第16話 違和感のある拒絶


 雨宮の一件から頭は目下混乱中だった。故に、色々頭を整理したく久々にダンジョンの探索を休止し自室のベッドに寝そべっていたわけだが、烏丸忍に隣のイノセンスの建物の二階会議室まで来るよう頼まれる。

 会議室へ入るとイノセンスの面々が揃い踏みをしていた。そういやすっかり失念していたが本日はイノセンスの全体会議の日だったな。

一応、俺はイノセンスの特別顧問だし、呼ばれるのは当然だ。だが――。


「なぜ、お前らまでいるんだ?」


 すまし顔でいる二人に半眼を向ける。


「私もイノセンスのダンジョン探索の特別顧問になったんだよ」


 得意げにVサインを向けてくる雫に、頭を抱えたくなった。

 俺達の会社は副業禁止。バレたらクビだ。俺とてあのレアソフトの見返りがなければこんな面倒以外の何者でもない依頼など断っていた。こいつ自分の置かれた立場、わかっているんだろうか? いや、きっと微塵も理解していないな。


「お前は?」

「あっしは元より、イノセンスのブレーンですぜ。今後も旦那やイノセンスに様々な提案をさせていただきやす」


 お前の場合、提案というには無理矢理すぎるんだよ! 退路を断ってから選択肢を付きつけられても俺には選びようがないじゃねぇか!


「お前――」


 なけなしの反論を口にしようとするが、


「アキトさんもいらっしゃったようなので、会議を始めさせていただきます」


 ゴホンと咳をして俺達の口論にもならぬ不毛な言い合いを遮り、烏丸忍が口を開く。



 内容はイノセンスの進捗状況だった。

 イノセンスの従業員たちは順調に力を上げてレベル10間近なものも現れている。魔石の週間売り上げは遂に1300万円を超えた。皆、かなり生き生きと探索に取り組んでいるようだ。

さらに、出版業の業務も順調に進んでいる。

 今日最も重要な内容が、忍がこの数週間で調べた出版業を営むのに必要な情報の提示だ。

とはいっても、そう複雑なわけじゃない。

 まず前提として最低でも書籍や雑誌などを発行する編集部門と、それを広く読まれるために書店などの販売者に働きかけたり、広告宣伝を行う広報部門の二つが必要だということ。

 とはいえ、売れなければ話にもならんし、議題はイノセンス出版初の雑誌の内容をどうするかについてだった。


「やっぱり、今大人気のホッピーじゃん!?」

「却下だ!」


 赤髪の男の案を即座に否定する。冗談じゃない。三十路を過ぎたおっさんが仮面を被ってヒーローごっこ。仮に俺と判別されなくても、その姿を周知されるなどどんな羞恥プレイだって話だ。


「じゃあ、魔物の解説はどうかな? 写真付きで特性や弱点を詳細に記載した情報なら読者も飛びつくんじゃない?」

「それはいいよな。だけど、定期的な雑誌の敢行を目指すならスクープも必要だと思うぜ」

「スクープか……」

 

 スクープがあれば読者は大喜びだろうが、そう簡単に取得できるならそれこそ既存の週刊誌などお払い箱だろう。


 それからも数個の案が出されたが、全て決め手に欠くものだった。


「どの道、今すぐ週刊誌の刊行など不可能だろう。最初の目標は本の原本を作り上げることだ。魔物の解説本をまず作ってみてはどうだ?」


 俺の発言に殊更異論は出ず、日本中に出没中の魔物についてと現在知りうる種族についての情報の本をイノセンス初めての本として刊行することが決まった。

 


「先輩、大丈夫?」


 会議室を出ようとすると、雫が心配そうな顔で尋ねてくる。


「何がだ?」

「うん、少し元気がないみたいだからさ」


 今俺の頭の中は雨宮の告白の件で占有されており、とてもじゃないが会議どころじゃなかったんだ。何せ付き合ってくれなんて告げられたのは生れてはじめての経験だしな。

 

「色々あってな。大丈夫。直ぐにいつも通りだ」


 誤魔化すように雫の頭をポンポンと軽く叩くと、背を向け自室へ戻る。


 結局のところ、雨宮から俺にボールが渡されている。あとは俺がどう雨宮に返すかの問題だ。即ち、俺が雨宮という女につきどう思っているかということ。

 俺は昔から女を前にすると緊張する。和葉や雫には大分慣れたが、それでも一線は引いてしまう。真に本音を話せる異性は猫のクロノを除けば、雨宮くらい。そう思っていた。

 だが、最近俺は雨宮に言葉を選んで話してしまっている。以前のような合法ロリやロリっ子といったイジリは最近、めっきりしなくなった。

 この点、雨宮は変わった。だが、今の外見でも雨宮は十分俺の好みとは程遠い。というか若すぎてアウトオブ眼中もいい所のはずだ。だから、きっと俺のこの変化は種族の確定が原因ではないんだと思う。


