第5話 シックスロード・ウォーの開始



 魔界――参謀本部――悪魔元帥室。


 悪魔大元帥アスタロトは、豪奢な机の上で頭を抱えてもう何度目かになる呻き声を上げる。


「何なんだ、あの化物はっ!!?」


 ゲート・ゲヘナの開通により、今まで不鮮明であった人界東京での戦闘の様子が克明に映し出されるようになった。

 そこでアスタロトが目にしたのは、圧倒的な力で虫でも踏み潰すがごとく蹂躙する狐面の男の姿。

 狐面の男が無造作に右拳を放つだけで、数百という悪竜と悪魔騎士が屠られていく。決死の覚悟で包囲殲滅を狙うも、狐面の男が放った弾丸が無数に別れて、悪魔たちと悪竜の命を摘み取っていく。

 それだけならまだ救いがあった。悪竜騎士団を圧倒できるものなどこの魔界なら多少なら存在するから。

 しかし、魔界でも屈指の実力を持つバアルとの闘いは、アスタロトに余裕というものの一切を失わせていたのだ。


(ガチンコの殴り合いでバアルと互角だと!? そんな不条理な……)


 悪英雄バアル。最も接近戦の肉弾戦を得意とする悪魔。少なくとも、絶望王陛下以外で、バアルと殴り合いをして無事なものなど、魔界広しといえど存在しないだろう。

 何せ、バアルには拳で殴る限り、全ての防御を無効化する【悪英雄の拳ブラックヒーロー・フィスト】と、万能属性以外のあらゆる系統の攻撃を無効化する【悪英雄の防守ブラックヒーロー・ガード】を有する。さらにいかなるものをも粉砕する非常識な身体能力もあるのだ。

 武器も用いぬ殴り合いでバアルに戦いを挑むなど無謀を通り越して、ただの自殺志願者だ。

 にもかかわらず、あの狐面の男は、バアルと十時間近く殴り合いバアルに勝利してしまった。

 この事実は直ぐに絶望王陛下と他の三大将へも既に画像を添付し報告済みだ。だが、案の定、陛下も三大将も人間どもによる虚偽の映像の可能性と判断してしまっていた。

 つまり、娘をゲート・ゲヘナの贄に使われたことにより激怒したバアルが、悪魔を裏切り、ウォー・ゲームを自ら放棄した。あの映像は態勢を整え、他の六道王の勢力と結びつくための時間稼ぎの一環。そういう理屈だ。

 無論、あの映像が虚像ならばそれでいいし、アスタロトもあのバアルとの最後の通信さえなければ、あの映像を偽りと判断していたことだろう。

 しかし、あの狐面の男を語るときのバアルの熱の入った言葉。あの証言だけは、バアルは武人として話していた。そう思えてならなかったのだ。


(ともかくだ。奴が危険なのは間違いない。ゲート・ゲヘナが解放され次第、あの狐面の男だけは陛下御身自ら殲滅していただくよう進言するしかあるまい)


 人界へ侵攻した軍は所詮、寄せ集めの使い捨て。失っても魔界としては痛手などない。

だが、これ以上の損害、特に三大将が敗れるようなことがあれば、他世界へに大きく後れをとることになる。そうなれば、魔界と人界を繋ぐゲート・ゲヘナの開通は逆にアスタロトたち悪魔の首を絞める結果となるのだ。 

 ならば、悪魔側の最高戦力で狐面の男を潰し、無傷で人界の支配を確保するのが最上。

 

「陛下へ通信を繋げ!」


 部下にそう命じたとき、


《告――修羅道、阿修羅王から悪道、絶望王へ、シックスロード・ウォーの申請がされました………………【侵略権】カードの使用を確認………………許諾。

 次いで、阿修羅王――藤村秋人及びその配下の眷属、バアル将軍の魔界――【死の平原】前への転移の申請中………………受理されました。

 ただいまより、シックスロード・ウォーが開始されます》

 

