここに居る全員が神に逆らったんだから、全員相応の罰を受けなきゃいけないよ。わかるだろう? ――――手を離し、跪け」


 洗脳。教授は手を離し、その場に跪く。しかし教授が化身の腕を掴んでいた姿から、ルルは化身のおおよその位置を割り出していた。槍を突き出し、回避させる。その間にヨハンさんは剣の距離から離脱する。


「ルル、その場で槍を横薙ぎに!」

「はい!」


 ルルが槍を横薙ぎに振る。教授の頭上すれすれを槍が通るが、近くに居た化身も飛び退かざるを得なくなる。再び足音が生じる。ヨハンさんがそれを頼りにナイフを投擲する。


「どこまでも小賢しい!」


 これで仕切り直しだ、化身はヨハンさんとルルでもう少し抑えられる――――問題は洗脳されてしまったフリーデさんだ。彼女は、強い。攻撃をしのぎ切るので手一杯だ。全身甲冑の状態ならともかく、ギャンベゾンの防御力だけを頼りに勝つのは……今の僕の実力では不可能だ。洗脳を解く必要がある。


「フリーデさん、正気に戻って下さい! こんなの試練でも何でも無いですよ、あいつはこの場に居る全員を殺したいだけです!」

「そのように思えたとしても、主の意思を疑う事は出来ません。それが混沌に満ちたものであっても、最後には必ず善い方向に導かれる、そう信じて――――」


 フリーデさんは牧師だ。根っからのナイアーラトテップ信者で、その信仰は暴力的であっても理論強度自体は高い。最近になって礼拝を真面目に聞くようになった僕が神学論争を挑んでも無駄だろう――――いや、そうだろうか。今まで僕はフリーデさんに遠慮して、踏み込めなかった領域がある。パーティーの仲が険悪にならないように、あるいは戦闘牧師という厄介人種と事を構えたくないがために踏み込まなかった部分――――無信仰の僕が持っている、率直な「信仰」への不満が。


「甘えないで下さい!」

「甘え?」

「信じるのは大変結構! 最後には善い方向に導かれる、貴女が試練の代行者、そう信じるのは良いでしょう。でもその過程で死んだり、傷ついたりする人はどうなるんですか!?」

「フリーデ、私が許そう」


 化身はそううそぶくが。


「神に許されたら何でもやって良いんですか!?」

「まず暴力して、それから考える事で――――」

「それってのと何が違うんですか! 神に許されたから、戦闘牧師の教義に従っただけだから、そうやって自分を正当化するのはさぞでしょうね! 全部ぜんぶ神のせいにすれば良いんですもんね!」

「それは」

「貴女は、貴女個人の考えはどうなんですか、フリーデさん。全部"神の思し召しだから" で納得出来るんですか。、そう納得出来るんですか」

「ッ……」


 フリーデさんの攻撃が鈍る。反対に、化身が吠える。


「フリーデ! 我が忠実なる信徒よ、惑わされるな! 教えを思い出せ、神を疑うな!」

「"神のみを信じよ。聖典のみを信じよ"」

「そうだ! 私の言葉を信じろ!」


 フリーデさんは新教の教えをそらんじる。やはり、神自身が語りかけているというのは強い。どうにも出来ないか――――いや、これに対する反論はまだ出来るはずだ。僕はその答えを知っている。


「神を信じる、聖典を信じる、結構! でも貴女個人はどうなんですか? 神や聖典を信じる、貴女個人は本当に正しいんですか!? !?」

「……あ」

「クルトォォォォッ!!」


 フリーデさんは何かに気づいた。化身が激昂し僕に飛びかかろうとするが、ヨハンさんとルルの連携攻撃に阻まれる。


「わかりましたか」

「朧気ですが。……私は、弱い人間です。教会の教えや、あるいは戦闘牧師の教義にすがらなければ自分を正当化出来ない人間なのです」

「だから私が直接、お前を正しいと認めると言っている!」

「いえ、主よ……いや、よ。弱く、惑いがちな私には、貴方が主なのか悪魔なのかすら判別がつかないと気づきました。


 フリーデさんが、事の発端――――教授が自分自身の確かさを疑った――――と同じラインに到達した。


「……なら、どうしますか。さっき聞いたあいつの言葉は、どう解釈します?」

「私の弱い心が生み出した、私に都合の良い幻聴……今はそう捉える他ありません」


 そう言って、フリーデさんは武器を下ろした。僕に攻撃する意思は消えたが、化身への攻撃に参加する意思も無さそうだ。だが、今はこれで良い。僕は化身の方に向かう。ちょうど、ヨハンさんが叫んだ。