「俺が雨宮に惚れてる?」


 口にしてみたが、あまりの馬鹿馬鹿しさに思わず笑いがこみ上げてきた。

 馬鹿馬鹿しい。俺は自分の身の程はしっかりと理解している。一回りも年下の女に熱を上げたりはしないし、それを誰も望んじゃないことを知っている。きっと、気の迷いだ。特に雨宮は俺と二度も著しい死の臭いのする体験をしている。いわゆる吊り橋効果で俺への好意と勘違いしたとしたら全て納得がいく。関係に綻びが見られたのは、あのオーク襲撃の直後からだしな。

 ともかく、俺には婚約者のいる女を奪い取るような度胸はない。雨宮には友人として幸せになって欲しいとは思うが、俺が幸せにしようなどと大それたことは考えちゃいない。

 結局のところ問題は、あの頼りない婚約者の坊ちゃんなんだ。根が悪い奴には見えなかったし、例え幼馴染でも、人見知りの雨宮が外道をあれほど信頼するはずもない。奴がもっとしっかりすれば全て万事解決するんじゃないか?


「そうだな。明日もう一度話してみるとするか」


 明日は出勤日だし、雨宮やあの坊ちゃんともう一度話してみるのもいいのかもしれん。



 結局眠れず、次の日、寝不足気味に会社に出勤すると、会社の玄関前ロビーで丁度通勤中の雨宮と出くわした。


「よ! おはよ」

「……」


 普段の雨宮なら俺を見つけると笑顔でトテトテと歩いてくるのに、本日は俺から直ぐに視線を外してエレベーターへ向かって歩を進める。

 うーむ。虫の居所でも悪いのだろうか。だが、こんなモンモンとした気持ちでは仕事にならない。

無言で立ち去ろうとする雨宮の右手首を掴んで引き留めると、


「昨日のことだけど、会社終わってからでもいい。時間とれないか?」


 一世一代の頼みをする。雨宮は俺に近づくとそのお腹に額を押しつけて抱き着いてくる。


「お、おい、雨宮?」


 雨宮の突然の奇行に面食らって目を白黒させていると、雨宮は弾かれたように離れる。

そして、ぷんと怒った迫力皆無な顔で俺を指さし、


「これ以上、ボクに関わらないでくれたまえ!」


 そう早口で言い放つ。


「あ、ああ」


 雨宮の行動の意味が微塵も分からず、暫し茫然としていると、今度こそスタスタと歩いていってしまった。

 機嫌が悪かったのか? いや、じゃあ、こんな公衆の面前で抱き着いてきた意味は? あんな過激な行為、普段の雨宮なら会社では絶対にしないぞ。それに行動も唐突過ぎて脈略がまるでない。

 疑問が次の疑問を呼び、暫し微動だにできずにいると、


『……』


 神妙な顔で雨宮の後ろ姿を見ていたクロノが俺の肩から飛び降りる。そして雨宮の後を追い、その肩の上に乗る。てっきり意気揚々と『マイエンジェルに拒絶されたのじゃ。絶対に近づくでないぞ』とか言われると思っていたのだが、珍しいこともあるもんだ。


「みたぞぉ。聞いたぞぉ」


 振り返るとドーベルマンのマッチョ獣人中村が、悪質な笑みを浮かべていた。


「これは中村先輩、おはようございます」

「香坂君の婚約者――雨宮梓さんにストーキングしているとの噂。真実のようだな」


 最後の雨宮のあの台詞を言っているんだろう。まったく、面倒な奴に見られたもんだ。


「アホですか! 先輩が雨宮さんに、色目など使うわけないでしょ。先輩ってもっとずっとチキンですよ!」


 ムッとしながら、雫が細い腰に両手を当てて仁王立ちしていた。

 おい、一ノ瀬それって全然フォローになっとらんぞ。

そんな雫に中村は気持ち悪いくらい粘着質な笑みを浮べ自らの耳を指さし、


「雫ぅ。俺、さっきこの耳で聞いたんだ! 雨宮梓さんが、藤村に二度と近寄るなと言っているのをな!」


 自信満々に主張する。


「先輩、それ本当?」


 なぜ、一ノ瀬が雨宮の動向を気にするのかは不明だが、

「まあ、形式的には事実だが、内容的には事実じゃないな」


 一応否定しておこう。どうにも、雨宮の意図が読めないしな。あれが本心だとはどうしても思えん。


「なにそれ? まあいいや。勘違いならそれでいいし」


 俺の発言に呆れたような表情で一ノ瀬は肩を竦める。

 雫の登場により、俺なんぞ眼中ではなくなったのだろう。俺を押しのけるようにして、そんな雫に中村は近づくと、


「雫、いい店知ってるんだ。24日のクリスマスのイブに一緒にフレンチでもどうだ? 街のイルミネーション見ながらの食事は格別だぞ?」


 口説き文句を口遊みながらその左肩に手を乗せようとするが、躱されて無様につんのめる。

そういや、中村って雫狙いだったよな。だったら、もっと普段から助けてやればよかろうに。


「謹んでお断りします」


 ぴしゃりと言い放つ雫に、中村は頬をヒクつかせるが、


「じゃあ、お台場で夜景を――」

「申し訳ありませんが、クリスマスイブには先約がありますのであしからず。行きましょう、先輩!」


 雫は俺の右手を掴むとグイグイと引っ張って行く。

 そして二階の階段までくると、俺に向き直ると細い腰に両手を充てて、


「先輩ってただでさえ容姿で誤解されやすいんだから、人前ではもっと慎重に行動しないとだめだよ」


 容姿が誤解されやすいって、お前、流石の俺でも少しだけ傷つくぞ。

 もっとも、本人には本気で俺を心配している。最近、雫がピリピリしているのは会社内での俺の悪い噂が原因のようだし。仲間の侮蔑の言葉に本気で怒ってくれる。こいつはそんな優しい奴なんだ。


「気を使ってくれてありがと、雫。お前のそういうとこ、俺は好きだぜ」


 俺は心からの感謝の言葉を述べた。


「す……べ、べ、別に私……」


 なぜか壮絶にドモリながら、真っ赤になって俯いてしまう雫。そして、そんな俺達を見た周囲の女性社員たちがヒソヒソと噂話に花を咲かせていた。


「そ、それじゃ!」


 カクカクした動きで右手をあげると雫はオフィスに走りさってしまう。

 相変わらず、変な奴。俺も気を取り直してオフィスに向かう。



 それから数日経過する。

 雨宮の挙動不審は相変わらずだ。

 あれから何度か話しかけてみたが雨宮は無表情、無言で通り過ぎるだけ。ただ、嫌悪感のようなものは読み取れない。少なくとも今は俺と会いたくない。そう理解しておくのがよいかもしれないな。


 俺が食堂に入ると遠方では雨宮が隅のテーブルで、焼き魚納豆定食を食べていた。

 あれ、雨宮って外国暮らしが長く、基本、納豆食べられなかったんじゃなかったけ?

 美味そうに食べてるし、味覚が変わったのかな。


(クロノもいるな)


 雨宮の右肩にちょこんとお座りをしている子猫――クロノ。理由は不明だが馬鹿猫はあれから雨宮の傍を離れようとしない。

 クロノの封呪が第二段階突破目前ということもあり、俺との繋がりはさらに強くなった結果、俺から離れて行動できるようになったのである。その結果、現在、メイン武器不在の状態でダンジョン探索をする羽目になっている。

 そこに茶髪のイケメン青年――香坂秀樹こうざかひできがトレイを片手に、複数の女性を引き連れて現れると雨宮の対面の席に座り、食べ始める。

 あんな感じで最近よく雨宮は香坂秀樹と昼食をしている。


「彼女、どう思う?」


 ぼんやりと雨宮達を眺める俺の脇にいつの間にかいた斎藤主任が顎に手を当てて眉を顰めていた。


「営業部では二人の仲睦まじい様子が噂になってますね」


 そうなのだ。この数日、営業部内では雨宮と香坂秀樹の二人のアツアツっぷりが盛んに囁かれている。


「藤村君にもそう見えるかい?」


 やっぱり、俺でも気付くんだし、斎藤さんなら違和感を覚えて当然か。

 雨宮と香坂秀樹は今どき古風にも許嫁らしいし、二人が仲睦まじく食事をしていたのなら、それはある意味元の鞘。俺への告白を後悔して俺と顔を合わせないということで、納得はいったんだがね。

 実際雨宮は、香坂秀樹と距離をとって接している。言葉で表すのは難しいが、キャバクラのお姉ちゃんが、酔っ払いのオッサンをあしらう態度と言えばよいか。秀樹が雨宮の肩に手をかけようとしたら、絶妙なタイミングで避けるとか、終始そんな感じだ。


「まあ、少なくともあのボンボンはあれで満足しているようですし、いいのでは?」


 鈍感なのか、それとも雨宮に避けられているという発想がないのか、香坂秀樹自身は最近やけにテンションが高く非常にご機嫌だ。

 

「うーん、でも彼女のあの微妙な態度に気付いているのは、多分、ずっと彼女をみている君くらいだと思うよ。現に営業部のほとんどは仲の良いカップルという評価だろう?」


 クスクスとさも可笑しそうに笑う斎藤さんに、言い知れぬ羞恥の情に駆られて、


「んなこといったら、斎藤さんだって同じじゃないですか!」


 声を荒げて叫んでいた。

 何事からと俺達に周囲の視線が集中するのを自覚し、


「す、すいません」


 慌てて斎藤さんに頭を下げる。


「いやいや、でも、私が気付いたのは君が彼女を熱心に見ていたからだよ」

「揶揄わんでくださいっ! 雨宮は俺の友達だから――」


 斎藤さんは右手で俺の言葉を制止し、


「わかってるよ。でも、彼女、本当にどうしたんだろうね?」


 視線を再度雨宮に固定すると、素朴な疑問を口にする。


「さあ、今どきの若者の考えは俺にもよくわかりませんわ。それに理由があるなら、直に本人から話があるでしょう」

「それもそうか」


 斎藤さんも大きく頷く。


「それより飯、食いましょう」


 斎藤主任を誘って俺も昼食をとるべく席に着く。



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