第76話「帰宅」
「お……おお……!」
騎士隊は解散し、冒険者ギルドとブラウブルク市民兵隊だけで川沿いに数日行軍を続けていると、晴れ渡る平原の向こうに城壁が見えてきた。その背後には空よりも青い山。僕たちの住む街、ブラウブルク市だ。
「帰ってきたんだなぁ」
「ちょっと気が早いでしょ。城門を超えてから感動しなさいよ」
そう言うイリスも嬉しそうにしている。7月下旬、夏の日差しが川面に反射し側を通る冒険者ギルド団員達の身体をゆらゆらと照らす。はしゃぎたくなる内心を代弁するかのようだ。皆一斉に、やれどこで飲むだのどこに挨拶に行くだのと話を弾ませ始めた。
「僕たちはどうする?」
「とりあえず飲み食いしたいです!」
「じゃ、そういう事にしましょ」
即決であった。そして雑談しながら歩いているとすぐに城門の前まで辿り着いた。
「お帰りなさいませ、摂政殿下!」
「ご苦労!」
門番が槍を傾けると(お辞儀の代わりだ)、他の衛兵が城門を開く。……その向こうに見えるのは見慣れた街並み。僕は門をまじまじと眺めながら通過する。やっぱり落とし格子も殺人孔もある。だがこれは僕たちを攻撃するためのものではなく、守るための設備だ。安心感と共に誇らしさを感じる。僕たちはこの門と城壁に守ってもらう権利を勝ち取ったのだから。
「「「摂政殿下万歳!」」」
門を潜れば、多数の市民が押し寄せていた。団長は珍しく馬に乗り、馬上から手を振って声援に応える。家族なのであろう、女性や子供が民兵隊の元に駆け寄り固く抱き合っている者がちらほら。
「家族かぁ」
僕はそれを眩しそうに眺める。父さんも母さんも元気だと良いな。そんな事を考えていると、イリスが僕の裾をちょいちょいと摘んだ。
「同居人じゃ不満?」
彼女はそう言ってにっと笑った。彼女は僕がもう二度と家族に会えない事は知っている、その上で
「やや不満かな」
さて伝わったかな。横目でちらと彼女を見ると、くすくすと笑っていた。
「じゃ、精々頑張りなさい」
そう言って笑うイリスの顔は、夏の日差しを受けてきらきらと輝いているように見えた。
◆
「では皆さんお待ちかね、戦利品分配のお時間です」
「「「Foooooooooooo!」」」
ギルド本部に戻ってきた団員達は、ドーリスさんのその言葉を聞いて歓声を上げた。
「遍歴中に売りさばいた戦利品の総額、そこから手数料3割を引いたものを皆さんに分配します。その額、1人あたま金貨2枚と銀貨32枚」
「「「Fooooooooooooooooooooooooo!!」」」
凄い。日本円にして約130万円。途方も無い金額に思える。でも僕は……。
各パーティーリーダーがお金の詰まった革袋を受け取りに行き、イリスも僕たちのテーブルに戻ってきた。
「じゃ、分配するけど……いいのね?」
「うん」
このお金は、受け取らない。そう決めたんだ。これを受け取ってしまったら、自分の意志で人の生活を奪ったという点でアデーレやザルツフェルト伯と同類になってしまう、そんな気がしたからだ。勿論、これを受け取る人達がそうだとは思わない。これは僕の下らない感傷だ。けれどもきっと、僕個人にとって重要なけじめだ。
「じゃ、あんたの分は私とルルで分けるわね。はいこれルルの分」
「ん。ありがとうございます」
ルルはぺこりと僕に頭を下げた。イリスは何も言わなかった。礼を言おうとしたが、やめた。「気にするな」だ。僕が口を噤んだのを見て、イリスは頷いた。
「じゃ、とりあえず飲みに行きましょうか!」
「「おー!」」