「クルト、もう限界だ!」

「了解です、後は任せて下さい!」


 ヨハンさんの投げナイフももう弾切れ。最後の1本を投げると、彼は後退した。入れ替わりに僕と化身の打ち合いが始まった。


「よくも私の信者を惑わせてくれたな」

「信者? おもちゃの間違いだろ、さんざん弄びやがって!」


 一合、二合と打ち合うが――――強い! 化身の剣技は練達しており、あっという間に防戦一方に追い込まれる。そもそもこいつに攻撃が当たったのは罠の1発だけで、右腕一本でヨハンさんとルルの連携攻撃をしのぎ切っていたのだ。戦闘能力はかなり高い。


「君の前で仲間や家族全員を殺してやろうと思ったが、こうなったら仕方ない。まずは君から殺す。安心しなよ、全員すぐに後を追わせて……よ」


 信者は、死後にその魂を信仰する神に召し上げられ、その糧となる。そして信者ではない僕も、恩寵受けし者ギフテッドの定めとして強制的に魂を召し上げられる。そんなのは御免だ。


「冗談じゃない……ッ!」


 しかし力量差は圧倒的だ、奇襲で仕留めるしかない。防御しながら機を伺い――――剣と鍋が絡み、かつ鍋が化身の正中に向いた瞬間。【幽体の剃刀】を発動した。


「うっ……」


 不可視の刃が、化身の胸を切り裂いた。化身は膝から崩れる。


「やった!」

「――――なァんてね!」


 突如、銃撃で傷ついていたはずの化身の左腕が動き、僕の右腕を掴んだ。見れば、化身の左腕から銃創が消えていた。胸の傷も見る間に塞がれてゆく。


をありがとう、我が恩寵受けし者ギフテッドよ」

「なっ……」


 【幽体の剃刀】は魂10個を消費する。それは発動コストだと思っていたが――――いくらかはナイアーラトテップにピンはねされていたのか! そして召し上げられた魂が、化身を回復させてしまった!


「ちっくしょう!」

「死ね!」


 化身が突き出した剣を、左腕で受けた。ギャンベゾンが貫かれ、切っ先が僕の肌を傷つける。まだ腕は動くが、これを繰り返されたらまずい。左腕が動かなくなったら。あるいは防ぎ損ねたら、そこで終わりだ。


 化身はほくそ笑み、剣を引き抜こうとして――――止まった。イリスの声が響く。


「油断してたでしょ」

「……貴様」

「私は室内では魔法が使えないだろうって。そして今、回復して大逆転、クルトを仕留められるだろうって。側面がら空きよ」


 イリスの杖の石突が、化身の左脇腹に深々と刺さっていた。ちょっとやそっとでは抜けそうにないほどに。――――彼女は豊胸運動で身体を鍛えた結果、近接戦能力が上がっていた。前線で戦えるほどではないが――――それゆえに、機を伺っていたのだ。奇襲を仕掛ける最高のタイミングを。


「一人じゃ無理でも、二人なら……捕らえたぞ」


 僕は剣の突き刺さったギャンベゾンを起点に、左腕をナイアーラトテップの右腕に絡めた。ギャンベゾンの繊維が剣を絡め取り、抜けさせない。そして柄から手を離す前に腕を取る。フリーデさんから教わった技だ。防具を利用した組討術。さらに化身に掴まれている右腕も絡め、左腕を拘束。続いて右脚を踏み出し、右の太もも同士が触れ合うようにする。