 《カオス・ヴェルト》の運営側の抑揚のない声が頭上から降ってくる。


「シ、シックスロード・ウォー?」


 アスタロトは、震える右の人差し指で眼前の透明の板に触れる。


 ―――――――――――――――

シックスロード・ウォー

・説明:二柱の六道王同士の総力戦。勝者は敗者からあらゆるものを奪い、支配できる。

・侵略側勝利条件:24時間以内の防衛側六道王の殺害又は防衛側六道王からの降伏宣言がなされること。

・防衛側勝利条件:相手方六道王の殺害又は、防衛側六道王の24時間以内の生存。

 ―――――――――――――――


 そこに映し出されるあまり不吉な言葉の羅列に、刺すような顫動せんどうがアスタロトの背中を駆け巡る。


「修羅道? 阿修羅王? シックスロード・ウォー? あり得ん……あり得るはずがないっ!! 第一、修羅王はずっと前から空席のままだったはずだっ!!」


 修羅道は本来、人界から生じる六道の道。これに支配権を有する六道の王は修羅王。この席が空だったからこそ、人界は最弱の世界とされていたのだから。


(しかし、もしこれが真実なら――)


 六道王は六道王にしか殺せない。それは、この世界の万物不変の法則だ。さっきの言が真実であり、阿修羅王なる王がこの魔界に侵攻してきたのだとしたら――。


「状況が知りたい。直ちに【死の平原】へ偵察隊を向かわせろ! 同時に、第三師団は帝都の南西部付近で、帝都の守りにつけ!」


 裏返った声で、部下に指示を送る。部下は敬礼して武官は元帥室を転がるように退出していった。

 帝都にいる部隊は、第一から第三師団まで。バアルの裏切りの可能性が濃厚なことから、大半がバアルのいた元第五師団で構成される第四師団は、北西部のゲリラの討伐へと向かわせた。

 バアルの指揮下で奴らは驚くほどのポテンシャルを見せる。人界侵略の際に仮に裏切られたなら、悪魔軍の被害は甚大となるからだ。


(最良の選択だったやもしれん)


 もし、バアルまでこの地に攻め入ってきているのなら、第四師団の存在はいつ裏切るかわらぬ獅子身中の虫。少なくとも第四師団とバアルとの接触だけは避けられたのだから。

 第二師団に帝都の警備を、そして第三師団で敵の出方を伺い、虎の子の第一師団を投入し殲滅する。これがベストだろう。


「もしあの通告が真実なら非常に厄介なことなる。万が一に備え、我も陛下へ謁見する。敵にバアルがいる以上、こちらの情報は筒抜けだ。参謀本部の所在を移すのだ!」


 そこまで口にし、参謀本部悪魔元帥室のガラス張りの窓を通して、遥か南方の方角に超巨大な生物のシルエットが視界に入り、あんぐりと大口を開ける。


「あれは……?」

「ひっ!!?」


 室内の部下たちから上がる小さな悲鳴。その八つの頭部を持つ怪物は、鎌首を擡げると、こちらに向けて、大口を開ける。

 

「あ、あれはマズい!!」


 必死だった。ただ懸命に建物の周囲にアスタロトの有する最大の防御結界を張る。次の瞬間、八色の光が弾け、視界は真っ白に染め上げられる。

 目が普段の視力を取り戻し、そこに広がるあまりに非現実的な光景に、


「そん……な」


 両膝はガクガク震え、遂に床へと接触する。


(なんだ? なんなんだ、あれは!?)


 みたことがない! アスタロトが、生まれ出でてから幾年月いくとしつき、あんな無慈悲で、絶望的な光など見たことなどない!

 眼前には、帝都の南西の【死の平原】にいる怪物から帝都の南東に向けて走り抜けた一本の道。その道はドロドロに溶解して今も茹で上がっている。


「い、今ので、第一師団の大半が消滅しましたっ!!」


 悲鳴のような裏返った部下の報告に、いつもは働くはずの脳が上手くついていかない。

ただ、この場に留まればアスタロトたちは見事に全滅する。それだけははっきりと理解していた。


「参謀本部は、この戦の要。一兵たりとも死ぬことは許されん。総員、バベルに向けて退避しろ。あそこなら陛下の結界で守られる」


 そう命を発してようやく、いつもの調子が戻ってくる。

 バベル以外であの巨大生物の一撃をもう一度受けるのは無理だ。だが、一方あれほどの威力の攻撃をそう連発できるはずがない。

 現にまだ奴は撃ってきてはいない。ならば、直ぐにバベルに退避すれば十分逃げ切れる。

 即座に窓からバルコニーに出て、空へ滑空しようとする――。


「あー、悪いが無理だ。逃げられねぇよ」


 咄嗟に夜空を見上げると、そこには狒々面を被り、白色の炎を纏った一匹の鬼が悠然と浮遊していた。

 資料にあった。あの鬼は、《カオス・ヴェルト》のシステムにより種族を変えて変異したもの。つまりは元人間だ。だとすると、あの通告は全て真実だということ。


(マズい! マズいぞ!  これが真のシックスロード・ウォーならもし敗北すれば――)


 バベルへ戻り、直ちに策を組みなおさければ、手遅れになる。

 あの鬼は狐面や獅子面の男と比較し、そこまでの戦闘能力はなかったはず。アスタロトならば、余裕を持って屠れる。いや、別にアスタロトが奴を殺す必要はないのだ。

 そもそもアスタロトは、軍の司令塔。ようは頭だ。頭を失った軍は機能の大半を失う。それだけは断じて避けねばならない。

 何よりもまず、バベルに退避しなければ。


「なめすぎだぁッ!!」


 今もやる気なくポケットに手を突っ込む鬼に、印を結びアスタロトの最大の秘術である【プロミネンスプリズン】を発動。丁度鬼の周囲をグルリと包囲するかのように、グツグツと煮えたぎった炎の球体が生じる。

 灼熱の炎の球体は結界となっており、一度取り込まれれば決して逃れることができない。それが【プロミネンスプリズン】の所以であり、決して破られたことのないアスタロトの最大奥義。


「他愛もない」


 そう吐き捨てると、床を全力で蹴り、建物の屋根に跳躍し、次いでバベルへ向けて全力で滑空しようとする。

 しかし――。


「舐めちゃいねぇよ」


 背後から頸部を捕まれてしまう。


「んなっ!‼」

 

背中をつららで撫でられたように悪寒が走る中、懸命に身をよじって逃れようとするが、逃れる事は叶わない。


「運が悪かったなぁ。さっきのが、氷系の攻撃ならもしかしたら、多少のダメージくらい負ったかもだぜ」

「き、貴様、どうやって!?」


 混乱する頭で尋ねる。【プロミネンスプリズン】は、今のアスタロトが使える最大奥義。あんな、人間モドキに破れるはずが――。


「ぐがっ!!」


 突如、左腕に生じた地が裂けて熱い溶岩が流れ出したような恐ろしい熱と痛み。

 顎を引いて確認すると――。


「ひぃっ!?」


 既に手首までが白炎により燃え上がり塵となってしまっている。そしてその炎はジワジワとゆっくりゆっくり、まるでアスタロトを飲み込むかのように浸食していた。

 脳髄を刺激する痛みに、耐え難い凄まじい痒み。それをどうにか押さえつけ、回復術を行使するが、


「な、なぜ、治癒できんっ!!」


 これっぽっちも効果はない。


「俺の炎は治癒不能の効果もあるからだな」


 赤髪の鬼はそんな悪夢に等しいことを口にする。

 既に炎は左肩を浸食し胸部、腹部を経て、右腕、両足の大腿部へと浸食していた。


「そ……んな……」


 治癒不能? それは三大将の一人のみが陛下から授かりし力のはず。だが、それはあくまで治癒遅延。治癒不能など、聞いたこともない。それをこんな人間に?


「じゃあな、あばよ」

「……ぐぁぁ……」


 赤髪の鬼の言葉、それを最後にアスタロトの視界は真っ白に染め上げられ、その意識は奈落へと落ちていく。


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