第16話 許せぬ気持ち

 俺の前には刑部黄羅おさべきらが襤褸雑巾のようになって横たわっていた。まったく力を感じないし、メドゥーサはこの世界から消滅し、もうただの人間に戻ったのだろう。

 俺は再度、右拳を握ると右肘を引く。実行犯のこいつを殺せば、俺は目的を一つ遂げることができる。


「そこまでだぜ」


 突然、黒色短髪に無精ひげを生やした大男が、俺の右手首を掴んでいた。


「なんだ、お前?」


 いつからいたんだ? 解析などかけなくてもわかる。こいつは俺と同じ。日常と常識の埒外にいる奴だ。こんな目立つ奴いれば一発で気が付く。少し前まで、この部屋にこいつはいなかった。それは間違いない。こいつが部屋に入ってきたことすら気付かないほど、周囲が見えていなかったってことなのかもな。


「俺は日本の正義の味方、お巡りさんだぜ」


 そんな冗談のような自己紹介をしてくれる。


「その手を放せ」

「ダメだぜ。そいつは、坪井涼香つぼいきょうかと明石勘助殺害及び、今起こっている未曽有の災厄の重要参考人。これから署で洗いざらいゲロしてもらわにゃならんのだぜっ!」


 俺にこいつを諦めろと? 冗談じゃない。俺の怒りはまだ微塵も晴れちゃいないぞ!


「もう一度いう。放せ。俺は今すこぶる機嫌が悪い。止めるというならそれなりの覚悟を持つことだ」

「すごんでも無駄だぜ。お前は無抵抗な人間に危害を加えられるような奴じゃない」

「なんで初対面のお前にそんなことわかんだよ!?」

「お前の仲間たちがそう言ってたからだぜ」


 そうか。こいつらは、一ノ瀬や忍達と接触した警察官か。


「こいつが何をやったのか、お前は知ってんのか? あんな尻の青い餓鬼共を拷問して殺したんだぞ!?」


 俺はどうしてもこいつらを――いやこいつだけは許せそうもない。こいつは、勘助のオヤッサンを殺した、やっと分かり合えるかもと思った坪井を殺した。あんな年端も行かぬ子供を無残に苦しめて殺した。しかもただ快楽を得るためにだ。もう俺の堪忍袋の緒は、プッツリと切れてしまっている。


「馬鹿にすんな。知ってるぜ。どの道、こいつは死刑だぜ。だが、お前が人にすぎぬこいつに手をかければ、お前もそのクズと同じくなる」

「その覚悟を持って臨んでいる。だから放せ!」

「いいのか? お前が脱獄したのは殺すためじゃなく守るためだろ? 悪辣な殺人鬼でも無抵抗な人を殺せば、十年単位で刑務所から出てこれなくなる。今後一切、そいつを守れなくなるんだぜ?」

「……」


 反論の言葉一つ口にすることができず、気が付くと奥歯を砕けんばかりに噛みしめていた。そして、そのことに俺自身が一番驚いていたんだ。だってそうだろう? 雨宮をこれからも守るなど、それこそ傲慢ってもんだ。第一、俺は既に阿良々木電子をクビになっている。ならば、もう雨宮とは今後接点自体がなく、既に違う道を歩み始めているといってよい。この事件が終われば二度と関わりになることはない。


「お前が巻き込まれた阿良々木電子の殺人事件もこの度の東京を襲った悪魔共の襲撃も全て一本の線で繋がっている。その事件の解決のために、俺達やお前の仲間たちは寝ずに動いている。お前は周りをもっと信頼すべきだぜ」


 ちくしょう。なぜ言い返せない? こんなにこの外道が許せないのに! こんなにこの外道を粉々にしてやりたいのに!


「くそ、くそ、くそおおおぉぉぉっ!!」


 俺はただ言いも表せぬ激情に任せて咆哮したのだった。

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