「パン」


 左腕を引きつけ、右腕で化身の身体を持ち上げるように押し上げる。そして全力で身体を左にひねれば―――――


「クラチオン!」

「ぐうっ!」


 パンクラチオンの投げ技になる。化身は床に叩きつけられ、剣を取り落した。僕はすかさず馬乗りになり、脇腹に突き刺さった杖の上に膝を置いた。これでもう、絶対に逃げられない。鍋を振り上げる。


「やめろ。私は神だぞ。お前たちの来世を確約する存在だぞ!」

「来世のために、今ここで大人しく死ねと? ふざけるな!」


 鍋を振り下ろす。化身は左腕でガードするが、骨が砕ける。


「蒙昧なヒトに神話を与え、安寧と次の生を与えるのが私だ、私たちだ! お前は救世主に手をあげているんだぞ!」

「その代償にお前たちのおもちゃになるなんざ、御免なんだよ!」


 鍋を振り下ろす。化身は右腕でガードするが、骨が砕ける。


「玩具が主人の機嫌を損ねるな! 今すぐ大厄災を起こして、全員始末しても良いんだぞ!」

「それがやれるなら、とっくにやってるだろうが!」


 ナイアーラトテップは無数の弱体な化身に分裂していて、大それた事は出来ないはずだ。でなければ、化身単体で僕たちを暗殺するような小賢しい真似はしないはずだ。鍋を振り下ろす。化身の鼻が砕ける。


「ヒトの分際で――――」

「ヒトの分際の信仰すら勝ち取れない神が吠えるな!」

「その信仰を台無しにしようとしたのは、お前たちだろうが!!」


 僕たちが信仰を台無しに――――「我思う、故に我あり」の事か? 化身はこの概念をひどく嫌っているようだが、何故だろう。教授は、自分が自分を疑っている時は「アツァトホートがそのように指示を出したから、私は自分を疑っているのだ」と解釈し、アツァトホートと自分の実在を確信した。


 ……だが、そこにアツァトホートを介入させる必要は無いのではないか。何かを思っている時、「思っている自分」の存在だけは誰にも否定出来ないのだから。そこに


「……そうか。僕たちが、神の介入なしで存在証明されるのが。自立されるのが嫌なんだな?」

「神なくば、ヒトもまた存在出来ない。……それで良いじゃないか。その神話を、世界観を受け入れれば来世が確約されるんだぞ。事実上、永遠の生に等しい! お前はそれを破壊しようとしているんだ!」

「…………」

「私は、私たちはそれを許さないぞ! たとえ私が死んでも、他の化身が必ずお前たちを殺す! ヒトの身でどうにか出来ると思うな!」

「なるほどね。確かにこれを何度も仕掛けられたら、僕たちにはどうにも出来ないだろうさ」


 皆を見やる。一日中、気を張り詰めていたせいで疲弊している。だが闘志は衰えていなかった。「神の思し召しです、死んで下さい」と言われて、そう簡単に頷けるわけもないのだから当然だ。


 例外は教授とフリーデさんで、今この瞬間も悩んでいるのだろう。半分は2人に宛てるように、ナイアーラトテップに僕の「答え」をぶつける。


「ナイアーラトテップ。正直、僕はお前たちが怖いよ。お前たちが本気になれば、確かに僕たちは簡単に殺されてしまうだろう。……でもな、僕は恐れた上で抗うよ」

「無謀極まりない!」

「無謀? そうだろうね、でも唯々諾々と死ねるかよ! 抗って抗って、それから死んでやる! 来世や永遠の生なんて知るか、僕は今を生きたいんだ!」

を受けているのは誰のお陰だと思っているゥゥゥゥッ!!」

「転生させてくれてありがとう、お前が居なかったらイリスと出会う事も結婚する事も無かったよな! ――――だが貰い物でもこれはもう僕の幸せだ、誰にも奪わせるかよ! ありがとう、死ね!!」


 鍋で殴り、化身の頭を砕いた。鍋が光り、魂を吸い上げる。随分と強大なようで、鍋から光が失せるまで数秒を要した。


 ……気づけば、僕が組み敷いていた化身の身体はすっかり消え失せていた。だが鍋の中に、奴の魂が蓄えられた事は感じられる。


 一先ず、撃退したのだ。

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