この日の宴会は、それはそれはひどく騒いだ。始めは【鍋と炎】3人だったのが、同じ様に祝勝会をしに来たのだろう他のパーティーが加わり、民兵隊が加わり、関係ない飲み客が加わり……と大宴会になった。騒音の苦情を言いに来た衛兵も、酔客に一杯ビールを勧められるとそれを飲み、あろうことか宴会に加わってしまった。
トイレに行くために外に出ると、街全体が同じ様な雰囲気だった。居酒屋は店の外にまでテーブルを出して客を呼び込み、家々からは煮炊きの煙が上がっている。ハシゴする途中なのだろう、肩を組み合って往来のど真ん中を歩く酔客が馬車の交通を妨げているがそれを怒る衛兵の足取りもふらついている。
この光景を、この街の市民として見れて良かったな――――そう思った時、僕は自分が「ブラウブルク市民」という意識を持っている事に気づいた。確かに僕は日本出身だ。でももう日本には二度と戻れないし、この市に得難い友達や戦友が出来てしまった。家もあれば職場もある。酔客は「おう"鍋の"!」と気楽に声をかけてくれるし、用を足して戻ればイリスとルルが上機嫌に手招きしてくれる。席に座るとイリスがすっかり出来上がった様子で僕の顔を見てくる。
「何ニヤついてるの?」
「いや。僕の居場所はここで良いんだなって」
イリスは数回瞬きした後、けたけたと笑った。
「今さら?」
「今さら」
笑い続けるイリスにつられ、僕も笑ってしまう。やがて何が面白かったのかもわからなくなり、飲みすぎたのかその後の記憶も吹っ飛んだ。
◆
「お疲れ様ー……」
「お疲れー……」
気づいたら家に帰ってきていた。雲のようにふわふわする頭から何とか記憶を掴み取る。……酔いつぶれたルルをギルドに放り込んだのは何となく覚えている。でもその後どうやって帰ってきたのか、何を話して帰ってきたのか思い出せない。だがどうでも良いような気がするし、眠気が襲ってきて思考にさらに
「寝ようかー……」
「そうねー……」
「じゃ、おやすみイリス」
「おやすみー……あっ。ちょっと待って」
イリスはふらつく足取りでこちらに歩いてきて、こけそうになった所を僕が支える。行軍中にかいた汗とアルコール臭に混じって、桃の花のような香りがふわりと広がる。
「何?大丈夫?」
「ううーん……言い忘れてた事がある気がするんだけど……あっ、そうだ」
イリスは酒でふにゃにゃになった顔で、しかし精一杯真顔を作る。
「略奪の件。"気にしないで" って言ったでしょ」
「うん」
「でもちょっと可哀想になってきたから。埋め合わせを考えたわ」
「ええ……」
「……で?埋め合わせって?」
「ん」
イリスの顔が近づいてくるな、と思った次の瞬間、唇に柔らかいものが触れた。
「ん??」
それは一瞬の事だった。いつの間にかイリスは僕に背を向け、ふらふらと自室へと戻る途中だった。
「イリスさん??」
「埋め合わせ。金貨2枚と銀貨……何十枚かのね。おやすみ」
彼女は手をひらひらと振り、カーテンを閉めた。髪からのぞく耳が赤かった。事態が飲み込めなかった僕は広間にぽつんと取り残され、ふらふらと自分のベッドに横たわって状況を整理した。そして理解した時、僕は叫んだ。
「高くない!?」
「はぁ~~~~~~~!?乙女の口付けを高いですって!?」
イリスがカーテンをがばっと開けて出てきて、僕も広間に向かって言い争いを始めた。……が、アルコールのせいでお互いに話が支離滅裂になり「とっとと寝よう」という事に落ち着き、お互いに再び自室のベッドに身を横たえた。
再びやってきた眠気は強烈で、すぐに意識を刈り取られそうになる。だが僕は眠りに落ちる前に、金貨2枚と銀貨32枚ぶんの感触を思い出し、脳に刻み込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます