少女と手紙【6】

「居ないよね……って、何やってんだろ私……」

 アズリはベルの花屋に戻る道すがら、ロクセを探していた。

 バターケーキは確かに美味しかった。しかし、尾行されているロクセを見てからのケーキは無味に感じた。

 心に靄がかかり、ムズムズしていた。レティーア達の会話には相槌を打つだけで、頭に入って来なかった。


「そういえばお店の手伝いがあったんだった」

 そう言い訳を語る。

 残念だと言わんばかりの反応を示すレティーア達に謝って、早々に退店し、露店や店舗を覗く今がある。


 アズリは街灯に寄りかかり、道行く人々を眺めた。

 彼が厄介事に巻き込まれていないだろうか。

 そもそも尾行されていた理由は何なのか。

 ルマーナ達に悪意は感じなかった。逆に好意を持って追いかけて回していたのかもしれない。ならば今、彼らは何をしているのか。

 ……等と考えても何の意味も無い。

 彼の世話を任された責任感がそう思わせるのだろう、とアズリは自分に言い聞かせ、溜息をついた。


 ジャンク通りにはメイン通りの他に、二本も裏通りがある。特に裏通りは建物の中に小店が密集しており、そこまで探すとなると日が暮れても足りない。

 彼のプライベートに首を突っ込もうとする自分を客観的に見て、無意味な行動をしている事実がより深い溜息へと変える。


――手伝いがあるのは本当だけど……時間まだあるし。……ホント、何やってんの……私。


 街灯から離れて、今度は余計な行動をせずに帰路につく。

 この通りの露店はジャンクフードの露店が四、ジャンク部品の露店が六、という割合。

 この辺りの名物であるマイラサンドの、食欲をそそる香りが漂ってくる。


 エリマイラの肉を野菜と一緒に焼いて、パン生地に挟んだ物なのだが、肉は一割以下しか入ってない。しかし、入ってるか分からない程度の肉量であっても、マイラサンドはとても美味しい。

 アズリも一度だけ食べた事がある。元々旨味が強いエリマイラ肉にたっぷりの野菜と香辛料、そして独自に調合された味付けが絶妙で、いつもその香りだけでお腹が鳴った。


――マイラサンド、美味しいけどジャンクフードの割に高いんだよね。お金には少し余裕あるけど……どうしよう。


 そう思いながら歩道の真ん中で立ち止まり、露店を眺めた。

「お嬢ちゃん、どう? ひとつ」

 当然、そんな客を逃しはしない露店主が声をかけてくる。

「あ、いえ、大丈夫です!」

 言ってそそくさとアズリは逃げた。


――マツリとベルおばさんの分も買うとして、三つだもんね。マイラサンドはちょっとお土産には難しいかな。って、私だけお茶してケーキ食べて……やっぱり悪いなぁ。他に何かお土産になりそうなの……あ! そうだ。


 アズリは足早に目的の露店に向かった。

 通りに一軒しか無いが、必ず決まった場所にある露店。売っているのは、カナリエの孤児院に引き取られたばかりの頃に食べたお菓子。

 近づくにつれ、甘い香りが漂ってきて懐かしさを覚えた。


 店に着くと中年の女性が、ヘラを使って菓子をひっくり返している最中だった。

「いらっしゃい。幾つにする? って、あら!? 久しぶりねアズリちゃん」

「うん。久しぶり」

「忘れられちゃったかと思ったわ」

「ずっと来なくてごめんなさい」

「あはは。冗談よ。気にしないで」

 アズリはすぅっと息を吸う。

「やっぱりこの香り好き」

「ありがとね」


 この露店を見つけたのはアズリが船掘商会に入って、ジャンク通りを歩く様になってから。当時は嬉しくて、給料日には必ず通っていた。しかし、マツリの薬代がかさむようになってからは、足が遠のいた。時折、何かお土産を買って帰るが、様々な料理があるこの街では必然的に選択肢が増える。この露店へ最後に顔を出してから、既に一年は過ぎている。


 元気そうなおばさんを見て、安心したと同時に罪悪感が沸いた。

「幾つにしようかな」

 卵と砂糖をたっぷり入れた小麦粉にハルマという植物の粘液を入れ、両面焼き上げるだけのシンプルなお菓子。名前もまたシンプルにハルマ焼き。

 外はカリッとしていて中は弾力がある。大きさは手の平より一回り小さく、更に平たく潰されて焼き上げている為、一個程度では食べ応えをあまり感じられない。しかし、価格がとても安い。逆に安すぎて採算が取れるか心配になる程。


――そうだ。店の手伝いまで時間もあるし、孤児院に寄っていこう。ハルマ焼きならいっぱい買えるし。


「いつも通り三つ?」

「ううん。今日は沢山買って行くつもり」

「あら? ホント? 嬉しいわ」

「えっと……数は……」と言いながらアズリは孤児院に居る子供達の数を数えた。そして、ふと露店と露店の隙間に目を向けた。

「ん? あれ?」

 路肩にちょこんと座り、最後のハルマ焼きを口に入れ、名残惜しそうに自分の指を舐める少女。

 アズリはその少女を知っている。


「とりあえず二十個下さい」そう言いながらアズリは少女の前へ向かい、屈んだ。

「こんにちは」

「あ、花屋のお姉ちゃん」

「ハルマ焼き好きなの?」

「うん。カリカリしてて、でも柔らかくて、それに甘くておいしいから好き」

「私と一緒だ」


 相変わらずの同じ服。違った服は一種類しか見た事がない事を考えると、たぶん二着しか持っていないのだろう。

 こういった子を見ると、いつも昔を思い出す。マツリと二人で地獄を見た日々。カナリエに救って貰わなければ、とうの昔に死んでいた。

 良く見ると唇の端が切れている。何があったのか問いただすつもりは無いが、雇い主からどういった扱いを受けているのか? 等と邪推してしまう。


「二人とも嬉しい事言ってくれるわね。これ、ちょっと焼き過ぎたやつだけど、食べて」

 店主が普段より少し茶色いハルマ焼きを二つ、薄紙に挟んで渡してくる。

 遠慮しようかと一瞬悩んだが「いいの?」と、素直に喜ぶ少女を見るとそれも言えず「ありがとう。おばさん」と、アズリもまた素直に受け取った。


「いっぱい買って貰ったからね、アズリちゃんもそれ食べて待ってて頂戴。ティニャちゃんも一つじゃもの足りないでしょ。あっと、そうだ。弟君にもお土産持っていってあげるといいわ」

 そう言って更にもう一つ、少女へ渡す。

「ありがとう。おばさん」

「いいのよ」と微笑んで店主は仕事へ戻る。


 きっと、この店に寄った子供達にはいつもこうしてサービスしているのだろう。利益度外視でハルマ焼きを焼き続ける事が、この人の生きがいなのかもしれない。

 そう思うと幸せな気持ちになる。

 今度からまた給料日にはここに通おうとアズリは思った。


「そういえば、ティニャちゃんって言うんだ。いつもお店に来てくれてるのに知らなかった。ごめんね。私はアズリ。よろしくね」

「うん」

 どれだけお腹が空いていたのか。一回で殆どを頬張ってしまっている。それ程大きなお菓子では無いのだから、ティニャの小さな口でも、残った端っこを放り込んだら終わってしまう。

 アズリは受け取ったハルマ焼きを口にせず、挟んである薄紙で丁寧に包んだ。そしてティニャの隣に並んで座る。


「弟居るんだ。お花、弟くんが好きなの? それともティニャちゃんが?」

 頬張ったハルマ焼きを咀嚼して飲み込むのを確認してからアズリは質問した。

「どっちも……です。特に青いのが好き」

 敬語が混ざるあたり、年上には敬語を使うという認識はあるが、意識しないと使えないといった感じがする。

「そっか、青が好きなんだ。覚えておくね。でもどうして?」

「目が綺麗って、ティーヨが言ってくれたから。だから好き」


 ティニャの瞳を良く見ると、鮮やかなブルーにアンバー色がほんのり混じっている。グレーに近いブルーにアンバーやヘーゼル色が混ざっている瞳は良く見るが、深くて鮮やかなブルーが下地にある瞳は珍しい。

 髪は少し暗めの金髪。肌も白い。

 前々から思っていたが、油っぽくてボサボサな髪や汚れた肌が目立つだけで、本来はかなり可愛い子なのかもしれない。


「ティーヨって弟くん?」

「うん」

「お父さんとかお母さんはいるの?」

「いない。死んじゃったから、ティーヨと二人」

 やっぱりか……と思った。下級市民には孤児が多い。こうして街に出て来るのだからティニャは他と比べると、幾らかまともな仕事で生計を立てている。とはいえ、子供だけの生活は酷だ。数週間とはいえ、アズリも経験した記憶が心に刺さる。


「そっか。嫌な事聞いちゃってごめんね」

「ううん。大丈夫。住むところはあるから平気」

「お詫びにこれあげる。お家で二人で食べて」

 言って、アズリは手をつけなかったハルマ焼きを差し出した。

「いいの?」

「どうぞ。それと、今度お店に来た時には青い花選んであげるね」

「ありがとう。お姉ちゃん」

 屈託のない笑顔を見せるティニャの姿こそが、本来あるべき子供の姿だと思う。


 アズリの住む国、カルミアでは奴隷売買は禁止されている。特にここ、グレホープでは際立って取り締まりが厳しい。とはいっても、ティニャの様な子供が存在する時点で、それを容認する国と大差ないとアズリは思う。


 笑顔でハルマ焼きを受け取るティニャから、店主に目を向ける。焼いた傍から大きめの袋に詰め込んでいるが、鉄板が然程大きくない為、まだ時間がかかりそうだった。

「あら? 綺麗なハンカチ」

 もうしばらくティニャと話をしようと顔を戻すと、ウエストバックから白いハンカチを取り出して、二人分のハルマ焼きを包んでいた。

 一瞬驚いてしまうくらいの高級そうなハンカチ。細かい刺繍が施されているが、嫌味な程では無いシンプルなデザイン。

 仕事でもプライベートでも使う、アズリの使い古したタオルやハンカチとは雲泥の差がある。

 羨ましいとか、そういう気持ちは無く、素直にどうしてこんな物を持っているのかと疑問が沸いた。


「貰ったの。綺麗なハンカチでお菓子包みたくないけど、後でちゃんと洗うから」

 そして疑問がもう一つ。そのハンカチには血が付いている。

「血がついちゃってるね。そのハンカチ。もしかして唇切った時の?」

「え? あ、うん」

 ティニャは驚いて自分の唇に手をあてながら「もう大丈夫。痛くないし」と続けた。そして、小さなウエストバックに、包んだハルマ焼きを入れる。

 そのバックには手紙の様な物が入っていたが、アズリの気にするところはそこではない。


「誰に貰ったの?」

 何があったの? とは聞かなかった。

 なんとなくだが、聞いて貰いたくない雰囲気を感じたから。

 切れた唇と血の付いたハンカチを見ると誰かに拭って貰ったと考えられる。そしてそのまま貰ったという流れだろう。

 そう考えれば、だいたいの想像はつく。ただ、そのハンカチの本来の持ち主は誰なのか。


――もしかして……。


「えっと、ルマーナさんっていうお姉さん」

「ルマーナさん……あの人が……」

 上級市民の女性がこんなジャンク通りを歩くのは滅多にない。

 別に中級市民でも、レティーアの様な高級品を好んで使う女性もいる。いるにはいるが正直、今日この辺で高級ハンカチを持ってそうな人と言えば、見た限りルマーナしか想像が出来なかった。


――やっぱり。


「お姉ちゃん、知り合いなの?」

「え? うん。少しね。話した事は無いし、結構有名人だから一方的に知ってるだけだけど」

 ルマーナの人となりは知らないが、少なくとも、ティニャの傷を拭ってあげる性格である事は分かった。色んな噂はあるが、悪い人ではないのだろう。

 しかしそんな事は、今はどうでもいい。

 ロクセを付け回していたルマーナ達。であれば、ティニャにハンカチを渡した件についてロクセも関わっていると思われる。


「もしかして、ハンカチ貰った時、その場にロクセって男の人居なかった?」

「え? お姉ちゃん、あのおじさんとも知り合いなの?」


――おじさんって……。ま、そうだけど。


「うん。一緒に仕事してる人……かな」

「じゃあ、お姉ちゃんのお店、おじさんも知ってる?」

 お店とは花屋の事だろう。しかし何故、そんな事を聞くのか。

「知ってるけど、どうして?」

「今夜、おじさんとお出かけしなくちゃならないから。時間まだまだあるし、どこかで待ち合わせしなくちゃって思ってたから」


――今夜?! どゆこと?! 


 ルマーナ達に付き回された挙句、十歳にも満たないようなマツリよりも小さな女の子と、何故出かける事になっているのか。しかも夜。

「えっと……ど、どこへ出かけるの……かな?」

 若干、呂律が回っていない。

「ロンライン。知ってる?」


――こんな小さな女の子と歓楽街?! どゆこと?! 


 喫茶店【ニア】でロクセ達を見かけてから、まだ一時間も経っていない。その間に何があったのかは、恐らくティニャに起こった出来事に起因している。それが何故、歓楽街に行く結果となったのか。

 それにロンラインの中で、二番目の通りはルマーナの管轄エリアだ。

 だからといって、それを今、聞くべきではないと思った。

 本人から聞き出したい。

 しかし、あくまでもロクセのプライベートなのだから、放って置くのが正しい。正しいのだが……。


「ねぇ、ティニャちゃん」

「え?」

「今夜、私もついて行っていい?」

 謎のイライラが纏わりついて「お待たせしちゃったわねアズリちゃん。出来たよ」という店主の声が左から右に素通りしていった。

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